第67話 暗雲 その3
「―――そうだったか。件の収穫祭の事件の当事者であり、彼女にとって、お前は命の恩人と。そういうことなんだな」
エーリックは酒に顔をほの赤く染めながら、感極まったように言う。
「それを言うなら、アリシアも、ウシオも、シャーロットもだろう。確かに、最初に倒れてるのを見つけて運び出したのは俺だったけどさ」
「だが、お前が彼女を探し出さなければ、そのまま毒牙の餌食になっていたのは想像に難くない。口には出さないだけで、相当感謝しているんだろう。でなくば、無償であのように素晴らしい奉仕はできないよ。―――なんとなく目に浮かぶ気がする。お前が彼女をその腕に抱え、夜の闇の中を疾駆する姿がな。まるで、少女が憧れる、おとぎ話の中の騎士様のようだ」
向けられた台詞を振り払うように、アルフレッドは手の甲を返す。
「だからそんな大層な物じゃねぇって。当然の事をしたまでだしさ。それに、騎士様はお前の方じゃないか。俺は町の世話焼き警備員さんで、なんちゃっての助平な作家先生。お前は麗しの王女様の近衛騎士。そうだろう? 俺みたいなゴツい騎士様なんて、女の子はお呼びじゃねぇって」
少し卑屈なように、アルフレッドは口元をつり上げる。
エーリック=アークライト。人呼んで、国家魔術騎士の【若獅子】。
国家随一の猛将たる【蒼雷侯】ジェスティ=アークライト侯爵の長男にして、アリシアの実兄。アルフレッドにとっても、共に少年時代を過ごした、兄弟のような存在でもある。
数多の天才・俊英が集ったとされる、国家魔術騎士養成学校アークライト領校『伝説の260期生』にあっては不動の首席。四回、五回生の時分では、アルフレッドでさえ、太刀打ちできなかった。
それに加え、在学時、さる事件で打ち立てた功績により、若干18歳にして
騎士学校を卒業し、国家魔術騎士の爵位を正式に叙勲されたのちは、華の王都へと招聘され、幼年時からの縁故もあり、次期王と目されている、ジェシカ王女殿下の近衛騎士団に編入。順風満帆に
妹のアリシアを見ても分かる通り、そのルックスも抜群。おまけに弁舌も明瞭闊達という、まさに天より二物も三物も与えられた、実も華も備わりし好漢だ。
「そのことなんだがね。最近になって、団長の補佐まで任されるようになってさ……。事務仕事を色々押し付けられて、難儀してるよ」
フッと鼻で笑いながらエーリックは疲れたように言う。
は? とアルフレッドは目を見開く。
「……そりゃあ世にいう昇進、昇格の類じゃないか!」
近衛騎士団の団長は、王女の寝室に入ることが許される女性しか就くことは許されない。その団長の
「うーん……そういうことになるのかな?」
あっけらかんと言い、首を傾げる。その仕草、妹のアリシアを何となく彷彿とさせる。
「知らないうちにそんなオエライさんになってたのかよ、将軍! やっぱり今日は呑もう。もっともっと呑もう。昇進祝いだ!」
「よせよ。そんな大したものじゃないさ。―――それより、お前の作家稼業のほうはどうなんだい? 私としては、早いところ王都の書店でも手にとれるようになってほしいよ。王都まで送らせるのに、家臣に手配をさせるのもひと手間さ」
「へっ。何だよ、うるせえな。だったら今回みたいに休暇でもとって、定期的に帰ってくればいいんだよ」
アルフレッドは呑みかけのグラスを、たん、とテーブルの上に置く。
「と、冗談はさておきだ。半ば趣味で気軽にやってる仕事とはいえ―――もう少しばかり売れてくれりゃ、胸張って副業って言えるし、作品を支えてくれてるあの娘にも、申し訳が立つんだがなぁ」
アルフレッドは返本されてきた「与え姫奇譚」の在庫を、横目で見遣り、自嘲した。
「……まあ、もっとも。今の王家の情勢を鑑みるにだ―――その御膝元である王都に、こんな本が出回った日にゃ、ちょっとした騒動になるだろうな。『新手の王家批判か』って具合にさ」
エーリックは何も返さず、ただ酒を呷るだけだ。
「……なあ、エーリック。今回のお前の休暇っての、その王室のゴタゴタが絡んでるんじゃないのか?」
ピタリ、と酒の呷りを止めるエーリック。グラスから口を離す。
「どうして、そう思う?」
「正直、政治とかそういう手合いの話題は苦手なんだが―――歴史小説書いてると、どうしてもその辺の背景や事情に詳しくなっちまう。表立って公表はされていないが―――今の宮廷内のゴタゴタは、最早隠しきれないところまで来ている」
コトン、とグラスを置くエーリック。酔いが回ってきているのか、そのまま、フゥー……と大きく息を吐き、ソファーに背を凭れさせ、天井を仰ぎ見た。
「なあ、アルフレッド。私は贅沢者なのかな」
「あん?」
前後の要領をえない質問だった。だが、その口ぶりに、先のアルフレッドの台詞の何倍もの卑屈や自嘲を漂わせている。
「隣の芝は、というやつなのかな……。正直なところ、私はお前を羨ましく思うよ」
「……何だ、そりゃ」
「アルフレッド。お前は今の自分の境遇を、どう思う? 満足できているか?」
アルフレッドはぐいっ、とグラスに残った酒を飲み干すと、新たな酒を注ぎながら「そうだなぁ……」と、自身の日常に想いを馳せる。
「風雨をしのげる場所を無償で借り、仕事は食いっぱぐれが無い程度にある。何もない日は趣味で助平な創作活動やら、取材という名の小旅行やら。少ないけど
再びグラスに口を付けながら言う。
「いろいろ苦労して得たモンだとは言え、俺みたいな根無し草には正直、分不相応なくらいに恵まれた境遇だと思うよ。今日明日を生きられないような、貧民街や寒村の人間たちの事を思うとな。十分すぎるくらいに満足だ。満足しなきゃならない。そう思ってる」
アルフレッドは俯き加減に言う。
「……この中に身の程知らずの贅沢者が居るとしたら、それは俺の方だよ、エーリック」
「何故だい?」
「……最近さ、気付いちまったんだ」
アルフレッドは首を傾けながら中空を、酔いの濁った目で見ながら、酒気と一緒に言葉を吐く。
「完全に焼き捨てたと思った、俺の理想。国家魔術騎士の称号のもと、お前らと肩を並べて、護国の為に剣を振り、世話になった親父殿や御袋様、領地のみんなの恩に報いようっていう俺の夢―――。それはまだ、心の奥底に、まるで残り火みたいに、しぶとく燻りつづけてやがる。そいつが、焚き付けるんだよ。『お前が求めたのは、こんな姿じゃないだろう』『この調子じゃ、借りは一生かかっても返せないぞ』ってな具合にさ。面倒くさいことになぁ……求めた姿じゃないから、借りが返せないから―――だったら、俺にどうしろって言うんだよって。なあ。今更どうやったって国家魔術騎士にはなれない。もう、夢は終わったんだって、これでもかって程言い聞かせてきたつもりだったんだがなぁ……魔術騎士学校を追われた、あの日からなぁ……。」
その後、両者は沈黙する。
ややあって―――。
酩酊で、アルフレッドは危うく体勢を崩し、転げ落ちそうになった。慌てて立て直し、姿勢を正す。
「おっとと……。悪ぃな。愚痴ばかりで」
「……構わんさ。もともと、この席は、そういう場なんだろう。自分で言ったことじゃないか」
「はは……そうだったな。じゃあ、エーリック。次はお前の番だ。思う存分、ぶちまけてみな。こんな俺が羨ましいってのは、一体全体、どういうことだ?」
エーリックは小さく笑いながらグラスを呷り「そうだな」と前置いた後、語りだした。
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