第31話 湯の中、裸付合の夜 その2
「ふふ。今日はやけに積極的だな。さてはこの暇人の色香に惑わされたか」
「暇人の色香って何さ、それ」
「その割には、ご主人様は篭絡できてないようだけど……」
そして、ぽつり、と若干視線を逸らし気味に、小声で本題を持ってくるアリシア。エルフィオーネはそれを確認すると、「なるほど、そう切り出すか」とでも言いたげに笑みながら言う。
「ふむ。いつか来るとは思っていたがな。じゃあ次はその話題だ」
……お見通し、というわけか。アリシアは心で苦々しく呟いた。
「ねえ……エルフィオーネ。どうなの、アルフレッドとは」
少し口早に、抑揚が希薄な声で言う。しかも、最後のほうは、完全に視線を逸らしていた。
エルフィオーネは不敵な顔でそれを見ている。さながら、「さて、どう料理してくれようか」とでもいわんばかりの目だ。
「質問を質問で返すようで悪いが―――どう、とは一体どのようなことを指す?」
図星をつかれたような声でアリシアは思わず返事した。
エルフィオーネの表情は不敵を通り越して、最早、意地悪と形容したほうがいいものにかわっている。
「どのようなって……その……一緒に暮らしてるわけでしょ? 同じ屋根の下で。彼とは、えっと……上手くやれてるのかなって」
「単純に良否だけを問われるなら、恐らく良だと自負する。そもそもアルフレッドと私は、半ば主従に近くはあるが、雇用の関係にあるに過ぎぬ。アルフレッドは私の雇い主であり、私は寝食と雨風を凌げる場所を頂く代わりに、彼にとって出来うる限り最良の仕事環境を提供するという形で彼を支援している。時々議論したりもするが、彼の度量のおかげで険悪な雰囲気になったことも無い。余計な干渉はせず、況してや、やましい事などお互い何一つ無い。至って良好な関係といえよう」
それは紛れも無く事実であり、真実なのだろう。だが、それでは満足できそうもない。アリシアの心のわだかまりは、依然残ったままだった。何も言わないでいると、矢継ぎ早にエルフィオーネが問いかけてくる。
「それより―――あなたこそ、彼とは一体全体どういう関係なのだ? いや、正確には『あなた方』というべきか」
「……えっ?」
「然もありなん、だろう? かたや王家にも連なる、由緒ある血筋の大領主の
少し躊躇したが、アリシアは首を縦に振る。
「―――いいよ。別に隠すことでもないし、こっちが何も答えないってのは、フェアじゃないしね」
ふう、と一息ついてから
「今から10年……うん、たしか10年前。私が4歳の時に、アルフレッドは屋敷に来たの。ううん、『来た』っていうか、お父様が『連れて来た』の」
「連れて来た? 【蒼雷侯】が自ら?」
首を縦に振って相槌とする。
「今も、はっきり憶えてる。全身傷だらけだったわ。顔は真っ白で、髪も真っ白。血がたくさん流れてて、『蘇生』の魔術式が刻印された包帯にもべっとり血が滲んでた。一体何があったのか、お父様も、同行して事情を知ってるはずのお兄様も、何も教えてくれなかった。―――まあ、そんな衝撃的な出会いだったから、アルフレッドの第一印象は、ひたすら『何か怖い人』だったなぁ。それから数日して、アルフレッドの意識がようやく戻ったんだけどね。ひたすら塞ぎ込んでた。時々、泣いてるのも見たわ」
エルフィオーネは真顔になり、そして黙る。
「それからちょっとして、施設に預けるんじゃなくて、アークライト家の屋敷で面倒を見るから、仲良くするようにってお父様に言われたわ。最初は怖くて、廊下や食卓で顔を合わせるたびにお兄様やメイド達の陰に隠れてた。今となっちゃ、想像もつかないかもだけどね」
ふふっ、と笑ってみせるが、エルフィオーネは依然黙ったままだ。
「でも彼、誠実で優しいのは昔から変わんなくてさ。言動なんかを見ているうちにそれに気づいて、警戒心も少しずつ薄れていって―――気づけばお兄様がもう一人増えたみたいに、仲良くなってたな。彼の場合、お兄様って言うよりは『お兄ちゃん』って感じかな? もっとも、最初のほうは、結構ぎこちなくて、他人行儀みたいな感じだったんだけどね。そうそう、アルフレッドが魔術騎士養成学校の入校試験のために、最低限必要になる読み書きの練習をしてた頃があったんだけどね。ちょくちょく部屋に侵入しては、応援なのか冷やかしなのかよくわかんないコトやってたな。その頃くらいになると、やり取りも今とあんまり変わらなくなってたっけ。あー、懐かしい」
「―――成程」
饒舌に、かつ懐かしげに語るアリシアの姿に、エルフィオーネもようやく堅い表情を崩す。
「それなら確かに、大好きな『お兄ちゃん』のもとに、いやしくも女が舞い込んでくれば、気にもなるだろうな。―――アリシア、あなたが本当に訊きたかったのは『彼とはどうなのか』ではなく『彼のことをどう思っているか』なんだろう?」
アリシアは答えない。少し俯き加減、上目遣いでエルフィオーネを見ている。
「ここで私が『好きだ』とでも答えようものなら―――」
アリシアの身体が「好きだ」の部分でピクリと動く。
「―――このまま私達の友情は終わってしまうのかな?」
「いいよ、エルフィオーネなら」
「ほう」
「わたしももう子供じゃないし―――何より、アルフレッドにとって、私はどこまで行っても『侯爵家の姫』であり、『妹』とか『幼馴染』でしかないんだから。実際、一度フられてるしね」
「何年前に?」
「……8年前」
「エルフィオーネは美人だし、いろんなことが出来るし、私なんかより、ずっとずっと魅力的だから、選ばれても文句ないし、それに安心だわ」
「安心?」
「うん。安心して任せられる。彼を」
思えば、いくら命を助けられたから、恩義に報いたいからといって、作家の助手などという七面倒な役を二つ返事で、しかも実質の無報酬で引き受けるものだろうか。やはり、この時点で、彼女の心は決まっていたのかもしれない。甲斐甲斐しく家事を行う姿などは、まさに―――。
「好きだよ」
沈黙。
そして、ややあって。
「私があなたを好きなのと同じように、な」
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