第66話 暗雲 その2



「失礼するよ」

 ノックは無く、掛け声と同時にエーリックが入室してくる。アルフレッドはソファに腰掛け、グラスを傾けながらそれを迎えた。

「おう。先やってるぞ」

「ああ、すまないな。―――なかなか、離してもらえなくてね」

「ふん、モテる男は違うねぇ。俺もあやかりたいぐらいだぜ」

 はは、と愛想笑いしながらエーリックがグラスを差し出し、アルフレッドはそこに、なみなみと酒を注ぐ。二人はグラスを掲げ、軽く乾杯の音頭をとった。

 こんな時でも、豪奢な白銀の鎧は脱いでいない。食事の時もそうだった。

 エーリックがこれを常時装着するのは、第一には防具目的としてだが、筋力をつける鍛錬のためでもある。「軽量」の術式は刻印さえしていないらしい。装備を解除するのは入浴時と手入れ時、そして就寝前だけという徹底ぶりだ。

 もう一つの理由は「見栄」のためだ。アークライト家やフザンツ家など、アルマー王国の「南部貴族」と言われている貴族集団は、王都より離れた、いわゆる辺境に領地をかまえるため、「田舎貴族」やら「忠誠心が薄いのでは」などと、何かと揶揄される事が多いという。そんな中、いやしくも王女の近衛騎士団団長の補佐役を若輩ながらつとめる身となった以上、軽く見られるようなみすぼらしい格好は出来ないと、ネーオの職人に特注で作らせたのが、この全身鎧だ。エーリックの恵体がこれを装着すれば、あっという間に古風で貫録がある、見るからに忠誠心溢るる騎士様の出来あがりである。

 魔術式をふんだんに刻印した、軽装の騎士達が主流となっている世の中にあって、悪く言えば時代錯誤した彼のこの恰好は、まるで、過去の時代から現代に迷い込んだ英雄の姿を錯覚させる。

 たとえば、若き日のエドワード聖武王とか―――だ。

「いかにも作家、という部屋になったものだね。先生」

 エーリックは床や机上に無造作に積まれた、自身の蔵書群を見渡す。アルフレッドは「茶化すなよ」と笑う。

「今日の仕事はもうお開きかい?」

「ああ。本当はもう少し進める予定だったが、こうも思わぬ来客が続いてはな。あの娘にちょっとゴネて、明日に回すことにした」

「あの娘……あのメイドのレディか。結局、厨房からは出てこなかったが……それにしても美味い魚料理群だったよ。実家のシェフ顔負けの腕だよ、あれは」

 昨夜見た悪い夢を思い出したように、アルフレッドは半ば上の空で言う。

「ああ―――美味かったな、確かに」

 そう。美味かった。いつもに増して。途轍もなく。その場に居た全員が驚いて頬を落とす位には。

 食前酒は年代物の赤ワイン(呑んだのはアルフレッド、エーリック、シャーロットのみ。アルマー王国では、公的な場以外での飲酒は18歳から!)前菜の海鮮パスタサラダから始まり、白身魚のムニエル、海鮮リゾット、デザートに大粒の葡萄と―――その全てが絶品だった。その素材の調達に、どれだけの金額を費やしたのか。それは、未返却の財布の重量と、彼女エルフィオーネだけが知っている。

「貴族の方々を正式にもてなすってのは、こういうことなんだなぁ……ふふ、ふふふ……」

「ちょっとぐらいなら、貸すぞ。アルフレッド」

「ばっ……ばかやろう。もてなす相手に金を出させようなんて、そんなアホな話があるか! 俺にも面子ってのがだな……」

 こん、こんと控えめなノックが聞こえる。

 噂をすればだ。財布でも返しに来たか。

「ああ、入っちゃってよ。エルフィオーネ」

 ぴたり。エーリックの盃を呷る挙動が止まる。そして「……エルフィ……オーネ?」と呟き、振り向きながら開かれたドアを注視する。

「失礼致します」 

 ぺこりと頭を下げ、エルフィオーネが入室してくる。ふわり、と藤色の長髪が宙に流れる。その姿に、エーリックの目が見開かれ―――

「……あ」

 思わず漏れてしまったと言わんばかりの声を発する。

 胸元の銀トレイにはフルーツの盛り合わせとナッツ類が、色とりどりに飾られている。最早、「それ……どこで仕入れてきたの……?」と聞く気すら起こらない。

 そして、項垂れるアルフレッドを尻目に―――エーリックは、楚々と歩んでくるエルフィオーネの貌を、まるで釘付けになったかのように見つめている。目は見開いたまま。それでいて、呆然とした表情で。

「……おい。エーリック、どうした?」

 エーリックは硬直したまま。そして、こう呟いた。



「エディアーナ……?」



 辛うじて、そう聞き取れた。

 エディアーナ。

 どこかで聞いたことのある名だった。一体何の名なのか、すぐには出てきそうにはなかったが。

 エルフィオーネはテーブルの前で足を止めると、一礼をしてトレイを置き、そして一歩下がる。

「それでは、どうかごゆるりと。お寛ぎ下さい」

 踵を返そうとするエルフィオーネだったが、アルフレッドがそれを引き留める。

「ああ、自己紹介してやってくれよ、エルフィオーネ。ちなみに、こいつはアリシアの兄貴で、エーリックな。まあ有名人だし、あんたの事だから、知ってるかもしれないけど」

「ええ。勿論存じております」

 エルフィオーネはエーリックの方向に向き直ると、改めて礼をする。ここで初めて、両者の視線が交わった。

「お初にお目にかかります。将軍。エルフィオーネと申します。縁あって、我が主、アルフレッドのメイドと、執筆のお手伝いをさせて頂いております」

 その自己紹介の数秒後、ようやくエーリックは我に返った。

「えっ? あ……これは、その……。ご丁寧に」

「さっきからどうしたんだよお前。様子が変だぞ」

「いや、何というか……。そう、我が目を疑うほど、麗しい御姿でしたので、つい……」

 そして再び、エルフィオーネの瞳を、まるで魅入られるようにして見つめる。彼女は微笑を浮かべると「御戯れを」と、真に受けようとはしない。

「相変わらず、まるで息をするように女の子を褒めやがる。でも、らしくないんじゃないか? さては惚れたか?」

「こら……何を言う。そういうのではなくだな―――そう、見知った女性と、御顔が似ていましたので……つい。とんだ失礼を」

 ぺこり、とエーリックは頭を下げる。

 台詞の通り、それは照れ隠しと言うわけではなさそうだった。見惚れているというよりは、我が目を疑うかのように、まじまじと凝視しているという雰囲気だ。

「―――そうですか。ああ、そういえば主。これを、お返しいたします」

 思い出したように、エルフィオーネがエプロンドレスの中から、アルフレッドの財布を取り出す。それを恐る恐る受け取ると―――。

「―――あれ? どういうことだ、これ。全然減ってないじゃないか」

 重量は、出立前と殆ど差がない。すっからかんになって風に吹かれれば飛ぶようになることを覚悟していたのに。

「あれだけの食材なんだぜ? こんなちっぽけな消費で、どうやって―――」

「お恥ずかしながら、今回使わせていただいた食材、特に海鮮物シーフードは、市場に出すことのできない―――小ぶりだったり、知名度が極端に低いがゆえ、商品としての価値が低い、いわゆる雑魚とよばれる魚たちなのです。それを、超格安で漁師の方々に分けてもらいました」

「雑魚……? あれが? あの極上の味が、雑魚の物だって?」

 エーリックが意外そうに声を上げる。

「はい。雑魚と言っても、ただ体が小さいだけで普通の成魚と味はかわりません。それに、見た目の気色悪グロテスクさから敬遠される魚に限って、極上の味を備えているということはよくある話です」

「それでは、他の野菜や果物は?」

「ええ。市場に立ったところ、主が以前手助けしたという農園の方々に出会いまして。あの時の気持ちということで、お野菜や果物を大量にいただきました。今後とも、何かあった時は宜しくお願いするよ、との伝言です。あと、ワインは、棚の奥に眠っておりました。恐らく、前の家主の物でしょうね。このまま飾っておくのもどうかと思い、製品としての本懐を遂げてもらいました」

 呆気にとられるアルフレッドを余所に、エルフィオーネは続ける。

「将軍。このことは、できれば内緒にしておいてください。貴族の御令嬢達の手前、我が主にも、見栄や面子というものがあります」

「……うっ」

 酔いもあり、アルフレッドは感涙で目頭を押さえ、スン、と洟を鳴らした。

「―――ははは。成程。その通りです。レディ・エルフィオーネ。貴方のような出来た女性にお世話をされるアルフレッドが、心底羨ましくて仕方がありませんよ」

 怪訝そうな表情を一変、破顔一笑するエーリック。エルフィオーネは世辞という名の本音を一笑に付し、「それでは、主、将軍。私はこれで失礼します」と、再び踵を返し、部屋を後にした。



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