第30話 湯の中、裸付合の夜 その1




 領や国籍、そして目的を問わない多数の来航者で夜も眠らない港町・イザキとはちがい、鉱山労働者とそれに従事する者が人口の多数を占めるシラマ町の夜は、町にとっての夜でもある。男達が明日の鉱山勤めにそなえベッドに入るように、町もまた、夜の帳が下りればその瞳を閉じ、休息に入るのだ。また、遠景から町の光が一つ消えた。

 アリシアは消え入るように弱々しいその夜景をぼんやりと眺めながら、肩に温泉の湯を浴びせた。まるで果樹に付着した露が落ちるかのように、若々しく瑞々しい白肌が、水をはじいていく。

「はぁー……まさか温泉に入れるなんて」

 宿屋に温泉がある。それを聞いたときのアリシアの喜びっぷりとテンションは、とても戦闘の直後とは思えないものだった。あの程度の戦闘では、疲労のひの字もなかったのだろうか。

 まるで春の陽気の中にいるかのような軽快な足取りで部屋に辿り着き、荷物を置くが早いか、取りも直さず脱衣所に疾走。衣服と下着とを脱ぎ捨て、二つに結った金髪を鼻歌交じりで解き、纏め上げ、湯へと駆けていた。まるで戦闘のというよりは、運動の汗を流すと言ったほうが適当な雰囲気だ。

「ゴハンも美味しいし、温泉もある。これで成功の暁には、報酬も出る。なかなかいい魔物討伐ツアーね」

 完全に浮かれた口調で、ねぇ、とエルフィオーネに同意を求める。一応、形式上は領民達の危機に領主の姫が直々に馳せ参じた―――という、何とも胸が熱くなるようなシチュエーションのはずなのだが、多分、色々なことを忘れてしまっているのだろう。

「む……。そうだな、確かに……」

 エルフィオーネは石造りの湯船に腰かけ、その柔肌に湯を絡ませながら、煮え切らないように言う。結局私の出番は回ってこなかったし、楽もできたしな、とも付け加える。表情は強張ったままだ。

 その言葉に、寸分たりとも違いはなかった。

 この夜の段階で一行は既に、最深部までの道程を半分以上踏破してしまった。最上級に警戒していた崖の上からの奇襲や落石などを仕掛けられることもなく、後衛のエルフィオーネとサーノスに到達できる魔物すら居ないまま、恐ろしいくらいにあっさりと「威力偵察」は終了した。アルフレッド、ディエゴ神父、そしてアリシアが大暴れして出来た死屍累々の山は、ディエゴ神父が「浄化・送呈」の儀でもって、綺麗さっぱり消し去ってしまっている。そこに戦闘があったという形跡すら隠滅するかのごとく。

 そして、文字通り何事も無かったかのように、指定の宿に到着。明日に備え、硫黄と山の香りが溶け合い、薬効も上々と評判の露天の温泉を、こうして堪能しているわけである。

「まあ、何にせよ明日だ。考えても仕方が無い、か」

 エルフィオーネはようやく表情を和らげ湯船の中に入ってきた。魔物騒ぎのせいで、ほぼ貸切のようになった無人の温泉に、ちゃぷん、と水音が響く。

 揺れた。

 たわわに実ったエルフィオーネの乳房が、ふるんと。

 まるで芽吹きを忘れて眠りこける蕾のような自身のモノが、対比されて余計に貧弱に見える。隠すようにして掌で覆ってみると、小さなアリシアの掌の中に、「それ」はちょうど設えたかのように綺麗にすっぽり納まってしまう。

「……相変わらずっていうか、スタイルいいよね……エルフィオーネって。無駄な物が何一つ無く、でも出るところは出てるって言う……」

 そう呟くようにいいながら、背を向け、ぶくぶくと湯の中に沈んでいく。それを呆れ顔で見遣ったエルフィオーネは、嘲るつもりのかけらも無く、フンと笑い飛ばした。

「だからあと四年待てと、この間言ったではないか」

「そうは言うけどさぁ……たった四年で今の倍に膨らむ自信なんて無いよ。十四年生きてコレなのに」

「……まったく、成長期の只中の娘が何をゴチャゴチャと―――」

 言っとるのだ! 掛け声にも似た科白を言ったと同時にエルフィオーネは、アリシアの胸を背後から勢いよく鷲掴みにした。

「ふぇっ!? ちょ、ちょっと!」

「うん? なんだ。言うほど貧弱と言うわけでもないではないか。まったく、最近の子供は高望みしおってからに―――」

「だからぁ! やめ、やーめーてーよ!」

 バシャバシャと湯を撒き散らし、取っ組み合いにも似た状況から辛うじて抜け出したアリシアは、今度こそ文字通り魔手から守るべく、腕をクロスさせ胸を掌で隠した。

「ははは。裸の付き合いでの戯れだ。許せ」

 からからと笑うエルフィオーネ。

「もう、油断も隙も無いんだから。まったく……」

「だが、確信した。私はその蕾に、只ならぬ生命の力強さと爆発力とを感じた。この私の言葉を信じろ」

「―――わかった。信じてみる。ありがと」

 そう言うとアリシアは腕と腰とをおろし、肩辺りまで湯に浸かった。

「しかし、この間は随分警戒していたようだが、その節は大丈夫なのか?」

「エルフィオーネが本気でそっち方面の人なら、今頃私、もうお嫁に行けないような身体にされてると思うよ……。お互い裸で得物もない、しかも誰見てないこんな状況下なんだし、それはもう、こうやって悠長に喋っている暇なんて与えないくらい速攻で」

「どうかな? 焦らしというのも趣向の一つだ。暇を装っているだけやも知れん。こちとらは、文字通りの暇人だ」

「暇人って、暇を変化自在に操ることも出来るのね……」

「無論。暇を極め、頂点に達したのがこの私だ」

「背中に、魔術式を刻印しちゃう程に?」

 会話が一瞬止まる。

 だが、フッとエルフィオーネは不敵に笑うと、返答する。まるで「カマをかけているつもりか?」とでも言いたげな表情だった。

「―――その通り。丸腰に見えて実は、既に臨戦体制下にあるというわけだ」

 そう言い、わさわさと指をうごめかす。さすがに「このネタどこまで引っ張るのさ」と、辟易した声で言ってやると、エルフィオーネは「すまない、すまない」と笑った。

 エルフィオーネの背中―――解読すら出来ないほど難解な魔術式の羅列群。先刻より、隠す素振りすら見せないが、魔術式の肉体への刻印は、術者の精神を確実に破壊・崩壊させるがゆえ、この国(おそらく他の国でも)では「魔術法」という法律でマズ最初に禁止されている事柄だ。成功させている以上文句は無いだろう、とでも言いたいのだろうか。

 再び会話が止まる。

 が、止めたくはない。彼女には聞きたいことが、言いたいことが山ほどある。後で話すと、彼女に再会した際に言ったが、今がその契機だ。

「エルフィオーネ。この際だから、色々お話しようよ。二人っきりで」

 





「やはり、この魔術式のことが気になるか」

 まあ、魔術を扱う者であれば、当然だろうな。エルフィオーネは言いながら、湯の中で夜空を見上げながら、大きく息をついた。

「そりゃそうだよ。生身の肉体への魔術式の『刻印』なんて、そう見れるものじゃないわ。あ、法がどうこうなんて野暮なことは、この際言わないから」

 それも領主の一族としてどうなんだ、エルフィオーネは微苦笑で返す。

「別段特別な理由があるわけでもない―――いちいち術具を携帯するのが面倒だからだ。となると、そこに行き着くのは当然の成り行きといえよう。あれが無い所では魔術が使用できないというのは実に不便だ。こういう、入浴の際などは特にな」

 万が一に備えて、アリシアの髪を纏めている髪留めには、低レベルでは有るが『防護』と『俊敏』とが刻印されている。襲撃の際に、この二つの魔術を行使して、なんとか術具が置いてある場所に辿り着くためだ。

「みんながみんなそう思ってるよ。でも法で禁止されてるし、何より、そう簡単に実現できれば苦労しないって。情報で精神が汚染されるって教えられたよ、私」

「そうは言っても実現できてしまったものは仕方なかろう。法云々は、そもそもそんなものがあること自体知らなんだ」

 アリシアは息をとめ、絶句した。

「―――お師匠様から教わらなかったの?」

「生憎、師は居らぬ」

「居ないって……」

「まあ、暇と時間だけは無駄にある身だからな。それを潰すために色々な挑戦を行っているのだが、これもその一つの結果というわけだ。あ、だが肉体への刻印だけは絶対に真似してはならぬ。約束だぞ?」

 終始驚愕の表情を崩せないアリシアは、長い藤色の髪が纏められ、露になったエルフィオーネの背中を、あらためて、まじまじと食い入るようにして見ている。時折「はぁー……」と、感嘆ともとれない息も洩らす。

「―――でもこれ、一体どういう魔術式なの? 複雑って言うレベルじゃないくらいゴチャゴチャし過ぎて、一体何がなにやら。この右肩近くの魔術式って『防護』の簡略式でしょ? そこに繋がる形で『剛力』『硬化』の複合式? それの修辞術式に『降雨』『霧散』っぽい術式? これで一体どんな魔術が出せるって言うの?」

「おっと、下手に解読するのはやめたほうがいい。途中で意識を失うないしは発狂するやもしれんぞ。この背の魔術式は、幾多もの簡略式の集合体を絡み合わせることで成り立っている。しかも修辞術式は多角形表記も用いてあるから、簡単に見えても、その意味するところは複雑極まりない。もし、これら全てを馬鹿正直に、それ以上分解できない『単語』のレベルまでバラして解説しようとすれば―――そうだな、大図書館丸々ひとつ分の本棚を埋め尽くす程度の魔術書が出来てしまうかな」

「わ、私は意識を失うほうが先かな……発狂より」

 一番最初にエルフィオーネの背中の魔術式を解読しようと試みたときに、奔流にも似た情報量に危うく意識を押し流されそうになった。あの時のことをつい思い出し、微少ではあるが吐き気を催してしまった。

「この魔術式は頭の中にというよりは、既に身体が覚えてしまっている。しかも、いかなる状況においても思った通りの現象を引き起こせるよう、だが、『素体』となる『私』の『容量キャパシティ』をオーバーフローしないよう、簡略式で圧縮して圧縮してだな―――。そう、例えば、少しのぼせて来たから、水風呂に浸かりたいと思ったとしよう」

 そう言い、パチンと指を鳴らす。

 展開された魔術式が水面に浮かび上がるのに驚く間もなく―――

「ん!? つ、冷たッ!?」

 アリシアは思わず飛び上がり、身体を縮めた。

 たった今まで、最高の湯加減で二人の身体を温めていた湯が、水へと変化してしまった。それも、ほんの一瞬でだ。湯気も完全に失せてしまっている。

「―――これこの通りというわけだ」

 そして、また指を鳴らすと、さっきのは感覚が嘘をついていたかのごとく、温泉の湯加減が戻ってくる。

 呆然としながら、これで何度目になるか分からない疑問を、アリシアは心の中で呟いていた。



(この人―――一体何者なの……)


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