第45話 抜剣(フューリー) その13

 



「……何なんだ、この重苦しく、どぎつい存在感は……」

 サーノスは狼狽えながら、周囲を警戒の表情で見回している。

「ま、まるで、親の仇を取りに来た集団に囲まれているかのような―――」

「ねぇ王子……何か、居る」

 声が、聞こえる。アリシアはそう言うと、凍った表情で、ギュウと拳を握りしめた。

「……わかる。わかるさ。目には見えないけど―――この場のどこかに。まるで、重罪人の裁判の傍聴席とか、大逆者の死刑執行の現場みたいな感じで……名状しがたい、怨嗟の渦っていうか……」

 目には全く見えないが―――背後に、そして、視界の死角に、そのおどろおどろしい気配は、確実に存在している。

 その中に潜む、まるで突き刺すような、憤怒、嘆き、憎悪、そして何より―――殺意……!



 アアァァァァ…… オォォォオオオ……



 吹き抜ける風が冷たく、サーノスと、アリシアの肌に、頬に、引っ掻くように纏わりつく。サーノスは「ひっ!」と思わず声を上げた。

「……怨霊」

 エルフィオーネが呟く。

「怒り、嘆き、悲鳴、叫び、憎悪、慟哭……。解放された怨霊が、彼の元に収斂し―――膨大な力に転化されていく。あれが、彼の『能力』。そしてあの剣の『秘密』……! 剣を厳重に封印し、頑なに抜こうとしない理由は、そこにあったか」

 アルフレッドの右腕が、ついには右半身全てが、まるで血錆に浸食されるかのように、赤黒く染まっていく。

 エルフィオーネはくっと歯噛みすると、サーノスとアリシアを庇うべく、彼らの前に仁王立ちになった。そして、振り向かずに声を荒げる。

「皆、私の後ろに居ろ。確実に巻き添えを食うぞ!!」

「―――アレは一体、何だというのですか?」

 サーノスの問いに、エルフィオーネは振り返らずに答える。

「詳しくは分からないが―――。お前も、薄々感づいてはいるだろう? あの剣には、想像を絶するほど夥しく且つ強大な、怨念が憑いている。それを、解放したのだ。鞘の封印を自ら破ることでな。そして驚くべきことに彼は、その怨念を自ら取り込み、己の力にしようとしている……!」 

「自分の力に……? じゃあエルフィオーネ、今のアルフレッドって、もしかして……」

「彼の今の状態を一言で言うなら」

 エルフィオーネは障壁を展開させながら、ぽつりと言った。



「―――暴走」

 


           ◆◇◆◇◆


           


 ぐるぐると渦巻く怨嗟の風が跋扈し、荒れ狂っている。

 突風が吹く。さらにもう一風、さらにもうひとつ。

 それらが一点に集積し、ついには、旋風つむじかぜにも似た、大きなうねりへと変貌を遂げる。

 オォォォォ…… ヒィアァァァ……

 巻き起こる風音は、亡者の絶叫や慟哭のようだ。

 その禍々しき風の中心に―――アルフレッドは居た。

 剣からは、黒煙にも似た瘴気が立ち込めている。吹き上がった砂塵が、その瘴気に憑かれ、渦と舞い上がる。

 瘴気と怨嗟の渦を従え、身に纏い、一歩、また一歩、項垂れるような姿勢で、オーガに迫っていく。徐に上げた頭から、爛々と鈍く赤く光る、開ききった瞳孔がのぞく。

 異変は、敵対するオーガらも感づいていた。

 このどす黒い重圧を、真正面から、直に充てられているのだ。

 操り手の「指令」により、本能を一部操られているが、関係がなかった。それは既に、別の大いなる本能によって、真っ黒に塗り替えられていた。

 彼らは、人間でいうところの―――二の足を踏んでいた。一歩、いや、半歩。後退していた。

 それを垣間見たアルフレッドは瞳を限界まで見開き、口元を釣り上げ―――。

 にぃ、と嗤った。

 



 それが、殺戮の開始点となった。




 一跳躍から一太刀を浴びせられる間合いまで詰め寄られたとき、ついに、オーガが動いた。地面を踏み抉る強烈な踏み込みから、袈裟の筋で剛腕を振り下ろす。

 アルフレッドは―――剣を握ったまま、動かない。

 グシャァ。

 オーガの腕が、アルフレッドに到達する。何か、有機物らしき物が破壊された音がする。

 黒い砂塵の中で―――。

 振り下ろされたオーガの巨大な腕に、アルフレッドの血塗られた大剣が抉りこみ、紙一重で直撃を食い止めていた。

 オーガが雄叫びとも悲鳴ともつかない声を放ち、腕に埋没したその剣を、アルフレッド諸共振り払おうと、もがいた。

 だが彼は、それを許さない。

 その圧倒的剛力により、背負い投げの要領で、オーガの腕を、剣と一緒に体躯ごと持ち上げ―――背中から地面に叩きつけた。ドゴオォォと大きな地響きが鳴る。

 間髪入れずに。

 アルフレッドは、刃を食い込ませたオーガの腕を、力任せに地面に叩きつける。叩きつけ、再び叩きつけ―――。



「ウオオオオォォォーーーッ!!!!」


 

 ついには、雄叫びとともにその腕を、圧し斬り潰してしまった。吹き飛んだ腕が、血液をまき散らしながら宙を舞う。

 

 

 ―――コロス



 切り口から体液を吹き出しながら悶えるオーガ。アルフレッドはすかさず、もう片方の腕を、今度は片手で掴み―――3ミターはあるはずのオーガの巨体を、信じがたい握力で持ち上げ、地面に叩きつける。叩きつける。まるで、癇癪をおこした幼児がぬいぐるみを片手に暴れるかのように。同じ軌跡を往復して、叩きつける。叩きつける。徐々に重篤なダメージが蓄積されているようで、オーガの抵抗する力が弱まってきている。

 見かねたように、もう片方のオーガが動いた。

 アルフレッドに向かうのではなく、戦う術のない、エルフィオーネらを狙っている。陽動も兼ねた襲撃だ。

 障壁を展開するエルフィオーネが、正面より受け止めるべく身構えた。

 アルフレッドは、横目でそれをちらりと確認すると―――。

 剣を構え、何も無いはずの中空で―――しかし、エルフィオーネを襲うオーガの直線上で、それを思い切り振り下ろした。

 



 ブゥン




 虫の羽が鳴るような音。剣風がエルフィオーネらの所まで届き、その髪を吹き上げる。

 同時に、振り上げたオーガの腕に真一文字に走る、体液の線。

 それはまさしくオーガの腕が、音もなく切断された瞬間だった。見えざる凶刃は勢い冷めやらず、直線上の岩壁まで、深々と切り裂いた。

 落下する巨大な腕、苦悶の呻き声、降りかかる体液の飛沫。

「剣閃による衝撃波……いや、真空波だと……! この威力―――!」

 そしてアルフレッドが再び剣をふるう構えを見せた。

 感嘆したのもつかの間、エルフィオーネは鬼気迫る表情で、背後の面々に対し、叫んだ。

「くっ……!! 皆伏せろ!」

 歯噛みし、交差させた諸手を前に突き出す。前傾姿勢で地に立つ足を更に強く踏みしめ、防護の障壁を更に強化―――!!

 それを見届けたかのようなタイミングで、アルフレッドは剣を振り上げる。再び、ブゥン、という音と共に、吹き起こる剣風。慈悲無くオーガの体内を駆け抜けていく、見えざる真空の凶刃。

 その勢いは弱まることを知らず―――防護の障壁に斬撃が殺到する。

 ザシュッ、という、切り裂き音。

「ッ……!」

 思わず息をのむエルフィオーネ。

 ―――辛うじて、真空の刃は遮断することが出来ている。エルフィオーネは殺していた呼吸を解放すると、息を荒げながら、冷や汗と脂汗とを流す。

 眼前には、生命活動を停止させられたオーガが直立する。左肩口から右腰にかけて一直線に走る線が、まるで折り目を付けられた紙人形を思わせる。

 その部分が粘着質の体液を付着させながら、滑るように徐々に乖離していき―――ついにはオーガの体躯は真っ二つに、パックリと切断された。切断面から、臓物が体液とともにドロリと流れ落ち、紫色の血液が飛散する。

 身を伏せた体勢のアリシアが、青ざめた顔を上げた。

「エルフィオーネ……大丈夫?」

「…………ああ。この程度、造作もないこと」

 エルフィオーネは強がるその裏で、口元を引き攣らせながら、掌に小さく走る裂傷と滲む血に、戦慄していた。

(ふふ。……もう少し、障壁が薄かったら……ということか。成程、物騒極まりないな。私の障壁すら切り裂くとは)

 アルフレッドは斬り捨てたオーガから、興味を無くしたように視線を逸らす。そして、お楽しみはこれから、とでも言わんがごとく爛々とした眼光で、ニィ……と獣性の発露のような笑みを浮かべた。

 降伏の意を示すように大の字で倒れるオーガに、アルフレッドは体を向ける。ゆっくりと、ゆっくりと、覚束ない足取りで近寄っていく。

 おもむろに跳躍。血染めの大剣を、オーガの腹部めがけて―――躊躇なく、全力で突き立てた。



 ―――コロス  



 グオオオオォォォ……と手足を引き攣らせながらオーガが断末魔を上げる。だが、まだ足りぬと、アルフレッドは片足を上げ、安全靴の足裏で剣の柄を、全力で踏みつけた。

 凄惨さに、屈んだままのサーノスが「ひっ」と声を上げる。

 オーガからは、グゥ、と呻き声。最早悲鳴さえ上がらない。体躯が再び痙攣で跳ね上がる。

 まるで昆虫を標本にするかのように、両手剣がオーガの体を貫通し、地面に埋没する。その柄までがオーガの体内に潜り込むほどに、深々と。

 完全に抵抗することのできなくなったオーガの胸元に、アルフレッドは薄ら笑いを浮かべながら馬乗りになると―――拳を振り上げ、巨大な顔面を思い切り殴打した。右で殴打。左で殴打。再び右。左。止め処なく繰り返される暴力の往復。遂には素首を締め上げるよう左手で掴み、その顔面を拳で嬲り続ける。

 その目から、血の涙を流しながら―――。

 オーガの牙が粉砕し飛び散る。硬質の肉片が、砕けた骨の欠片が、脳漿と思しき粘液にまみれた臓物が。




 ―――シネ シネ 死ネ死ネ死ネシネしねシネシネ




 静寂の中、殴打音と、怨霊の哭く声が風音と交錯し不気味に響き渡る。サーノスは完全に目を背け、込み上げてくる胃酸を必死に押しとどめている。アリシアは顔面を蒼白にさせ、目の前で繰り広げられる光景に凍りつき、目を逸らすことすらできないでいる。ディエゴ神父は、何らかの回想をしながら瞳を閉じ、胸に十字を切っていた。

 殺戮劇にも、フィナーレが訪れようとしていた。

 アルフレッドは首から左手を離すと、脳症と血液で汚れた右手と組ませた。そして、組んだ拳を、大きく、後頭部あたりまで振りかぶった。



「ウオオオーーーーッ!!!」



 その一瞬。

 エルフィオーネは、彼の腕に絡みつく、どす黒い、無数の亡者の手を目にした。亡者たちの手は、アルフレッドの拳を核にするようにして集い、巨大な拳を形成する。

 そしてそれが今―――振り下ろされた。一切の躊躇なく。

 


 ドグシャッ



 その一撃は、地面をも砕く威力で繰り出されていた。

 オーガの頭部は―――いや、頭部と呼べるものなど、存在していなかった。下顎から上は、まるで切断されたかのようだった。それくらい、原型を留めずに、グシャグシャに破壊されていた。

 アルフレッドは無言で、むくりと立ち上がると、突き刺さった血染めの大剣を無理矢理引っこ抜いた。

 そして、ゆっくり、顔を上げていく。

 泣き顔だった。その表情はまるで、悪夢から目覚めた子供のように、幼く見える。先の凄惨な行為が、嘘のように、それこそ、悪夢のように思えてくるほどに。その目には大量の血の涙がたたえられ、ぽたり、ぽたりと地面を赤く染める。

「アルフレッド……」

 アリシアが掠れるような声で搾り出す。

 すると、それを合図にするかのように、アルフレッドの右手から、剣が滑り落ちた。同時に膝も、ガクンと折れる。そして満身創痍とばかりに膝をつき、白目をむき、顔面から地にドウと倒れた。

 静寂の到来とともに、魔徨石の光が、街燈が消えるかのように急激に弱まっていく。ついには全ての光が絶え、ただの岩肌に戻ってしまった。魔徨石の活性が、止まったのだ。

「……終わった、のか」

 その問いに答えられる者は居るはずもなく。

 アリシアが周りの制止を振り払い、アルフレッドの元へと涙目で駆けていく。そんな中、エルフィオーネは、己の掌に出来た裂傷を再び見遣り、呟いた。



「……魔術を使うことができない。だが、その代替にこの埒外の異能。主よ……あなたは一体、何者なのだ……?」

 



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