第26話 シラマ地区魔物討伐 その8
「『―――跪き、
「神に感謝」
顔に二本、平行の傷跡が生々しく残る長身の神父が『福音の書』の27項を閉じると、テーブルの一角に集った信徒達が一斉に、首を垂れだす。一同、両手の指を組み、瞳を閉じ、人入りはあれど静けさを湛えた酒場の中で、一日の終わりの祈りが粛々と行われる。同じく信徒であるらしいサーノスもそれにならい、本当にその熱心な姿を御覧になられているのかどうか疑わしい、この世界の神に無言の祈りを捧げている。
早く終わらないか―――。
アルフレッドは椅子をガタンと傾けながら、茶番を見るように辛気臭そうな面持ちでもって、
と、思った矢先だった。ようやくお祈りが終わったようで、まるで止まった時間が動き出したかのように、その一角から人が散っていく。
そして最後にサーノスが、カソックコートを纏った
「お待たせ致しました。久方ぶりですね、アルフレッド」
強面の顔からは想像も付かないほど丁寧な口調。低いバリトンの声で、ディエゴ神父は頭を軽く下げる。
「福音の書54項。『主神とマナの導き無き者の行方は残酷である―――』その続きはご存知ですか? アルフレッド」
アルフレッドは頬杖を付きながらジョッキを置く。
「『―――死後、ちんけな魔物に転生して、ちんけなハンターにぶっ殺される運命が待つ可能性が大だけど、それで良いんですか? 嫌なら信仰しなさい。異教徒どもはさっさと改宗しろ。あと異端者は残らずぶっ殺す』でしたっけ?」
皮肉をたっぷりと含めた半笑いで返す。まるで大人気ない返し方だったが、ディエゴ神父は「その通りです」と表裏無い表情でニッコリと笑った。
「ご存知であれば結構。祈りに参加する機会はいつでも、誰にでも開かれています。アルフレッド、あなたにも主神とマナの導きのあらんことを」
「生憎ですけどね、俺が欲しいのは、あれですよ。そういう眉唾な導きだとか施しだとかじゃなくて、全能と噂のその神様とやらに、面と向かって愚痴垂れる機会ですよ。神父。―――説法は良いから、はやく仕事の話に移りましょう」
まるで人が変わったように、慇懃無礼な態度をとり続けるアルフレッド。だが、アリシアは驚かずに無言。エルフィオーネは、過去に何らかの悶着や確執があると感じたのか、同じく無言で、横目で目線だけをこちらに向けている。ただ一人、サーノスだけが顔色を失い、アルフレッドに突っかかってくる。
「あんた、さっきから黙って聞いてれば……神父様に失礼だろう!」
「俺は何も神父を侮辱したんじゃない。神様ってのにケチをつけただけだよ。ボクのことを理不尽にいじめたがる、いじめっ子の『神様』ってのにね」
「ああ、そうかい。神を信じず、侮辱を繰り返し、天罰の後に死後『魔界行き』になるのはあんたの勝手だ。でも今の態度は、分別ある大人が取るものだとは到底思えないぞ! あんたはそういう人間じゃないと思っていたのに……幻滅だよ!」
しかし、アルフレッドは取り合わない。そっぽを向いてジョッキを片手に麦酒呷りを再開する。まるで煽られているようで、サーノスの拳がわなわなと震えだす。
「いい加減にしないと……!」
「良いのですよ、信徒サーノス」
いかつい疵顔に柔和な笑みを湛えたまま、ディエゴ神父はサーノスを制止した。「ですが!」と尚も食い下がるも、それも「良いのです」と抑える。
「―――彼に、主神の教えを理解していただけるよう導くことが出来れば、私にも
「10年……!?」
「彼の抱えた闇は、それほど大きいということです」
その発言は心で無視し、アルフレッドが語りだす。
「サーノス君。俺はディエゴ神父のことは戦いに身を置く者として尊敬してるし、何より彼にはどでかい恩義もある。無碍に扱おうなんて、これっぽっちも考えちゃあいない。君が不快に思ったならさっきの発言は謝るが―――悪いけど、君には謝っても、神様とやらには絶対に謝らんぜ。信徒としては納得いかないだろうがね」
サーノスは気圧されたように、ついに押し黙ってしまう。アルフレッドは若干済まなさそうにサーノスを見遣った後
「さあ、仕事の話をしようか」
と、ジョッキに残った麦酒を飲み干した。
◆◇◆◇◆
さて。
一声添え、ディエゴ神父が懐中より地図を取り出す。
「シラマ禁足地区は、鉱山とは離れた、今はもう使われていない―――というより使うことができなくなった、石切り場の奥地に存在します」
経路や位置を意味する印が既に赤字でサインされており、一同は覗き込むようにそれらを見る。
「既に出入り口付近に跋扈していた魔物は粗方片付けてあります。その際、魔物が出てくるのを防ぐため、気休め程度に、防壁結界を施しておいたのですが―――」
「もう既に、突破されてしまった、と?」
サーノスが見上げるようにして問う。しかし神父は「いいえ」と首を横に振る。至極不可解といった面持ちだ。
「結界は急ごしらえの物でしたので、強力なものではありません。突破されるのは時間の問題かと思いきや……です。出現した魔物の強さは月並み程度。飛行系の魔物も確認されておりません。となると、何故ハンター達がああも手酷くやられたのか、いよいよもって謎は深まるばかりです」
想像とはまるで違う。恐らく神父も同じ心持だろう。
魔物は弱い。それが、かえって不気味に思えてくる。まるで餌をチラつかされ、奥深くで待ち構える罠へと誘われているかのようだ。
「何が起こったのか、そいつらから聞き出せないかな」
「残念ながら……喋れるような状態では無いそうです」
「情報なし、か」
そこで、です。神父が赤い丸で印がつけられた地点―――禁足地の入り口を指差す。
「これより、威力偵察を行うべく、彼らの巣窟へと足を踏み入れる予定でいます。アルフレッド、あまり呑みすぎないように」
「麦酒一杯。それ以上呑む気はありませんって」
常に出来上がった状態で高揚しながら刀をブン回す仕事仲間の顔が思い浮かぶ。
「それでは、御馳走にあずかった後、かの地へと赴くことに―――」
言い終えようとしたときだった。
「や、やめてください!」
女の悲鳴が酒場に響き渡った。静かな酒場なので、一瞬にして視線がその方角へと集まる。
屈強でガラの悪い男が二人。どちらも大剣、斧など、ボロ布にくるまれた無骨な術具を携帯し、粗野な空気をこれでもかと撒き散らしている。旅のハンターといったところだろうか。
対して、彼等に腕を掴まれ無理矢理席へと引き込まれそうになっている、小柄だが豊満な身体スタイルの歳若いウエイトレス。いいじゃねぇかよ姉ちゃん酌してくれたってよぉ、と、酔いに任せた勢いの男達とは対照的に、その顔は恐怖ににじんでおり、首を横に振りながら瞳には涙を浮かべている。
「……あいつら!」
堪忍袋の緒が切れたアリシアが席から立ち上がる。怒りに口元と眉をつりあがらせ、術具の柄に手をかけようとする。
「おい、待てよ」
「止めないでよアルフレッド! あの女の敵を、ぶっ飛ばしにいくんだから!」
「だから待てって。―――なあ、ウェイターさんよ」
アルフレッドの傍で、為すすべなくその光景をハラハラと見守る、ウェイターに声をかける。
「あれ、目障りだし、呼んじゃってよ。怖い
ウェイターはアルフレッドに視線を合わせようとはせず、おろおろと俯き加減に言う。
「正確に言えば『いた』というか……」
「いた?」
「は、はい。この間『禁足地』に魔物が発生し、討伐のためにギルドの人員が派遣されたんですが……」
アルフレッドは思い出し、察した。
「なるほど、そういえばそうだった。全員やられちまって、今シラマのギルドは稼動人員が圧倒的に不足してるんだっけか」
「は、はあ。やはりご存知でしたか……。その噂が広まってしまったせいか、最近、ああいうタチの悪い客が増えてしまってやりたい放題を―――」
その直後、絹を裂くような悲鳴が再び響く。
「いやぁ! 離して!」
ついには、豊かに膨らんだ胸が鷲づかみにされる。いよいよもって、路地裏に連れ去られ強姦される一歩手前のような表情だ。先刻視線を向けていた連中は、皆、見てみぬ振りをしている。ウェイターや店主は、相変わらず顔を青ざめさせたまま、動こうとしない。
アルフレッドは静かに鼻でため息をする。その後、がたりと椅子を蹴飛ばす勢いで心底不機嫌そうに席を立つと、騒ぎの現場へと、視線を向けた。
「ウェイター。
「で、ですが―――」
「安心しろ、今回限りの仕事だ。御代は初回サービスで、
「あなたは一体……」
アルフレッドは無言で懐から、名札の入った手帳を取り出し、ウェイターに見せた。―――アークライト領保守保安ギルドの
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