第63話 兄妹



 空を橙と紫に染める夕日が、既に中ほどまで、水平線に沈もうとしている。

 一面の草原と、まばらに立つ一本木。イザキの町と水平線が一望できる小高い丘に、アルフレッドのアジトである、エーリックの邸宅がある。

 イザキのとある小金持ちが、この景観を独り占めしようと、この場所に建てたものだというが、運悪くも、かけた金額のぶんを満喫しきる前に急死してしまった。その彼の分まで、この景観を堪能してほしいと、遺族が割安で売りに出していたものを、ちょうど、イザキに駐屯しなければならなくなったエーリックが買い取ったのだ。勿論、自費で。

「あら。中々小洒落たお宅ですわね。でも、内装はどのような風なのかしら? あんまり無骨で男臭いのは嫌ですわよ?」

「アークライト家の家訓は『質素倹約』そして『質実剛健』。お兄様もアルフレッドもその教えで育てられたんだから、余計なものは、本以外には無いよ。まあリズには、無骨だとか男臭いとか、殺風景とかに思えるかもだけどねー」

 ぷぷっとアリシアが挑発するように含み笑いをする。クレアリーゼは今にも「ムキーッ!」という声が聞こえてくるように、ムキになって反論する。

「なっ……馬鹿にしないでくださいませ!! その精神は、南部貴族皆の目指すところなのですからね!! あと、その名で呼ぶなと言っているでしょう!!」

 視線の先でじゃれあうアリシアとクレアリーゼの姿に、クラウディアがクスリと微笑んだ。

「仲がいい。相変わらず」

 アルフレッドは「だな」と一言、同意し頷く。

「ああいう関係でありたかった?」

 誰と? と答えるまでもなく、アルフレッドは「想像できねぇな」と首を振った。

 そして、「なあ」と続ける。

「何で俺に、話題を持ちかける気になったんだい? 魔術の使えない、興味も湧かないような男に」

「けじめ。私なりの」

「けじめ?」

 そのおうむ返しに対し、クラウディアは「うん」と答える。

「愚兄の愚挙に対するけじめ。かつての、一族としての」

「……恨みつらみをグチグチグチグチ言われるとは思わなかった? 最悪、兄貴の代わりに殴られるとか、乱暴されるとか」

「一通り様子を見た。で、大丈夫だと思った」

 それを聞いて、アルフレッドはフッと鼻で笑い「そいつはどうも」と答える。

 確かに、一族としての縁は、切っているのかもしれない。だが、心の繋がりまでは、切ってはいない。そうでなくば、最早自身とは何の関係もなくなった人間が、かつて犯した暴挙に対して謝罪しようなどとは思わない。本当に、尊敬し慕っているのだ。それこそ、恨みなどでは上書きできないくらいに。

 最後尾のアルフレッドとクラウディアが、ようやく玄関の前に到着した。

「クラウディア。さっきから、お二人で何を話してましたの? 興味がないと言っていた割には、盛り上がっていたようですが」

 クレアリーゼは腕組みをし、胸元に垂らした螺旋状のおさげを手の甲で掬い上げながら言う。

「別に。他愛のない、世間話。リズの今日の下着の色とか」

「なッ!!?」

「ちなみに、何色だった?」

 アルフレッドの方に振り返る。言えと? とアルフレッドは引き攣った笑みを浮かべた。

「……黒、だな。レースの、随分大人っぽい。でも、黒ショース越しだから、見えてもさほど目立たないっていう……」

「グッド。流石」

 わなわなと拳を握りしめるクレアリーゼを尻目に、成し遂げたような顔で親指を立てるクラウディア。本当に親友なのかと問いただしたくなる。

「何だ。この間拝んだのと同じ奴か。っていうか、バッチリ見られてるねぇ……」

「くっ……本来なら、見せる間もなく蹴り飛ばしてやるのに……こうも、しげしげと観察されるほどの隙を晒していたとは……屈辱ですわ。つ、次はこうはいきませんわよ!!」

「おお。流石はリズ。その意気やよしだね。それから、サーノス王子も。いつかはこのお姉さんの下着をじっくり拝んで生還できるようになるくらい、強くならなきゃ、だよ?」

 先程から居心地が悪そうにしていたサーノスだったが、唐突にアリシアから猥談にも似た話題を振られて、顔を赤らめながら「な、何を言ってるんだよ!」と狼狽えた。

 はは……と愛想笑いがおこる。その中に交じって、クラウディアは、睨むような目つきで、エルフィオーネを睥睨していた。




「あれ……?」

 アリシアが何かに気づく。

 その先を見遣ると、普段は空になっている厩(うまや)に、巨大な影が、整然と佇んでいた。

「あれは……騎竜?」

 サーノスが驚愕と共に呟く。

 騎竜。

 騎馬と同じ用途にたえられるよう、騎乗様に品種改良された「竜」と呼ばれる動物の事である。爬虫類のような面体をしているが、それとも別の進化を遂げている、ほぼ独立した種であるという。訓練にもよるが、基本的には人間に従順。だが、騎乗者の命令次第で、脚についた鉤爪を駆使してターゲットを襲う、獰猛なハンターとも化す。

 突撃の馬力や基礎体力、持久力こそ騎馬には劣るが、軽装に徹した際の機動力は、騎馬の比ではない。

 そして基本的には、騎馬よりも若干小柄な体格であるはずなのだが―――。

「凄く大きい……あんな大きい子、見たことないです」

「凄くっていうか……異常だよ。あのデカさは」

 シャーロットとサーノスは口々に驚嘆の声を投げかけあう。

 だがアリシアはそれに付き合う前に、騎竜のもとへ駆け出す 

「グランドラプター!!」

 厩に入ったアリシアは、見上げるほど高い位置にある騎竜の頭に向かい呼びかける。すると、厳つい見た目と重装備が嘘のように、その騎竜は、瞳を閉じながら首を下げ、アリシアの顔に静かに頬を摺り寄せてくる。

「ふふ。いい子だね」

 騎竜の頭を、胸に抱くように撫でるアリシア。

「あ、アリシアさんの騎竜ですの? ず、随分とご立派な……」

 ぽかんと開いた口がふさがらない風のクレアリーゼ。

「ううん、私のじゃないわ。この子、グランドラプターは、私の兄―――エーリックお兄様の愛騎だよ」

「……と、いうことは……」

 エルフィオーネが口元に手を当てながら呟く。

「ああ。あいつが―――エーリックが帰ってきてる」

 だがアルフレッドは直後に怪訝な表情と声で言う。

「でも、何故だ? いつ蛮族の侵攻がはじまるかわからないって状況下なのに。一体、何故―――」

 アルフレッドが全てを言い終わる前に、アリシアは再び駆け出していた。一瞬にして、兄の居所を察知したのだ。

 そしてそれは、アルフレッドも同じだった。

 この邸宅の大元の持ち主が、愛し、独り占めしようとした風景―――それを、奴は今頃堪能しているのだ。

 果たしてそれは、的中していた。

 玄関口のちょうど裏側―――小高い丘の断崖から一望する、街並のすべて。街灯がともる光。人のにぎわい。そして夕闇に顔を隠そうとする、橙色の太陽。この季節この時間に、最高の状態で拝むことができる、絶景だ。

 アリシアと同じくさらりとした金髪。かつて、騎士学校じゅうの従騎士(ひめ)達を虜にした、端正という一言では言い表せないほど整った顔つき。切れ長の瞳。夕陽の後光を背に、彼―――エーリック=アークライトはゆっくりと振り返った。

「……うん?」

 そして満面の笑みで、飛びつかんが如く、アリシアは兄の元へ突撃していく。

「お兄様ぁ―――ッ!!」

 その言葉と共に、後ろ腰の双剣を、抜刀しながら。




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