第46話 死地よりの生還。そして (前編)





 血と、臓物と、炎と、黒煙と―――。



 赤と黒が織り成す、見渡す限りの死の風景。むせ返るように強烈な死臭。

 そんな世界の中心に、一切の力を失い、へたり込んでいる。 

 しゃくり上げるような呼吸とともに、とめどなく流れる涙。

 温もりが徐々に消えていく、腕の中の人肌。

 光が消えていく双眸。

 全てを悉く壊された。その光景が、ただ恐ろしくて。

 大切な人の命が、目の前で消えていく様が、ただ哀しくて。


 何より、己の無力がただただ悔しくて―――。


 氷のように冷たくなった少女を腕に抱き、

 暁色に彩られた、どうしようもなく美しく鮮やかな空を仰ぎながら、

 声にならない声で、ただひたすら喘ぎ続ける。

 


 目を逸らすことも許されない、目を閉じることも許されない。

 ―――そんな、悪夢を見ていた。

 ずっと、ずっと、見続けていた。




             

              ◆◇◆◇◆


         



 

 つう、と涙の筋が顔を伝う。その感触が気付けとなった。

 アルフレッドは実に一日ぶりに、重い瞼をゆっくり持ち上げた。

 視線の先には見覚えのない天井。間借りしているエーリックの邸宅でもなく、最後に泊まった宿でもない。―――あの世、というわけでもなさそうだ。

 体中が夥しい汗に濡れ、呼吸が荒い。あの夢を見た日の朝は、いつもこうだ。アルフレッドは右手を額に宛がい、汗と涙を諸共に拭った。

 荒唐無稽に構築された悪夢なら、淡雪が解けるようにすぐさま消え去ってしまうが、この夢は違う。

 それは10年前のあの夜、血塗られた記憶と共に、胸に深く刻まれた心の古傷、その疼きそのもの。記憶のリフレーン。それらが悪夢を構築し、無防備な胸の内の、心の傷を無慈悲に抉るのである。目覚めの後も、性質たちの悪い酔いにも似た、最悪な余韻を残していく。

 かすかに残る吐き気と頭痛。それ以上に、体中が茨の棘で包まれているかのように、ギシギシと痛む。俗な言い方をすれば、全身が極度の筋肉痛に苛まれる感覚である。

 抜剣による後遺症だ。完治には数日を要するだろう。

「おはよう」

 様々な苦痛に四苦八苦するアルフレッドの隣で、柔らかな声がする。

「よく、眠れたかな」

 椅子に腰かけながら林檎の皮を剥く、エルフィオーネの姿がそこにあった。声音に違わぬ、柔和な微笑を浮かべている。それに加え、まるで午睡の陽光のような穏やかな光が窓辺より差し込み、その美しい藤色の長髪を、朗らかに照らしだしていた。

「どれくらい、寝ていた?」

「あなたが倒れた時を込みで、まる一日と言ったところかな」

 アルフレッドは白髪頭をくしゃりとかき上げ、「一日……か」と呟く。

「―――みんなは、無事か?」

「私のこの表情で察せられる通りさ」

 アルフレッドは再びエルフィオーネの表情を見遣ると、安堵のため息をつきながら「そうか」と一言漏らした。

「ここは、何処だ?」

「シラマの町の宿屋だ。完全に気を失ったあなたを禁則地区から運び出したはいいが、中継地点のあの宿屋、主が避難したのか、既に店中が施錠されていてだな。仕方なく、何とか気力を振り絞って、シラマの市街まで辿り着いた―――そんな次第だ」

「魔物とか、出なかったか?」

「討ち漏らしが数体。まあ、あの後魔術も復活したが故、難なく蹴散らしてやったが」

「ああ、元に戻ったのか。……結局、アレはなんだったんだ?」

「―――さあ。いずれにせよ、査問のためにアークライト騎士団と、調査団がこのシラマの町に間もなく到着する。私も証人として現場に赴くことになるだろうから、話はそれからだ」



 エルフィオーネは、覗き込むようにアルフレッドの顔を見ながら、言う。

「―――まったく、無茶をする」

 抗議や非難ではなく、気遣う口調。

「あの時は驚いたさ。心拍数も脈拍も、信じられないほどに弱っていたからな。このまま、目を覚まさないかと思ったぞ」

 林檎が丸々一個、ちょうど剥き終わった。ぷつ、と螺旋状の皮が地に落ちる。

「……あの剣が、あんなにおぞましい代物だったとはな」

 壁に立てかけられている両手剣を見遣る。元通りとまでは言わないが、鞘口には鎖が巻かれ、取り敢えずは簡単には抜けないように封印が施されている。

「ああ。―――さぞかし、驚いただろう?」

「多少の事では驚かない性分だが、さすがに、な。―――信じられぬほど強大且つ禍々しき怨念。そしてパワー。ともすれば天変地異の引き金にも為りうる……。よくぞ壊れず、無事、現世に帰って来てくれたと言うべきか」

 驚いたという割には、やけに涼しげな声で、エルフィオーネは林檎を切り分けている。

「一晩じゅう、うなされていた」

「―――だろうね」

「あまり、良い経験はしてきていなさそうだな。その剣絡みでは」

 少しの沈黙があって。

「初めて……」

 アルフレッドはどもりながら言いなおす。

「初めてこの剣を抜いたのは10年前―――俺は13歳だった。その時のショックと……あと色々あって、黒かった俺の髪はこんな風に」

 髪の束を掴み上目で見ながら「見事に真っ白になっちまった」アルフレッドは自嘲した。

 エルフィオーネは何かを思い出したように「10年前……そうか、ではその時に……」と、小声で呟く。アルフレッドから怪訝そうな視線を向けられると、即座に別の話題を発信した。

「相当体にもよろしくないとみえるな」

「ああ。文字通り、命が削られてる。ほかならぬ俺自身、自覚している。乱用すれば、ただでさえ幸薄く短いと確信してる老い先が、さらに短くなっちまうってわけだ。……本当の、最終手段だったんだ。こいつは」

 エルフィオーネは「そうか」とだけ返答した。

「……訊かないのか? エルフィオーネ」

「何を?」

「この剣の事とか、この力の事とか……」

 エルフィオーネは鼻で笑いながら答える。

「訊かないよ。―――話したくなった時にでも話してくれればいい。もちろん、永久に話してくれなくてもいい」

「……悪い」

 アルフレッドは申し訳なさそうに笑った。




 少しの間の後、エルフィオーネ、とアルフレッドが改めて切り出す。

「あんたには、改めて礼を言わなきゃならない」

「―――私に?」 

「依頼通り、あんたは魔物と、この剣から、みんなを守ってくれた。―――感謝の言葉もないよ」

 少し考えた後、エルフィオーネは、ふん、と再び鼻で笑った。

「何を言うのだ。難敵を打ち倒し、皆を護ったのはあなたの方だろう。アルフレッド」

「違う」

 即座に首を横に振る。

「俺はただ剣を抜いて、我を忘れて暴れただけだ。あんたが居なければ、確実に皆を、この剣の餌食にしていただろう。……想像するだに、ぞっとする」

「……御しきれぬ力は、己の力ではない。力として認めない。と、いうことか」

 アルフレッドは無言で肯定する。

 台風や津波が、敵味方諸共巻き込んで戦場を蹂躙したところで、誰の力でも手柄でもない。主張することさえ烏滸がましい。それと同じことだ。

「―――まあ、いいだろう。それはさておきだ」

 エルフィオーネは唐突に含みのある声音で、茶化すように喋りはじめた。

「この、女泣かせ。罪作りな男め」

 そしてこの、優しい非難。

「何のことか分からない、という顔をしているな。―――まだ気付かないのか? その左手に」

「左手……?」

 指摘されて、漸く気が付いた。アルフレッドは鉛のように重い体を、唸り声をあげながら起こす。

 肉刺や胼胝だらけの無骨なアルフレッドの手。それを、包み込むようにして握る、柔らかな二つの掌があった。

「……アリシア」

 睡魔に抗えなかったのか疲れ果てたのか、それとも両方か。跪く姿勢でベッドを枕代わりに、安らかに寝息をたてるアリシアが、そこには居た。眼もとには、一夜を寝ずに明かし出来たと思われる隈に加え、泣き腫らした痕跡が見てとれた。

 アルフレッドは何も言わず、しかし感極まった様子で、アリシアの頭を撫でる。さらりとした前髪を少しいたずらっぽく手の甲で持ち上げた。

「折角のキレイな顔が、台無しじゃねぇか……」

 あの一日の間に、今まで見たこともなかった、彼女の脆く、だが年相応の一面を、幾つも垣間見てしまった。今のこの顔の様など、その中でも究極といえるだろう。

「あなたが魘されるその度に―――」

 切り分けた林檎が盛られた皿を差し出しながら。

「彼女はあなたの手を離すまいと握りしめていた。泣きながら―――それでも、付きっ切りでな。健気なものじゃないか。思わず私も、落涙を禁じ得なかったくらいだ。もう一度言ってやる。この女泣かせめ」

 その光景が目に浮かぶようで、アルフレッドは気恥ずかしそうに視線を逸らし、次いで、歯痒そうにぼやいた。

「―――本当に、ばかやろうだよ。俺なんかのために……」

 エルフィオーネが、半ばあきれたようにふーと息をつく。

「『俺なんか』……。『俺なんか』とくるか」

 若干不機嫌気味に、ずいっ、と顔を近づけられる。

「その自己評価の低さ、もう少し何とかならないものなのか?」

 まるでナイフでも突きつけるかのように、きれいに八等分された林檎を口元に近づけるエルフィオーネ。

「そうは言っても……むぐ」

「うるさいっ。これでも喰らえっ」

 それ以上は聞かない、と、その口を林檎で無理やり塞がれる。

 酸味の強い種らしく、若干残っていた眠気をいい塩梅に解消してくれる。

「最初は、今時珍しいくらい謙虚な男だと思って見ていた。だが、少し考えを改める必要が出てきた」

 しゃくしゃくと甘酸っぱさを咀嚼しながら、黙って聞く。

「アルフレッド。謙虚と卑屈とは同義ではないぞ」

 ごくり。嚥下と同時にアルフレッドは息をつく。

「そんな風に見えるのか?」

「うむ。大分、後者寄りに見える」

 エルフィオーネは容赦なく首を縦に振る。

「そういう奴、やっぱり嫌い?」

「嫌いだ」

 笑顔で、きっぱりと言い捨てられた。

「至極月並みな言い方ではあるが、主よ。もっと、自分に自信を持て。あなたは、自分のことを価値のない人間だと、必要以上に貶めているフシがあるが、それは思い違いというものだ。なぜ、街の者達があなたに会うたび笑顔で会釈するのか? なぜ、アリシアがあなたを慕い、こうして涙を流すのか? ―――なぜ、私があなたに仕えているのか?」

 林檎を皿ごと手渡すと、エルフィオーネは立ち上がる。

「どんな高尚な理想を掲げているのかは知らぬ。だが、上ばかり見ていると、その目線の外のものに気付けなくなる」

 心外、という顔を作りながらアルフレッドが笑う。

「理想……俺の理想か……。我ながら、馬鹿高いものをおっ立てたもんだと、今でもそう思うけど」

 ふう。息をつき、俯き加減でいう。

「生憎、そいつには手が届かないって分かってしまったから、だいぶ前に、綺麗さっぱり捨てちまったよ。騎士学校を追われたあの日から―――」

「本当に?」

 間髪いれない疑問。それは「嘘だ」と言われたも同義の、明確な否定だった。

 アルフレッドは思わず胸を押さえた。

 目が泳ぐ。

 まるで心を鷲掴みにされているようで、返す言葉がない。

 対して、心の奥底まで見透かすように鋭い視線。深い濃紺の瞳で、エルフィオーネは彼を見下ろしている。その瞳を見ることは、できそうもなかった。

 その様子を見て、エルフィオーネは若干申し訳なさそうな表情を見せ、静かに取り繕った。

「―――すまない。病み上がりの人間に対して、つい説教じみたことを。失言だった」

 エルフィオーネは瞳を閉じると、ローブを翻し、アルフレッドに背を向けた。そして去り際に、「だがな、主よ」と言葉を添える。

「あなたは十分に、立派な男だ。そう評価されるだけの事を、この短い間で幾つも見てきている。あなたが納得しなくとも構わん。この言葉が心に届かなくとも構わん。―――私が、勝手に肯定する」

「だから―――」とエルフィオーネは続けた。

「くれぐれも、そんなしけた顔を、彼女には見せてくれるなよ」

 アルフレッドは「え?」と反射的に返す。

「姫様のお目覚めだ」

 目線を落とす。アリシアが目元を動かしながら「う……ん……」と声をもらしている。閉じられていた瞼が、ゆっくりと開いていく。

 気づけば、エルフィオーネの姿は、既に部屋にはなかった。

「アル……フレッ……ド?」 

 夢現ゆめうつつ定かならない、寝ぼけた反応だった。だが、意識の覚醒とともに、彼女の声音が潤んでいく。アルフレッドの手を握る掌の力が、だんだんと強くなっていく。

「あ……あ……」

「―――よう」

 彼女に、しけた顔を見せるな。少し慌てたが、その忠告が頭でよみがえり、アルフレッドは呼吸を整えた。そしてエルフィオーネに倣い、優しく柔和な笑顔で、目覚めのアリシアを迎えた。

「おはよう。よく、眠れたか?」

 言い終わるのと―――アルフレッドの胸板に勢いよく抱擁が飛び込んできたのは、ほぼ同時だった。  

 瞳に大粒の涙を浮かべた、だが歓喜の笑顔で満たされたアリシアが―――。




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