第70話 暗雲 その6




「今回の私の休暇だがね。父上が、王女殿下に勝手に申請したことで、下された命令なんだ」

「親父殿が? 勝手に?」

 アルフレッドはきょとんと、かつ、酔いのとろんとした目付きで返す。

「溜め息を吐いてる姿でも、見られていたんだろうね。呼び出しをくらって『そんな辛気臭い面構えで、王女殿下の騎士が務まると思うのか』って具合に、喝を入れられたよ。で、その直後に殿下から出された命令が、『直ちに自領に戻り、療養を命じます。ゆっくりと、疲れを癒してきて下さい』だよ。向こう二週間は、戻ってくるなとのお仰せさ」

「顔も見たくないってか。しゃんとしてないからだ」

 へっ、と、してやったりの表情で笑むアルフレッド。はは、と苦々しく笑い、肩をすくめながらエーリックは自嘲した。

「そういうこと。この状況下で、一発で申請が通ったところを察するに、王女殿下にも見破られていたんだろうね。知らず知らずのうちに、殿下に心配をかけさせていたなんて、騎士失格もいいところさ」

 だがアルフレッドは逆に、感心で「ふうむ」と唸った。

「……しかし、いい王女ごしゅじん様だな。心労が溜まってるのは、他ならぬ御身の方だろうに……。今の話を聞いただけで、上に立つ素質があるって感じるぞ」

「ああ。まだ年若い御身にありながら、王者の気質に満ちている。そんなお方だよ」

「へぇ……取材がてら、いっぺん会ってみたいもんだな。で? 騎士様が不在で、王女様のお守りは、誰がやってるんだ?」

 ふふ、と笑いながら。

「父上御自らさ」

「親父殿が!?」

 間髪入れずにアルフレッドは聞き返す。

「対蛮族への作戦が定まるまでは暇だからって、年甲斐もなく大張り切りでね。【蒼雷侯】がいきなり私の代理にってことで、団長、緊張でカチコチになってたよ。帰ったら恨み言の一つでも覚悟しておかなきゃね」

 いかに王女の命とはいえ、王国最強の将を部下として扱えと言われる。心の準備も無しにいきなりそんな事を言われて、戸惑わない人間がどこにいようか。その近衛騎士団長が気の毒に思えてくる。

 しかし、この行為が原因で、王子派の連中に睨まれるのではとも思ったが―――少し考えて思い直す。

 アークライト家はあくまで王家の剣であり、盾だ。

 今は爵位が侯爵に格上げされているが、アークライト家は代々、隣領トゥルカ伯爵家とともに国境を護る辺境伯としての役割を負っている。役割がはっきりしているがゆえ、特定の派閥について余計なしがらみに縛られ、辺境守護のつとめの障りになることは極端に嫌う気質があるのだ。言うなれば、職務上、完全中立の立場を貫いている。今回の王都への召喚も、あくまで対蛮族用の兵隊としてでしかないことは周知の事実だ。

 そして、完全に中立であるがゆえ、今の王宮の乱れ、この体たらくには、人一倍憤慨しているのだろう。

「情けない話じゃないか。王女殿下どころか、父上にまで気を使わせるなんて。未熟者もいいところさ」

 ふぅー、と大きくため息をつく。

 そして中空を仰ぎながら、言う。

「私はずっと、偉大な父の背を見て育ってきた。アークライトの姓を継ぐ者として、この方の名に恥じぬよう、そんな人物になろう、ならなければならぬと、精一杯、力の限り努力してきた」

 アルフレッドは相槌を打ちながらも、話の先をせかす。

「そしてその結果、お前は望む物を手にしたじゃねぇか。世に聞くお前さんの風評は、親父殿を超える傑物―――国家魔術騎士の【若獅子】だ。18歳で将軍。20歳で王女様の近衛騎士団所属。そして23歳の今じゃ、近衛騎士団団長の副官。男として、王女様に最も近い存在だ。貴婦人に心身を捧げるのを至上とする類の騎士にとっちゃあ、その頂点に君臨するといっても過言じゃねぇ」

 口早に、そして拳には力を込めながら。

「大したもんだよ。同じ屋敷で暮らし、同じ釜の飯を食ったかつての兄弟分として、誇らしく思う。だから、お前が俺を羨ましく思う理由ってのが分からねぇ。お前は親父殿の期待に、立派に応えることができた。でも俺は駄目だった。折角親父殿が推薦してくれた騎士学校も卒業できず、期待どころか、受けた恩にすら、報いることが出来なかった。その点、お前は俺が持てなかった全てを持っている……」

 エーリックはそれを遮る。

「だが、その称号を得た後、私は何をした? 何が出来た? 民のため、殿下のため、どれほどのことをやれてきた?」

「何?」

「将軍としては、ただの一度も軍を率いたこともなく。近衛騎士団としては、一度も賊を討ったこともなく。王女殿下の側近と言いながら、今こうして、殿下の元を離れてこの場に居る。―――全てが、まるで上っ面だけの、張りぼてみたいじゃないか」

「……!!」

 ビシッ、と、エーリックの持つグラスにヒビが入る。

「そもそも、最初の『将軍』の称号だって、あれは元はと言えば、お前に与えられたも同然の物じゃないか。私はただ、お前を見殺しにして、逃げ出しただけの―――」

「……おい、よせよ。エーリック!」

「あ……」

 エーリックは言われてようやく気づくと、篭手(ガントレット)の中で粉々になっているグラスをゆっくり見遣った。





 少し落ち着かせてから、アルフレッドが切り出した。

「……俺らさ、変わったよな。最後に話した時って、何の話題で盛り上がったんだっけ?」

「忘れたのか。酔ってるな」

「お前に言われたかねぇな」

「ふふ……上京の前のあの日、私達が話した内容は―――王都にはどんな凄い国家魔術騎士が居て、どんな面白い本があって、どんな美味いメシにありつけて、どんな可愛い子が居るか―――そんな話だった。全部、お前が振ってきた話題だったじゃないか。あと、おまけにお土産も宜しくってね」

「……まるで子供ガキだな。田舎者イナカモン丸出しの」

 自分の事ながら小恥ずかしく思い、頬をかく。

「でも、いざ二年ぶりに再会してみればだ。出てくるのはお互い、仕事の上での鬱屈やら欲求不満やら、憂国の愚痴やら……。それをひたすら酒の勢いで愚痴り、くだをまくだけ」

「子供らしくはねぇが、健全とも言えねぇよな」

 たしかに、とエーリックははにかんだ。

「なあアルフレッド。確かにお前は、称号も爵位も持たない、野にある無冠の者かもしれない」

 アルフレッドは無言。グラスを呷る様子を相槌と見なしたように、エーリックが続ける。

「だが……その事跡や実力をつぶさに見てみれば、どんな爵位も称号も、お前という男を評するに足りはしないだろう。無冠は無冠でも、いわば『無冠の帝王』だ」

「おい……あんまりおだてるなよ」

 エーリックは首を横に振る。

「いや、煽ててなどはいない。純然たる事実を挙げたまでだ。そして―――その事跡を持っているという事が、私にとっては、最高に羨ましい事なんだ。小洒落た殻を開けてみれば実らしい実など何も無い私とは違い、お前はまさに、ぎっしりと詰まった実そのものだ。先程の雑魚料理と同じさ。見た目や地位などに囚われれば、最上の太鼓判を押したくなるほどの美味を見落とす」

 えらい即物的な例えだな、とアルフレッドは苦笑する。

「もし私がお前に爵位を与えられる立場なら―――推挙できる環境にあるなら―――迷うことなく、お前の名を挙げるだろう」

「……成程な。はははは!」

 アルフレッドは皮肉を込めて笑った。声を上げて、笑った。

「隣の芝は何とかって言うがな。俺たちはアレだ。よりによって、手前てめぇらが持っていないものを、本当に欲しいものを、互いに持ち合ってるってなワケだ。―――これだから、神様ってのは嫌いなんだ。こういう意地悪を、いとも容易く実現させやがる」 

「その通り―――」

 ひと呼吸おいて、感慨深そうにエーリックは頷いた。

「まったくもって、その通りだな」

 その後、エーリックは「なあ」と切り出してくる。

「この間のシラマの町での事件―――報告書でさえ濁されているが、あれを解決したのは、お前なんだろう? アルフレッド。『あの時』のように、その剣を抜いたんだろう?」

「……まあ、な。あの時のアリシアのセリフと行動、まるでお前の再現だったぜ。まったく、血は争えねぇな……」

 シラマで彼に対して内心で吐いた悪態も、最早すっかり忘れていた。笑うアルフレッドをよそに、エーリックは瞳を閉じながら、深々と頭を下げた。

「……感謝するよ。一人の兄として。感謝しても、し足りないくらいだ」

 アルフレッドは複雑な思いでそれを見ていた。もちろん、兄弟同然の親友が、水臭いくらいに深々と頭を下げる様に戸惑ったという事がまず第一。

 第二に―――正直なところ、一人ではあの局面は切り抜けれなかった。ただ「抜剣」しただけでは、確実にアリシアを巻き込み、その刃の餌食にしていたからだ。

 そう、「抜剣」を可能にしたのは、「彼女」のサポートがあったからだ。一切の魔術が封印されていたあの状況下、「防護」の障壁でもって、アリシア達を守ってくれたのは―――。




 どぉぉーーぉー……ん




「ん……? 何だ?」

 遠くで、何かが爆発するような音が聞こえる。比較的酔いの浅いエーリックが、まず気づいた。アルフレッドはエーリックの異変に、首を傾げる。

「どうした?」

「あ、いや……何か、音がしなかったか? 遠くで、何かが爆発するみたいな」

「あー……そういえば確かに。花火か何かじゃねぇの?」

「こんな時間に? 何も催事は無かったと思うんだが……」

 それを言い終わった瞬間。

 蒼い稲妻の閃光が、発光宝珠の光を切り裂いた。

「いち……にい……」

 癖で、アルフレッドが数え出す。そして、「ご」の時点で、ゴロゴロ……という轟音が、窓硝子をビリビリと揺らした。

「落雷か……。天気が崩れるのかもな―――どうした? エーリック」

「……今の雷光の『色』……」

 しんと静まり返った部屋の中―――グラスの中の氷が溶け、カランと転がる小気味よい音が響く。そして、扉の外からは、アリシアが楽しげに談笑する声が微かに聞こえてくる。

「いや、気のせいか……」

 疑問符を頭上に浮かべるアルフレッドをよそに、エーリックは再びグラスを呷った。


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