第二章 魔術師エルフィオーネと狂戦士アルフレッド

第19話 シラマ地区魔物討伐 その1



「―――四頁の五行目。『氷結』の魔術のくだりから」

 紅茶が注がれたカップを啜りながら、エルフィオーネが呟く。アルフレッドは「来た」と言わんばかりに万年筆をメモに走らせる準備を始めた。

「当時はこの魔術でできるのはせいぜい飲料用の氷の製氷くらいだが、この展開はそのままで大丈夫か? 強力な術式の配列が見つかるのは、もっと先の話だ。ちなみに情報元は『新装魔術大全』533項から」

「うーむ……。湖渡りの逃走は、やっぱり無理なのか……? でもこの手を使わないと、聖武王の軍勢が無傷で包囲を突破できた理由が、いよいよもってわからなくなるな……。実際に古戦場に取材に行ってみたけど、本当に逃げ道無しの地形なんだぜ?」

 アルフレッドは頭を掻きながら指摘箇所をメモしていった。



 収穫祭から、一週間が経過していた。

 あの殺伐とした事件の連続が嘘だったかのように、収穫祭が終わると、いつもの平穏な日常が変わらなくやってきた。昼は老いも若きも皆仕事に汗を流し、夜になれば、いつものように飲食店で海の男達が内露をとわずにドンチャン騒ぎを繰り広げ、いつものようにどこかの酒場では殴りあいの喧嘩が勃発し、いつものようにどこかの賭場ではイカサマをやったやらないの言いがかりの殴り合いが発生し、いつものようにどこかの娼館では脱走や心中沙汰を起こそうとした商売女が折檻をうけ、男はしかるべき制裁を受ける。愛すべき、実に平和な日常だ。

 だが、アルフレッドの日常では、ひとつ大きな変化があった。

 様々な成り行きで、自称暇人を名乗る魔術師エルフィオーネが、アルフレッドの小説の魔術・時代考証担当として、彼に雇われることとなったのだ。

 彼女の知識量は予想以上―――というより、半端なものではなかった。執筆のスピードは驚くほど向上している。何しろ、聞けば答えが一瞬で、しかも出展元ソース付きで返ってくるのだ。資料を探して整合させる手間がほぼ無くなったのは、やはり相当大きかった。

 そのうえ最近では、「なるだけ執筆に専念してもらうため」「原稿を書き上げるまで退屈だから」という理由で、家事全般を、頼まれてもいないのに自ら引き受け、全てそつなくこなしてくれている。特に料理に関しては、どこの有名店かと言わんばかりのクオリティのものを用意してくれる。しかも、「作業着が欲しい」という嘆願をアリシアに密かに送っていたらしく、いつの間にかアークライト家のメイドの制服までちゃっかり用意しており、見た目だけで言えば、完全に雇われメイドそのものだ。

 これで本当にタダで良いのかと、時々申し訳なく感じることすらある。が、本人はそれを恩に着せたり、貸し借りうんぬんの話に持っていく素振りは全く見せない。抵抗は残るが、彼女なりの恩義への報い方なのだろうと納得することにし、最近はそれに頼りきっている。

「素直に包囲網に突撃して、血路を開く展開でも、いいのではないか?」

「……素直に包囲網に突撃っていうのが、そもそもどうなのよって思うけど…」

「ここぐらいは、聖武王を強く書いてやってもいいんじゃないか? ということさ。実際、ここをどうやって突破したかは資料が無く、ただ『逃げることが出来た』という記述しか存在しない。それなら妙手に拘ってイチャモンの種を撒くより、カッコよく書くのが一番だとは思うが」

「―――じゃあ仕方ない。展開を練り直すよ」

 アルフレッドはエルフィオーネから原稿を受け取ろうと、手をさし伸ばしたが、エルフィオーネはそれに応じない。

「返してくれよ。書き直すんだから」

「―――実は、全く不可能な展開というわけではない」

「なんだって?」

「要するに、使用者を変えればいいだけの話さ。聖武王が『氷結』の魔術を使用するのではなく、『与え姫』が使ったことにすればいい。この時代に存在しないはずの、強力な魔術を使用させるにはうってつけの役じゃないか。何なら『魔法』を使ったことにするのも良いかも知れん。こういった展開を不自然にしないために存在するのが、この『与え姫』というキャラクターではないのか?」

 言われて、アルフレッドは無言で、エルフィオーネの顔を直視する。

 エルフィオーネは何故か試しているかのような表情で、少しの間をおいて、アルフレッドに原稿を返した。

「―――併せて考えておく。彼女はあくまで、主人公達の導き手だ。お助けキャラ的な展開は、あんまり多用したくはない」

「なるだけ早めに決めて欲しいものだ」

 それだけ言うと、エルフィオーネは再び紅茶を啜った。

 ここ最近、「与え姫奇譚」を執筆していると、主人公の一人エルフィオーネ婦人こと「与え姫」が、喋ったり何らかの行動を取ったりするシーンを想像すると、この自称暇人の魔術師の姿が否応なしに脳裏にチラついて仕方が無い。それどころか、作内のエルフィオーネ婦人の行動原理や発言が、気づけばまるで水面にうつすかのように、この暇人と瓜二つになってしまっていることが、最近増えてきた。

 それほど、彼女はイメージと酷似しているのだ。この、「与え姫奇譚」の主人公、エルフィオーネ婦人こと「与え姫」に。

 彼女の素性については、どうも言い出し辛くて、まだ聞いてさえいないが―――。






「そろそろ、仕事の時間だろう。アルフレッド」

「おっと。じゃあ、出るか」

 昼食を取り終えると、本業へと出立する時刻となった。

 アルフレッドはジャケットを羽織ると、鋼鉄の鞘に封印された両手剣を後ろ腰に装着し、エントランスのドアをくぐった。そしてそのかたわらには、メイド服姿のエルフィオーネの姿もある。

 本日、アルフレッドの所属する保守保安業務ギルド「アイギス」の事務所で、仕事の打ち合わせがある。他領のギルドと合同で行われる、報酬もリスクも上々な、いわゆる「大仕事」だ。

 実を言うと、参加する条件には「高位の魔術師が同伴」とあり、最初は出る幕が無いと断るつもりだった。だがエルフィオーネが興味を示したので、本日、彼女を連れてその詳細を聞きにいく、というのが事の次第だ。実力に見合わない者が口出し、参入してくるのを防ぐため、依頼の内容等は秘密とされている。


 イザキの海の男達は、ほぼほぼ漁に出払っている。喧騒の元凶ともいえる連中がいない町は、若干閑散とした雰囲気で、秋風と一緒に、どことなく物悲しい空気を作り出している。

「おっ、アルフレッド殿!」

 その静寂をやぶって、前方からナ国の装束「キモノ」を身に纏った長身の青年の姿が見えてくる。ウシオマルだ。

 相変わらず酒壷を吊り下げ、素面の状態ではないようだ。だが、仕事を請け負っているようで、大振りの術具を背負った、屈強でガラの悪い同業の男二人を連れている。

「なんじゃ、アルフレッド殿も仕事か! どうじゃ? 今から景気づけに、一発酒盛りでも」

「ばーか。昼間っからそんなに飲んで、仕事シクっても知らんぞ」

 ウシオマルは「大丈夫じゃって!」と無駄に大きな声で笑いながらアルフレッドの背中をバンバン叩く。

「おう、アルフレッド。その女、本当にただのメイドだったのか。美人をコマして、隅に置けねえと思ってたんだがなあ」

 ガラの悪い男達が前に出てきて、アルフレッドを、威圧するようにして睨んでくる。

「なあ、エルフィオーネさんよ。アルフレッドの野郎なんざ放っておいて、今から飲みにいかねえ? 良い店知ってんだ」

 アルコール臭がこびりついた口臭を撒き散らしながら、男達がエルフィオーネに詰め寄る。

 だが、エルフィオーネは眉根を寄せる素振り一つ見せず一礼すると「お申し出はあり難いのですが」と、にべもなく誘いを一蹴した。

「お堅いねぇ。あんたみたいないい女は、もっと遊んでナンボだぜ」

 自ら最強の暇人を名乗って憚らない、堅いなどという言葉とはほぼ無縁の、本来の彼女を知ればまた面食らうのだろうが、ここは何も言わず黙っておいた。

 彼女を雇ったばかりの頃は、外出時に一緒に行動していると、道行く顔なじみから「新しい女か」やら「いつの間に」やらと男女問わず質問攻めを引っ切り無しにうけ、その度に誤解だと説明しなくてはならなかった。その点、このメイド服姿ならば、お互いの関係が仕事ビジネス上のものだと一目瞭然だ。周囲に浸透するまではしばらく外出はこの姿で、とアルフレッドが発案し、エルフィオーネも甘んじてそれに応じてくれている。一張羅を取り上げられ、若干不本意そうではあるが。

「用が無いなら、そろそろ通してくれないか。俺も今から仕事なんだ」

 アルフレッドはエルフィオーネの一歩前に出ると、自身よりずっと長身の男たち二人を、顎を突き出すようにして見上げながら言った。

「ちっ。相変わらずくそ真面目な野郎だぜ」

「お生憎様。それが取り柄みたいなモンでね」

 それに男達も応じ、一触即発とまでは言わないものの、メンチの切りあいに発展した。

「何か文句でも言いたげだけど?」

「ああ? 大有りだよ。てめえがその取り柄のくそ真面目で、つまらねぇ仕事をバカみてぇに片っ端から拾ってきて引き受けるせいで、調子に乗られて最近じゃ催事の見回りだの、人探しだの、はした金の退屈な仕事ばっかり無駄に増えやがる。安請けの何でも屋じゃねえんだぞ、ギルドは」

「まったくだ。こうも看板がナメられちゃ、今後、コイツを思いっきりブン回すような大仕事には、出会えなくなるんじゃないですかねぇ? アルフレッドさんよ」

 凄まれるが、アルフレッドは一歩も引かず、負けじと応戦した。

「ギルドの人員と仕事の供給のバランスが取れてなかったんだから、ちょうど良かったじゃないか。おたくらに優先権がある仕事しか無いんじゃ、でかい依頼クエストが無い限り、俺みたいにカタギでやってる連中が食っていけねぇ。それに、賭場カジノや酒場、娼館の用心棒ケツモチの仕事は、今まで通り、ちゃんとおたくらに優先的に斡旋されてるんだから、それと併せれば、シノギの稼ぎはちゃんと増えてるんだろ? そのバカでかい獲物をブンまわさなくとも足腰一つでちゃんと金が入ってくる点、請け負う仕事が無くて延々酒場で酔っ払ってくだ巻いてるよりは、よっぽど有意義だと思うがねぇ。それとも何か? おたくらのボスがシノギでの稼ぎのことで叱責受けてもいいって言うんですかねぇ。ボンズの兄さん」

「ぁんだとテメェ……」

 ここで、ようやく仲裁が入った。ウシオマルだ。

「まあまあまあまあ、二人とも。ここはワシに免じて……。確かに、最初はワシも、ボンズの兄ぃと同じようにおもうとったこともある。が、アルフレッド殿の言にも一理ある。でかい仕事一発が回ってくるまで素寒貧すかんぴんではおまんまの食い上げじゃ。それに、仕事が増えたのは町のモンからの信頼が上がった証と前向きに考えればよい! 小さい仕事でも、こなして財布に金を入れておけば、こうやって楽しく仕事前に一杯やる心の余裕も出るというわけよ! 信頼が上がれば大きい仕事もいずれ回ってくる! 店のサービスも良くなる! おまけに女子おなごにもモテるようになる!」

 酔った勢いでウシオマルが一際大きく笑い声を上げ、その後で「あっ、最後のはシャーロット殿には内緒じゃからな」と耳打ちをする。

 珍しく、見事なほどのフォローで場を丸め込んでしまった。こいつは素面でないときのほうが頭がよく回るように出来ているらしい。そしてそのまま、ウシオマルは男達の背中を押し、舞台袖から退場するように、その場から去らせようとする。

「それではアルフレッド殿!! 怪我には気をつけるんじゃぞ!」

「お前もな。何の仕事に出るんだ?」

「商船の用心棒じゃあ! 海賊さん達に逢うたら、ありったけの歓迎をしてやるつもりじゃ!」

 ハッ、と吐き捨てるように連れの大男―――ボンズが言う。

「海賊なんざ出るわけねぇよ。アークライト領とトゥルカ領の領海なわばりといったら、通称『海賊の墓場』だ。王国内最強の武闘派アークライト侯と、水上では敵無しのトゥルカ伯。魔術を完全に封じでもしない限り、絶対に勝ち目の無い相手だ。略奪を働こうなんぞ、殺してくださいって言ってる様なもんだぜ」

 そして、背を向けて去っていく。

 三人の去り際に、沈黙を貫いていたエルフィオーネがぽつり、と呟いた。

「―――魔術を完全に封じでもしない限り……か」




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