第三章 魔術師エルフィオーネのいる日常

第48話 脱稿に対しては唯だ杜康あるのみ







「―――出来た。出来た出来た……。終わった―ッ!!」

 万年筆を放り出し、椅子ごと背中からブッ倒れる勢いで、アルフレッドは大きく万歳の姿勢で背伸びをした。晒された喉仏が何かを言うたびに動く。

 脱稿。

 この瞬間の、えもいわれぬ快感に、アルフレッドは白い頭を、中身まで真っ白にして打ち震えていた。

「お疲れ様。紅茶をどうぞ」

 歓喜の姿勢で硬直していたところに、カチャリ、とかぐわしい香りが面前に置かれる。アルフレッドは振り子が戻るかのように、ぐいん、と体勢をおこして、紅茶にありついた。

「相変わらず、あんたが淹れると美味いな、エルフィオーネ」

 言われて、アークライト家のメイドの制服を身に纏ったエルフィオーネは目を細め、少し遅れてカップに口をつける。

「どういたしまして。さあ、脱稿に際して、何か一言」

「―――もう女同士のネチョりってシチュエーションは、当分はこりごりだ」

 違いない、とエルフィオーネは微苦笑する。

「―――それより、やっと、本命の執筆に戻れるな、我が主よ」

「ああ、待たせて悪かった。まさか、こんな女同士の、っていうエロ小説にまで手を貸してくれるなんて、最初はギョッとしたけど。女性視点ってのはやっぱり意見としてありがたいし、貴重だな」

「暇人だからな。気にすることはない。何事も、経験、研鑽として受け止めるだけだ」

「暇人……ね。あんたが暇してるところなんて、最近見てすらいないんだけど……」

 紅茶をすすりながら、ちらり、とエルフィオーネの端正な顔を見遣る。

 朝起きれば朝食を用意して持し、朝食を食んでいる間も原稿の推敲を行い、ギルドへと出立している間は邸宅じゅうの保守、掃除洗濯などの家事を行う。その上で、作品の時代考証役としての仕事を、湧いて溢れるが如くの知識をいかんなく発揮して遂行する。仕事から帰って、ゆっくり紅茶を飲みながらくつろいで待つエルフィオーネから受け取った原稿は、注釈のついた大小とりどりの付箋と、赤字で綴られた校正と駄目出しとで、最早別の何かのようになっている。

 それだけの仕事をしておきながら、続いて夕食だの、風呂だの支度をいそいそと行うのだ。暇どころか、休んでいるのかどうかすら怪しいくらいだ。

 最近はギルドでの仕事に加え、納期が定められている雑誌(成人向)への仕事と、何かと立て込んでいたこともあり、エルフィオーネの存在が真価を発揮する、「与え姫奇譚」の執筆が滞っていた。

 そもそも、彼女は、この「与え姫奇譚」の執筆のためだけに雇われたはずであり、その他の仕事は彼女曰く、「与え姫奇譚」の執筆に専念してもらいたいという一心で自発的に行ってくれている、あくまでサービスである。だが現状は、本来の仕事をそっちのけで、サービスの方に使い倒す形となっていたが、それでも、エルフィオーネは一切の不平も漏らすことはなかった。そのことに対して抱いていた罪悪感からも、解放されたのだ!

「何にせよ、めでたい。何か、奮発して豪勢な物でも作ろうか」

 尚も働くつもりでいるらしい。アルフレッドは「いや、それには及ばない」と掌を前に出す。

「夜の町にくり出して一発、飲みにいこうじゃねぇか」

 それは、彼女にとっても大きな娯楽であることを、アルフレッドは知っている。にやり、とエルフィオーネは笑む。

「ふふ、それは良いな」

 着替えてくる、とエルフィオーネは、スカートの丈を膝上まで詰めて改造したメイド服(一応、アークライト家からのレンタル品のはずなのだが……)を、ふわりと翻した。


 



 夜のイザキの港町は、昼間とはまた別の顔を見せる。

 漁帰りの男たち以外は人通りもまばらな大通りを、東に曲がってしばらく歩き、アーチ状の石橋を渡る。その先は、イザキの歓楽街である。飲食店や酒場、賭場(カジノ)等の遊楽施設が、数多く設けられている、大人のための区画である。町民のほか、他領からの来泊者も、夜の娯楽を求め、あまり品がいいとは言えない足取りと顔つきとで闊歩している。

 通りの店舗に掲げられた看板という看板には、術式機構で発光する珠が散りばめられており、夜の闇を街灯の鈍い光ごと裂くようにして、煌びやかに輝き、店の存在を無言でアピールしている。橙色の人工の光の中、エルフィオーネはアルフレッドの隣ではなく、少し後ろに、追従するようにして歩く。

 二人の関係は、対外的には、あくまでメイドとその雇い主である。最近では周囲にもだいぶ浸透したので、外出に際してはエルフィオーネも一張羅を纏うようになった。行きかう顔馴染みも、冷やかしではなく、酔った上での上機嫌で、会釈だけをして去っていく。

 これよりさらに奥に進めば、娼館等が立ち並ぶ区画が存在する。そこから出張ってきた客待ちと思しき、薄着で熟れた体の女達が、ぽつぽつとみられる。アルフレッドと一瞬視線が合うも、後ろにエルフィオーネの姿を認めると、特に残念がることもなく、視線を逸らす。次に、ナ国から流れてきたのであろう、まだ年端もいかぬ、黒髪の少女と目があう。隣にはポン引きと思しき、スーツを着崩した男が立つ。少女は着物(キモノ)を大幅に着崩し、早熟に膨らんだ胸元を露出させ、少し引き攣った笑顔でお辞儀をする。アルフレッドはぎょっとして目を逸らした。なぜか一瞬、同じくらいの年頃の、アリシアの姿が脳裏に浮かび、何の由来かなど考えたくもない罪悪感に悩まされる。

「もしアレだったら、我慢せずに、どうぞ。私は一人で呑んで待っている」

 目ざとく、エルフィオーネに勘づかれた。からかうように、動揺するアルフレッドを煽る。

「気遣い無用。そういう目的で来たんじゃねぇから」

 わざわざ後ろに目配せしたりはせずに、ぴしゃり、と言い切る。

 



 馴染みのパブ「ネクタル」は、静かに呑める店ということで、ちょっとした収入があった時には、よく立ち寄る。本日の客足も、全て、顔なじみの面々ばかりだ。

 カウンターに腰掛け、エルフィオーネとグラスを軽く打ち合い乾杯の音頭をとると、口につけ傾ける。ステージのピアノをBGMに、しばらくは互いに無言で、酒を堪能する。

「俺にしては意外だったか?」

 そうでもないさ、とエルフィオーネはグラスを置く。

「羽目を外してドンチャンってよりも、あんたはこういう方が好みかと思ってな」

「ありがとう。だが、私もドンチャン騒がしいのは嫌いではないぞ」

「そいつは意外だな。でも、その風景にあんたが居るっていう姿が想像できねぇ」

「ふん。ならばいつか、誘ってみてくれ。どんな席でも、酒は相応の愉しみ方がある」

「たとえば?」

「飲み比べで大の男を十人斬りとかな。ギャラリーも湧いて、さぞかし盛り上がるだろう」

「……悪い、やっぱり想像できねぇ」

 だが、早くも次の盃をマスターより受け、呷っている。

 外見だけでいえば、まだ少女の面影を色濃く残し、どう見てもアルフレッドより年下に見える。にもかかわらず、相当呑み慣れている様子が窺え、酔った素振は見せない。顔にすら出ない。

「……いい店だ。酒もうまいし、マスターもいい男だしな」

「はは、これはこれは。―――それにしても珍しいですね、お客様が、女性を連れてこられるなんて。確か、雇われているメイドさん、でしたか?」

 綺麗に切り揃えた髭を口元に蓄えたマスターが、グラスを拭きながら言う。

「今はこんな格好してるけどね」

「む。私の一張羅に、何か? 本来は商売道具であり、看板でもあるのだぞ」

 魔術式が設えられた白のローブに、黒のインナー、胸部を美しく魅せる胸当てに、ビスチェ風のコルセット、まるで下着のように鋭いキレの入ったボトムス、黒の長靴下にロングブーツ。これでもかというくらい、古風な女魔術師らしい、妖艶で胡散臭い恰好である。

 だが、場所が場所だけに、一歩間違えれば奥道の娼館や売春宿から連れ出してきたのかと疑われても致し方ない際どい格好でもある。特に、ローブがなければ、尚更。

「ですがその割には、随分と砕けた物言いをなされますね」

「ああ。そういうのは気にしないし、窮屈だろうと思ってさ。普通に接してくれって言ってあるんだ」

 本当は、そんなやりとりがあったわけではないのだが。

「知らなければ、似合いの二人と、さぞ持て囃されるでしょうにね」

 そこは愛想笑いにとどめた。エルフィオーネも特に反応は返さず、淡々と酒を呑みつづけている。

 似合い、とマスターは言うが、とんでもない話だ。アルフレッドは愛想笑いの後に苦笑いを浮かべる。

 一言でいうと「畏れ多い」のだ。まず、自身には不釣り合いなほどの美人で、分不相応なほどできた女性だ、という事実がある。

 そして、もう一つ―――これが、妄想めいた話ではあるのだが。

 彼女の名前はエルフィオーネ。今より500年前、英雄王・エドワード聖武王の雌伏を匿い、戦士として育て上げたという史実を持つ謎の女性、「エルフィオーネ婦人」と同じ名前である。そしてその正体は、「第二次討魔大戦」の大英雄こと、「与え姫」その人である―――そんな設定の元で創作されているのが、アルフレッドの作品、その名も「与え姫奇譚」なのである。

 そして、一体如何なる偶然なのか、彼女のその出で立ち、立ち振る舞い、その埒外の強さは、まさに、アルフレッドが想像し、描いてきた「エルフィオーネ婦人」こと「与え姫」の姿そのものだった。まるで、自身の作品の中から抜け出してきたかのように。

 常に侍立され、存在が近く気安いがゆえに、つい意識からそれてしまうが―――彼女の素性の事を改めて考えるとき、どうしても、例えようのない気おくれと畏れ多さを呼び起こされるのである。

 ―――単なる妄想に過ぎない、ということは百も承知だ。

 だが、万が一「事実」だったとするなら、今、アルフレッドは、伝説の大英雄に原稿を(しかも今回はエロ小説の原稿を!)手伝わせていることになるのだ。しかも、本人様を前に、無茶苦茶な設定でもって創作した話の原稿をだ。笑おうに、笑えない。

「邪魔すんわー」

 カラン、とドアのベルが鳴った後に、特徴的な訛りの女声。

「いらっしゃいませ」

 袴(ハカマ)という深紅のロングスカートに着物(キモノ)を着崩した、長身で短髪の黒髪の美女が、煙管をふかしながら入店してくる。ギルドメンバー、ウシオマルの義姉・アンズである。

「おお、アンズの姐さんか」

「あらぁ、アル坊やないけ。ちょうどよかったわぁ」

 躊躇いひとつ見せずに、アルフレッドの隣の席に座る。

「ご注文は、いつものアツカンで?」

「うん。熱燗頼むわ」

「私もそれをいただこう」

 アンズは意外そうな顔で、身を乗り出してエルフィオーネを覗き込む。

「あら別嬪さん、あたいらんとこの酒もイケるクチなんけ? 大陸の人らには、あんまし馴染みがないもんやとばっかし」

「それは食わず―――いや、呑まず嫌いというものでしょう。ライスワインは私も好物でな。特に、こういう少し肌寒い夜には。―――ところでアルフレッド、この美人は?」

 ああ、とアルフレッドはグラスを置く。

「俺と同じギルドの所属で、アンズの姐さん。ほら、ウシオマルっていただろ、あいつの義理の姉さん。かけだしのころから、色々と良くしてもらってる」

「ウシオ殿の……ふむ、なるほど。以後お見知りおきを、アンズ殿」

「こちらこそ宜しくなぁ。存在自体は噂には聞いとったけど、我主とは、なんや気が合いそうやわ」

 と、カウンターに出された御猪口(オチョコ)という白杯を、ちょうど二人の境界の位置に居るアルフレッドの、手前に出し合う形で、互いに鳴らしあう。

「両手に華―――ってわけか、恐縮だな」

 感無量という風に瞳を閉じながら、アルフレッドは呟く。 






「―――で? ちょうどよかったってのは? 姐さん」

 ほろ酔い気味に顔を染めたアルフレッドが聞く。

「ん? ああ、そうやったね。ギルドからの伝言があって、アル坊にな、仕事の依頼が来とるんやわ。名指しで」

「あれ、ご指名?」

 人探しか、害獣退治か。

 指名があった際の仕事の相場は、大体そんなものだ。そういった仕事を請け負うのを、新たな業務形態としてギルドに持ち込んだ張本人である以上、雑務処理のような形で優先的に押し付けられている感は否めない。収入も決してよいとは言えないが、人助けだと思って、基本的には快く引き受けている。

「期間はひと月。週に五日で、土曜日曜は仕事がないから、その間は他の仕事も請負い可能―――やって」

「んー? 企業様の警備?」

「ちゃうちゃう。―――我主にとって、因縁浅からぬ所の仕事や。なんでもアル坊、そこに四年とちょっと居ったんやってね」

 アルフレッドはそこでピンときた。

 そして、酔いの呂律から、少しこわばった声で、呟いた。単に怒りというでもなく、懐かしむというわでもなく。ただひたすら、複雑、という声音だった。

「……何で。今更、何の用なんだ……」

 その声音の変化に、エルフィオーネが反応し、ちらと視線を向ける。

「依頼主は、断りたかったら無理強いはせん言うとる。―――どうするん? 何や、あんまり気乗りせんようなフンイキやけど」

 アルフレッドは頭を横に振る。

「……いや、やるよ。ちょっと、意外だったから、驚いただけさ」

 そして、飲み下すように、グラスを逆さまにして勢いよく煽り、少し乱暴に、たん、と置く。







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