第33話 抜剣(フューリー)



 夜が明けた。

 チェックアウトを済ませ、一同はロビーで宿屋の主からの見送りを受けていた。堀が深く厳(いかめ)しい顔に似つかわしくない、わざとらしいほどに恭しい礼と笑顔とで。

「それでは、くれぐれもお気をつけて」

 普段なら他のスタッフも交えての見送りとなるのだろうが、訊いたところによれば、この魔物騒ぎのせいで、全員が一時休職届けを出してきたのだとか。宿の目と鼻の先に例の現場がある上に、どうせ客も来ない。仕方ないといえば仕方がないことだ。

「それにしても、こんな物騒な場所に、よく宿を建てようと思ったもんだ」

 アルフレッドは内装を見渡しながら、言う。

「本来なら、魔物が湧いた際には、ハンターの方々の拠点として賑わうのですがねぇ……。それに、何もなければ、隠れ家的な温泉宿ということで、それなりに評判もいただいておりまして……」

「が、今回の件は、その集客のためのポイントが完全に裏目に出ている、というわけか。ままならねぇモノだな」

 アルフレッドはやれやれ、とジェスチャーする。

「確かに今までに経験したこともない事態ではありますが、長年商売をしていれば、こういったことも起こりましょう」

 愚痴る素振りも見せず、ひたすら目を細めて、ここにはいないスタッフの分までと言わんばかりの、接客用の笑顔を振りまく。

「それじゃあ、行ってくるよ。機会があれば、またお邪魔させてもらう」

「ええ、またのお越しを―――」

 一同、背を向けてロビーから出ようとするところを、エルフィオーネが振り返る。

「主人」

 尚も腰を深々と折り曲げたままの宿屋の主に、エルフィオーネが問いかけるようにして声をかける。

「此度の魔物騒ぎ、ご愁傷様といいたいところだが―――」

 無言。顔をあげようともしない。

「はぐれ魔物モンスターが襲ってこないとも限らないのに、よくやる。万が一に備えて、戦闘用魔術の心得でもあるのか?」

 外から、彼女の名を呼ぶ声がする。だがエルフィオーネは、ドアに背を凭れ、腕を組みながら、店主の返答をじっと待っており、アルフレッドやアリシアの呼びかけには応えようとしない。

「それとも、自分だけは襲われないという、確固たる自信でもあるのか?」

 無言。しかしエルフィオーネは構わず続ける。

「もし、是とあらば、危険極まりないことだ。最悪、私らが現場でくたばることも考えうるゆえ―――悪いことは言わん。そのときは、この場を去ることをお勧めする」

 数秒の間のあと、ようやく顔と腰とを起こした主人は、ぞっとするほどの無表情で「ご忠告―――痛み入ります」と言い、さらに数秒、エルフィオーネと視線を交錯させた後

「ですが、これも、商売ですので」

 と、再び接客用のわざとらしい笑顔を、満面に浮かべた。

 しばしの沈黙。お互いが、探りを入れるような視線をぶつけ合う。

 先に口を開いたのはエルフィオーネだった。

「―――そうか。では、確かに忠告したぞ」

 彼女はそれだけ言うと、ローブのフードを被り、ロビーのドアを閉め、場を後にした。

 



 荒涼としたシラマの石切り場には、今日も冷たい風が吹きぬけていく。ザッ、ザッと、乾いた靴音を鳴らしながら、一同は口数少なく、禁足地区の奥地を目指す。

 先頭には、昨日までは後方にいたサーノスが、そしてそのすぐ後ろをエルフィオーネとアルフレッドが並んで歩く。

 結局、アルフレッドは彼の頼みを断りきれなかった。

 危険なのは嫌というほど分かっている。だが、あそこまで真摯な目をする男子の願いをどうにかして叶えてやりたい、応援したいという気持ちも、譲れなかった。かつては、彼と同じく遮二無二に武功を求め、そして挫折を経験した身としては―――。

 そこで、アルフレッドが提示した妥協案。それが、エルフィオーネの支援の下、共同で戦う、というものだった。

 この妥協案を提案するのには当然、エルフィオーネの承諾を得る必要があり、結果的にそれが得られたからこそ彼の先陣が叶ったわけなのだが、これが中々一筋縄ではいかなかった。




「危険だな。色々な意味で」

 何とかならないものか、アルフレッドは相談という名の説得のため、エルフィオーネの部屋へと足を運んでいた。

 まずエルフィオーネが難色を示したのは、「これが元で、自身の実力を勘違するのでは」という点だった。「それではいずれ、図に乗った挙句に無様に野に屍を晒すことになる、そうなれば、彼を死地に送り出してしまったと、あなたの心に、『また』余計な傷やしこりを残すことになるぞ」と(彼の身分のことは未だ話していないが、目聡く耳聡い彼女のことだ。当然気づいているのだろう)。まるで、知ったような風に諭されたが、情報の出元は―――まあ、アリシアだろう。どこまでバラされたのかが気にはなったが。

 このシラマの町に着いた折―――いざとあらば彼のフォローをしてやってくれよ、と頼んだ時、気楽に半笑いで了承してくれたじゃないか、と指摘してみると、次の難色点を提示された。

「―――次に、それだ。その『いざ』という状況を、自ら進んで作ることもあるまい」

 と、最初の時の余裕はどこに行ったという、余裕のない表情で、「今は状況が違う」と続いて真顔で返された。

「あの時は、正直私も侮っていた。ただの魔物掃除ゆえ、力押しで手早(チョロ)く終わらせられるとな」

 エルフィオーネはワイングラスを傾げながら、窓の外の遠景の山―――禁足地区のある方角を見遣っていた。

「さっきの偵察から察するに、苦戦する要素なんか、無さそうだったけど?」

 説得するようにアルフレッドが言うと

「これは、ただの魔物狩りではない。そんな気がしてならぬ。威力偵察の前の、神父の話を訊いたときから、何となく気にはなっていたがな。偵察を終えてみて、半ば確信になりつつある」

「何か、根拠でも?」

「―――ない。あくまで女の勘に過ぎぬが」

「勘かよ」

「悪い予感ほど、よく当たるものだ」

 ―――たしかに、ここまで雑魚ばかりなのは妙だとは思っていたが、どんな魔物が出るかなどは、ここ、シラマのギルドの連中しか知りえない秘匿情報だ。実際蓋を開けてみれば、案ずるより産むが、というやつだった。そういうわけではないのか。

「―――アルフレッド。仮にだ。仮に今回のこの騒ぎに、人為が絡んでいたとしよう」

「魔物騒ぎに……人為? 一番絡みようがない要素だろう」

 魔物は家畜ではない。調教したり手懐けたり命令したりすることなど、できはしない存在だ。リーダー格の魔物が司令塔となってパーティーを組む例は確認されているが、先の戦闘では、そのような気配は見られなかった。集団が無軌道に動く、典型的なパターンの魔物の群れだった。

「あくまで仮に、だ。―――もしそうだとしたら、裏で手を引く者の思惑として、マズ真っ先に考えうる事柄といえば、何だ?」

「―――誘い。釣り。トラップに引き込むための」

 それは、神父の話を聞いた時からうっすら感じていた事だったが、あくまで不気味さを敢えて形容しただけに過ぎない。

「左様。今回湧いた奴等はチョロい雑魚ばかりだぜさっさと片付けて一杯と行こうと意気揚々に、警戒心も薄らぎ、ホイホイと奥地にまで足を踏み入れさせる。そこに蟻地獄のごとき『罠』が潜んでいるとも知らずに―――」

「……仮にそうだとしたら、どんな罠が潜んでいると?」

「分からぬ。普通のハンターでは手も足も出ないほどの強力な魔物か、夥しいほどの大群か。或いは、落石などといった物理的なものか。或いは―――」

 エルフィオーネは回想するように言う。

「その言い方。『魔物を操る』魔術が存在するとでも?」

「見たことはないがな。だが、魔術の進歩は、一般人の目からは半ば頭打ちに見えても、魔術師の業界では日進月歩。魔術師の飽くなき探究心が、魔術の可能性という名の悪霊に取り付かれた狂人めいた者が、どんな発見をするかは予測がつかぬ。当然、この暇人ですら知りえない魔術が存在していても、全く不思議ではない」

「……何の目的で? シラマのハンター達を壊滅させて、この禁足地区での縄張シマを横取りするためか? となると……まさか、神父を派遣した、カンタベリー領ギルドが黒幕だと……?」

「単純に考えれば、それが一番もっともらしいが……そんなチンケな物ではない気がする。もっとどす黒く、邪悪な―――これも、ただの女の勘だがな」

「その勘、過去の実績はどれくらい?」

「六、七割方といったところかな。怖いだろう」

「ああ、一番嫌な確率群だ」

 エルフィオーネは中身が飲み干されたワイングラスをテーブルの上に置き、ベッドに腰かけた。

「しかし、我が主のたっての願いだ。無碍に断ることも出来まい。些か、契約外業務な気もするが、そこはサービスだ」

 唐突に話を元のもとに戻され、一体何のことか理解するのに少し時間がかかった。

「サーノスの先陣の件か? 尋常じゃなく乗り気じゃなかったのに、結局受けてくれるのか?」

「うむ。だが、私の支援を受ける以上は、私の指示と方針には絶対服従だ。果たして、若干気位の高そうなあの坊ちゃんに、それを飲むだけの度量はあるのかな?」

「―――いや、それに関しては大丈夫だ。今の彼ならな」

 確信がある。

 エルフィオーネはアルフレッドのその表情を見て「ほう」と微笑した。



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