第6話 じいちゃんの里帰り

 その日の昼ごはんは素麺をゆでた。ちゃぶ台の真ん中にボールにいれた素麺を置いて、二人分のめんつゆを用意した。恭一の向かい側には弘介、恭一の右隣にはクロ。そして、祖父志朗が座っていた。

「た、食べようよ。」

「う、うん。」

 ぎこちなく恭一と弘介が素麺に手を伸ばそうとすると、志朗がそれを止めた。

「ちょっと待て、わしの分のめんつゆはないのか?」

「……って、食べるの?」

「せっかく帰ってきたのに、素麺で我慢するって言ってるんじゃぞ。」

 恭一は黙って戸棚から器を出すと、めんつゆを水で希釈し、氷をひとつ浮かべてから志朗に渡した。

「箸は?」

「ちょっと待って。」

 慌てて、台所へと取りに行く。引き出しをあけると、まだ処分していなかった志朗の箸があった。

「はい。」

「おお、まだあったか、よかったよかった。」

 箸を受け取ると、志朗は遠慮なしに素麺に手を伸ばすとめんつゆにつけ、するするとすすった。

「うん、夏はやっぱり素麺だな。」

「……そ、そう?」

 そう言って恭一はおずおずと素麺に手を伸ばす。弘介は青い顔で、めんつゆを見つめていた。

「ん。食べないのか?」

「た、食べるよ。こ、弘介、食べようよ。」

「お、おう。」

 茶の間にしばらく素麺をすする音だけが響いた。

「この、濃い目のめんつゆがやっぱりいいなぁ、あの世もいいんだが、どうも食事が薄味で……」

「へ、へぇ……」

 老人ホームの食事のダメだしでもするかのような志朗の言葉におずおずと相槌を打つ。ぎくしゃくした2人をよそに、クロは幸せそうに志朗の膝の上に上った。

「クロの分はないのか?」

「素麺は食べないでしょ。」

「冷蔵庫にカニカマとかちくわとか入ってないか?」

 志朗はクロを下すと立ち上がり、台所の冷蔵庫を覗き込んだ。クロは嬉しそうに尻尾をふりながら、ついていった。

「恭一……」

「な、何?」

「あれ、霊的な何かだよな。」

「う、うん。」

 さっき、恭一の部屋で志朗に出会ってから、何度目かの確認を2人でした。

「お盆だから、帰ってきたって言ってたよね。」

「う、うん。昨日ってそういえば迎え火だったもんな。」

「迎え火?」

「知らないで提灯つけてたのかよ。ああやって灯りを点したり、おがらを焚いたりして、死者が戻ってこれるように導くんだぞ。」

「へぇ、そうなんだ。」

「つまり、あの世からの帰省ってことだよ。」

 言ってしまってから、あまりに生々しいたとえをしてしまったと思う。

「まぁ、初盆だから、初めての帰省ってことか。」

「んなわけないだろ、本当に死者が帰ってきたら、お盆は日本中大パニックだ。」

「そ、そうだよね。」

「それとも、お前のうちのお盆スタンダードがこれか?」

「いや、まさか。」

 もう笑うしかなかった。

 お盆に帰省してきた志朗は、いうなればオバケだが、午前中いっぱい話をしてみた限りでは、ぜんぜん怖くはなかった。それこそ、恭一の部屋が志朗の部屋だった時のまま、時がさかのぼったかのようだ。飄々として、楽しげに話す姿は、死者のそれとは思えない。現に、一番オバケを怖がっていたクロが、元の飼い主が戻ってきたと、嬉しげに寄り添っている。

「まぁ、帰ってきてしまったものは仕方がないから、帰るまでは家に居ればいんじゃないかな。」

「よくそう、冷静でいられるな。」

「まぁ、オバケとはいえ、身内だから。」

「そんな肝据わってたっけ、お前。」

「ここしばらく、色々なことありすぎたから達観したのかも。」

「ありえる。」

 2人はため息をついてから、再び素麺をすすりはじめた。

「恭一、カニカマもらった!」

 クロがカニカマをくわえて戻ってきた。

「カニカマ好きなの?」

「うん!」

 そう言えば、祖父が居たころは冷蔵庫にカニカマが常備されていたのを思い出す。志朗が好きなのだと思っていたが、そう言えば志朗がカニカマを食べているところは見たことがない。当の志朗は再び席に着くと、平然と素麺をすすりはじめた。ここまで生活感があるオバケなら、もう受け入れるしかない。

「ねぇ、じいちゃん。いつまでいるの?」

「そうだな、まぁ、送り火まではいるさ。」

 そう言って、素麺をするりとすすった。

 志朗の最期は急だった。最後に祖父を見たときも、こんな風に元気そうに食事をしていたのを思い出す。その日の夜まで元気だったのに、夜中に胸の痛みを訴えて、病院に運ばれあっさりと亡くなった。クロを残して。

 志朗の側でクロはとても嬉しそうにしていた。カニカマのせいだけではない。あんなにぴこぴこと尻尾が動くのを恭一は初めてみたように思う。少女の姿で見えている弘介にはもっと面白くなく見えているようで、弘介は落ち着きなく志朗とクロを見ていた。

「クロの面倒は、恭一が見てくれているのか?」

「え、ああ、うん。じいちゃんの部屋をもらうかわりに約束で。」

「なかなか美人な子だろう?」

「え、あ、うん。」

「こう、黒くてまっすぐな髪なんか、ばあさんの若い頃を思い出してなぁ。」

 そう言ってクロを撫でる志朗を見て、恭一は箸を取り落とした。

「じいちゃん、クロのペルソナ見えてるの?」

「なんだ、お前は見えないのか?」

 不思議そうに、志朗は言った。


 どうやら、志朗はクロを拾ったときから、ペルソナが見えていたらしい。恭一が知らないだけで、志朗とクロとはいつも部屋でおしゃべりをしていたそうだ。自分だけが見えていると思っていた弘介は、独占欲を阻害されたようで、面白くなさそうな顔をしているが、元の飼い主に敵うわけがない。

 4人は恭一の部屋に戻ると、恭一と弘介はそれぞれのパソコンを広げ、志朗はというとクロを抱いて昼寝をはじめた。しばらくカタカタとキーボードを叩く音だけが響いていたが、しばらくすると志朗の寝息が聞こえてきた。そう言えば、食事の後はよくクロと昼寝をしていた。

「オバケでも寝るんだな。」

「……ここまで現実的だと、もうオバケと思えないよ。」

 半ばあきれて志朗を見る。クロを抱えて、幸せそうな寝顔をしている志朗を見ると、なんだか寂しくなった。その気持ちがなんなのか、わからなくて、恭一はただすっと視線をパソコンに戻した。

「なんだよ、クロちゃんをとられたみたいで、さみしいか?」

「バカ言うな。」

 ニヤニヤ笑いながら弘介が言った。

「俺は寂しいし、悔しいよ。正直、こんなに安心しきってるクロちゃんみるの初めてだしさ。」

 そういって、クロの寝顔をじっと見る。ふっくらとした頬を志朗の腕に乗せて眠る姿は、ちょっとした妄想を掻き立てる。弘介だってクロを抱いて寝てみたいが、そこはそれ、飼い主の恭一に遠慮していた部分だ。恭一になら譲れるが、元の飼い主とはいえ、ぽっと出のオバケに譲るなんて惜しい。

「安心してるの、クロ?」

「うん、タブン。」

「じゃあ、いいんじゃないかな。」

 オバケの話を聞いておびえているクロを見るよりかは、落ちついて寝ていてくれるほうがいい。クロの気持ちを考えると、それがいいように思えた。自分より、じいちゃんの方がクロを落ち着かせられる。そう言い聞かせると、もう一度パソコンに向き直った。

「さ、締切まであまり時間ないんだろう。集中してやろう。」

「あ、うん。」

 今まで大してやる気を見せていなかった恭一が、初めて前向きにゲーム制作について意見をしたのは嬉しいが、なんだかそれは逃げのような気がして、弘介は少し面白くなかった。


 夕方になり、恭一がバイトに行ってしまうと、部屋には弘介とクロ、そして志朗が残された。

 オバケと猫と3人きり。いまいちよくわからないシュチエーションだ。とびきりホラーな2人だが、不思議と怖くはない。志朗は投げ込まれた夕刊をとってきて広げ、クロは弘介のスマホでパズルゲームを遊んでいる。弘介はというと、相変わらずカタカタとプログラムを入力していた。少し、目がチカチカしてきたが、正直なところ時間がない。少しでも作業を進めておきたかった。

 晩御飯のあては、恭一が持って帰ってくるだろう、コンビニのロス弁当。あと3時間ほどだろうか。恭一が帰ってくれば、おしゃべりをしてしまったり、なかなか集中できない。今が頑張り時だと思った。

「あー、クローバーなくなっちゃった。」

 クロがスマホから顔をあげる。弘介がダウンロードしたパズルゲームは1ゲームにつき、クローバーを1個消費する。クローバーは20分で1個回復するが、課金すればすぐに回復させられる。

「クロちゃん、課金はダメだからね。」

「うん、私、無課金派だってば。」

 面白くなさそうにスマホをちゃぶ台に奥と、ぷーっとふくれてクロは天井を見た。そしてしばらく何か考えると、ぱっと志朗の方を向いて言った。

「志朗、五目並べしよ!」

「おお、いいよ。」

 志朗は部屋を出て行くと、次に戻ってきた時には古い碁盤を持っていた。碁石をクロに渡し、盤をはさんで、クロの反対側に座る。

「私、白い石がいい!」

「おお、いいとも。」

 あきらかに志朗の方が上手だろうが、志朗は何も言わずに碁石を取りかえると、五目並べを始めた。パチリパチリと碁石の音がする。弘介のキーボードがカタカタと音を立てる。しばらくその音だけが部屋の中に響いていたが、その沈黙はあまり持たずに破られた。

「あああ、3・4だ。」

「クロの負けだね。」

「もう一回、もう一回やって。」

「おお、いいとも。」

 パチリパチリ。再び音が聞こえてくる。弘介はカタカタと単調に音を立て続ける。

「ああっ、こんなところに飛び3!?」

「どうする?」

「止める止める!」

「こっちに4あるよ。」

「あっ、また負け…もう一回。」

「ああ、いいとも。」

 何度も何度も、単調な勝負を繰り返す2人。いつまで続けるのだろう、子供相手にやっているようなものだ。志朗だって退屈に違いないだろう。弘介はちょっと画面から顔をあげて志朗を見てみた。

 志朗は朗らかに笑っていた。クロのほうは頬を膨らませて、必死に盤面を見ているが、志朗はそんなクロを穏やかに見つめていた。その姿は、仲のよいおじいちゃんと孫娘にも見えたし、長年連れ添った夫婦のようにも見えたし、恋人同士のようにも見えなくはなかった。ますますもって面白くない。弘介は画面に視線を戻すと、ことさら集中してプログラムに向かうことにした。


「ただいまー。ごめん、遅くなって。おなかすいたでしょ?」

 恭一が戻ってきて、ロス弁当を電子レンジにかけ、部屋に戻ってきた。部屋では黙々とプログラムを続ける弘介と、五目並べをするクロと志朗の姿があった。

「何やってるの?」

「五目並べ。」

「何回勝てた?」

「一回も勝ててない。」

 ぷぅっと頬を膨らませてクロが言った。志朗が愉快そうに笑うと、パソコンの画面から目を離さずに、弘介が言った。

「おじいちゃんの69連勝中だよ。」

「ちょっと弘介っ!」

「はっはっは、よく数えてたな。」

 ぷっと膨らんで弘介を見るクロの頭をひとつ撫でると、志朗は愉快そうに笑った。

 なんだか一瞬微妙な雰囲気だったような気もするが、志朗の朗らかな笑い声にかき消されてしまった。きっと気のせいだろう。恭一はそう思うと、3人に声をかけた。

「コンビニのロス弁当で悪いけど、御飯にしようよ。」

 茶の間に移動すると、電子レンジの中から弁当を救出する。

「焼き鳥弁当と、ハンバーグ弁当とから揚げ弁当、好きなの選んでいいよ。」

 ちゃぶ台に並べならがら恭一が言うと、弘介と志朗は弁当を覗き込んだ。

「それからクロには、まぐろチーズ缶。」

「カニカマがいいー。」

「あれ、昨日まぐろチーズって……」

「カニカマー。」

「あ、そう。」

 せっかくコンビニで高いウェットフードを買ってきたのに、なんだかあてが外れたようで、少しがっかりする気持ちを押し込めると、冷蔵庫を開ける。幸いにもまだカニカマは3本残っていた。台所の餌皿に入れようとすると、志朗がやってきて、カニカマをひょいと取り上げた。

「せっかくだから、みんなで食べたらいいじゃないか。」

「え?うん。」

 クロは嬉しそうにぴょんとはねると、茶の間に戻る志朗の後ろをついていった。なんだか、恭一は腑に落ちなくて、面白くなかった。今までも確かに、志朗は餌皿ではなく、クロに直接餌をあげていたことを思い出す。その時はなんとも思わなかったはずなのに、なんだかすっきりしなくて、モヤモヤする。

「どうした恭一。」

「ううん、何でもない。」

 慌てて茶の間に戻ると、恭一もちゃぶ台についた。選ばれずに残った弁当はハンバーグ弁当だったようだ。ラップをはがして食べ始めるが、なんだか、たいして美味しくなくて、がっかりだった。

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