第87話 秋夜の下で その2




「……そんな中で王子を推挙してくれた、そのお兄さんって、どんな人なの?」

 ティーポットから紅茶のお代わりを注ぎながら、アリシアは聞く。

「話は前後するけど、少し前まで、僕は『第五王子』だったんだよ」

「……『第五』?」

 俯き気味だったアリシアが顔を上げ、サーノスの顔を見る。

「それってつまり、王子のお姉さんである、王女様の婿養子に来た人が居て、その人が王位継承権を新たに得たってことでいいんだよね?」

 ああ、正解だ。

 サーノスは首を縦に振り、微かな思慕にも浸りながら、自身の姉のことを語りだした。




 ルテアニア王国第一王女・イリーナ王女。25歳。王族の中で、サーノスと唯一交流のあった人物でもある。

 美貌に加え理知的。物静かで気品もあり、しかし他者には媚びない凛とした気風の持ち主で、まさに国の長たる王族の名に恥じぬ人物だったが、幼い頃に罹った病により足が不自由で、移動には車椅子を利用しなければならないという、大きな障碍ハンディキャップも同時に持っていた。

 このことに関して彼女は、なまじ自立願望が高いが故に(障碍があるからこその願望なのかもしれないが)、相当に大きな劣等感を抱いていた。政治に軍事にと、眩い活躍を見せる兄達が羨ましいと、思い通りにならない自身の身体のことを、折に触れて、不甲斐ないと愚痴っていた。

 イリーナ王女は、サーノスらの住まう離宮に足を運ぶ機会があった。彼女曰く、目的はサーノスの母親で、個人的に彼女を慕っており、親交を深めたかったのだという。かたや国の第一王女、かたや国王の愛人という、どう転んでも良い関係のビジョンが見えてこない間柄ではあったが、二人が互いに向かい合い、茶やワインを嗜みながら語り合う様を見る限り、その言葉の裏に他意があるようには思えなかった。

 彼女は人見知りのするサーノスにも優しく接し、様々な魔術や知識、政治の話、宮中でのゴシップまで、色々なことを教え、可愛がった。機会はそう頻繁というわけではなかったが、幼いサーノスには、いつしか彼女の来訪が、密かな楽しみとなっていた。産みの母は違えど血を分けた実の姉を、サーノスは大いに慕った。今思えば、これが彼にとっての初恋だった。

 ―――だからこそ。

 彼女の結婚が決まった時。見知らぬ青年が、彼女の車椅子を押して離宮にやってきた時は、不整脈にも似た、乱れた激しい動悸をおぼえたものだった。

「―――好きだったんだね。お姉さんのこと。つまりはそれが、初失恋でもあったと」

 アリシアが夜空を見上げながら嘆息する。図星だったが、サーノスは隠そうともしなかった。

「……わかるかい?」

「そりゃあ、こんなに生き生きと語られちゃあねぇ」

 半ば苦笑いでアリシアははにかんだ。

「それに、私もそういうの、経験無いわけじゃないし……」

 最後は小声だった。

 誰のことを言っているのか、二人ほど候補がいたが、サーノスは追求せず、敢えて聞き流した。

「あれは姉上が御成婚されてから数か月後のことだったよ。姉上と、婚姻により新しく義兄となった『彼』が、離宮にやってきた。その時『彼』―――新・第五王子から、助言をうけたのさ。『君の才覚が惜しい』『本国で努力したところで、このままでは圧力なり妨害なりで、活躍の機会を与えられることなく飼い殺しにされるだけだろう』って。それで、兄上達もうかつには手を出せない『他国』であり、なお且つ自身の『出身校』でもあるアークライト領校へ進学し、アルマー王国で身を立ててはと提案し、僕を推薦してくれたってわけだよ。国王を説得までしてね」

 アリシアが眉をひそめる。

「……えっ? アークライト領校が『出身校』? もしかしてその『第五王子様』って、アルマー王国の方なの?」

「ああ。お察しの通りだよ」

 あっけらかんと答えるサーノス。アリシアはなおも驚きを隠そうとせずに言った。

「いやいやいや、他国に婿入りしたって、それ、同盟の強化とかそういう意味合いもある、政治せーじ的にも結構重大なことだよね。……でも、そんな話、ここ数年であったかなぁ……」

 ああ、やはりか。案の定、とサーノスは納得する。

「二年前。僕の国ルテアニアでは当時、大きな話題になったものだよ。アルマー王国内では……まあ、話題にならないのも仕方ないか」

「アルマー王国国内のことでもあるのに、国内こっちでは話題にならなくて当たり前? ? ……?」

 アリシアは頭上に疑問符を浮かべながら眉を捩じらせ、首をかしげている。

「『彼』はアルマー王家の一族である、公爵家の嫡男という正統な身分にありながらも、国内では決して注目されない、『されてはならない』。それこそ、『最初から居ない者のように』扱われ続ける宿命を背負わされた……ある意味、僕と似た者同士だったんだ。日陰者の僕を見て、思うところでもあったんだろうね。すぐに、意気投合しちゃったよ」

 ある意味、恋敵みたいなものなのにね。―――とは告白せず、ふっ、とサーノスは自嘲めいた笑みを浮かべるにとどめる。

「……その人の名前、何ていうの? 公爵家の御方でありながら、そんなぞんざいな扱いを受けなきゃならない人って―――」

 問われるも、サーノスはううんと唸る。

「名前……名前か。言ったところで、ピンとこないかもしれないけど……たぶん、その『家名』なら、聞いたことあるんじゃないかな。実際、あなたの家、アークライト家とも、浅からぬ因縁がある一族だからね」

「私の家系との因縁? 公爵家で……―――あっ」

 まさか。そんな面持ちで声音を変えるアリシア。サーノスはそれを確認した後、ゆっくりと語りだす。

「ルーイ=アルマー公爵家嫡男―――アスレイ=H《ヘイダ》=ルーイ=アルマー」

「へイダ……ルーイ……!」

 直訳すれば―――「愚王ルーイ」。

 500年前。アルマー王国『暗黒期』に傀儡の王として利用された、ルーイ=アルマー王。彼の名と、「愚鈍」「凡愚」を意味する古語「ヘイダ」を姓に戴く、もう一つの「アルマー」、ルーイ=アルマー公爵家。その名が示す通り、聖武王に打倒された王の家系である。王族、そして公爵という高い爵位を持ちながらも、政の上での実権は皆無に等しく、文字通りに王家により飼い殺しの「ただそこに存在し存続しているだけの王族」なのだ。



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