第86話 秋夜の下で その1
夜風も冷たい秋の星空の下。サーノスは一人、剣を抜き、それを薙ぐ。亡き「師」から譲り受けた剣術の「型」。それを振るい、繰り返していた。
展開された魔術式が、青白い光を放つ。刀身に、強烈な冷気がたちこめる。
―――この技を、試合以外の実戦で、人間相手に使用する日も、いずれは来るだろう。その時に、果たして自分はためらわずにいられるだろうか。
今は答えられそうもない問いを胸に、サーノスは一心不乱に凍てつく氷剣を振る。寒下にシャツ一枚だが、汗がにじみ出てくる。
一通り、「型」の修練を終える。ここまでは、いつも通りの自主訓練だ。
サーノスは再び精神を集中させる。展開される魔術式が白く光を放つ。
「―――はっ!」
剣を縦に軽く振ると、冷気とともに、サーノスの周囲に無数の氷塊が出現する。月明かりに照らされ、氷の結晶群は、濃紺の天蓋に輝く星々のように、白く煌めいている。
「……駄目だ」
―――生成しようとしていたのは氷の
失敗だ。落胆で頭を垂れると同時に、周囲の氷塊たちもポトリ、ポトリと地に落ちる。
サーノスは、地に落ちた歪な形の氷塊たちを見つめながら、禁足地でのエルフィオーネとの共闘を思い出していた。
今も、目に焼き付いている。剣を一振りするだけで、一瞬にして生成された氷の鏃。エルフィオーネの圧倒的な魔術の習熟度。同じ魔術を使用するにしても、その差は一目瞭然。天と地ほどの差と言っても差し支えは無かった。
どうすれば、あのように、出来るのか。
……猿真似でしかないことは、百も承知だ。それでも―――。
「慣れない方法で術式を展開するのは、お勧めしないよ。王子」
柔らかな諫言が背後から投げかけられる。サーノスは隠し事を見られたかのように驚いて、振り返る。そこには、部屋着姿の、アリシアが立っていた。
普段は二つに結っている金髪は髪留めのリボンをほどいて下ろしており、若干落ち着いた印象をうける。着ている服も、長袖薄手のブラウスに南瓜を想起させるバルーンパンツと、大貴族の姫の部屋着とは思えない、昼間の令嬢っぷりが嘘だったかのような、ラフな格好だった。
そして、手にした銀のトレイには、ティーポットと、二つ分のティーカップが乗せられている。
「……見てたのかい?」
「まあね。やっぱり、自主訓練は日課だったんだね。感心感心―――あ、これはエルフィオーネからの差し入れ。あつーい紅茶。ちょっと休憩にしようよ」
にこりと目を細めるアリシア。
軽い動揺から立ち直ると、サーノスは呼吸を正し、片手剣を鞘に納めた。
二人は野草の毛布に腰を下ろし、熱々の紅茶を堪能していた。
「星が綺麗だねー」
はぁ、とアリシアが顔をほころばせ宙を仰ぎながら、一息をつく。
サーノスは答えなかった。物思いにふけりながら、無言で紅茶を啜りつづける。ちょうど、汗で冷えた体には、ありがたい差し入れだった。
しばらくは、互いに無言だった。二人を隔てる距離は1ミターと少し。だが、意識しあうでもなく。サーノスはティーカップの中を、アリシアは星がまたたく夜空を、黙って見つめていた。
「ねえ、王子。王子。お話ししようよ」
おもむろに、アリシアが呼びかける。
二度目の呼名でサーノスはアリシアの方を向いた。
「王子はさ、どうして自国のじゃなくて、アルマー王国の騎士学校に入校しようと思ったの?」
「……それか」
いつかは来ると思っていたのか、サーノスは淡々と反応してみせた。
「あ、話せないっていうなら別にいいよ。王子ともなれば、
サーノスは「いや」と、残った紅茶を呑みほした。
「別に、そんな大層な話でもないよ。隠すようなことでもないし」
彼女だけではなく、恐らく、他の誰もが疑問を抱いているに違いない。だがこうして、会話の種として問われたことは、今の今まで一度として無かった。このように、あくまで友好を求めて他者に歩み寄ってくるのは、彼女の素の性格由来の物なのだろう。こういった性分が苦手な人間はいるだろうが、サーノスとしては、悪い気はしなかった。
「……一言でいうと、『兄に勧められたから』かな」
「え、それだけ?」
「まあ、色々と込み入った話なんだけど、その前にアリシアさん」
「ん? 何? 何かな?」
名前で呼ばれて、嬉々として反応を返すアリシア。
「僕のこと、どれくらい知ってる? 来歴とか、その他もろもろ」
「王子のこと? ……うーん、ええと」
アリシアは言葉を詰まらせ、長考する。恐らく、巷で流れている様々な噂を取捨選択し、あたり触りの無いものを選んでいるのだろう。
だが、しばらくして、アリシアは首を横に振った。
「……やっぱり、正確に知ってることって言ったら、ルテアニア王国の第六王子ってことだけだよ。王子についてはいろんな憶測が飛び交ってるけどさ。でも、どれもこれも、根も葉もない噂話ばっかり」
サーノスはその噂話の内容にまでは追求せず「そう」とだけ返す。
「……あ、でも、こうやって仲良くなってみて、可愛いところもいっぱいあるんだなぁって事は、わかったつもりだよ」
と、アリシアは破顔一笑する。からかっているつもりは無いのだろうが、サーノスは小癪そうに顔を赤らめ「だから、男子に対して可愛いはやめてよ……」と反論する。
心中で咳払いの後、サーノスは気を取り直して語り始めた。
「政略絡みにせよ色絡みにせよ、国王に側室が何人もいるなんて話は、古今東西珍しい話でもないんだけどね。そんな中で僕は、父である国王陛下が、側室ですらない愛人に産ませた子供……つまりは、隠し子なのさ」
アリシアは「あっ」と声を発し、それから押し黙った。この調子では、庶子もしくは隠し子だという噂は、確実に出回っているに違いない。
「気にしないでよ、アリシアさん。お話、したいんだろう? 僕も、誰かに話してみたかった事なんだ。付き合ってよ」
「あ、うん……」
「僕はその生まれから、他の親族―――つまり王族の方々に、何かと煙たがられる存在でね……。産まれてこの方十と二年、ずっと離宮で、殆ど軟禁に近い生活を強いられ続けてきた。愛人と隠し子二人を閉じ込めるにはいささか広すぎる離宮―――それが、去年までの、僕にとっての『世界』だった。兄上たちの顔なんて、白黒の写真でしか、見たことがない。そもそも、兄と呼ばれる筋合いなんて、無いとさえ思われているんだろうね」
笑っちゃうだろ? そうサーノスは自嘲する。良好且つ円満な家族関係しか見てこなかったアリシアは当然、つられて笑うどころではなく、相槌に困っているようだった。
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