第34話 抜剣(フューリー) その2


「少年、これを渡しておこう」

 歩きながら、エルフィオーネはローブのフードに手を突っ込んだ。チャリチャリと、金属と硝子のような物が鳴る音がする。

「そら」

 サーノスに向けて差し出された掌の中には、エルフィオーネの髪飾りがあった。大きな薄緑色の宝玉の周りに、花弁を模した意匠。派手過ぎないワンポイントとして、エルフィオーネの美しい藤色の髪を彩るアクセサリーだ。

 突然のことに、サーノスは目を白黒させながら、エルフィオーネの顔と、自身の手の中の髪飾りとを交互に見合う。

「……これは?」

「見ての通り、髪飾りだ。私の愛用のな」

「ああ、わかる。でも、何故これを僕に?」

「これを私の代わりと思って持っていって! ―――と言ったら?」

「……冗談を聞きたい気分じゃない、って言うと思う」

 違いない。エルフィオーネは瞳を閉じ、軽く笑う。

「が、冗談ではない。これが私の支援となる。宝玉の中を覗いてみるがいい」

 言われたとおりに、片目を瞑りながら、サーノスは宝玉を目に近づけた。

「これは―――。魔術式?」

「左様。正確に言うと、この魔術式が、あなたを支援する。ああ―――何を意味する魔術式か分からないという顔だが、分からなくて結構」

「分からないんじゃあ魔術式が展開できないよ」

「心配無用だ。何故なら―――発動させるのは、何の魔術式なのかを理解している、私の方なのだからな」

 サーノスは尚も頭上に疑問符を浮かべた表情で言う。

「だったら、僕に手渡したんじゃあ意味がないだろう? 術者が携帯していないなら、至近距離にでも居ない限り、その魔術式は展開させることが出来ない。魔術の大原則じゃないか。それとも、なに? 二人三脚でもしながら戦えと?」

 小出しにされる情報に苛立ってきているのか、少し、食って掛かるような口調になっている。

「美少年との二人三脚とは何とも心躍る話だが―――」

 エルフィオーネは少し笑んだあと、豹変したかのように真顔になる。

「その必要はない。どれだけ離れてくれても構わん。どんな場所に居ようとも『お前』を必ず援護する。が、その髪飾りだけは肌身離さず持っていろ。これだけは厳守だ」

 返事をせずに、相変わらず頭上に疑問符を浮かべたまま、しげしげと髪飾りの宝玉を眺めるサーノスに、エルフィオーネが鋭い目つきで釘を刺してきた。

「わかったな? 返事は?」

 言葉から否応なしに感じる圧力。サーノスは思わず息を呑む。

「えっ? あ、ああ……はい」

「よろしい」

 そして、にっこりと笑う。

 昨日から、胡散臭い見た目と言動を繰り返し、どこか掴みどころがない印象があった彼女だが―――これが、その本性なのか。それは紛れもなく、心を戦場に置く者が発する「命令」や「指令」といった類の口調だった。しかし、騎士学校の教官である国家魔術騎士達とも若干違う―――。

「―――何なら、その御髪に飾ってみるかい?。あなたなら、多分似合うはずだが」

 が、張り詰めた空気がその一言で一気に緩んだ。拍子抜けしたサーノスが「はあ?」と素っ頓狂な声をあげる。「あ、実際似合うかも。ねえ、やってみてよ! 絶対可愛いから!」と、後ろからはアリシアの茶々までとんで来る。

 いまいち締まり切らない雰囲気に首を傾けるサーノスと、その雰囲気を作り出す元凶たるエルフィオーネとを先頭に、一行は昨夜踏破制圧した道程を、文字通り何事もなく通り越していった。





「アルフレッド、アリシア様。少し宜しいですか」

 最後尾を歩くディエゴ神父がおもむろに声をあげた。今まで、不自然なほどだんまりだったので、アルフレッドとアリシアは少し驚いた後、歩調を緩めて神父と横並びになった。

「いきなり何すか? 怖い顔して」

 温厚な性格とは対照的に強面なのはいつものことだが、今の表情は、子供や気の弱い女性が見たら思わず泣き出してしまうような、そんな凄みを湛えている。

「いえ、彼女のことについて少々気になることがありまして」

 その視線はまるで咎人を尋問にかけるかのように鋭く、サーノスと並んで悠然と歩く、エルフィオーネの背中へと向けられ、ブレない。間違っても、冗談を言える雰囲気ではない。

「エルフィオーネの事ですよね?」

 身長差のせいでまるで空を見上げるように、アリシアが神父に聞き返す。

「ええ……。彼女とは確か―――アリシア様はご友人、アルフレッドは作品の助手として雇っている、そういう関係でしたね?」

「まあ、ちっとばかしゴタゴタがあって、その後の成り行きで」

 アルフレッドは軽く頭を掻きながら言う。

「何処の誰という、彼女の出自については、何か?」

 首を振る。まるで、俺の作品の中から出てきた「与え姫」みたいです、などと冗談めいて言っても、真面目に答えろと睨みつけられてしまうだろう。

「いいえ、何ンにも。俺も多分に気になるところはありますけど。でも、語らず訳ありの女に余計な詮索するのも、気が引けるというか。況してや、そういう後ろ暗い過去を持った奴等が流れ着く名所にして、駆け込み寺なわけですしね、このアークライト領は。野暮ってもんですよ」

 俺みたいなね、と言おうとしてアルフレッドは口を噤んだ。その後ろ暗い過去の殆どを知っている神父に言うには今更過ぎて、かえって不快にさせる。

「左に同じく。私もこれまでに彼女と、色んなことをお話したけど、身の上話とかは、何だか悪い気がして……でも、悪い人ではないってことだけは分かってるつもり、……です」

「……悪い人ではない。ふむ、そうですか」

 納得したような台詞を言っておきながら、その表情は何一つ納得していない。一体、どんな疑念を抱えているというのか。

「それでは最後に、彼女の『名前』―――『エルフィオーネ』というのは、これは本名なのですか?」

 彼女との出会いの際に、アルフレッドも放った質問だ。その答えは―――

「その名以外の名を名乗ったことはない。らしい……です……よ?」

 神父の表情がさらに険しくなり、アルフレッドは思わず言い怯んだ。

 未だ彼女の正体が不明確で「もしかして」と「まさか」が入り混じるアルフレッドに対して、神父が浮かべている表情は「もしかして」や「まさか」ではなく、限りなく「やはり」に近いものだった。何かを、ほぼ確信しているようだ。ただ、その確信の内容は、アルフレッドが抱えているものとは、どうやら違うようだが―――。

 そして、その直後だった。

「―――後ろの方々。お喋りはここまでだ。おいでなすったようだぞ」

 エルフィオーネが歩みを止め、その背で神父らに注意を促す。

 地鳴りが近づいてくる。徐々に砂埃も浮き上がる。

 アリシアが双剣を素早く抜き、ディエゴ神父が鉄球を繋ぐ鎖を垂らし掴む。それに少し遅れ、アルフレッドが後ろ腰の止め具と鎖とを外し、鞘付きの両手剣を持ち、構える。

 そして最後に、サーノスが腰元から、白銀の片手剣を、少し慌てたようにして抜く。

「お望みどおりの先陣だ。奮起せよ」

 エルフィオーネの呼びかけに対する返事はない。

 ―――自身に向かって猛進してくる異形の者の群れ。奴等の一体一体各々が、自分に対して明確な敵意を持っている。もし、魔術無しで相対したなら、為す術もなく蹂躙され、原形もとどめぬほどにバラバラにされるのだろう。想像し、思わず息と唾を飲む。判定勝利のある『試合』ではない。こちらが死ぬか、相手を斃すかの殺し合いだ。

 対して、エルフィオーネは、まるで試合を立ち見するかのように腕を組み、ろくに構えようともしない。普段なら言い咎めるところだが、初めての実戦に臨む今のサーノスにそんな余裕はない。

 やれる。武器はある。一撃で奴らを斃す術も使える。身を守る術もある。ずっと訓練してきたことを、そのまま行えばいい。―――でも、出来るのだろうか。本当に。自分に。本当に。やつらが来る。ああ、向かってくる。やらねば。やらねば。でも、できるのか? 本当に。僕に―――。

「そんなに緊張するな。私まで不安になるじゃないか」

「……」

「仕方のない奴だ。ならば―――これでどうだ?」

 腕を組んだ状態で、パチン、とエルフィオーネが指を鳴らした。

 エルフィオーネの胸当てに着いたブローチが、淡い光を放ちだした。その光の源は―――魔術式だ。魔術式が展開されている。

 何らかの魔術が発動しているのだ。



「―――!?」



 サーノスは驚愕し、思わずエルフィオーネの顔を見た。

「どうだ? 落ち着いたろう」

 にやりと笑んだエルフィオーネが、左手を点に翳す。

 また、何らかの魔術が発動した。魔術式が展開する光の中で、氷の結晶が集まりだす。そして集まった結晶は、サーノスの片手剣と瓜二つの形状に形成される。エルフィオーネは光の中から、まるで抜刀するようにその剣を勢い良く抜き放ち、そして不敵に笑んだ。

 そこでサーノスはようやく理解した。

 胸元に仕舞った、エルフィオーネの髪飾りが、まるで彼女のブローチと共鳴するかのように光を放っているのだ。

 共鳴―――。

 この一糸乱れない呼吸は、エルフィオーネのものなのだ。それを、共有しているのだ。この髪飾りを通じて―――。

 落ち着いた。

 安堵が、心を包んでいく。

 まるで、どうしようもなく真っ白な闇の中から、優しく差し伸べられた手を、この手に掴んだかのように。



「お互い呼吸を合わせ―――剣の舞にて。さあ、踊ろう。王子様。くれぐれもステップを踏み外すなどして、私(レディ)をがっかりさせるなよ?」

 


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