第9話 身から出た大戦争
決闘が終わった翌日のこと。
昼間はリハビリを兼ねて、現実に外出した。近所の公園をぶらついたり、スーパーでおやつとジュースを買ったくらいだけど。
家に帰った後は、決闘の準備でしばらく読めないでいた電子書籍の続きを楽しんだ。
「さて――」
本を読み終わり、読後の余韻も満喫して、さあいざ【ルインズエイジ】にログインしようと思い立ったのが午後四時半。
ベッドに寝転んで、いつものようにログイン。昨日、ログアウトした場所である街中の一角に降り立つ。
「え……?」
わたしが降り立ったそこは――阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
反射的に地図を見て確かめたけれど、ここは間違いなく市街マップだ。だけど、通りを埋め尽くす死体の山――生命力ゼロになって死亡状態になって操作不能状態になったプレイヤーアバターの山と、その傍でぼんやり佇んでいる幽霊アバターたちの姿は、ここで激しい戦闘があったことを如実に物語っていた。
でも、どうして市街マップで戦闘が?
このマップに敵性MOBが
つまりは、市街マップではPK設定を許可した者同士でしか戦えない、ということだ。
それなのに死屍累々の惨状になっているということは……
「……どういうことよ?」
運営側がミスか何かで市街マップ内でのPK設定を変えてしまったとか、突発イベントで超強力な敵性MOBが街中に沸いたとか、可能性はいくつかぱっと思いついた。でも、その場合は公式サイトに発表があってもいいと思う。でも、そんな発表は出ていなかった。ログイン前に確認した記憶があるから、これは間違いない。
「運営は関係ないとすると……プレイヤー同士の戦闘?」
それしか原因は考えられなくなる。
でもそれだと、ここで死体状態になって転がっている人たちは全員が全員、初期設定は不許可になっているPK設定を解禁させたということになるのだけど……そんなことって、あるのだろうか?
「プレイヤーが挙ってPK設定にした理由とは一体……」
呟いてみても、その弾みで答えを思いついたりはしない。
「……って、べつに自問自答する必要もないんだった」
通常のアバターは死体状態になって倒れているから喋れないけれど、その傍に立っている幽霊アバターは普通に喋れるのだ。彼らに聞けば、一体ここで何が起きたのかが分かるはず……。
そのとき唐突にものすごい爆音が轟いた。
「――ッ!?」
わたしはその場で思わず飛び跳ねながら、音のしたほうにぱっと振り返る。爆発音が聞こえてきたのは、ここからかなり離れた場所だ。たぶん、大通りを一本か二本は挟んだ向こうだろう。
爆発音のしたところへ行ってみるべきか、それとも聞こえなかったことにするべきか――。
悩んでいたわたしの耳を、またしても轟音が打った。今度のは爆発音ではなく、空をばりばりと裂く落雷の音だ。しかも、さっきの爆発音とは、聞こえてきた方向がまるで逆だった。
「え……え、ぇ……どういう……こと?」
異なる場所で爆発と落雷が起きている? ふたつはそれぞれ別個の、無関係な出来事? というか、何が起こっているの!?
驚いているわたしの耳を、またしても爆発音が打った。今度のはすぐ近くだ……というか、近づいてきている!?
いま立っている通りの向こうから聞こえてきた爆発音は、一度では終わらずに何度も立て続けに轟きながら、だんだんとこちらへ迫ってきていた。それが意味するところは……。
「……よし、プランBで!」
わたしはすぐさま手を振って操作盤を呼び出すと、ログアウトした。何が起きているのか分からなくとも、何が起きているのか分からない上に死体が累々と転がっているような状況なんて、何が起きているのかを考えるより、さっさと逃げるのが賢い選択というものだった。
【ルインズエイジ】からログアウトして、そのままメタバースからも切断した後になってから、ログアウトする前に相方ちゃんの無事を確かめておくくらいのことは試みていても良かったな、と思った。
ゲーム外での連絡先は聞いていなかったから、相方ちゃんの安否を確認するには、ゲーム内で
しかもタイミング良く、階下からお母さんに呼ばれて、夕飯の支度を手伝わされた。最近はギプスと松葉杖がなくなって、むしろ筋肉を落とさないために立ったり歩いたりするように言われているから、これまで骨折を理由にサボってきた手伝いを倍返しとばかりに言いつけられることが多いのだ。
そんなこんなで、わたしがお手伝いノルマから解放されたのは、夕飯とお風呂を終えた後のことだった。
湯上がりの火照った身体にタンクトップとホットパンツを身につけて、ベッドへ顔から大の字に倒れ込む。
「扇風機、起動。風速、三。自動管理モード、オン」
顔を枕に埋めたまま、首筋の脳接に指を宛がって命令を飛ばす。そうすると、ベッドの傍らに置いてあった扇風機が、首をゆっくりと横に振りながら送風を始めた。脳接による家電制御というやつだ。
なお言っておくと、わたしの部屋には冷暖房もある。だけど、窓を閉めて冷房を入れるより、窓を開け放して扇風機の風を浴びるほうが好きなのだ。いまどき
扇風機の生温い風を浴びながら、わたしは仰向けに寝直して目を閉じる。そしてもう一度、脳接を起動させると、メタバースへと意識を接続させた。いつもだったら、そのまま【ルインズエイジ】の公式サイトに向かうところだけど、今回はそうしないで情報サイトを巡ってみることにした。
ゲームにログインした際、降り立つ場所は前回のログアウト地点だ。ということは、さっきのよく分からない事態がまだ続いていた場合、ログアウトした瞬間に巻き込まれて死体の仲間入りをしてしまう可能性だってある。だからまずは、情報収集をしておきたいのだ。
あれだけ大規模なことがあったのだから、大手の情報サイトや掲示板を巡れば、何があったのかはすぐに分かると思った。事実、どこのサイトもその話題で持ちきりになっていた……が、あまりにも事件の規模が大きすぎて、全容を把握するのには日付がまわる頃までかかってしまった。
どこの掲示板も、どこの
そんなときに見つけたのが、いわゆる『まとめ記事』というやつだ。ここまでの経緯を大雑把にまとめた記事である。その記事からも、それに対する感想や関連記事を呼び出すことができるから、まず『まとめ記事』を読んで事の概要を把握し、それから関連する記事などを読み込んでいく――という順番で読み込んでいって、わたしはどうにか事態を呑み込むことができた。
事の起こりは、今日の午後二時頃だったという。
学生が休みの期間ということもあって、【ルインズエイジ】には休日の午後をのんびりと楽しむ人々がいつものように犇めいていた。遺跡やその周辺マップで探索している人もいれば、街中でのお喋りや飲み食いを満喫している人も多い。
天候設定も抜けるような青空で、市街マップで駄弁っているアバターたちの顔はどれも、ほんわかとしていた……というのは、わたしの勝手な想像だけど。
そんな楽しい休日の最中、大通りのひとつに面した酒場でちょっとした“いざこざ”が起きた。仲間数人と疑似アルコールの摂取を楽しんでいたシュバこと『夜を穿つ黒騎の神槍』の団員に、アークこと『九天を照らす神遣う方舟』の団員数名が因縁を吹っかけたのだ。
アークの団員は、シュバの面々が酒と料理を囲んで歓談していたところに、
「おまえら、俺を笑ってやがるな!」
いきなりそんな感じの言いがかりをつけて、殴りかかっていったのだ。そのときの状況については、たまたまその場に居合わせていた複数の客が動画を撮っていた。わたしもメタバース上に投稿されたその動画を見たけれど、確かに“言いがかり”とした言いようのない状況だった。
シュバの団員数名がテーブルを囲んで、酒や料理を突きつつ笑い合っている。そこへ画面外からアークの団員一名がやってきて、シュバの面々を大声で罵倒する。そして、面食らっている面々のなかでも一番大笑いしていた一人の胸ぐらを掴んで、さらに罵倒した。
「笑いやがって、この野郎……ああっ、そうか! 分かったぞ、おまえだったんだな! おまえがあの子にあんなことやこんなことをした張本人だったんだなっ!!」
動画の音声には、アークの男がシュバの男をそう言って罵っている声がはっきりと収録されていた。
動画はさらに続き、アークの男と一緒にいた仲間たちが、激昂している男をシュバの団員から引き剥がそうとする。まあ、そんなことをしなくとも、胸ぐらを掴まれているシュバの団員が接触防止機能を作動させれば良いだけの話なのだが……彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、そこまで思考が働いていないようだった。
そうしている間も、アークの激昂している男は吠え続ける。
「おまえらは最低の糞野郎集団だ! か弱い女子供に乱暴するしかできない犯罪者ども! おまえらなんか、おれたちアークがぶっ潰してやるッ!! おまえら負け犬に躾ってもんを叩き込んでやらぁッ!!」
男の罵倒に、それまで狐に抓まれたような顔をしていたシュバの面々も、顔つきを険しくさせた。
「おい……負け犬ってのは、どういう意味だ?」
シュバの一人が怒気を孕んだ声で聞き返す。アークの人は、相手が怒っているのも分からないほど頭に血が上っているのか、聞き返してきた相手に向かって嘲笑を浴びせる。
「おいおい、闘技場で俺たちに惨敗したこと、昨日の今日でもう忘れたのか? どんだけ鳥頭なんだよ。負け犬じゃなくて負け鳥か、はっはぁ!」
「……昨日のあれは、確かにおまえらの勝ちだ。けどなぁ、おまえが出場したわけでもなければ、おまえが俺に勝ったわけでもないんだぞ」
「いい負け惜しみだな! さすが、か弱い女の子を寄って集って乱暴するような低脳下劣な糞野郎どもは言うことが違うなぁ!」
「おまえはさっきから何を言っているんだ?」
顔に怒りを滲ませていたシュバ団員も、あまりにも話が通じていないアーク団員の言動に、困惑の声で唸る。アークの男はそれを、馬鹿にされた、と受け取ったらしい。
「しらばっくれるんじゃねぇッ!! あの子が俺に助けを求めたのを知って、おまえらが引退に追い込んだんだろぉがあッ!!」
アークの男はもはや聞き取るのも難しい絶叫を上げるや、ずっと相手の胸ぐらを掴んでいた手でもって相手を突き飛ばしながら、その手を真横に大きく振り払った。操作盤を呼び出したのだ。
呼び出された操作盤に男が指を走らせると、しゃきん、と時代劇でよく聞く刀を抜いたときのような音がした。そして同時に、男の頭上に表示されていた名前の横に、剣の
その途端、動画に映っていたアバターたち全員に緊張が走った。わたしはこのアイコンを実際に見たことがないけれど、先に動画の解説を見ていたから想像はつく。これは、PK設定を解禁したという表示なのだ。
「おいおい……もう洒落じゃ済まないぞ」
突き飛ばされて踏鞴を踏んだシュバの男は、アークの男がしたのと同じように腕を振って、頭上に剣の意匠を表示させた。
市街マップでPK設定を許可するというのは、それこそ時代劇によくあるような、武士が刀を抜き合うようなものだ。二人を取り巻いていたアークとシュバの団員たちが、いっそう色めき立つのも当然だった。
二人がPK解禁してから両チーム全員がPK解禁するまでは、あっという間だった。
「てめぇら、チームの名前を出した以上は覚悟できてんだろぉなあ!?」
「どうやら君たちは、昨日、公衆の面前であれだけ無様な姿を晒しても、まだ負け足りないようだね」
「あぁ!? この期に及んで口先だけで吠えてんじゃねぇぞッ!!」
「それはこちらの台詞だ。二度と生意気な口が利けないように躾けてあげよう!」
売り言葉に買い言葉の応酬が、武器と武器との激突に変わる。酒場には当然、他の客もいて、事の成り行きを見守っていたのだけど、乱闘が始まるとすぐに離れて、遠巻きに野次や声援を飛ばし始めていた。
何度も述べていることだけど、市街マップではPK設定を許可していなかぎり、乱闘に巻き込まれてダメージを食らうことはない。ただし、乱闘の邪魔をしたことで目を付けられる可能性は否めないから、乱闘の邪魔をしないように離れるのは正解だったと思う。
大方の野次馬は、この乱闘を突発イベントとして楽しんでいた。昨日、闘技場で大々的に催された決闘のこともあったから、アークとシュバどちらの団員が最後まで立っているかで賭けをしている連中もいたようだ。
誰もが、どうせ三十分もしないで乱闘騒ぎは収束すると高を括っていた。しかし、現実にはそうならなかった。
「くっ……シュバルツナイトを舐めんじゃねぇぞ!」
まず先に、シュバの連中が仲間に応援を頼んだ。赤い目をした者も混じった集団が酒場に駆け込んでくるや、一斉に腕を振ってPK設定を許可し、得物を抜く。たちまち数に差がついて、アーク側の団員が倒されていく。プレイヤーアバター以外の
「仲間を呼ぶとは卑怯な……! そっちがその気なら、こちらにも考えがあるぞ!」
やや遅れて、アークの増援も駆けつける。参加者が一気に膨れ上がった乱闘は、もう酒場のなかでは収まりきらず、野次馬たちを押し出すようにして大通りにまで戦場を広げる。
その頃になると動画を撮っていた者も増えて、まとめサイトにも多数の動画が納められている。各種掲示板で実況が始まったのも同じ頃だったようだ。
目撃者の数が急速に増えたことは、事態を悪い方へと進展させた。火事場泥棒を働こうという狼藉者が出てきたのだ。
野外マップでなら、死体か略奪者のアバターどちらか一方だけがPK設定していれば、死体からアイテムを【略奪】することができる。だけど市街マップでは、奪う側と奪われる側の双方共にPK設定を許可していないと【略奪】は成立しない。
酒場やその周辺には、死体状態になったアークとシュバの団員がアバターが転がっている。普通だったら、たとえ死んでしまっても即座に蘇生されるか、仲間に守られていて手を出すなんて考えられない彼らの死体がいま、無防備にごろごろと転がっているのだ。
これは千載一遇の好機だ――と、そう考えた者は少なくなかった。
彼らはPK設定を許可して乱闘の渦中に駆け寄り、死体の傍らに跪いて【略奪】を試みた。
【略奪】は対象となる死体に接触すれば、略奪をするか否かの選択肢が出て、それにYES《はい》と答えれば実行開始されるらしい。実行が完了するまでには三十秒の時間がかかり、その間は【略奪】を中断する以外の行動が一切取れなくなる。また、実行中に攻撃を受けたり状態異常になったりすると、自動で中断されてしまう。
中断されることなく実行完了すると、死体の所持しているアイテムのなかから
――以上が【略奪】の大まかな説明である。
何度でも試行できるとはいえ、一度の【略奪】で奪えるのは所持品のうち、たったひとつだけだ。長時間にわたって邪魔の入らない状況でなければ、貴重なものを奪うのは難しい。また、対象がそもそもろくなものを所持していなければ、赤目になった分だけ損したということにもなる。
だけど、このとき転がっていた死体は、【ルインズエイジ】でも有数の強さ、すなわち、その強さに見合った資産を持っているだろう強豪チームのものばかりだ。しかも、どちらのチームの生存者も戦うのに夢中で、死体を蘇生させることはおろか、死体に手を出されないよう見張っている余裕さえないという有様だ。大量の鴨が、葱を背負って無防備に寝そべっているようなものだった。
最初に飛び出した数人が【略奪】を始めると、それに続いて何人もの野次馬が死体に群がり始める。だけど、死体のほうだって黙って見ていたわけではない。本来のアバターが死体になって身動きひとつ取れない状態になっていても、幽霊アバターは声が出せるのだ。
のっぺらぼうの幽霊アバターたちが一斉に助けを求めると、争っていたシュバとアークの面々がすぐさま駆けつけてきて、死体の横にしゃがんでいる火事場泥棒どもを切り伏せたり、あるいは叩き潰したり、焼き尽くしたりしていった。なかには、【略奪】を中断してPK設定を不許可に戻そうとした者もいたようだけど、周囲で戦闘が起きている場合はPK設定を不許可に戻せないという制限があるらしく、結局は倒されて死体の仲間入りをしていった。
そこへ、火事場泥棒の第二陣が飛び込んでいく。アークとシュバの団員たちの死体を漁ろうとしたら制裁されるけれど、そいつらから【略奪】しようとした連中から【略奪】するのなら邪魔されないだろう――と考えたわけである。だが、それは甘すぎる考えだった。
火事場泥棒の死体を漁ろうとして無防備になった彼らは、格好の的でしかなかった。野次馬の内からさらに何人かが、PK設定を許可して飛び出し、無防備な姿を晒している連中を攻撃していく。単独で突っ込んでいく者もいたけれど、ここまでくると数人でパーティを組んで戦い始める者も少なくなかった。【略奪】するためにも、また、されないためにも、数人単位で戦うしかないのだ。
ここで、戦況がさらに大きく動く。情報が錯綜していて、まとめサイトでも確定的な情報は出ていないけれど、もっとも信憑性が高い、として紹介されていた情報によると、こういうことらしい。
乱闘の最中、シュバの幹部が倒されてしまい、運悪く【略奪】されてしまった。さらに間の悪いことに、彼は探索から帰ってきた直後だか、これから売りに行く途中だったかで、超高額のアイテムを持ち歩いていたのだが、なんとそのアイテムを【略奪】されてしまったのだという。
このことに激怒した彼は、アーク幹部としての強権を発動させて、アークの団員のみならず同盟チームにも大号令をかけて、シュバへの復讐戦を開始した。これを受けて、シュバ側も同盟チームを掻き集めて数を揃えた。かくして、酒場の一角に端を発した喧嘩騒ぎは、街全体を戦場とした二大勢力の総力戦にまで膨れ上がった。また、そこに火事場泥棒を狙った連中やら、ただたんに暴れたいだけの連中までもが続々と飛び込んだことで、かつてない規模の市街戦に発展したということだった。
わたしがログインしたのは、乱闘が二大同盟の激突という様相を呈してから三十分ほど経ったあたりの、戦闘が一番激しかった時間帯だったみたいだ。山ほど投稿されている市街戦の動画を見ていると、わたしが戦闘の真っ直中にログインしなかったことは奇跡的だったと言えるようだ。
まあ実際のところ、PK設定を許可していなければ、戦闘に巻き込まれて死んでしまうこともないわけだが、わたしのようにログインした途端に面食らって即ログアウトした人も結構いたらしい。
本日午後二時すぎから始まった戦闘は、午後三時半にはアーク、シュバ両チームの同盟チームを巻き込んだ一大戦争に発展し、そこからさらに激化の一途を辿ったが、午後六時には収束したようだった。
乱戦状態では、倒した相手から【略奪】することは難しいし、蘇生してもらうこともまた難しい。PK設定しているアバターを蘇生させるには、蘇生アイテムや魔術を使う側もPK設定を許可しないといけない。でも、許可すれば攻撃に巻き込まれてしまって、他人を蘇生させるどころではなくなってしまう。
いちおう、幽霊状態から【リポップ】を選択すれば自力で復活することもできるけれど、それをすると熟練度の何割かが失われてしまう。熟練度の高いプレイヤーほど、その罰則は重たくなって、取り戻すために数日を要したりすることもあるとか。
そのため、戦闘にあまり乗り気でなかったプレイヤーは、倒された時点で戦線復帰を諦め、交戦状態が終わってから仲間に蘇生してしてもらうのを待つことにした。彼らの死体には漁夫の利に預かろうする略奪者が取りついたりもしたけれど、どのみち【リポップ】を選択すれば、所持アイテムは全て失われるのだ。それを考えれば、ひとつやふたつ奪われる程度は許容範囲だろうし、そもそも戦闘すると分かって招集された連中たちは、あらかじめ所持品を倉庫に預けてから参戦したの決まっている。
そんなわけで、死体のまま復帰しないでいる者が増えるにつれて戦闘も次第に収束していった。事態が沈静化してくると、どさくさに紛れて略奪を働こうという連中も引き上げていく。最後まで何度もリポップして戦い続けたのは、シュバとアークのなかでもとくに相手へ対する敵愾心が強い鷹派の連中ばかりだったという。
最後まで罵声を発しながら斬り合っていた連中も、午後六時をまわった頃には不毛さに気づいて引き上げていった。相手から【略奪】する余裕がないのにリポップしてまで戦い続けても、得るものは何一つない。徒に熟練度を磨り減らせていくばかりだ。
まとめサイトで取り上げられていた自称関係者の話によれば、両チームの鷹派はそれでも戦い続けようとしたらしいが、団長直々の撤退命令が出されて渋々ながら従ったという話だった。
ともかく、市街マップ全域を戦場とした不毛な総力戦は、いまから数時間前に終結していた。街路に犇めいていた死体たちも蘇生されているだろうし、倒壊した街並みもとっくに自動修復が完了しているだろう。
「……よし、行ってみるか」
わたしは情報サイトから立ち去ると、その足で【ルインズエイジ】にログインした。
ログインして数秒で個人会話が飛んできた。
『お姉さん、やっと来たぁ!』
相方ちゃんからだ。わたしはひとまず、手近なベンチに腰を下ろして返事する。
「ごめんね、待たせて。お昼にも一回ログインしたんだけど、ちょうど戦争中でびっくりしてログアウトしちゃってたんだよね」
『あー、あたしもそうだったよぉ。巻き込まれるの嫌だから、しばらくメタバースで実況だけ見ていたよ』
「戦闘をリアルタイムで観戦していたってわけね」
『うん、そうそう。で、終わったみたいになってからログインしてたの』
「なるほどね……って、あれ? 戦闘が終わったのは確か、午後六時って話だったよね。ということはもしかして、六時過ぎからずっとログインして、わたしを待ってたり……?」
べつにはっきりと待ち合わせしていたわけではないけれど、いつもの時間にログインしなかったことは申し訳なく思った。
『あっ、ううん。べつに時間を決めていたわけじゃないから全然気にしないで。ただ、さ……』
いつになく歯切れの悪い相方ちゃんの口振りに、対面していなくとも彼女が困り果てた顔をしているのが想像できた。
「……なに? 何かあったの?」
『うん、まあ……あったというか、うん……あったんだよね、メールが、さ』
「メール? ゲーム内での?」
『うん』
「知らない人から?」
『ん……知らない人ってこともないけど、知り合いっていうわけでもない人、かな』
「何よ、それ。何の謎かけよ? というか、わたしも知っている人なの? そうじゃなかったら、そもそも分かるわけがないんだけど」
『あー……一度くらい、話題に出したことがあったと思うんだけど、覚えてるかにゃあ?』
「……そんなの覚えてるわけないじゃない。いいから、ちゃんと話してよ」
『うん……じゃあ、いつものお店で落ち合ってからで良い?』
つまり、
「分かった。じゃあ、後でね」
『うんっ』
わたしたちは一旦、会話を終わらせた。
その十分後、わたしと相方ちゃんはいつもの甘味処で落ち合った。
「じゃあ、話の続きを聞かせてもらいましょうか」
お互いの注文が卓に並んだところで、わたしからそう切り出すと、相方ちゃんは少し口ごもってから話し始めた。
「あのさ……お姉さんは今日の大戦争の発端になった出来事のこと、知ってる?」
「うん。酒場で談笑していたシュバの人たちに、アークの人が因縁を吹っかけたのが発端になったんだよね。ネットに上がっていた動画も見たけど、あの人は結局、どうして喧嘩を売りにきたのかな……?」
「うん、まあ……ぶっちゃけ言っちゃうと、その喧嘩の原因って……あたしなんだよね、たぶん……間違いなく」
「……え? どういうこと?」
相方ちゃんの告白は、さすがに予想外なものだった。街中を大混乱させた戦闘の原因が、相方ちゃん? それって、どういう意味?
混乱しているわたしに、相方ちゃんは人差し指をぴんと立てて言ってくる。
「お姉さん、覚えてない? あたしが、シュバへの対抗心を煽るためにアークの幹部と何度か会っていたこと」
「あっ」
わたしも思い出した。アークとシュバの両チーム幹部に決闘の話を持ちかける下準備として、相方ちゃんにはアークのなかでも武闘派かつ“ちょろそう”な幹部に狙いをつけて接触してもらい、シュバへの敵対心を煽ってもらったのだった。
そこまで思い出せば、相方ちゃんが何を言わんとしているのかも察しがついてくる。
「もしかして……一番最初に因縁をつけたシュバの団員って、そのときの人……?」
「うん、そうなの……えへっ」
相方ちゃんは照れ笑いを浮かべて、こくりと頷いた。
「えへ、じゃないでしょ……」
わたしの口からは盛大な溜息。
でもまあ、そういうことなら、彼がどうしてアークの団員にいきなり因縁を吹っかけたのかも納得がいった。
相方ちゃんはアークへの敵愾心を煽るため、例の彼に「あたし、アークの人たちに酷いことされて……」という大嘘を吹き込んだと言っていた。つまり、酒場での一件を撮っていた動画内で彼が口走っていた「あの子」や「か弱い女の子」というのは、相方ちゃんのことを指していたのだ。
「そういえば聞いてなかったけど……その、例の彼にあることないこと吹き込んで焚きつけた後は、会ったりしていたの?」
わたしの問いかけに、相方ちゃんは小さく頭を振った。
「ううん、全然。決闘が成立したらもう、会う必要もなかったし」
「それはそうだけど……でもそれって、相手からしたら、気になっていた女の子が過去を打ち明けてきた途端に消息を絶った、みたいなことになっているんじゃない?」
「い、いやぁ……だって普通、そこまで
ばんばんっとテーブルを叩いて訴える相方ちゃん。わりと可愛い仕草だけど、わたしにそんな可愛いアピールしたって、起きてしまったことをなかったことにはできないというのに。
「で――どうするつもりなの?」
「どうするってぇ……」
「例の彼に会いに行ったりしないの?」
「そんなことしたら、あたし、本気で身の破滅じゃない!?」
「そう?」
「そうだよ! だって、あの彼に会ったら、あたしが嘘を吐いていたことを白状しないといけなくなっちゃうじゃない。あいつ、騙されてたって知ったら……うぅ! あたし、お嫁に行けない身体にされるぅ!!」
「そんなわけないでしょ」
接触防止機能を任意で切らないかぎり、いかがわしいことをされる危険はない。というかそもそも、しょせんはゲーム内での話だ。そこまで大袈裟に嘆くこともなかろうに。
「あぁ! お姉さん、しょせんは他人事だしぃって目をしてるぅ!」
相方ちゃんがテーブルをばんばん叩く。
「こらこら、他のお客さんの迷惑になるでしょ」
「他のお客なんていないじゃん! っていうか、お姉さんだって共犯者なんだってこと忘れないでよね!」
「むっ……」
わたしは言葉を呑まされてしまう。
共犯者という言い方は語弊があると思うけれど、相方ちゃんの言っていることは正論至極だ。相方ちゃんが謝りに行くなら、わたしも同行しなければいけないだろう。でもそれは、ちょっと……かなり……怖い。
黙ってしまったわたしを、相方ちゃんが下から覗き込むような上目遣いで、にまにまと笑いかけてくる。
「んまぁでも、
「え……なんで?」
聞き返したわたしに、相方ちゃんは手振りで答えた。操作盤を呼び出す仕草だ。相方ちゃんの指が宙を何度か滑ると、その手に便箋が出現する。
「あたし最初に、メールがあったって話をしたでしょ。それがこれなんだけど、読んでみてよ」
相方ちゃんがそう言って差し出してきた便箋を受け取り、わたしは文面に目を走らせた。
『突然のメール、すまない。本当は直接会って話せれば良かったんだけど、僕はもう消えなくてはならないから、せめてこうして、君にメールを残すことを許して欲しい』
その書き出しから綴られたメールは、相方ちゃんにあることないこと吹き込まれて一大総力戦を引き起こす切欠となってしまったアーク団員が、相方ちゃんに宛てて書いたメールだった。
『僕はただ、君の無念をほんの少しでも晴らすことができればいいと願っただけなんだ。それがどうしてか、こんなことになってしまった。今にして思い返せば、僕はアークの奴らに嵌められてしまったんだと思う。僕は君が姿を見せなくなってからずっと、君を捜していたから、そのことがアークの奴らの危機感を刺激してしまったんだろう。自分たちの犯罪が僕の手で暴かれてしまうんじゃないか、とね。だからこそ昨日、僕が君を捜してあの酒場に行くのを見越して、奴らは先回りしていたんだ。そして、これ見よがしに大騒ぎして俺を誘い出したんだ。僕は紳士的な態度で、君のことを知らないか、と尋ねたんだけど、向こうは最初から喧嘩腰で絡んできて……僕も我慢していたんだが、君のことを悪く言われて、我慢しきれなかったんだ。言い訳がましく聞こえるかもしれないけれど、君にだけは誤解されたくなかったんだ。どうか信じて欲しい』
メールはさらに続く。
『奴らを斬ったことは後悔していない。チームのみんなも、僕が正しかったことは認めてくれている。でも、結果としてチームや同盟のみんなに多大な迷惑をかけてしまったことは事実で、男としてその“けじめ”を付けないといけないんだ。僕は……今日を限りに引退する。この僕というアバターを削除して、今後二度と【ルインズエイジ】にはログインしない――それが、僕が示すことのできる最大限の誠意だからね。心残りなのはただ、君のことだった。優しい君のことだから、僕が引退したと知ったら、きっと責任を感じてしまうことだろう。いまこうしてメールを書いているのは、君に責任がないことを伝えるためだ』
ここで改行を挟んで、まだ続く。
『僕が引退するのは、僕が僕自身の行為に対して、けじめを付けたからだ。だから、君は何一つ悪くない。どうか、自分を責めないで欲しい。どうしても心苦しくなったら、そのときは、僕がただ一心に君の幸せだけを願っていたことを思い出して欲しい。……できることなら、君の心を癒してあげたかった。ずっと君のそばにいたかった。君をいつまでも守ってあげる存在になりたかった。君を苦しめた悪魔のような奴らを一匹残らず斬り捨ててやりたかった。それなのに、君をただ一人残して引退してしまう僕をどうか許してください。そして、もしも叶うのなら、君の幸せを願い続ける我が儘を、僕に許してください。今日までありがとう。君と過ごした日々は、僕の宝物です。いつまでも忘れません。さようなら。大好きでした。さようなら』
長々と綴られたメールは、最後の彼の署名をもって結ばれていた。読んでいるだけで身悶えてしまうようなメールだった。
「す……すごいね……」
わたしが呟いた感想に、相方ちゃんが大声を重ねる。
「でしょぉ、すっごいでしょお! 自分に酔ってる感というか、ナチュラルに自分に都合の良い記憶違いしてるとか、読んでるだけでお腹いっぱいになって、げっぷが出ちゃいそうになるでっしょぉ!」
相方ちゃんは両手でばんばん卓を叩いて、けたけた笑う。
「いや……わたし、もう少し好意的な意味合いで言ったんだけど……」
「ええー、またまたぁ」
「いやいや本当に」
手と頭をぶんぶん振って否定するわたしに、相方ちゃんもようやく笑いを引っ込めて、こほんと咳払い。
「んっ……ともかく、彼はもうアバター削除してるわけだから、会いに行くことはもう不可能ってわけ。だから、いまさら気にしたって意味ないのよ」
「えー……」
さすがにそう言い切っちゃうのは冷淡すぎる気がして、わたしは同意しかねた。すると相方ちゃんは、頬をぷくっと膨らませる。
「何よぅ! だったら、お姉さんはどうしろってのさぁ!」
「それは……アバター削除する、とか?」
「なんかそれ、後追い自殺みたいで嫌だぁ!」
また、ばんばんっと卓を叩く相方ちゃん。
「でもさ、ちょっと考えてみてよ」
わたしは自分自身でも考えながら、憤慨している相方ちゃんに語りかける。
「例の彼が酒場でアークの人に喧嘩を吹っかけている動画が出回っている以上、彼が口にしていた『あの子』だとかが誰のことなのか……って話題になるのは間違いないよね。というか、もう既にいま現在、話題になっているのかも? そうしたら、彼が最近、とある女性に入れ込んでいたらしい……なんて証言が出てくるのは時間の問題だと思うんだけど」
「うっ……」
「あなた、彼以外のアークの団員に名前や姿を見られたことは?」
「……初めて話しかけたときは、あいつ、何人かと飲んでいるところだったから、そのときのメンバーには見られてるけど……でも、覚えているとはかぎらないよね?」
「かりに忘れていたとしても、『あの子』探しの話題が大きくなれば、思い出しちゃうかもね」
「う、ううっ……」
反論できずに狼狽えている相方ちゃんを観察しながら、わたしはもうちょっと苛めてみる。
「顔と名前を覚えられていたら、隠れ続けるのは難しいよね。アークの人たちに見つかったら、無理やりにでも事情聴取されるよね」
「うっ、ううぅーっ」
「……って、待って。そんなことになったら、芋蔓式にわたしの名前も出てきちゃう?」
気がついてしまったその可能性に、わたしの顔からも血の気がさぁっと引いていく。相方ちゃんがアークの連中に掴まって、今回のことが本を正せば決闘を成立させるためにわたしと相方ちゃんで行った裏工作が原因だったと白状させられた場合、その追求は当然、わたしにも及ぶだろう。そんなことになったら――
「……ひいぃ!!」
脳裏に、アークの屈強なPKKプレイヤーどもに囲まれて尋問されている自分の姿が浮かんで、わたしは息を飲みながら悲鳴を漏らしてしまった。
そんな未来予想が現実のものになってしまうなんて絶対に御免だ。
「ねえ、お願い!」
わたしは卓上に身を乗り出して、相方ちゃんの肩をがっしりと掴む。
「きゃんっ」
相方ちゃんが可愛い悲鳴を上げるけれど、そんなの聞いている場合じゃない。
「お願い、お願いお願い……わたしの一生のお願い!」
「な、何よぅ……?」
目を白黒させている相方ちゃんに、わたしはアバターで再現可能な限界まで必死にさせた形相で、そのことを頼み込んだ。
相方ちゃんはしばらく渋っていたけれど、わたしの誠意溢れた説得に、最後は納得してれた。
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