第71話 暗雲 その7




 今にも星が降りだしてきそうな、満点の星空だった。雲一つなく、月明かりが惜しげもなく、海に大地に降り注ぐ。

 一面の草原を秋風が撫で、さぁ、と漣のような波打ちをつくる。防寒具なしでは少し肌身に凍みる、濃紺の夜の野を、二つの人影が縦に並んで歩いている。

 互いに全くの無言。さく、さく、と草葉を踏みしめる音は、草の波音にかき消されている。目印になる物と言えば、まばらに生えた一本木くらいの、抑揚のない風景。その一体どこを終点とし、目指すのかすら、その足取りからは推し量れない。

 ふと、先頭を行く影が、はたとその足を止めた。目印も何もないただ開けた草地。この場所を、目的地と定めたのだろうか。追従する影も、倣う形でその場にとどまる。

「この辺でいい」

 背を向けながら、先行する赤髪の少女が呟いた。ともすれば、風音にかき消されてしまいそうな小声だった。言葉数少ない独特な口調―――ミダエアル侯爵家令嬢・クラウディアはくるりと振り返ると、追従してきたメイド服姿の女性・エルフィオーネと向き合う。

「お話というのは、どのような内容でしょうか。ミス・ミダエアル。できれば、手短にお願い致します」

 エルフィオーネは単刀直入に聞く。すぐにでも背を向け踵を返し、邸内に戻りたい腹が、口調から滲んでいる。

「私との話すの、嫌?」

「いえ、そういうわけでは。ただ、このような場所に長く留まられては、風邪をひいてしまわれますが故」

「大丈夫。防寒のための術式、ちゃんと刻印してある」

「―――左様で。しかし私は、寒いのは少し苦手な性分でして」

 フゥーと鼻で息をしながら、忌々しいものを見たかのように目を閉じ。

「そろそろ、本題に入っていただきたく思います。このような場所でないと話せない事とは、一体、如何なる大事でしょうか」

 一際、強い風が吹いた。腰下まであるエルフィオーネの藤色の髪が横に靡く。月光がほの白く輝き照らす様は、まるで白絹を思わせる。

 対峙し合うこと十数秒。エルフィオーネは答えを待つ間も、突き刺すような視線を逸らさない。対するクラウディアも、それに圧されず真っ向から向き合い、微動だにしない。

「……二週間前。イザキの港町。収穫祭」

 その単語の羅列が導き出す話題とは何か。エルフィオーネは即座に勘付いた。眉を僅かに捩じらせる。

「あなたは、追われていた。謎の集団に。そして街中で、襲われた」

「―――何を言い出すかと思えば。そのことですか。野次馬は、あまり趣味が良いとは思えませんが」

 ふん、と鼻で答えると、エルフィオーネは毅然と続き応える。

「公爵様が留守なのを良いことに、近頃は物騒になったものです。私のような行きずりでも誰彼構わずつけ回し、襲うような輩が、見えないところで跋扈しているのですから。主・アルフレッドが助け出してくれなければ、今頃私もどうなっていたか―――」




「うそ」




 会話と場が一瞬で凍りついた。「なに?」と、うすら呟くエルフィオーネ。二人の間隙を、冷え切った突風が突き抜けていく。

「要らなかったくせに。アルフレッドの助けなんて」

 先に言葉を紡いだのはクラウディアだった。くすくす、と嘘を論破し勝ち誇ったように、せせら笑う。

「……どういった意味でしょうか」

 間をおいてエルフィオーネは聞き返す。未だ、澄ました顔で。

 あくまでシラを切るつもりでいるらしいエルフィオーネ。それが余程滑稽に見えるのか、クラウディアは目を細め、眼鏡の位置を中指でくいと直しながら、顎を突き出すようにして宣言した。

「何を言っても無駄。だって、見てたもの。私」

 ぴくりとエルフィオーネは口元をつり上げる。

「後に残ったのは、消し炭。そして、貴方の胸倉を掴んでいた男の、腕一本だけ」

 ついにエルフィオーネは押し黙った。構わずクラウディアは続ける。

「―――綺麗だった。閃光のような白炎。白の炎が全てを、一瞬で燃やし尽くしていく。兄上の『狂炎』にも劣らぬ、美しく眩い煌めき」

 風が一段と強まっていく。木々の枝葉が揺れざわめく。クラウディアの赤色の猫毛がふわりと吹き上がる。

「でもあの時のあなた、少し変だった。男の初手、横薙ぎの斬撃。『防護』で防ぐつもりだったのでしょう? でも実際は、手を翳しただけ。成すすべもなく、腹を一閃された。なぜ? って思った。あなたも、『何故』って顔をしてた。でもその直後。男があなたの胸倉を掴んだ時。男の腕を掴み返し―――その腕から先を、瞬時に消し炭にした」

 エルフィオーネは目を見開いたまま直立不動。まさに「無」の極北の如き表情。

「何故。あの一撃を、なすがままに受けた? あれほどの使い手の、あなたが」

「ミス。貴女は私を一体、どうしたいというのです? 官憲に突き出したいのですか? それとも、これをネタに、強請る心積もりで居られるのですか。生憎、この件に関しては、既に正当防衛が正式に成立しております。あの一部始終を御覧になって居られたなら、御理解頂けるはずでは?」

 即座にクラウディアは言い返す。

「勘違いしないで。そんな事をしても、何の得もない。興味があるのは、魔術師としての技量。ただでさえ『純正型』の魔術師は数が少ない。騎士学校の者達如きでは、私の相手には遠い。退屈していた所」

 クラウディアの羽織るマントに刻印された魔術式が輝きだす。展開されたその全てが、攻撃用魔術の術式だ。それも、一つではなく複数。それらを、発動の寸でのところで押しとどめるという高等技術まで駆使している。全て解放すれば、攻撃用魔術の雨霰が空に大地に降り注ぐこととなる。この草地など、燎原の火すら起こる間もなくあっという間に、当分はぺんぺん草すら生えない焦土に変えてしまうだろう。

「あの時羽織っていた白のローブ。魔術式。一目見て、只者ではないと解った。尾行つけてみたら、想像以上のものが見れた。あの時みたいな魔術。もう一度、見せて。凄く、興味がある」

 だが、エルフィオーネはにべもなく、全く無関心な様で、くるり、と背を向け踵を返した。

「―――申し訳ありませんが、私はまるで興味を惹かれません。少々、不快ですらあります。御用がそれだけとあらば、私はこれにてお暇させて頂きたく存じます」

 エルフィオーネが一歩を踏み出したその瞬間。彼女の顔のほんの僅か数サンチ隣を、極熱の火球が掠めていった。

 ぴたとエルフィオーネは、無言で足を止めた。ただし、怖気づいた風は毛頭なく。

「次は―――当てるよ」

 クラウディアは右手をかざす。赤い光が煌々と闇夜を照らす。その矛先は、エルフィオーネの、無防備な背中の直線上だ。

 エルフィオーネは無言。―――無言……。風音だけが、まるで人のざわめきのように不穏に響く。そんな中だった。

ね」

 背を向けたまま、低い声で。腹の底からひり出すように。

 ざわ……と風が彼女の薄紫の髪を強く靡かせた。

「好奇心は猫を殺す、というが……ただ一度の過ちで、無慈悲に殺されてしまうというのも酷というもの。これが最終通告だ。今なら、全てを忘れ、無かったことにしてやる。解ったら、早々に去ね。―――小娘」

 ドォ。大砲を射出するが如き炸裂音。極大の火球がエルフィオーネの背中を目掛け、一直線に飛来する!

 

 

「愚かな」

 


 『防護』の障壁を纏ったエルフィオーネの裏拳が翻った。ぱあん。破裂音とともに、火球が粉々に砕け、火の粉が宙に飛散する。ゆっくり、ゆっくりと、クラウディアの方向へと向き直るエルフィオーネ。

「忠告の意味が……理解できなかったようだな」

 横顔で、賢しら顔を湛えたクラウディアを睥睨する。

「成程。それが本性か。でも、これなら安心。楽しめそう。予想通り」

「……楽しむ? ―――くっ……くくく……。貴様を今すぐ、跡形もなく消し去ることなど、赤子の手を捻るが如く容易き児戯。命乞いの方法や文言でも考えておく方が、まだ建設的とは思わぬか。―――先のを見て、何も感じなかったのか?」

 クラウディアは少し強がりながらも、「ふん」と、それを一笑に付した。

「くだらない脅迫。あんなもの、我が幾千もの魔術のほんの一つ。それを防いだだけ。それで、一体私の何が量れる?」

「くく……成程、解らぬか。力の差が」

 腰を少し落として据え、威嚇発光するかのごとく、装備と魔術書の魔術式を展開し、臨戦態勢をとるクラウディア。対して、エルフィオーネは姿勢を崩したまま。くつくつと体を揺らし、前髪を額の位置ででくしゃりと掴み、心底滑稽だとばかりに嗤い続ける。

「己の領分も弁えず、好奇心だけで浅慮軽薄に突っ走る。それがいかに危険な事か、諭して引き返す暇は既に与えた。されど、それも一笑に付し、尚も虎穴に入らんとする。―――無知にして蒙昧。畏怖する心を知らぬ貴様に与えてやれるのは、最早『恐怖』くらいしか、ないようだな!!」

 語り終えたエルフィオーネは自身が纏うメイド服の肩口をがしりと掴むと、それを一気に宙に脱ぎ去った。その下に現れたのは―――黒を基調とした衣装群から成る、古風で見るからに胡散臭い、魔術師の姿だ。

「先も言ったように、寒いのは些か苦手な性分だ。一瞬でカタをつけてやる」

「……舐められたもの。私は名門・ミダエアル侯爵家次期当主」

 ほう、とエルフィオーネは口元を三日月に吊り上げる。

「今、家名を出したな。ミダエアル侯爵家―――知っているぞ。聖武王と対峙した折、調略により一戦も交えずに軍門に降った、地位と打算とを至上とする、吝嗇な貴族の系譜だ。―――その残滓まつえいごときに、私の相手が務まると?」

 末尾の文言そのままに、問いに対する問いで煽り返す。クッとクラウディアは「そんな黴の生えたような昔の話。それで私を解したつもり?」と、奥歯を噛む。家名ではなく、寧ろ自身を貶められたことに対し憤慨している。

「丁度いい。家名繋がりだ。貴様を躾るのに、相応しき方法を思いついたぞ」

 するとエルフィオーネは其処を見ろと言わんばかりに、突き出した人差し指を天高く、濃紺の夜空に掲げた。

 その指先には―――雲一つなかった夜空には、漆黒の曇天が形成。エルフィオーネの指先の直線状に、高速で集積されつつあった。

 そしてついに。ここまで顔色一つ変えなかったクラウディアが、一瞬にして、色を失った。

「嘘……だ。まさか、『それ』は……」

 確認し、エルフィオーネは笑む。

「然り―――。『これ』が何なのか、最早、語るまでも無かろう」

「嘘だ……嘘だ!! 嘘だ!! 『それ』はアリシアの……アークライト家の秘伝の術!! 一族の者にしか伝授されない、門外不出……それを、なぜ使える!?」

「さあ……何故だろうなァ。当てても、何も景品は出さないがなァ。もっとも、嘘かどうかは―――」

 白蛇の如く、曇天を電光がうねり巡る。―――その瞬間!!

 蒼の閃光が宵闇を切り裂き、耳を劈く轟音とともに、蒼の豪雷がエルフィオーネの指先目がけて直下!! 堪らず眼を瞑り、腕を翳すクラウディア。

「―――そのまなこで確かめてみろ」

 クラウディアは腕をゆっくりと下げ、尚も信じ難い光景に、目を見開き絶句する。

 蒼き雷光を―――アークライト家の一族のみに伝わる秘伝の魔術―――『蒼雷』をその身に纏ったエルフィオーネは腰を落とし、拳をしっかと握り、体術の構えをとる。

「さあ、どうした。撃ってこい。小娘」

 薄紫の長髪を頭の上で縛り上げ、ニィ……と薄ら笑みを浮かべ、左手ではクイと誘うように手招きをし、再三、クラウディアを挑発した。



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