第49話 再来の学び舎



「ほら、体勢が崩れてる」

「……くッ!」

 ホール内に設置された、背丈の低い円柱状の石造りの闘技場。そこに響き渡る剣戟音。

 アルフレッドの片手には、鋼鉄の鞘と、鎖とで厳重に封印された両手剣。それを逆手持ちに、向かい来る、まだ熟練しきっていない太刀筋の斬撃を受け止めている。その一切ブレない、水も漏らさぬ鉄壁の防御に、逆に攻め手側が戦慄し、気圧されている。

 顔つきから育ちの良さが伺える、しかし精悍な印象も抱かせる、貴族の少年だ。常人ならば、剣を向けることが畏れ多いと憚られ、些かの手心や戸惑いを見せるかもしれないが、アルフレッドは違う。髪の毛一つの躊躇いも見せずに、少年の剣と相対している

「ふんッ!」

 致命的な隙が出たところで、アルフレッドはようやく攻撃に転じた。そしてそれは、ほんの一瞬で終わった。少し遅れて、からぁん、と、地に落ちる金属音。

 何が起こったのか分からない、という顔で硬直し、次いで我に返ると、少年はじんと震える手と、地面に転がる己の得物とを交互に見遣った。

「―――それまで!」

 しぃんと静まり返る演習場ホールに、号令がひびく。

 二人は互いに礼をした。

「臨時教官殿、何か一言」

 若干白々しいような声で、号令の主が言う。

「んー……やっぱり、焦りすぎてたかな。最初はさ、スゲー重い剣戟だなって身構えてたんだけど」

 アルフレッドは、しまったと頭を掻きながら、口調を改める。

「防御をこじ開けるのに焦って、そのせいで『剛力』の魔術の精度が著しく下落していましたね。同様に、太刀筋もブレていた。その隙をつかせてもらいました。一旦、間合いを取ってクールダウンして落ち着いてもよかったかもしれない。俺は魔術を使えないから分かりませんが、何が起きても動じない精神メンタルというのは、術具使いや術者には物凄く大事なことと聞きます。―――まあ、知り合いの受け売りですが」

「は、はぁ……」

 教官の横で観戦する、アークライト家のメイド服を纏ったその「知り合い」に視線を向けると、彼女は整然と屹立しながら、にこりと微笑で返す。

 再び礼をしたあと、まるで「何が起こった」の仮面を張り付けたかのように、少年はしぃんと静まり返る生徒たちの中に、すごすご戻っていった。

 




「お疲れ様」

 10分の休憩時間。

 アルフレッドは、エルフィオーネから渡されたタオルを手に、特に拭くものもない顔をタオルで拭った。

「―――相変わらずの腕前だな」

 隣に立つ、金の髭を豊かに蓄えた教官が話しかけてくる。

 国家魔術騎士養成学校アークライト領校に配属されて早十年となるその教官は、かつて、アルフレッドがそこに在籍していた時と何ら変わらぬ容貌だった。本人いわく、若く瑞々しい力に毎日接していると、老いてなどおられず自分まで若返ってしまう、だとか何とか。事実、実年齢を聞けば、誰もが己の目を疑うくらいには若く見える。

 そして従騎士たる生徒たちも、面子は変われど、当然、制服は変わらない。ゆえに、まるで長期の休みから戻ってきたような、奇妙な錯覚にすら囚われる。

 四年。休みというにはいささか長すぎる休みだ。

 だが、戻ってきたこの場所には、アルフレッドの席など当然、ない。

 そう、戻ってきたのではない。

 かつて籍をおいた国家魔術騎士養成学校アークライト領校からの仕事の依頼で来ただけなのだ。騎士学校の出身者であり、在野の実力者ということで、騎士学校三回生の生徒達の、実戦を想定した教練の臨時教官として、白羽の矢が立った。だからこの場所にやってきた。それだけなのだ。

「俺以外に、居なかったんですかね? あんまりいい人選とは思えませんが」

「いやいや、これ以上ない人選だと自負するぞ。実力も圧倒的だしな。さっきも、いいアドバイスをありがとう」

「魔術を一切使えない男、なんですよ?」

 一瞬押し黙った後、彼は聞かなかったような振りで、改めて語りだす。

「それに、いくら強くとも、あんまりガラが悪かったり、ナリが悪かったりというのを連れて来るのも憚られる……。何だかんだで、相手は貴族の御曹司と御令嬢ばかりだからな。その点、お前は品もある」




 教官―――名はグレイズ=セントラル―――も、国家魔術騎士の称号を戴く、れっきとした貴族である。父親は大地主で、男爵の爵位を持っており、それを継いだあと、引退に際して、自身の子に継がせたらしい。

 ちなみに国家魔術騎士の称号は、同時に国家から授与される爵位でもある。序列としては、騎士の上位に位置し、男爵の下位、ということになっているらしい。だが、その武名や能力により、民衆を安んじる活躍をした者が、名ばかりの爵位で、所領でふんぞり返る貴族たちより、周囲の畏敬や注目を集めるというケースは少なくはない。たとえば、領内外のならず者を成敗したり、革新的な魔術の開発に貢献して有名になった人物達だ。ちなみに国家魔術騎士の爵位は一代限りで、世襲はできない。

 彼の場合、騎士学校卒業後は、アークライト騎士団に長年仕え、騎士団のなかでは最終的に副団長に次ぐ高い地位にあったという。そして引退後は、後進の育成を行いたいということで、この国家魔術騎士養成学校アークライト領校で教鞭を振るっている。行き先がアークライト騎士団でないのは、地位のある老躯が下手に居座るべきではないと思ったから。―――というのが、聞いたところによる彼の来歴である。

 アルフレッドがアークライト家に来たときは、ちょうど引退した後であり、入校するまでは互いに面識はなかった。だが、「アークライト侯が太鼓判をおす秘蔵っ子」と無駄に喧伝されていたせいもあって、何かとアルフレッドは彼に目をかけられていた。




「でも俺―――間借りの根無し草で、仕事は基本日雇い。時々助平な作家先生っていう、やくざな商売で食ってる男ですよ。貴族の方々の前に出るにはちょっと、って感じもしますが」

「ははは、何だそれは、謙遜のつもりか? お前の活躍は、わしの耳にも入ってきておるぞ。イザキでは知らぬ者無しの凄腕でならす、というではないか」

「はあ。でも、俺より強い奴は、何人もいます」

 着物を纏う、二人の義姉弟ぎきょうだいを頭に思い浮かべる。

「もちろん、腕っぷしだけではない。人助けのプロフェッショナルで、皆に慕われているという。大した仁徳じゃないか」

「それは、そういう仕事なんで」

 しかも、ギルド内からの受けは、一部を除き芳しくない。

「あと―――騎士学校内でもそうだが、ここ、ネーオでも、お前はちょっとした有名人だぞ」

「ここいらはまあ―――騎士学校時代は結構派手にやらかしましたからね……」

 少し気恥ずかしげにアルフレッドは言う。

「ここだけの話だがな。お前が入校してきた時、わしな、まさかジェスティ様に隠し子が居ったのかって、疑っちゃった」

 好々爺、といった風におちゃらけて言う。

「あ、そういうスキャンダル的な意味でも、こっちじゃ有名なのかな。エーリックとアリシアと……あいつら二人と一緒に街を闊歩してりゃ、そう思われても仕方ないか。でも、あの親父殿……いや、侯爵様には在り得ない話ですよ。あんな美人の奥方様が傍にいるんですからね。あの人、20台って言われても違和感ないくらいに童顔だし若々しいし」

「いやいや、そうは言うがな。お前は知らんだろうが、昔のジェスティ様のヤンチャっぷりといえば、それはもう……」

 駄弁りながら、向こう側の観戦席で、生徒たちの中心で会話に華を咲かせている金髪の公女・アリシアを見遣った。

 この間のシラマの一件以来、顔を合わせておらず、若干様子が気がかりだったが、表面上は、ひとまず通常運転といった風に見える。もちろん、仕草等は、貴族の御曹司と御令嬢の中にある以上、気品があるよう取り繕ってはいるようだが。

 つと、不意に視線が合ってしまう。

 まずった、と思う暇もなかった。アリシアは手を挙げると、それをぶんぶんと振ってみせた。先程までの、多少は貴族の令嬢らしい気品のある仕草は一体どこへやらだ。当然のごとく周囲の取り巻きらしい生徒が、それを不思議そうな面持ちで見、そしてこちらへと視線を向けてきた。

「あんにゃろ……。変な噂がたったらどうするんだって」

「ははは。姫様……おっと、ミス・アークライトか。相変わらず仲が良いみたいだな。本当に、仲の良い兄妹のようだ」

 アルフレッドは白髪頭を掻きながら、「あいつの兄貴をやれるのはエーリックだけですって」と断言する。

「―――しかし、件のシラマでの一件。ミス・アークライトにしてもお前にしても、大変だったな。まこと、信じ難い事柄の山なのだが―――」

 強張った口調で、グレイズ教官は話題を本題に持っていく。

 黙って聞いていたエルフィオーネも、視線だけだが反応を見せた。

「俺だって、信じられない、何故、どうしての連続でしたよ。まさか、コイツを

『抜剣』する事態になるなんて」

 アルフレッドは自身の得物である、鋼鉄の鞘に鎖と錠前とで封印された両手剣を見遣った。

「……その剣も相変わらずだな。もっとマトモな剣はみつからないのか?」

「悲しいことに、コイツが一番なんですよ。封印されてはいるけど、ごく僅かに漏れ出すコイツの毒気に中てられていることで、『抜剣』しなくとも、ゆるい身体強化魔術程度の力を得ることが出来るんです。ちょっと無茶をして『取り込めば』、ゲロを吐きそうにはなりますが超絶強化も可能です。昔は持つのが結構しんどかったけど、今じゃもう完全に慣れて、何とも思わなくなりましたよ。何ていうか、麦酒ビールみたいな感じっていうか。あと、俺の力で普通の両手剣を扱っても、すぐにポッキリ折れてしまうんで」

 やれやれ、と諦観顔。そうだったな、とグレイズ教官は微苦笑する。

「それにしても、魔術を封印する魔術―――か。もし、そんなものが存在し、普及されたとあらば、この世界の『戦力』の概念が、それこそ盤面をひっくり返すように、覆ってしまうな。かつての、兵力と物資とがものをいう世界へ逆戻りだ。あまり、信じたくない話だ」

「それが『魔術』であったかどうかは、魔術式が現場に見つかっていない以上、まだ断定はできないみたいですが……。その現象自体は、確かに起こっていた。この目に、しっかり焼き付いています。アリシアのあんなツラを、拝むことになるなんて……」

 周囲に余計な不安を与えないようにと、シラマでの騒動の報告書の詳細は、一部の教員達にしか伝えられていない。あとは、アークライト騎士団の上層部と、派遣された調査団だ。当事者であるアリシアとサーノスも、口外を固く禁じられているという。

「―――あす、水がこの世から枯渇してしまう、ということを誰もが考えないように、魔術が使えなくなるということなど誰も、想像だにしないだろう。アルフレッド、お前には実感が湧かないかもしれんが、我々にとって魔術とは、そういう物なのだよ」

「なんとなくではありますが、わかります」

「―――だが、もしそうなったとすれば、お前はこの世で最強と言える存在になるな。皮肉な話だが」

「やめてくださいよ。そんなこと、起こるわけがない」

 二人の話に聞き耳だけを傾けながら、エルフィオーネはまるで人形のように、そこに整然と立っていた。





 休憩時間が終了した。

 アルフレッドは再び、両手剣を片手に、石造りの闘技場に出る。

「えーと、次の方ー」

 すると、観戦席の生徒たちが騒ぎだす。会話の内容までは聞こえてこないが身振り手振りからして、「お前行けよ」「いや、お前こそ」「いやいやお前が」といったところだろう。

 少し、大人げなくやりすぎてしまったか。だが、それが依頼人の要望なのだから、手加減はできない。しているというところを、知られてはならない。というより、中には手加減をしたらかなり危うい生徒も何人かいた。伝説の260期生とまではいかないが、なかなか粒ぞろいの実力者たちばかりだ。

 そういえば、エーリックに模擬戦で初めて負けたのも、この三回生の時だった。そして、以降、彼には一度も勝てなくなった。今戦ったら、果たして何十秒でのされることだろう。

 アリシアは何故か得意げに、生徒たちがざわつく様を眺め、ニヤついている。

 頼むから、お前だけは出てこないでくれ。こいつに出てこられたら、間違いなく負ける。一応、「アリシアだけは無理」とはグレイズ教官に予め言ってあるのだが、ちゃんと口裏を合わせてくれたかは、怪しいものだ。

 生徒達には負けてはならない、と念押しされている。当然だ。実戦を想定した演習のために招聘された人間が、生徒より弱いとなっては居る意味がない。後金は査定が絡む。それに大きく響いてくる。

 



「―――わたくしが出ますわ」




 そんな打算を頭に巡らせていると、高慢げな高音が場内に大きく響く。そして声の主の少女は、数十ミター離れた観戦席の一番上の席から跳躍! 大きく空中で宙返りをしながら、優雅な体勢で着地した。おおッ! というどよめきと、黄色い声とが起こる。

(へぇ……たった一度の跳躍で)

 アルフレッドは剣を握りしめると同時に、その姿を見て目を細めた。

 白金色にも近い、美しく見事な金髪。それを螺旋状に巻いて両胸に垂らした、色白の美少女だった。表情と吊り気味の目つきには、性格をそのまま映すかのように、高慢げなものが宿っている。アリシアと同じく黒のショース(最近は、タイツともストッキングとも呼ぶらしい)を着用した脚には、術具と思しき、魔術式が刻印された白金のロングブーツ。先の超跳躍を可能にしているのはこのブーツによるものだろう。それを抜きにしても、本人の身体能力の驚異的さが伺える。あと、10サンチくらいあるヒールにより水増ししているが、身長はアリシアより少し高く、若干サーノスより低いくらいだろう。スタイルは起伏がしっかりとあり、十分に女性らしい。何より、長くすらりと伸びる脚だ。

 だが、それら一切が霞むくらい、特異な特徴がある。

 両側頭部から左右非対称に生えた、まるで山羊のような二本の角。エルフのように長く先のとがった長い耳。そして、腰の上あたりから伸びる、大きな黒色の尻尾―――。

 その姿はまるで、人と魔物を入り交ぜ、絶妙の美しさで完成された、人形のような姿だった。

「ミス、あなたが次のお相手ですか」

「気になるのはわかりますが、あまりジロジロ見ないでくださります? 育ちとお郷が知れましてよ」

 見下すかのように、居丈高な姿勢だ。そんな中、少し幼さの残る童顔と、ちらりと見えた八重歯が、中々に可愛らしい。

「それでは、ミス。宜しくお願い―――」

「これ以上」

 礼をするアルフレッド。だが、彼女はそれに倣わず、相変わらずの居丈高な姿勢と表情。しかもアルフレッドが言い終わる前に、それをぴしゃりと遮る。

「不甲斐ない戦いを見せられるのは、うんざりですわ。このままでは、このアークライト領校の質が疑われるというもの……。いい加減、堪忍袋の緒が切れましてよ。はじめに言っておきますが、わたくしを今までの方々と同じだとは、ゆめゆめ思わないこと、ですわ。骨の三、四本くらいは覚悟なさいませ」

「え、ええ。肝に銘じておきます。ミス」

 いかにも貴族の令嬢らしいと言えば、貴族の令嬢らしい。この、平民に対する扱いは、出身者でなければ中々耐えられるものではない(一応、身分をかさにするのは校規違反のはずなのだが……)。

「あら、失礼。そういえば、挨拶が遅れましたわね。わたくしの名は―――」

「―――クレアリーゼ」

 にわかに、彼女―――クレアリーゼの表情が変わる。

「フザンツ伯爵家令嬢。ミス・クレアリーゼ=M=フザンツ。―――お久しぶりですね。随分と御立派に成長されたようで」

 挨拶を遮られたお返しだ、とばかりにアルフレッドは不適そうに笑う。






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