襖の向こう側

阿井上夫

襖の向こう側

 古寺を巡っていると、時々信じられない光景に出くわすことがある。

 例えば昔、真冬の大原三千院の軒下でぼうっとしていた時がそうだった。

 その日は珍しく穏やかな日差しが、長い年月を経た庭園全体に降り注いでおり、木々に溶け残った雪がしがみついていて、さらさらとそよぐ風に、微粒子となって飛び散っていた。ちょうどよい時間だったのか、陽光がその一粒一粒を選り分けるように反射して、祝祭の日のように華やいで見えた。

 あるいは竜安寺。

 観光地化した庭の喧騒にまったく興味を惹かれず、ふと横切った廊下の向こうに古木を見た。どんな解釈をも拒否するように、ひたすら自らの欲求を具現化しながら伸び上がる幹に、軽い眩暈を感じながら立ちすくんだ。潔い、と感じた。

 そんなことをつらつらと、とりとめもなくKに話していると、彼は急にこんなことを言い出した。


「日本人は暗闇との対比で光を見るからね」


 この古い友人は、時々突拍子もないことを口にする癖がある。思考についていけずに、私が呆然としていると、Kはにやりと笑い、続けた。

「谷崎潤一郎は、暗闇に浮かぶ日本女性のほの白い顔や、黒い塗り椀の中に溜まった白味噌に美を感じた。西洋風の白いタイルを、外国人の白い歯のようだといって嫌った。ここには清潔感や陽気さといった評価基準とは相容れないものがある」

 私にはまだよく分からなかった。

「日本人は屈折しているということか」

 Kは笑い出した。

「それは短絡的すぎるよ」

 少々足が痺れてきたのか、もぞもぞと体を入れ替えながら続ける。

「例えばここの造りを見てみよう。襖と障子があるね」

「ああ」

「襖を閉じると闇が訪れる。これはカーテンとは別のものだ。カーテンは眠りの邪魔になるものを仕切るためのものだからね。でも、襖は違うんだ。」

「光を遮るのは同じだろう」

「違うね」

 Kは少し俯き加減になって言った。

「襖は闇を閉じ込めるための道具さ」

「では障子はどうなるんだ」

「境界線だよ。ここで闇と光が交錯するんだ」

「では、障子の向こうは光の世界か」

「いや」

 斜め下方から凄みのある目がこちらを見つめる。

「異界かな」

「なんだよ、それは」

「西洋は光の中に神を見る。東洋では、いや、日本といったほうが正確かな、闇と蝋燭の微かな炎の中に神を見つけるんだ。そこが神域なのさ」

 私はぞくりとして、明るい廊下から襖の向こうを振り返る。

 暗がりの中には、座敷童子のような少女が、ぽつりと佇んでいた。


( 終り )

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