第7話 絆と嫉妬

 蒸し風呂のような恭一の四畳半の部屋で、4人で眠るのは、さすがに厳しいものだった。夜中に何度か暑さで目が覚める。そのたびに汗をタオルでぬぐうと、再び必死に眠りを手繰り寄せる。しかし、さすがに朝日が差し込んでくると、もう眠ってはいられなかった。

「あつい……」

 寝グセでぼさぼさになった髪をかきあげて、弘介がいう。

「言うなって、余計暑くなる。」

 二人の視線の先には志朗の姿があった。史朗は涼しい顔でクロを抱いて寝ている。

「暑くないのかな。」

「オバケだから、暑くないんじゃないの?」

 言ってみて、なんだか嫌味っぽいいい方をしてしまったなと少し反省してから、恭一はパソコンを立ち上げた。OSの立ち上がる爽やかな音が流れて、志朗が目をさました。

「おお。おはよう、恭一。」

「おはよう、じいちゃん。」

 なんとなく面白くない気持ちで、目線を合わせられなかった。

「朝からパソコンか? 夏休みなんだし、朝はラジオ体操にでも行ってこい。」

「小学生じゃないし。」

「体を動かすと気持ちいいぞ。」

「別にいいよ。」

 ぶっきらぼうに答える恭一に、志朗はニヤニヤ笑った。

「どうした、やきもちか?」

「えっ?」

 思わず、志朗の方を向いてしまった。しまったと思ったが、もう遅かった。

「ふぅん……」

「ちょ、そんなんじゃないから。」

「まぁ、クロは可愛いから仕方がないなぁ……」

「いやいや、おかしいでしょ、クロは猫だし。」

「でも、面白くないんだろ?」

「そんなことないよ。」

「ふぅん……」

 志朗は少し考えると、ぱっとその顔をいたずらっ子のように輝かせた。

「そうだ、じゃあ、こうしよう。」

 何をするというのだろう。恭一と弘介が志朗を見ていると、志朗の体が淡い光に包まれた。光はだんだん強くなり、一瞬二人の目を焼いた。思わず閉じた瞼の裏が真っ赤に見えた。再び瞼を開いても、しばらく緑がかった闇色に視界が染められて、見えづらかった。

 少しずつ視力を取り戻して、志朗に焦点を合わせると、そこに志朗はいなかった。その代りに、自分と対して歳の変わらない少年がそこに座っていた。

「……え、誰?」

 少年がにっと笑った。

「わしじゃよ、わし。志朗、志朗。」

 同じく視力を取り戻した弘介が横でちゃぶ台をガタンといわせた。

「え、じいちゃん?」

「おう、じいちゃんだぞ。」

「……何、その姿。」

「お前と同い年くらいの頃のわしじゃ。」

 半パンに、白いシャツ。あとは外に出るとき麦わら帽子をかぶって虫網と虫かごを持てば、昭和の中期ぐらいまで生息していた完璧な野生児風少年だった。

「え、なに、若返ったの?」

 弘介が事実を確認する。志朗は満足そうに頷いた。

「おう、なんせ今のわしはオバケだからな。なんでもありだ。」

「じ、自分で言うのはどうなの?」

 恭一は目の前の事実をにわかに受け入れがたく、あたりさわりなく突っ込みを入れるだけで事態を見つめていた。そんな恭一に気づいているのかいないのか、志朗は傍らのクロをゆさゆさとゆすった。

「よし、クロ。ラジオ体操にいくぞ。」

「……うにゅ、ラジオ体操ってなに?」

 眠たそうにクロが顔をきゅきゅとこすった。

「まぁ、いまだに残っている数少ない夏の風物詩だ。」

「面白い?」

「面白くはない。」

「そこは肯定しないんだ。」

 弘介が志朗に突っ込みをいれるが、2人は全く気にする様子もない。

「志朗が行くなら、行く。」

 クロは立ち上がると、志朗のそばまでやってきた。志朗はクロを抱いて立ち上がる。

「じゃあ、ラジオ体操に行ってくるわ。」

「……行ってらっしゃい。」

年寄りの考えることは、よくわからない。そう思って、恭一は再びパソコンに向かうと、キーボードをたたいた。いつもより、キーボードをたたく音が大きく部屋に響いていた。

三十分ほどして、志朗とクロが帰ってきた。クロは志朗から、乳酸飲料をもらってごきげんそうにしている。

「楽しかった?」

 恭一が水を向けると、クロはこくんと頷いた。

「ヒトがみんな、同じ動きしていて面白かった。ラジオ体操第2のゴリラ運動、面白いね。」

 なんだかとっても楽しそうにクロは言った。楽しそうなクロを見ると、自分も楽しい気分になったのに、なんだかちっとも楽しくなくて、恭一はいらいらしている自分のことがよくわからなかった。


「一日中パソコンの前に座っていて、楽しいか?」

「楽しくはないけど……」

「恭一、遊ぼうぜ。川に釣りに行こう。」

「……行かないよ。」

 弘介から渡されたゲームデータのテストをしながら、恭一は答える。恭一はまだテストプレイだからいい。弘介にいたっては、目を血走らせてプログラムをチェックしている。

「じゃあ、野球でもいいぞ。」

「この暑いのに、野球なんかやったら死ぬ。」

 午後2時の陽射しは、殺人的にじりじりと差し込んでいた。恭一の部屋の温度も順調に上がり、人口密度とパソコンの起動熱で我慢大会のような状態だった。

「暑いし、つまんないし、遊ぼうぜ。」

「遊んでるヒマ、ないってば、じいちゃん。」

 自分と同じくらいの外見に戻ってからの志朗は、びっくりするくらい子どもだった。大人の落ち着きなんてミジンコほどもない。5分も黙って座っていられず、退屈だ退屈だと繰り返した。

「そのじいちゃんって、やめようぜ。」

「じいちゃんを、じいちゃん以外、なんて呼べばいいのさ。」

「せっかくオバケの自由の身分を生かして若返ったのに、じいちゃんでは興ざめだ。志朗って呼んでくれ。」

「じいちゃん、何考えてるの?」

 半ばあきれて言うが、本人はいたって本気のようだった。黒い目がきらきらとしている。どこからみても少年の目だ。

「せっかくあの世から帰ってきて、ついでに若返ったわけだし、いろいろできなかったことをやろうかなって。」

「オバケは大人しく家に居てください。」

「せっかく帰ってきたのに、つまらないじゃないかー。」

 志朗が不服そうに頬を少し膨らませる。こんなリアルなオバケを外に出すわけにはいかなかった。ラジオ体操にいって、参加賞の乳酸飲料をもらえるくらいには、周囲に見えているはずだという事実には、驚愕したが、忘れることにした。

「いいから、家にいて。それから、弘介は十七日が締切のゲームコンテストに向けて、最後の追い込みしてるんだから、邪魔しちゃだめ。」

「今日入れてあと4日しかないじゃないか、大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃないから言ってるの。」

 じっと志朗の目を見て言う。実際、弘介はこんなやり取りをしていてもぜんぜん絡んでこないくらい、余裕がない。シナリオを遅らせてしまったのが、今になって悔やまれるが、悔やんでも後の祭りだ。今は邪魔しないようにすることが、一番の手助けだと思う。

「何か手伝ってやろうか?」

「じいちゃん、パソコン使えないでしょ。」

「ああ。」

「絶対、手を出しちゃダメ。」

「ちぇっ。」

 志朗とクロが弘介の邪魔をしないよう、しっかり見張っておかないといけないと恭一は思った。

「家の中にいたらいいんだな。」

「家の中ならいいよ。」

「よし、じゃあ、庭で行水するか。」

 威勢よく、志朗が立ち上がった。そういえば、志朗はよく夏になるとよく金ダライをだして行水をしていた。いまどき、そんな年寄りもなかなかいないと思うのだが、その光景はレトロな昭和の香り漂うこの家にはよく似合っていた。子どもの頃は、恭一も一緒に行水をした記憶がある。水遊びの延長のようで、なんだかとても楽しかった。

「クロもおいで。」

「うん。」

 ぼんやり思い出している間に、志朗とクロは庭に出た。志朗は大きな金ダライを持ってくると、庭の水道からホースを伸ばして金ダライに水をため始めた。涼しい水音が部屋にも聞こえてくる。恭一が見ると、志朗はついでに庭に水を撒いてくれているらしい。若干暑さでしょぼりしていた緑が、厳しい陽射しに、輝きを取り戻してくるようだった。クロはというと、志朗の足もとをちょろちょろと動き回り、水にぬれないように跳ね回っている。その様子はとても楽しそうだった。思わず思いが口から零れていた。

「プール行きたいな……」

「締切終わったら、いくらでも行こうぜ。」

「うん、あと4日頑張ろう、弘介。」

「つきあわせて悪いな、恭一。」

「ううん、もともとは僕のシナリオが遅くなったせいだもんね。つきあうよ、とことんまで。」

「嬉しいこと言ってくれるなぁ、恭一。テストプレイなんてほったらかして、お前も行ってもいいんだぞ?」

「いいよ、金ダライで行水なんて、さすがに高校生になってやれないよ。」

「そうだよな。」

 野性味あふれる志朗の所業に、思わず苦笑いするが、どこか憧れもある気がした。

「じいちゃん、いいキャラだな。」

「僕の知ってるじいちゃんじゃないみたいだけどね。」

「年取ると子どもに戻るって言うじゃないか。」

「本当に戻ってるけどね。」

 恭一の言葉に、二人で大笑いした。久しぶりに大笑いして、腹まで空気を吸い込んだせいか、すこしスッキリした。

「よし、スッキリした。また集中してやろうぜ。」

 庭の方から声がした。

「よし、クロも洗ってやる。」

「うん!」

 猫って水が嫌いだというが、クロはそうでもないんだろうか。素朴な疑問を口にしようとして、自分と弘介、そして志朗が見えている世界が違うことを唐突に思い出した。目の前で笑顔のまま、弘介が固まっている。

 がらっと網戸を開けて、恭一は裸足のまま庭に飛び出す。ちょうど、志朗は金ダライの中にクロをいれてわしゃわしゃと洗っているところだった。

「じいちゃん、ダメっ!」

「え?」

「く、クロを返して。」

「洗ってるだけだけど。」

「返して!」

 志朗はにやっと笑うと、クロを抱き上げて恭一に渡した。びしょびしょに濡れたクロを抱くと、Tシャツがガッツリ濡れてしまうが、気にしない。

「恭一って、ペルソナ見えてないんだよな?」

「見えないよ。」

「止めたのは、弘介が見えるから?それとも……」

 部屋の窓から弘介がこっちを見ているのがわかって、あわてて部屋の方に背を向けてクロを隠す。

「じいちゃんこそ、ペルソナ見えてるのに、よく平気でクロを行水させられるね。」

「なんだよ、行水ぐらいで。怒るなって。」

 ニヤニヤと笑って志朗は言うと、ぽんぽんと恭一の頭をたたいた。

「男の嫉妬はみっともないぞぉ、恭一。」

 自分の耳に血が上る音が聞こえた気がした。

「そ、そんなんじゃないよ。」

「じゃあ、何だよ?」

 いたずらっ子のような志朗の黒い瞳が、恭一を見た。その瞳に見つめられると、恭一は何も言えなくて、ぐっとうつむいてしまった。

「恭一?服濡れてるよ?」

 腕の中でクロの声がした。あわてて顔を上げると、クロを見た。

「あ、うん。ごめんごめん。このまま部屋に帰られると困るから拭くよ。」

 土にまみれた裸足の足とか、びしょぬれのシャツとか、濡れて毛がすっかり寝てしまっているクロとかを順番に見て、恭一は何をやっているんだろうかと自問自答しながら、とりあえず風呂場に行くことにした。

 わしわしとタオルでクロを拭く。クロは目を細めてされるがままになっているが、この光景は弘介と志朗だったらどう見えるのだろうか。想像力を働かせろとは言われたけど、ただの妄想になってしまいそうだ。目の前に見えているのは、クロなのだから、クロのままでいい。恭一はそう言い聞かせた。

「あんまり、わしわししないでー。」

 タオルの中でクロが言った。

「畳が濡れると困るから、しっかり水気切るからね。」

「あわわわわぁ。」

 恭一のこんがらがった気持ちなど知らないようで、頭をガシガシふられて、クロが情けない声を上げた。


 ついに恭一は部屋に扇風機を導入した。正確には、茶の間にあったものを、勝手に移動させただけだが、窓から差し込む殺人的な陽射しを前に、もう限界だった。行水して涼しい顔で昼寝を楽しむ志朗はともかく、汗をかいたままの恭一と志朗にとっては、扇風機が送ってくれる、生温かい風だけが、唯一の涼であった。

 恭一のさっきの行動について、弘介は何も言わない。何か言ってくれれば言い訳ができるような気もするのだが、自分から言うのは、なんだか変な感じがする。思わずとってしまった行動だったが、自分でもよくわからない行動で、恭一自身が一番混乱していた。セミも鳴きはしない。暑苦しい沈黙だけが四畳半に流れていた。

「花火見に行こうぜ。」

 唐突に弘介が言った。

「花火?」

「ああ、十六日の送り火の花火。」

「締切十七日なのに、そんなこと言ってる場合?」

「この調子なら十六日の夕方までには間に合うって。任せておけよ。」

 弘介がそういうなら、そうなのだろう。十六日は、地域のお祭りの日だ。鎮守の杜の縁日にいって、遠くに上がる花火を見るのが、この地域の子供たちの恒例行事だ。

「今年もヤロー二人で祭りかぁ。」

「クロちゃん連れて行けばいいんじゃん。」

 恭一はドキっとしたが、慌てて言葉を探すと突っ込みを入れる。

「猫連れて行ってどうするんだよ。」

「喜ぶんじゃない?」

「そう…かな?」

 提灯の下で嬉しそうだったクロを思い出す。お祭りの提灯や縁日も、きっとクロは知らないだろう。確かに喜ぶかもしれない。

「でもペルソナって着替えどうなってるのかな?浴衣着てくれたりはしないんだろうな。」

「どんだけ都合のいい妄想してるんだ。」

「男だから、しょうがないだろ?」

「落ち着けよ、クロは猫だからな。」

「もろ俺好みなんだけどなぁ。」

 心底残念そうに弘介が言う。だんだん冗談に思えなくなってきた。

「まぁ、好みではあるけど。恭一になら譲ってもいいぞ、じいちゃんには譲らん!」

「猫だってば。」

 弘介の軽口に、だんだんいつもの自分を取り戻してくるのがわかった。弘介はまだ、クロにはきっと桃色の浴衣が似合うとか、勝手な妄想を口走っていたが、その軽口が心地よかった。クロが猫でもいいじゃないか、祭りにいくんだ、人数が多い方が楽しいに決まっている。

「じゃあ、じいちゃんも一緒に連れていこうよ。」

「オバケ連れて行ってどうするんだよ。」

「たしかに!」

 目の前で寝息を立てるリアルなオバケをじっと見ると、やっと笑えた。弘介も笑って余裕を見せた。修羅場だというのに、なんだかとても楽しくなってきた。修羅場になるとハイになってくると聞いたことがある。脳内麻薬が分泌され始めたのかもしれない。

「じゃ、ヤロー二人と猫とオバケでお祭りに行くか。」

「おう、気合入れて仕上げるぜ!」

 弘介は再びパソコン画面へと向き直った。恭一もテストプレイに戻るが、さっきまでの重苦しい沈黙はなくなった。恭一は心の中で、弘介に礼を言った。

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