第44話 抜剣(フューリー) その12


 

 アルフレッドを護る障壁を突破しようと、オーガは腕を再び振り上げた。

 この障壁が、次の攻撃を耐えうる保証はない。一撃が到達する前に、アルフレッドはすかさずバックステップで回避する。

 案の定、耐久が限界に来ていたらしい。オーガの腕は、展開された障壁を破壊しながら、地面を深々と抉り取った。

 後退した先で、アリシアと合流する形となった。

「アルフレッド!! 大丈夫なの!?」

「俺は平気だ。って言うか、さっきも同じやり取りをしたぞ、ばかやろう。なんで逃げろっていうのに逃げないんだよ……」

 もはや怒鳴る気力も怒気も失せており、粗相をした子供を窘める口調以外ではしゃべれなかった。

「だって……」

「だってもクソもねぇ。帰ったら、罰点ばかやろうポイントを全部、つまびらかにしてお説教だ。ばかやろう」

「ば、ばかばか言わないでよ……ひっく。私(わたひ)は、アルフレッ、ドが……ひっ、心、配で」

「ああー。もう、泣くな泣くな。―――って、うおっ」

 もう一方のオーガが、側面から襲い来る。

 アルフレッドは即座にアリシアの体を左腕で抱え、一撃を跳躍して回避。その無防備な顔面を、安全靴の靴裏で思い切り足蹴にしてその反動でバック宙し、片膝をつきながらも着地した。大したダメージは与えられないだろうが、それ以上に、今日この日の疲労感や理不尽やらを、表現しきれないのが、この上なくもどかしい。

「危ねぇ危ねぇ……。おい、立てるか?」

「う、うん……」

 ぐしっ、と洟を小さくすすり、涙を袖で拭いながらアリシアが頷く。

 コツ、コツ、と背後から足音。エルフィオーネの物だ。

「間一髪だったな」

「エルフィオーネ。……やっぱり、さっきのは、あんたが?」

 相違ないはずなのだが、何故か頷かない。

「まったく、心臓によろしくない。―――うん? なぜ、そんな化け物でも見たかのような顔をしている」

 合流したエルフィオーネが、半ば白々しいような口調で首を傾げる。アルフレッドは慌ててかぶりを振ると、露骨なまでに怪訝そうな表情を、糺した。

「いや―――まずは感謝するよ。でも、何故だ?」

「何故だと? 自分の雇い主が目の前で肉塊になろうとしていたのだぞ。それを助けるのに、理由が必要なのか」

「そんなことを言ってるんじゃない。何故、『魔術』を使える? この場の全員が、魔術を封印されてしまっているらしいのに。何故、あんただけが―――」

 ただ、純粋な疑問のつもりだった。だが、先刻から、普通なら起こり得ない事象の連続で、理解する頭が完全に振り回されており、うっかり、責めるような口調になっていたかもしれない。

 そう、詰問するつもりはなかった。

 エルフィオーネは聞き終えると、どこか悲しそうな笑みでアルフレッドを見ると、視線を逸らし、

「―――必死だったのだ。あなたを、助けようと。その一心で、何とか、捻り出すことができた」

「……」

「―――それでは、駄目か?」

 頼むから、これ以上は追求しないでくれ。台詞と表情から、それがにじみ出ている。こんなしおらしい声を聞くのは、初めてだった。

「一体、どんな方法を使ってむぐっ」

 アルフレッドは続いて問い詰めようとするアリシアの口を掌で覆い、噤ませた。

 ―――この場において、封印された魔術を開放する術があるか否か。そんなことは、魔術を使用できないアルフレッドには、正直、どうでもよかった。今は、不要な詮索をしている場合ではないし、開放のための講釈をさせる暇もない。

 重要なのは、エルフィオーネが防御のための手段を復旧させたということだ。

「この際、深いことは聞かない。エルフィオーネ、さっきの、また使えるか?」

 彼女は一瞬、逡巡する。その後、

「ああ、大丈夫だ」

 今度は、頷きをみせてくれた。

「だが、防御だけでは、この状況を打開することはできぬ。……にも関わらず、それを聞くということは」

 アルフレッドは、剣を持つ右手に力を込めはじめた。ギュウッ、という音が響く。

「―――何か秘策があるのだな」

「一応、な。正直……あんまり、『使いたくはなかった』が、背に腹は変えられねぇ。エルフィオーネ、あんたのことを信頼した上で、頼みたいことがある」

「何だ?」

 アルフレッドは後方に居るサーノスと、ディエゴ神父を見遣り、その後で、尚不安げな表情のアリシアの顔を覗き込んだあと、僅かに笑顔を見せ、言った。

「ほかの連中が巻き添えを食わないよう、俺の後方で、防御を頼む。みんなを、守ってやってくれ」

「……わかった。このエルフィオーネ、身命を賭して、承り仕る」

「頼もしいな。それなら―――コイツを開放してしまっても大丈夫そうだ」

 相変わらず鞘に収められたままの状態になっている両手剣に視線を遣る。

「その剣を、抜き放つというのか」

「―――ああ」

 頷いたあとで

「アリシア、エルフィオーネ」

 二人が揃って、アルフレッドのほうを向く。

「―――これが終わったとき、お前達はたぶん、俺のこと、ちょっぴりキライになってるかもしれない」

「えっ……一体何を、急に言い出すの」

 アルフレッドは構わず続けた。

「でも、こんなところで全員くたばるくらいなら、例え嫌われてでも、俺はお前達を護るほうを選ぶよ」

 言い終えると、アルフレッドは両手剣の鞘口の鎖を徐ろに掴むと、オーガらとの距離を、歩きながらゆっくり詰めていった。

「アルフレッド!」

 アリシアが追い縋り、彼を制止させんとする。だが、それをエルフィオーネが前に出て遮る。

「最早、他に術はなし。彼に賭けてみよう。あの男の顔を見ろ。絶望も、諦観の欠片すらもない。勝算もなく、あのような表情など、できるはずがない」

「でも……」

「信じてみろ、あなたの『お兄ちゃん』を。嘘をつくような男ではないことなど、あなたが一番よく知っているだろう?」

 その言葉に、はっとして、アリシアは正面を見た。

 傍目からは、今まさに死地に赴かんとする男の背中。だが、アルフレッドの見慣れたその背中は、死に逝く者の悲壮さなど微塵もなく―――ただただ、大きく、勇壮だった。

 だが同時に―――言い知れぬ、違和感も感じていた。

 まるで、人ならざる強大なものが、その背に憑依しているかのような、怖気にも近い感覚だった。

 あの時と同じだ。

 あの、収穫祭の夜と。



 

 ビキッ ビキッ




 金属が断ち切れる音がする。

 それは、アルフレッドの持つ両手剣の鞘口から発されている。幾重にも厳重に巻きつけられた鋼の鎖が―――徐々に引き裂かれ、絶たれていく。

 アルフレッドの、想像を絶する力によって!!

 



 カタカタ カタカタ

 



 剣が鞘ごと、不自然に震えている。まるで狂喜するように、今か今かと待ち焦がれるように、早く早くと急かすように。

 ビキンと、ひときわ大きい金属音。そして次の瞬間。「それ」は完全に解き放たれた。

 断ち切れた鎖の残骸が吹き飛ぶ中―――「それ」は鞘からむき出しとなり、鈍く、どす黒く、その全貌を露にした。

 鋼鉄の封印を破って現れたのは―――赤黒い錆で血塗られた刀身の、両刃の大剣だった。

 かくして、「抜剣」は相成った。

 同時に、その場にいる全員が「声」を聞き、慄いた。



 怨霊が、哭く声を。



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