第85話 売れない作家アルフレッド



「それでは、お客様。すぐにお茶をご用意いたしますね」

 軽く礼をし、楚々とした足取りで、エルフィオーネがアルフレッドの部屋を退室する。

 その一挙手一投足に始終、熱い視線を向ける男がいた。

「最近さ、随分と景気良いみたいじゃん。アルフレッドちゃん」

 葉巻の煙を漂わせながら、書斎兼作業部屋のソファに深くだらしなく腰掛けるその男。ぼさぼさで寝癖まで付いた茶髪に無精髭、皺の付いた長袖シャツを腕まくりに、砕けまくった口上。その風体から、彼が貴族であると気づける者が、どれだけいるだろうか。

 男の名はゼファー。ゼファー=ヒドゥーン=イルベラード。王都の子爵家の跡取りであり、アルフレッドやエーリックと同じく、国家魔術騎士養成学校アークライト領校260期生の同期だった人物だ。平民のアルフレッドだけでなく、格上の家柄の子息女にまでも、先のように、気兼ねなくお茶らけた態度で接してくる、一言でいうと変わり者だった。騎士学校を卒業し国家魔術騎士に叙任された後も、実家での仕事(彼曰く『特務』)を手伝いつつ、平素は雑誌記者兼作家で食いつないでいるという、極めて異質な道を歩んでいる。

 そして、アルフレッドに、文筆家という道を示してくれた、(一応)恩深き人物でもある。が、アルフレッドの表での名義が、ゼファーの所属する出版社側から見切りをつけられた今となっては、ただの腐れ縁の悪友でしかない。

「俺さ、ビックリしちゃったよ。助けた女の子手籠めにして、メイド兼助手アシにしたってのは話に聞いてたけどさ。あんな美人さんだったなんてねぇ」

「手籠めに、ね。随分、人聞きの悪い噂を流してる奴がいたもんだな」

 アルフレッドは振り向かずに、万年筆を原稿に走らせる。

「それに、下にいた子ら。あれ、ウチらの後輩ちゃんでしょー? エーリックの妹、ちっこいのにワガママボディのエルフっ娘。フザンツ家の姫君に……赤髪のふてぶてしそうなのは、クロードの野郎の妹だな。あと、銀髪の美少年は……あのルテアニア顔から察するに、お隣の国からの留学生ってとこかい?」

 ゼファーは指折りをしながら、各子息女の素性をピタリ、ピタリと言い当てていく。

「で、何が言いたいんだよ、ゼファー」

「いやね? イケてる顔の割には女っ気がない、硬派なアルフレッドちゃんで有名だったのにさ。こんなに美少女と、あと美少年まで囲ってるなんて。ちょっと見ない間に、一体どうしちゃったのかなーって」

 ああ、もう。アルフレッドは辟易しながら白髪頭を掻く。説明すると長くなるし、何より面倒だ。

「成り行きだよ。全部。それに、硬派を気取ってるつもりなんて無ぇし」

「ふぅん。意図せずして、あんなに若人達が集まってきたと。相変わらずお前さんには、人を惹きつける、妙な人徳があるなぁ。……ま、俺もそれに中てられた一人でもあるんだけどね。あ、もちろん文章の方にだぞ。勘違いすんなよ?」

 アルフレッドは無視を決め込んだ。会話が途切れる。

 数秒の間の後、紫煙とともに再びゼファーが口を開いた。

「なあ、アルフレッドちゃんよ」

「何さ」

表名義コッチでもさ、いい作品書いてよ。頼むよ」

 アルフレッドはぴたりと万年筆を止める。

アッチの名義での雑誌の担当から、アルフレッドちゃんの新作の原稿、読ませてもらったんだけど、あれ、やばいね。女同士レズものってあんまり趣味じゃなかったけど、描写がスゲー丁寧だから、感情移入しすぎて、もう泣けるし卑猥だしで……これでいい絵師も付いて来れば、言うことなしだ。まあ、ヒットは間違いないだろうね。話題になりゃ、ソッチの気の方々以外からの支持も得られるかもね」

 アルフレッドの作品に、煽情目的もそうだが、シャーロットのようにストーリー展開等を求めて購入する層が存在することは、あらかじめ聞かされていた。今回の依頼は、その読者陣を巻き込んで、女同士レズ物の市場に参入をはかるという、そんな目的があるらしい。

「そりゃどうも。もっとも、独力じゃあ、あのクオリティでは書けなかっただろうけどね。半分くらいは、あの子の功績さ」

「相変わらずの謙遜っぷりだねぇ。文体とか構成の仕方とかは変わってなかったんだし、女性視点での助言を貰ったってだけでしょー? ……ま、いずれにせよだ。あんなにいい助手が居る今だったら、絶対いい作品が書けるってー。本当は『表』のほうで活躍したいんでしょー? だったらさ―――」

 アルフレッドは小うるさそうに、机に向かい背を向けたまま、原稿をゼファーに見せつけた。

「だから今、こうやって書いてるんだろ。ほら、この注釈と駄目出しのオンパレードを見なよ」

 と言ってやると、ゼファーは、あー、ダメダメ、と取りつく島なく首を横に振った。

「それって、『与え姫なんちゃら』ってヤツじゃん? 俺が言いたいのは、別の会社とこから、完全新作でいい作品やつ出して、お前を切った出版社の奴らを見返してやれって、そういうこと。そんな売れないのさっさと切っちゃってさ」

 一体何故かはわからないが、この男は若くして、複数の出版関係の会社に、独自のコネクションを持っている。在学時に書いた処女作がヒットを飛ばし、颯爽と文壇に上がったという華麗な経歴があるにしてもだ。

 だが、その誘惑を、アルフレッドはきっぱりと断った。

「お生憎。彼女は、その売れないのの続きが読みたいがために助手になってくれた変わり者だ。依頼でやってるエロ小説の手助けは

してくれても、『与え姫奇譚』以外の『表』の作品を新たに書こうと言ったところで、見切りを付けられて逃げられるに決まってる。それに俺も、今は『与え姫奇譚』以外の『表』の作品を書きたいとは思わねぇ。作家が不足してるってんなら他を当たりなよ」

 作品の難癖を付けられたこともあり、アルフレッドの口調は少し苛立っていた。これがもし、作品を熟読したうえでの批判だったなら、まだ納得も行く。だが、彼が半分も読んでいないのは、ほぼ間違いないだろう。

 何故なら。この「与え姫奇譚」を斜め読みしただけで、「こりゃ駄目だ。出しても売れねぇ」と門前払いをした人物とは、何を隠そう、このゼファー自身だ。アルフレッドの処女作「紅恋の剣」後編の刊行のために熱意を燃やし、ありとあらゆる手を尽くし奔走してくれた時のことを想うと、にわかには信じられない程の冷淡さだった。そして、出す本出す本が低迷続きだったアルフレッドの『表』の名義のブランドに、事実上のトドメをさしたといってもいい一言だった。

「いい作品ってのはさ、やっぱり売れる作品のことなんだよ。アルフレッドちゃん」

 諦観した口調のゼファー。アルフレッドは無言の背中で答える。

 はは、と翳りのある嗤いで繋ぐゼファー。

「……どの業界も、生き残っていけるのは、その時代の『今』の需要や環境に対応することができた奴なんだよ。―――だから、アルフレッドちゃんが、『暗黒期物』を書くって言ってくれたときさ、俺の言ったこと、わかってくれたんだなぁって感激したもんさ」

 エドワード聖武王の英雄譚をベースとする『暗黒期物』は、一定の周期で流行が訪れる人気ジャンルだが、昨今の盛況ぶりは未だかつて類を見ないとされている。今の王宮のゴタゴタを憂いる王国民が、かつての王家の威光を懐古し渇望しているからだと考えると、また複雑な話ではあるが。

「なのにさ、蓋を開けてみればだ。聖武王が、まあショボいのなんの」

 ここにきて、アルフレッドは歯噛みすると、椅子を反転させ、ゼファーと向き合った。

「お前が見たのは聖武王の年少期だけだろ。……精神的にも肉体的にも、子供がそんなに強いわけがないじゃないか。ましてやあの時代は、今ほど魔術が発達してたわけじゃあ……」

「普通の子どもだったらそうかもしれねーけど、相手は英雄王・エドワード聖武王だよ? 万人がその英気を嘉し、百神の加護すら賜ったとされる破格の英雄をさ、常識の杓子定規で測ろうとすることが、そもそもの間違いなんじゃないの?」

 俺には、思考の停止にしか思えんがね。そう口に出そうとしてアルフレッドは押しとどめた。

「仮に真実の彼の姿がそうだったとしてもだよ。そんなショボい聖武王の姿を見て得する奴が居るのかって話じゃん? 『暗黒期物』って言ったら、最初から最後まで聖武王天下無双! 痛快! 巨悪に鉄槌! その爽快さが古今を問わずにウケてきたから、王道のジャンルとして残ったわけでしょ? それをさ、何で大幅に逸れるような作風にしちゃうのか、理解に苦しむのよ。王道は面白いから王道たりうるってのにさ。敷かれたレースのコースを敢えて逸れて、目立とうとしているようにしか見えんのよ、アルフレッドちゃんのは。ジッサイに『王家を侮辱する気か!』って非難囂々なんでしょ? そりゃそうだよ。『暗黒期物』っていうレースの場合は、コースを逸れることが、王家の歴史の否定にもつながりかねない、危険な行為なんだから。しかも、聖武王の師匠が伝説の英雄『与え姫』だった、なんて。史実重視の歴史物がやりたいのか、ファンタジーがやりたいのか、それすらも曖昧になってるじゃん。なんでも詰め込めばいいってもんじゃないんだよー?」

 敵愾心を見せるでも、苛立つでもなく、まるで子供に言い聞かせるように、淡々と批評を羅列していくゼファー。作家の「先輩」としての老婆心なのだろうが……。

「……俺は反骨心で、こんな風に書いてるわけじゃない。史実を紐解きいた上で、浮かび上がってきた人物像が、物語の最高の主人公像だったわけで……」

「だーかーらー。そういうのは、名前が売れて、一定数の固定ファンが出来てから書けって!! たかだか二、三年の新人が、新しい事自分のやりたい事やって業界に新風巻き起こそうなんて、夢見過ぎ! なんでエロ業界で素直に出来てることが、こっちで出来ないんだよって。実際にウケてないんだからー、認めなよー」

 少ないながらもファンがいる事実を語って虚勢をはったところで焼け石に水だろう。これ以上は平行線だ。悟ったアルフレッドは、今までの全ての議論をぶち壊す一言で、逃避を図った。

「半ば趣味でやってる仕事なんだ。趣味で。だったら、せめて『表』の世界でくらい、自分の好きなように書きたいんだよ、俺は。売れる、売れないじゃなく」

 ああー、もう。

 歯痒い。実に歯痒いと言った面持ちで、ゼファーはぼさぼさの茶髪を掻き毟る。

「勿体ない。実にもったいないよ、アルフレッドちゃん。お前の文に光るものを感じて、プロデュースしようとした俺の身にもなってよ。お前の文の良さを、世に知らしめたいのよ。俺は」

「……ごめんな」

 そう言った直後、コンコンとドアをノックする音が聞こえ、ティーセットを載せたトレイを手に、エルフィオーネが入室してきた。

 ゼファーとアルフレッドは無言で紅茶を呑む。そのあと、文筆の話題は一切出さずに他愛の無い世間話を交し合うと、ゼファーはのそりとした足取りで、しかし名残惜しそうに、アルフレッドの作業部屋を後にした。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る