第5話 収穫祭の夜に その5(魔術とは何かの説明回)




義姉者あねじゃにな、叩き出されたんじゃ。物理的に、脚で。酒気が抜けるまで帰ってくるなとのお仰せじゃ」

「そんなの、俺だって同じ事するさ。まだ相当酒臭いぞ」

 若干まだ足取りがふらつくウシオマルと駄弁りながら、アルフレッドは相変わらず年相応ではあるが身分不相応にはしゃぐアリシアの背中を苦々しい顔で見守る。

「やはり大酒樽二つはダメなようじゃのう。ワシもまだまだじゃ」

「どこにそれだけの量の水分が入るんだよ」

 普通に喋れる点と、血色がほぼ完全に戻ったということ、そして、いい加減に祭り散策に戻るために「嫌じゃ! ここは死んでも譲らんぞ! たわけが!」とほざくウシオマルをぶちのめし、アリシアと二人でシャーロットの膝から引き剥がしてから、10分ほど経過した。

「しかし、相変わらず『魔術』ちゅうのはスゴイ能力じゃのう。すっかり吐き気も取れたわ。本当なら明日は一日中悶え苦しむ羽目になっていたじゃろうに」

 ウシオマルに相槌を打つのに数秒の間が生じた。

「―――まあ、すごい力ではあるな、確かに……」

 アルフレッドは己の過去を否応なく思い起こされ、自嘲するように嗤った。



 ◆◇◆◇◆



 簡単に言えば―――魔術とは、特定の『魔術式(以下略称:術式)』と言われる、絵のような文字を介して引き起こされる超常・自然現象であり、その技術のことである。


 魔術の歴史は古く、その起源は定かではない。有史以前に築かれたと言われる遺跡群の中にも、その姿を見ることが出来る。

 今より600年前、『魔法』という超能力が、この世から消滅するまでは、ただの好事家が趣味で研究しているだけでという、極めてマイナーかつアングラな分野の技術でしかなかったが、現代においては科学とも融合し、軍事だけではなく、日常生活においても、すでに無くてはならない存在となっている。

 先刻シャーロットが見せた『蘇生』の魔術は、まさに生活の中の、代表的な魔術である。



 ◆◇◆



 魔術を使用するのに、特別な能力は必要ない。


 この世界で意思を持って生きている者であれば、誰でも使用することが出来る。動物でさえも理論上行使できる―――とされている。



 ◆◇◆



 魔術の行使は、この世界との対話であり―――コミュニケーションである。


 術者視点で言えば―――魔術を使う感覚とは、この世界とつながるイメージをもって精神集中し、頭の中で異国の言語を構築し、その言葉の内容をイメージしてみて、この「世界」に通じれば魔術が発動する、といった感じらしい。

 引き続き異国語の例に例えるなら、イントネーション・発音・文法・慣用表現などの用法が正確であるかどうか、違和感がないかでその認識率が変わるように、術式を最大限に、そして強力に扱うには、慣れと知識と理解が必要となってくるという。センスも不可欠だ。



 魔術はアレンジやカスタマイズも可能で、単語同士をつなげて文章を作るように、魔術式においてもそれは可能である。

 というより、ほぼ必須である。



 例えば効果の増強を意味する術式にも、多数の種類がある。標準言語に置き換えれば「すごく」「ごっつい」「超絶」「驚天動地」といったふうな感じで、ニュアンスも様々だ。

 これを、前後の術式との組み合わせでもって、文体として不自然でないように構成する。意味的には通じても、文体的な意味でトンチンカンな術式を組んでしまうと、効果が半減するばかりか、最悪、発動そのものを阻害することになりかねないのだという。

 また、術式を展開するにあたって、それが何を意味していたかを忘れてしまう、または構成した術式への理解が曖昧だと、魔術が「正しく世界に認識されない」―――つまり、効果の半減という事態を招いてしまうのだという。



 ◆◇◆



 術式を刻印するには、「刻印」の魔術を使える必要があり、この魔術を習得した者は「式者」という国家資格を得ることになる。そして術式が刻印されたアイテムは、魔術発動のための装置イクイップメントとなる存在として「術具」と呼ばれるようになる。


 基本的に、魔術を発動させるには、発動のための装置イクイップメントたる「術具」を術者が携帯している、もしくは、手に届く範囲内にある必要性があり、逆にそれ以外の状況―――術者の手から遠く離れる、もしくは破壊されてしまった場合は、魔術を発動するための装置が存在しなくなるため、魔術を使用することが出来なくなってしまう。

 ゆえに術具持ち同士の戦闘においては、本体への攻撃よりも、術具そのものの破壊や吹き飛ばしを狙ったほうが効率がよい場合があり、実際にそういった戦術も存在する。



 ◆◇◆



 ウシオマルを例に例えれば、奴の獲物である細身の両手剣(ナ国では「カタナ」と呼ぶらしい)『櫻吹雪サクラフブキ』と着物キモノには、基本の術式だけでも―――


 術者の身体能力を向上させ素早さを上昇させる「俊敏」。

 相手の攻撃を磁石の反発のように跳ね返す高等魔術「反発」。

 戦闘用魔術の基本中の基本で、相手の攻撃を緩和させ術者を護る「防護」。

 術者の潜在能力を引き出し、筋力を爆発的に向上させる「剛力」。

 術者の体を硬質化させ、斬撃に対する防御力を向上させる「硬化」。

 術具である刀の切れ味を向上させる「鋭利」


 ―――などといった術式が刻印されており、物理攻撃や白兵戦を、最大限に強化・サポートできるようになっている。

 ぎゃくに、それ以外の、飛び道具等を行使できるような術式は、中途半端になると言って一切設えていない。


 刻印する場所があるなら、術具を余すことなく術式で埋めてしまえばいいではないか、と思うかもしれないが、残念ながらそうはいかない。


 術具を構成する素体(例えば武器であれば木・鉄、服であれば絹・木綿・麻)には、術式を受け入れるための「容量キャパシティ」と言う概念が存在する。

 その定められた容量をオーバーフローれた場合、術式が正常に作動しないばかりか、最悪、術具としての機能を失わせる―――つまり、術具としての素体の命を絶つことにつながってしまう。


 例えば、「軽量」という術式がある。


 その名のとおり、武器を軽くし、尚且つ相手へは元の質量での打撃と同等のものを与えるという、現代においては戦闘用術式の中では基本の術式ではあるが、術具の革命をおこしたといわれ、聖武王が直々に開発したとも伝わる、トンデモ術式である。


 この「軽量」の術式は、最大限まで効能を強化すると、まるで素手と見紛うくらいまで術具の重さを軽減でき、非力な女性であっても鋼鉄製の重い武器を容易く扱えるようにできるという。

 取得するのは難しいが、利便性の高さゆえ、術具を扱う者がまず最初に覚えさせられると言われるくらいの、基本中の基本の魔術である。


 だがその一方で、素体が魔術式を受け入れる『容量キャパシティ』を著しく圧迫する術式ということでも有名である。

 ウシオマル曰く、もしこの刀に、最低レベルであっても「軽量」の術式を刻印するとしたら、「俊敏」と「硬化」の術式は棄てなければならないのだとか。このため、敢えてウシオマルはこの「軽量」の術式を刻印せず、「軽量」が浮いた分の容量を他の術式に充てている。力で勝る男性や、怪力の者にのみ許された業である。



 ◆◇◆



 そしてもう一つ魔術の行使で重要なのが、術者の精神力メンタルである。


 魔術の展開は、使用者の思考を介する必要がある以上、動じず慌てない安定した精神と、魔術を行使するために正確に思考を巡らせる精神力のタフさは不可欠である。

 動揺していたり、極度の緊張状態にあったり、怒りで我を忘れたりといった、精神が正常ではない状態だと、魔術の発動に大きな支障を来たすことになる。

 術具使い同士での模擬戦ではマナー違反ということで半ば禁止だが、いざ実戦となれば、挑発して相手を逆上させる、脅す、混乱させる、誘惑する、などといった話術や挑発の技巧は当然、大いに効果的となる。

 このため、魔術師や術具使いオンリーでの集団戦においては、軍や隊の「士気」は、魔術なしでの戦闘以上に、非常に大きなファクターとなってくる。



 総括すると―――自分の魔術の知識に自信を持ち、定められた『容量キャパシティ』の範囲内で、自身の生活や戦闘スタイルと相性のよい術式を組み、不測の事態に動じない、冷静かつ、豪胆な者ほど、術具使いや魔術師に向いているといえる。




 ただし―――それらをすべて差っ引いても、個々人の「適正」というものは、やはり存在するらしい。まるで、この世界にとって、その人間がどれほど愛されているか。どれだけ必要であるのかを示すかのように―――。

 多少の差は、努力で十分覆るレベルではあるという。

 だが「天才」はやはり存在し、当然「落ちこぼれ」も存在する。

 10年前―――国家魔術騎士養成学校アークライト領校260期生は、一体誰が定めた運命のいたずらか、まさに「天才」とよばれる人間が、集合の一声で一同に集まったような、まるで宝石箱と見紛うかのような煌きの集団だった。

 そしてアリシアの兄―――エーリック=アークライトはその集団の中で頂点に―――つまり、主席の座にいた。ルックスもずば抜けており、アリシアが一部接収した兄のファンレターの山を目にした時には、度肝を抜かされた。

 現在では、国家魔術騎士の若獅子という触れ込みがつき、空席の国王の後継者と目されるジェシカ王女とは、国王が発病し崩御するずっと前より、互いに主従の誓いを交し合ったということで、彼女の信頼厚く、ゆくゆくは女王の近衛騎士団の中でも高い地位が約束されているも同然の、まさに超エリートである。アークライト侯夫妻は「出来息子」、アリシアも「自慢のお兄様」と大変慕っている。

 彼だけではない。他の卒業生も、騎士叙任のあとは、その大半が国家魔術騎士として華の王都に上京し、故郷に錦を飾った。ほかにも、自領の騎士団長に任ぜられた者、領主として家督を継いだものもいる。差はあれ、どれも輝かしいものばかりだった。


 そして、260期生の中には、アルフレッドの名前もあった。

 もっとも、騎士叙任者の名簿には、その名はどこにも記されてはいないが―――。



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