第9話 TKGの悲劇
「晩御飯だぞー。」
「晩御飯だよー。」
志朗とクロの声が茶の間の方から聞こえてきたが、恭一と弘介は答えることもしなかった。食事はとりたいが、とにかく今は時間がおしかった。2人が返事をせずにいると、クロが部屋まで呼びにきた。
「晩御飯できたよ。」
「ごめん、こっち持ってきてくれないかな?」
再びとことことこと台所に戻っていくクロの足音を聞きながら、柱の時計を見た。針はちょうど二十一時をさしていた。今日が残す所、あと3時間。明日の十五日をフルに使って二十四時間、最終十六日は花火の打ち上げが七時半だから、七時に家を出るとして十九時間。使える時間は、四十六時間。長いようだが二日弱しかない。有効に時間を使うために、最初に作業工程を2人で確認した。恭一が手伝える場所は少ない。計画では、弘介は寝ることが許されないはずだった。
「二日ほど寝なくてもどうということはないって。」
弘介はそう言ったが、期末テストのように結果を諦められるものでもないので、恭一は、過酷な四十六時間になると思った。自分にできることは弘介のバックアップだけのはず。弘介が最後まで悔いの残らないようにしてやろうと、心から思った。
きぃと扉がきしんで、志朗がお盆を持ってあらわれた。
「晩御飯、持ってきてやったぞ。」
ちゃぶ台の側にお盆を置き、志朗は弘介に茶碗を差し出した。
「やりながらでいいから、ちゃんと食べろよ。」
焚きたての白飯のにおいに、さすがに食欲をそそられて胃の辺りがきゅうっとなる。弘介はだまって茶碗を受け取ると、おかずを探した。
「弘介、はい。」
クロが笑顔で弘介の手を握った。どうしたのかなと思ったら、手のひらにひんやりとした感覚が伝わってきた。見ると、卵をそっと握らされていた。おかずらしきものは、それしかなかった。
「え、晩御飯TKGだけ?」
「ええっ、これだけなのじいちゃん?」
「贅沢言うな!」
「TKGって何?」
4人の会話が交錯する。
「もう、なんでもいいよ。」
弘介はそう言うと、ぱかっと卵を御飯の上に割り入れ、醤油を豪快にかけた。
「何か、弘介に栄養がつくものを……」
「卵には栄養がたくさん含まれてるんだぞ。古くは江戸の吉原で滋養強壮剤として売られてて……」
「TKGって何?」
弘介が卵かけ御飯をほおばる。炊き立ての熱い米に、卵がからんでとても美味しかった。
「うまいからいいよ、恭一。」
「何か買ってくるとかできなかったの?」
「猫とオバケに何を期待してるんだ?」
「TKGって何?」
クロが3回目の質問を投げかけるけれども、誰も答えなかった。
「変にリアルだから、忘れてたよ。たしかにじいちゃんとクロを買出しに行かせられないか。」
「行って来ていいなら、行くんだけどな。」
「それはダメでしょ。」
「TKGって何?」
まったく無視されて、クロの声色が泣き声をはらんでくるのだが、おかしいテンションの弘介は全く気づかず、すごい勢いで卵かけ御飯を胃の中におさめると、茶碗を黙って志朗に返す。
「よし、腹は満ちた。やる気でた、サンキューじいちゃん!」
「だから、TKGって何よ、弘介!」
ちゃぶ台のへりを、クロが勢いよく叩いた。パソコンがガタンと軽く宙に浮く。
「え?」
パソコンに向かおうとしていた弘介がキョトンとする。
「ずっと、ずっと聞いてるのに、なんで無視するの。」
「あ、ごめん、クロちゃん。無視するつもりじゃなかったんだけど。」
「……クロ、時間がないんだから、弘介困らせちゃだめ。」
恭一が間に入ろうとするが、クロはそれも許さなかった。
「ずっと、ちゃんと声を上げてるのに、どうして聞いてくれなかったの。私、ちゃんとTKGって何って聞いてたのに。」
「ごめんね、クロちゃん。TKGっていうのは『卵かけ御飯』のことなんだ。」
「もう、そんなこと、どうでもいいもん!」
クロは立ち上がると、部屋を出て行ってしまった。弘介はあっけにとられ、恭一はなにが起こっているのかよくわからなかった。ただ、志朗だけがマイペースに自分の卵がけ御飯を作りながら、話はじめた。
「クロの声を聞かなかったことにしちゃ、ダメなんだ。」
「どういうこと、じいちゃん。」
「クロはね、捨て猫だったのは、覚えているか、恭一。」
「うん、じいちゃんが拾ってきたんだよね。」
「そうだ。まだクロがこれくらい小さかったころだ。」
そう言って、両の手のひらを使うと、猫を抱いているかのようにそっと持ち上げた。
「あの時に、もうペルソナをクロは持っていた。クロが何故、ペルソナの力を手に入れたのか、それに関係するんだ。」
手が止まっている弘介に、聞きながら手は動かせと声をかけながら、志朗の次の言葉を待つ。
「クロはね、生まれてすぐに母親と離されて捨てられたんだ。その時に、必死に『捨てないで』と前の飼い主に何度も言ったらしい。もちろん、飼い主にその声が届くことなんて、絶対にないわけだが。小さいなりに、ずっと鳴き続けたらしいよ。」
卵かけ御飯を口の端につけながら志朗はしんみりと言う。
「それで、ペルソナを?」
「ああ、宝石のような月が輝く夜に、ダンボールの中で、お願いしたんだと。自分の声が誰かに届くようにしてくださいってね。願いは叶ってクロはペルソナを手に入れた。それでわしと出会ったんだ。」
「拾ったときには、もうペルソナを持っていたってこと?」
「ああ、それでその時にわしはクロと約束したんだ。」
「なんて?」
「『捨てるなら拾わないで。拾うなら、私のことを見て見ぬふりはしないで』って言ったんだったかな?」
卵かけ御飯をほおばり咀嚼すると、再び口を開く。
「可愛そうなことをした。約束したのに。」
「捨てられたときのこと、思い出させちゃったかな?」
「そうだな。」
部屋を出て行くときに、あの不思議な黒曜石のような瞳が不安に揺れていたのを思い出す。クロを傷つけてしまったのは自分たちだ。不安なんて感じる必要はないと教えてやらないと。そう思ったが、今は手が離せない。どうしたものかと思っていたら、弘介がパソコンから視線を外して恭一を見た。
「行けよ、今の飼い主はじいちゃんじゃなくて、恭一だろ?」
そうだった。確かに拾ってきたのは志朗かもしれないが、今の飼い主は恭一である。約束をしたわけではないけれども、捨てたりしないと約束できるのは自分だけだ。今すぐ立ちあがってクロを慰めにいきたいが、今は状況がそれを許さない。
「ばーか。」
弘介が唐突に言った。
「え?」
「女の子泣かしておいて、あやまりに行くのに、他の何を気にするっていうんだよ。謝るなら早いにこしたことはないだろ。」
「弘介……」
「俺なら大丈夫、行って来い。それにTKGって言っておいて、クロちゃんの質問を無視しちゃったの俺だし。」
「……サンキュー。」
そう言うと恭一は立ち上がった。
「じいちゃん!」
「おう、なんだ。」
「仕事言うよ。」
「おう、何でも任せろ。」
「弘介が寝そうになったら、たたき起こして。」
「なんせオバケだからな、寝なくても平気だから任せておけ。」
そう言って志朗は手をのばして、恭一の尻のあたりをぱぁんと叩いた。
「行って来ぉい!」
「うん!」
はじかれたように、恭一は部屋を出て行った。部屋には弘介と恭一が残された。
「じいちゃん、失恋?」
「まぁ、可愛い娘をとられた気分ではあるな。」
「じいちゃんが追いかければよかったのに。」
「わしはオバケだからな。本来なら、もうクロを抱きしめる手も、声を聞く耳も持たない存在だから、クロを安心させることはできないよ。それに、それを言うなら、お前こそ失恋じゃないのか?」
「じいちゃんに譲る気はないけど、恭一なら話は別かな。」
弘介はにっと笑うと、志朗を見た。
「なかなかに男じゃないか、よし、今晩はわしが責任を持って寝かさないようにしてやるよ。」
志朗が任せておけと、もう一度太鼓判をおした。
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