第16話 事件の顛末





 むせ返るような、だが、嗅ぎ覚えのある悪臭。

 アルフレッドはこみ上げる猛烈な吐き気を堪えながら、辛うじて、牢屋のある警備詰所から抜け出した。あまりのことに腰を抜かし、放心状態になっていた獄吏に、肩を貸しながら。

 悲鳴を聞いて集ってきたらしい酔っ払いと野次馬達が、怖いもの見たさでざわついている。だが、アルフレッドと、血肉にまみれた獄吏が出てくると、そのあまりの悪臭に全員がざざっと後ずさりした。嘔吐している者もいる。

「アルフレッド殿、どうじゃった? ……うっ、何じゃその臭いは!」

「―――見ての通りさ。ひどいってモンじゃない」

 ほうほうのていで詰所から這い出てきた警備員達が、アンズになだめられながら詰問されている。だが、歯をカチカチと、まるで凍えるように鳴らしながらなので、まるで会話になっていない。

「落ち着き……落ち着いてな。ゆっくしでいい。な? やから、中で何があったんか、言うてみて」

「あ、あ、あ、あの、あのあのあのあ、あ……」

「んー……。だめみたいやねぇ」

 アンズはため息をつくと、異臭が立ち込めてくる詰所の入り口を見た。

「しゃあないなあ。気は乗らんのやけど、ちぃと見てくるとするかねぇ」

「ワシは遠慮しとくわ……。確実に、呑んだものをオエーする自信あるわ……」

「情けなし」

 そう罵り捨て、アンズは二の足を踏みつつも、詰所の中に入っていく。

 殺られた。

 口封じを、完遂された。

 これで、事件の真相は闇の中だ。究明は、完全に暗礁に乗り上げた形になる。

 だが妙なことに、血まみれではあるが、警備員や獄吏には怪我らしきものは無い。襲撃を受けたような形跡は、不思議と存在しないのだ。

「……いきなり」

 肩を担いでいた獄吏が我に返った。アルフレッドは焦らず、ゆっくりと、彼をその場に座らせる。顔面は蒼白で、小刻みに震えている。

「一体、中で何が起こった?」

「や、奴らが……ここから出せ出せと喚いていた奴らが……きゅ、きゅ、急に静かになったかと思ったら……」

 口早で、掠れるようなその声に、アルフレッドはつぶさに耳を傾けている。

「いつの間にか、暗殺されていたのか?」

 獄吏は俯きながら頭を横に振る。

「―――違う! 奴らが……と、と、突然爆発したんだ!! 何もしていないのに……! 何もされていないのに!! 『ぱぁん』って、弾けるように……!!  全員、残らず……!!!」

「……そうか」

 確かに現場は、その証言通りの光景を呈していた。

 詰所内は、さながらミートソースの洪水かといった、一面の赤だった。

 火薬や爆弾などの爆発物が爆発したような形跡は無く、まるで、空気を入れすぎた風船のように、人体が下半身を残して体内から破裂し、その血肉を壁と言う壁、天井と言う天井に撒き散らしていたのだ。

 こんなことを可能にするとしたら、やはり「魔術」しかない。

 「飼主」は駒が捕縛された時のことを想定し、最初から手を打っていたのだ。



 しばらく思案していると、アンズが戻ってきた。心底「嫌な物を見た」と言いたげな、苦虫を噛み潰したような面持ちだった。

「姐さん、大丈夫か」

「ああ。なに、屠殺場は、故国で見慣れたもんやし、大した事無いわ。―――それより、あれはおそらく、『飼主』の魔術によるモンやね……」

「やっぱり、そう思うか姐さんも」

「うん。あくまであたいの勝手な想像やけどな。定刻を過ぎる、もしくは『飼主』の名前を白状ゲロしようとする意志を見せた時にな、空気が爆発的に膨張して……ボンッ! っちゅう、空気爆弾みたいなモンを、体の中に仕込まれたんやないかな。高度な魔術やけど、それに似たモンを見たことがあるんやわ」

 どこかで、風船が、パンッと割れる音がする。アルフレッドは思わず、その光景を想像してしまった。

「……なるほど。で、それを解除できるのは、術者である『飼主』のみである、と。―――エグいな」

 これなら、戦果無くすごすご逃げ帰られても、逃亡されようとも、捕縛され「飼主」の名前を自白されそうになっても、粛清・口封じは完遂されるというわけだ。奴らの鬼気迫る追跡や殺意も、これで合点がいった。

 最初から、生命を握られていたのだ。

「それにしても―――誰やら彼やら構わず無節操に襲わせ、しかも兵は捨て駒―――。何処のどいつの仕業やか知らんけど、まー惨いことするわ。よりによってこの平穏な王国内でなぁ。反吐が出るわ」

「まったくじゃ、やっこさん、まともじゃないと見える」

 嫌悪感を露にするアンズとウシオマル。アルフレッドも、同じ心持だった。

 確かに奴らはエルフィオーネやアルフレッド達の命を、自身の意志で狙った。だがそれは「飼主」の厳命のもとでの行為だった。いくらなんでも、ああまで惨たらしく殺される道理は、ないはずだ。

 何が目的なのかはわからないが、確実に言えることは、その「飼主」には、説教と仕置きが必要だということだ。それも、一発、どぎついヤツが。

 だが、アルフレッドが何より腹が立ったことがある。

「しかし―――おかげで、当分ミートソースとかミートパイは、食えそうにないな。くそったれ」




 死臭と血で汚れたジャケットを洗濯に出し、身体にこびりついた汚れやらを落とすため、アルフレッドは町の銭湯に浸かっていた。その間の警備のヘルプは、(ウシオマルには気の毒だが)アンズに依頼してある。

 黒幕の手掛かりとなる連中が全員死んだことにかこつけられて、たぶん、臨時ボーナスはパァだ。ウシオマルは納得いかないだろうが、アルフレッドは既に諦観していた。とりあえず、清掃員と警備団長には同情する。

 そう、事件は終わった。

 だが、何も解決はしていない。

 事件の背後にあるきな臭い香りは、消えずに残っている。

 国王が未だ不在をいいことに不穏な動きを見せていると言う蛮族・ダチャ=カーン国といい、(表沙汰にはなっていないが)後継者問題で陰湿な政争を繰り広げつつある王宮内といい、そして今のこの事件といい―――。

 国王存命時はまさに「平穏」の一言だったこのアルマー王国に、何か、どす黒いものが蠢いている気がしてならない。

 まるで、500年前の「暗黒時代」を髣髴とさせるように―――。




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