第4話 膠着

「それにしてもうらやましいよな。」

 バイトに行くついでに弘介を送っていくことにした。クロはおいてきたが、今日もちょろちょろと恭一の前を黒猫が横切るので、そのうち登場するかもしれない。

「うらやましいか?呪われてるんだよ?」

「いやいや、あんな可愛い女の子と同じ部屋だぞ?」

「いや、猫だし。」

「うらやましぃ。」

「いや、だから、猫だし。」

 そう言いながら昨夜見たクロのペルソナを思い出す。月明かりにしっとり濡れたような黒い長い髪。白い肌、大きな黒曜石のような瞳。確かに美少女といえば美少女だった。あの少女が同じ部屋にいると思うと、たしかにドキドキしなくはない。

「クロちゃん、襲うなよ。」

「誰が猫を襲うか。」

 一瞬ドキドキしたことを後悔しつつ、弘介につっこみをいれる。

「本当に猫じゃなかったら、俺が彼女にしたいくらいだよ。」

「落ち着け、猫だから。」

「でも、好みだな~」

「落ち着けって。」

 何度目かのつっこみを入れたところで、弘介が恭一の方をじっとみた。

「な、なに?」

 さっきまでの妄想モードから一転、弘介がずいぶんと真剣な目をしているので、構えてしまった。

「クロちゃんのためにも、このことは絶対に誰にも秘密だからな。」

「……そもそも、誰に言っても信じてもらえないよ。」

「3人だけの秘密だからな。」

「……頭おかしいって思われるだけだって。」

「絶対に秘密だからな。」

「う、うん。」

 恭一が頷くのを見て満足したように、弘介は視線を外した。

「よーし、明日から俺、毎日恭一ん家行くわ。」

「はあっ?なんでそうなるの?」

「ゲーム作りもいろいろやることあるし、何より!」

「何より?」

「健全な高校2年生とあんな美少女を同じ部屋に置いておくわけにいかないからな!」

「だから猫だし。」

 何度目になるかわからないやりとりを繰り返して、恭一と弘介は駅前で別れた。今日の黒猫横切られ記録は十一回。うちクロは二回だった。ついでに弘介も横切られている気もするのだが、もうどうでもいいと恭一は思った。


 夏休みはバイトと夏休みの課題、そしてゲーム制作で順調に浪費されていった。公言通り、弘介は毎日のように恭一の部屋にやってきた。幸枝などは、高2の夏をヤロー同士で浪費してどうするのと苦言を呈してくれたが、夏休みの課題を片づけたり、ゲームを制作する過程は、下手に女子を巻き込んで何かやるよりか、よっぽど建設的で、楽しかった。

「恭一、スマホの電源が切れる!」

 パソコンのキーボードのたたく恭一の袖をクロがひいた。クロはクロで、二人を監視するのだといって、弘介が遊びに来ている間は、ずっと部屋にいるようになった。退屈させるのは悪いと、弘介が勝手に恭一のスマホにパズルゲームをダウンロードしてクロに与えたところ、パズルにはまっている。

「課金とか、勝手にしちゃダメだからね。」

「そんなことしないもん。私、無課金派だから。」

「うん、クロちゃん、えらいえらい。」

 にこにことして弘介がクロの頭を撫でる。どこから見ても猫にデレるバカにしか見えないのだが、弘介にはクロが女の子に見えているのだから、それはそれで幸せなのかもしれない。恭一は電源ケーブルをひっぱりだすと、スマホにつないでやった。クロはスマホを受け取ると、どうやってパネル操作をしているのかはよくわからないが、器用に画面に表示される宝石を動かしてパズルを解いていく。黒猫がスマホを使っている動画でも撮って動画サイトにでもアップしたら、一躍人気者になれるんじゃないかとか考えるが、それは約束違反かと自分で廃案にしておく。

「ところで、恭一、ハッピーエンドはなんとかなった?」

「え、あ、うーん。」

 歯切れ悪く、恭一はプリントアウトしたA4の紙束を弘介に渡す。弘介の作ろうとしているファンタジー系ノベル恋愛ゲーム“White Fairy”は、友達のひいき目でみたとしても、プログラムはシンプルでよくできていた。グラフィックを担当しているもう一人の友人の絵も悪くはない。あとは内容だが、文才のない弘介が恭一を頼ってくれたのは悪い気がしなくはなかった。しかし、弘介が求める明朗快活・単純明快・誰もが納得ハッピーエンドというのがどうしても書くことができなかった。今回のシナリオもそうだ。

「だああああ、どうしてこうなった。」

「うん、ごめん。」

「古代竜からお姫様を取り返すところまでは、王道だよ。」

「うん、ベタすぎるくらいにね。」

「なんで、お姫様とくっついてめでたしめでたしにならなかった。」

「うーん、主人公って冒険者じゃない?」

「うん。」

「どうしてもお姫様と安定した生活を送るって考えにならなくてさ。」

「それで旅の仲間の吟遊詩人と旅にでることにしたのか?」

「うん、縋り付くお姫さまを袖にするあたりとかよくない?」

「よくないわーーーー!」

 弘介の後ろで、クロがびっくりして画面から顔をあげてこちらを見た。

「男の友情より、お姫様だろ。冒険より、お姫さまだろ、普通!」

「そうかなぁ。それに成り上がりの冒険者風情がお姫様と結婚しても、幸せになれないよ。育ってきた環境が違うだろうし、文化も違うだろうし、お互いに不幸にしかならないよ。それに当事者同士がよくても、周囲の貴族は冷たい目を……」

「そんなことまで考えなくていいんだよ!」

 そう言うと弘介が頭を抱えて、自分のパソコンの画面を見た。

「あああ、締切までに間に合うのか……」

「……悪かったよ、どうしたらいい?」

「頼むから、現実的に考えないで、適当なハッピーエンドに軟着陸してくれぃ。」

「うん、弘介のプログラムの邪魔しないように頑張る。」

「頼むよ。」

 弘介は再びキーボードに手を置くと、忙しく指を動かし始めた。文章は書けないが、弘介のプログラムにかける情熱は本物だった。だからこそ力になりたいのだが。

恭一は自分のパソコンのディスプレイを見ると小さくため息をついた。弘介は軟着陸という言葉を使った。つまり恭一に妥協してくれと言っているわけだ。自分のことを頑固だとは思わないが、自分がハッピーエンドを回避しているわけではなく、ハッピーエンドに納得できないのだとだんだん自覚しはじめた。

僕はきっとひねくれているんだな。そう思うと、これ以上シナリオを書くことが怖くなったが、さっきの締切という言葉が頭をよぎって、とりあえずワープロソフトを立ち上げて、シナリオの手直しをはじめた。弘介は恭一のシナリオの序盤から中盤をダメだししたことはない。ここはそのままにハッピーエンドを目指せばいいのだ。それだけなら、期限は少しはみ出そうだが、なんとかなりそうだ。序盤中盤はできているのだから、作業は先行して弘介にやってもらえばいい。恭一は何かを諦めると、心を静かにしてパソコンに向った。


結局、恭一的には妥協して、何本かハッピーエンドのシナリオを書いた。なんだかしっくりきてはいないのだけど、弘介は気に入ってくれたようだ。

「恭一先生、やればできるんじゃん!」

「先生はやめてくれ。」

 自分で納得していないのだから、素直に喜べない。シナリオも自分も序盤は気に入っているのだが、オチのつけ方がご都合主義で、もやもやとしていた。しかし、締切のこともある。ここは恭一がわがままを言っていい場面ではなかった。

「シナリオ上がったから、僕はクランクアップでいいよね。」

「おう、漫画でも読んで夏休みをだらだらすごしてくれ、俺はプログラムがんばる。」

「……家でやれよ。」

「バカ、クロちゃんとお前を二人っきりにできるか。」

「一人と一匹だけど。」

「一匹とは失礼じゃない。」

 クロが非難の声を上げる。

「そうだよね、クロちゃん~」

 弘介がクロの手をとってにやけた顔で言った。もし、弘介がクロと付き合ったらどうしようと考えてから、あまりにおそろしい想像に頭をふった。

「弘介の部屋なら冷房効いてて快適だろ?」

「人間不便な方が、クリエイティブ脳が働くもんだぜ?」

「はぁ?」

「つまり、自分を追い込むことで、限界のひらめきを感じようとだな……」

「暑くて頭煮えてるんじゃないの?」

 適当にツッコミを入れると、バイトの時間だと思って立ち上がった。黙ってクロも立ち上がる。クロは律儀に、毎日二回から三回恭一の前を横切ることを日課としていた。とはいえ、今のところ大きな不幸に襲われることもなく、元気に過ごせている。

「“呪い”無駄だから、やめたら?」

「無駄じゃないもん、私たち高貴な生まれの者の強い力によって不幸は招きよせられるんだから。」

 何度目になるのかわからない説明をすると、先回りするためにクロは部屋を出ていった。

「ま、黒猫とか、猫が人の姿になるとか、“呪い”とか、本当にホラーじゃなくてよかったけどね。」

 明日から両親が旅行に出かける。いよいよ弘介が缶詰で作業したいのなら、泊まらせればいいかと思い、蚊取り線香の残りの本数を数えた。盆が終わるまでくらいは、缶の中身で足りそうだった。


 次の日、出かけていく両親を見送った後、家に入った恭一は幸枝が大きなカバンを持っていることに気が付いた。

「あれ、姉ちゃん旅行?」

「ううん。」

「何その荷物?」

「お盆の間、彼氏の家に行ってようと思って。」

「彼氏!?」

 いたの?と聞きそうになって、言葉を止められてほっとした。口にしていたら、殺されても文句は言えない。

「ちょっとまずくない、親のいない間にプチ同棲とか。」

「バレなきゃ大丈夫よ。」

「そういう問題じゃ……」

「知ってるのは私と恭一だけ、わかるわよね、この意味。」

 両親からの追及は適当にごまかしておけということか。どうして幸枝のためにそこまで骨をおってやらないといけないのかわからないが、姉には頭があがらない。昔からの絶対的力関係の差というものは、少しばかり歳をとったからといって覆るようなものではないのだ。恭一は黙って頷いた。

 夏前のクリアランスで買ったばかりのマキシワンピースをひらひらとさせて、幸枝は大きなカバンを抱えて出かけて行った。

「行かせていいの?」

「止められるわけないでしょ。」

 クロの言葉に呆れ気味に答える。

「しかし困ったな。」

「なにが?」

「姉ちゃんがいないんじゃ、食事どうすっかなーって。」

「……毎日ドライフードは嫌なんだけど。」

「僕も毎日カップ麺とコンビニのロス弁当はちょっとなぁ。」

 縁側に座り、ぼんやりと庭の柿の木を見ながらクロを膝の上に乗せる。

「ああ、それに。」

 縁側に面した仏間を見る。母親が前に言っていた通り、盆提灯と走馬灯が出してあった。仏壇には落雁や果物が供えられていた。朝晩、水とご飯をお供えして、夜は提灯をつけるんだった。たいした手間ではないけれども、面倒事であるには違いない。

 クロは提灯を不思議そうに見ていた。そういえばクロが家に来たのは祖父が他界する少し前だ。この家にきてまだ一年たっていない。まだ盆を知らないのだ。灯りをともすと花の模様の影が落ちる提灯や、花の模様が回転する走馬灯を見せれば喜ぶかもしれない。

「クロ。」

「なに?」

「今日は、夜でかける?」

「なにかあるの?」

「提灯つけてあげるから、よかったらいなよ。」

「提灯ってあれ?」

「うん、それからあっちが走馬灯。」

「ふぅん……まぁ、いてもいいけど。」

「さて、もうすぐ弘介も来るだろうし……」

 そう言って庭の生垣を見ると、ちょうど道を歩いてきた弘介と目が合った。

「あ、弘介。」

「きょ、恭一!」

 弘介がぎょっとした顔をして走り出した。間もなく玄関が騒がしくなり、どたどたと弘介があがりこんできた。

「バカ、鍵ぐらいかけとけ、不用心だろ!」

「ああ、ごめんごめん。」

「そんなことはどうでもいいんだ!」

「どうした?」

「クロちゃんに何してるんだ!」

「え?」

 ちょうどクロは恭一の腕を枕にしてびろーんと伸びているところだった。何とはなしに頭を撫でていたが。

「なかなかにうらやましすぎる光景なんだけど?」

 笑顔をわなわなとふるわせて、弘介が言った。弘介の目には恭一の腕を枕にしてたらんと寝ころぶ黒髪のセーラー服の少女が映っていた。

「え、あ、落ち着け、これ、猫。ね・こ!」

「ちったあ想像力働かせろ、うらやましすぎるわ!。」

 殺意のこもった視線に、慌ててクロを抱き上げるとちょんと床に下した。

「あはは、悪い悪い。」

「本当に、心臓に悪いわ!」

 そう言うと、弘介はつかつかと恭一の部屋へと向かった。


 その日の弘介はずっと不機嫌そうだった。想像だが、プログラムがうまくいっていないのだろう。それと、さっきのことも多少はあるに違いない。出来上がった部分のテストプレイを引き受けて自分のパソコンでもくもくと作業をしながら、弘介の様子をうかがうが、弘介は余裕がなさそうだった。こういう時に無駄な気遣いはしないのが、お互いのルールだった。黙って台所にいくと、冷蔵庫から冷えた麦茶をコップに入れて運ぶ。パソコンの前にそっと出すと、何も言わずに麦茶に口を付けて、弘介はひたすらにパソコンに向かっていた。一人で作業するのなら、家でやればいいと思ったが、意外と一人っ子というのも親に気を使うのかもしれない。

「あのさ……」

「何?」

 画面から目を外すことなく弘介が答えた。

「今日から盆あけるまで、うち親いないからさ。泊まりにきてもいいよ。」

 その言葉にばっと弘介が顔をあげた。

「マジか?」

「あ、うん。」

「……サンキュー。」

 照れくさいのか、弘介は視線をあわせなかった。

「さすがにさ、一日中パソコンさわってたら、親に嫌味言われてさ。なかなか家じゃ作業しづらいんだ。」

「ふぅん。一人部屋があってもそんなもんなんだね。」

「まぁ、進学塾に入れられないだけ、ましだけどね。受験戦線が始まる前の最後の夏休みなんだ、自分の可能性を試してみたいだろ、全力で。」

 それがノベル恋愛ゲームというのも、ちょっとどうかと思いはしなかったが、まぁ、プログラムという意味では硬派だということにしてあげることにした。

「助かるよ。」

「その代り、親も姉ちゃんもいないから、ロクな食生活できると思うなよ。」

「上等上等、親なし生活満喫しようぜ。」

 さっきまでの不機嫌はどこへやら、弘介は快調にキーボードをたたき始めた。

 いろいろと準備したいことがあるからと、明日泊まる準備をしてから来ると約束して、弘介は夕方帰っていった。夕日が赤く差し込んで、雲を紅に染めているが、雲は重たく、どこかで雨のにおいがした。

「雨、降るかも。パソコン濡れると大変だから、早く帰りな。」

「おう。サンキュー」

「ゲリラ豪雨とか、しゃれにならないから。」

 最近テレビをにぎわす、局地的な豪雨・雷雨のニュースを思い出して恭一が言う。さすがに大事なデータがはいったパソコンを濡らすわけにいないと、弘介は足早に帰って行った。さっきよりも強く、雨のにおいがした。

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