第7話 暗躍のわたしたち

 裏通りの甘味処で、相方ちゃんが計画を思いついてから一週間あまりが過ぎている。この数日間は、計画のために必要な諸々の準備のために費やされた。そして今日、わたしたちは計画を次の段階へと進めることにした。

 わたしはいま、いつもの甘味処の一番奥まった席で温かい柚子抹茶ラテを飲みながら、相方ちゃんからの報告を待っていた。

 相方ちゃんはいま、街マップの目抜き通りに面した大きな酒場にいるはずだった。目的はそこで飲み食いすることではない。そこを贔屓にしている、とあるチームの幹部と自然に出会うことが目的だった。

 【ルインズエイジ】にはおそらく、数多くのチームが存在する。チームの結成は一人だけでもできるから、団員が団長一名だけの一人ぼっちチームもたぶん少なからずいるからだ。“おそらく”とか“たぶん”とか但し書きが付くのは、これが何の統計にも基づいていない、プレイ歴数週間と数ヶ月な二人の体感によるものだからだ。

『お姉さん、聞こえる?』

 相方ちゃんからの個人会話が飛んでくる。

「うん、聞こえてる。どうだった、上手くいった?」

『ばっちりよぉ!』

 声の調子だけでも、相方ちゃんが完璧な仕事をしてくれたのだと確信できた。

「お疲れ様。わたしのほうの仕事は効果出てた? もうちょっと煽ったほうが良いなら、頑張ってみるけど」

『ううん、もう十分に効果は出てるっぽいから、後は自然に任せちゃって良いと思うわ』

「そっか、了解」

『んじゃあ、あたしもそっち戻るわね』

「うん、待ってる」

 それから十数分後、相方ちゃんも甘味処にやってきて、わたしの正面にどさっと腰を下ろした。

「っはあー、疲れたぁ」

 座って早速、相方ちゃんは両手両足を投げ出して、背もたれをぎぃと軋ませる。彼女にやってきてもらった仕事の内容を思えば、温めたアイスみたいなぐだぐだっぷりも当然だ。

「お疲れ様。甘いものでもどうぞ」

「うん、食べるぅ」

 と言いつつも、相方ちゃんが頼んだのはまたしても心太だった。ブルーハワイ味の、だった。

「……それ、美味しいの?」

「まあまあね。七十点」

 相方ちゃんは真っ青なシロップのかかった心太をちゅるちゅる頬張りながら、肩で笑った。

「それで、首尾は?」

 わたしが質問すると、相方ちゃんは親指と人差し指で丸を作る。

「さっきも言ったけど、ばっちりよ。ちょうど満席だったから、相席いいですかぁ、って話しかけたら、あっさりお近づきになれちゃったわ。あいつ、あたしが計画的に近づいたなんて、これっぽっちも疑わなかったのよ。“君みたいな可愛い子と相席できるなんて、これって運命じゃね?”だってさ!」

 相方ちゃんはチャラい感じの声真似をして、けらけら笑う。その様子からは、任務に伴う緊張から解き放たれた安堵感と、標的に上手く取り入ることのできた高揚感との相乗効果で、いつも以上にはしゃいでいるのが見て取れた。

「それで、その彼は噂について何て?」

 わたしがそう言って話の続きを催促すると、相方ちゃんはようやく笑いを飲み込んだ。

「ん……そうそう、例の噂、チーム内でもかなり話題になってるみたいよ。っていうか、あいつ、噂のことですごい怒ってた」

「おぉ、良かった」

 わたしの口から漏れたのは、自画自賛の声だ。

 相方ちゃんが標的のチーム幹部について探りを入れている間、わたしはせっせと、彼の所属するチームに関するちょっとした噂をゲーム内外でばらまいていたのである。

 ばらまいた噂の内容について話す前に、まずは彼の所属するチームについて説明しておこう。

 【ルインズエイジ】には『夜を穿つ黒騎の神槍シュバルツナイト・ガンゴニール』という武闘派……というか略奪者集団として知られるチームが存在する。このチームは所属人数も多く、遺跡深部の対人戦闘PK解禁マップでは積極的に他チームを攻撃してマップを独占しようとするなどの攻撃的な行動で知られた、良くも悪くも有名なチームだ。

 そんな『夜を穿つ以下略』には、不倶戴天の仇敵とも言えるチームがある。それがPKプレイヤー討伐PKKを旗印に掲げたチーム、『九天を照らす神遣う方舟ジ・アーク』だ。相方ちゃんの接触した彼は、この有名PKKチームの幹部だった。

 『夜を以下略シュバ』と『九天を以下略アーク』は対人戦解禁マップでのみならず、街中で団員同士が顔を合わせただけで喧嘩になるという。そういった世間の事情から遠ざかったところで遊んでいるわたしたちでも、ちょっと調べれば情報がわんさか手に入るほど、両者は犬猿の仲だった。

 曰く、

「今日、遺跡奥でシュバとアークの連中が鉢合わせした場面に出会した。どっちもMOBに狙われていたのに、それを無視して対人戦を始めた。最終的には共倒れになって、MOBにどっちも全員やられていた」

 または、

「入札形式で出品されていた超希少武器をアークの団員が競り落としたんだけど、じつはシュバの団員も入札していて、落札した武器を自慢してたアークの団員に街中で喧嘩を吹っかけていたぞ。相手にされていなかったけれど、あれは最後どうなったのかね?」

 あるいは、

「俺の友人なんだけど、女の取り合いして喧嘩別れした男二人がそれぞれシュバとアークに入ってやんの。で、外で会うたびにPKしたりされたりしてるそうだ。え、女はどうしたかって? もちろん、俺の隣で寝てるぜ」

 ……等々、ふたつのチームが常日頃から如何に対立しているのかを物語り逸話がいくらでも見つけられた。その全てに目を通していたら、一晩徹夜しても読み終わらないだろう。

 わたしと相方ちゃんがそんな対立するふたつのチームに目を付けたのは、その対立でお金を稼げる可能性に気づいたからだ。

 計画の概要はこうだ。

 まず、わたしがゲーム内外で『両チームのどちらが強いのか?』という話題をまき散らして、両チームの対立を煽ると同時に、周囲の興味も喚起させる。

 『夜を以下略』と『九天を以下略』は、本当はどっちが強いんだ?

 ――その疑問と興味を、両チームの団員たちにも、彼らを取り巻く周囲にも植え付けることが、わたしの受け持った任務だった。

 わたしが方々の掲示板に書き込んだりなんだりしている間、相方ちゃんは両チームの団員を吟味して、誑し込みやすそうかつ、それなりにチーム内での発言力のある相手を選定していた。そして、どっちが強いかと焚きつける噂が十分に広まったところで、相方ちゃんが選び抜いた団員と接触する――それが今日、ついさっきのことだったというわけだ。

「それにしても……あいつ、予想以上にちょろかったわ。まあ、ちょろそうな人を選んで突貫したんだから、むしろラッキーなんだけどさぁ」

 相方ちゃんは冗談めかして肩を竦めると、心太のお椀を持ち上げて、真っ青な汁ごと、ずるずるっと一気に啜り干した。

「んっ……ふぅ……おかわりしよっ」

「まだ食べるんだ!?」

「だって疲れたんだもぉん」

 相方ちゃんは笑いながら、今度はお汁粉を注文した。

「あ、心太じゃないんだ」

「たまにはね」

 そんな会話を挟んだところで、どちらからともなく話を戻す。計画を次の段階に移すタイミングについて、詰めておきたかったからだ。

「その彼がそんなにちょろいのなら、わたしのほうも前倒しで動いておいたほうが良い?」

 わたしが聞くと、相方ちゃんは少し考えてから首肯した。

「うん、そうね。あいつ、明日も探索から帰ってきたら同じ酒場で飲むって言ったから、あたしもそこに同席して例の話を吹き込んでおくわ」

「じゃあ、わたしもそのタイミングでシュバの人を捕まえて、例の話をするね」

「ん、よろしくっ」

 基本の方針はそれで決まった。その後も甘味を頬張りつつ細部を詰めたりしていたけれど、そのうちにただの変わり種スイーツお試し大会になった。最近は、わたしも相方ちゃんも何だかんだと準備に追われていたから、久々に食べ倒してしまった。太らない糖分というのは、煙草やお酒に代わる新しい麻薬なのかもしれない……なんて怖いことを頭の片隅で思いつつも、止められないのだった。


 翌日の同時刻。

 相方ちゃんは昨日と同じく酒場の近くで待機して、昨日の彼が探索を終えた後の酒盛りにやってくるのを待ち構えている。

 わたしは今回も別行動だけれども、今日は甘味処で待機ではない。往来に出て、とある人物を捜しているところだった。事前に、その相手が普段どこでどう過ごしているのかを調べておいたおかげで、その相手は拍子抜けするほどすんなり見つかった。

 ごてごてしい装飾のついた金色の重鎧に、同じ鍛冶職人プレイヤーが作ったらしき装飾的な柄をした大剣を背負っている人間種族の男性アバターだ。彼の頭上には赤字で書かれたアバター名の他に、所属しているチームの名前『夜を穿つ黒騎の神槍』が王冠のように載っていた。 

 同じチーム名を載っけた取り巻き数人と連れだって通りを歩いている彼の横顔は海外アクション映画の主人公みたいに精悍だったけれど、如何せん、浮かべている表情が緩すぎた。取り巻きたちに煽てられてへらへらと相好を崩している姿からはとても、有名PKKチームの幹部様たる貫禄は感じられなかった。

「だけど、顔も名前も画像と同じものだし、装備は高価そうだし、仲間を引き連れているし……あれで間違いないのよね」

 わたしは独りごちつつ、『シュバ観察広場』と銘打たれた外部掲示板で手に入れた彼の顔写真――ゲーム内で撮影されたアバターの画像スクリーンショットを、もう一度確認する。

 装備している鎧と大剣に、略奪者PKerの徴である赤い瞳と赤い名前表示――うん、間違いない。本人だ。

「よし……!」

 わたしは気合いの息を吐くと、幹部様に近づいていった。

「あの、すいません」

「あ? 誰だ?」

 わたしの声に振り返った幹部様は、あからさまに品定めする目つきで、わたしのことを顔からつま先まで舐めるように見つめてきた。こちらが女アバターだと態度が柔らかくなる男アバターの人は多いけれど、この幹部様はその例に当て嵌まらないようだった。

「あんた、初対面だよな? うちの団員でもないようだし……俺に何の用だ?」

「あ、はい。ええと……あの、最近話題になっている噂、知ってますか?」

 相手の素っ気ない言い草に緊張させられつつも、わたしは話題を振った。それに対する返事は、素っ気ないところへさらに怒気をぶち込んだものだった。

「ああぁ!? んだぁ? てめぇ、俺らに喧嘩を売りに来たのかぁ!?」

「えっ、え……いえっ、違います!」

「だったら何なんだよ? 俺らがアークより弱いって下らねえ噂を信じて、喧嘩を売りに来たんだろ。違うのか? あぁ!?」

「違います、違いますって!」

 どすどすと石畳を踏み鳴らして迫ってくる幹部様に、わたしは仰け反りながら首をぶんぶん横に振って否定した。

「だったらどうして、下らない噂の話なんて出してきたんだ? あぁ!?」

「だから、違うんです……わたしじゃないんです。わたしじゃなくて、アークの人が言っているのを聞いて、それで――」

 本気で慌てながら口にした言い訳を、最後まで言わせてもらえなかった。

「ああぁッ!? あの糞偽善者どもが、俺らが自分らより弱いって言いふらしてやがったってのかぁ!?」

 幹部様の反応は、わたしが想像していたよりも遙かにずっと短絡的だった。そういう方向に話を持っていくつもりではあったけれど、あまり憎悪を煽りすぎるのも危険だ。あくまでも、わたしたちが手綱を握っておける程度の対立が欲しいのだ。だから、わたしは慌てて言い繕った。

「えっ……あ、いやぁ、アークの人が言ってるのを直接聞いたわけではなくて、そう言っているらしいという噂を小耳に挟んだような感じでして……」

「はぁ!? やつらが言ってたのか、違うのか? どっちなんだ!? はっきりしろや!!」

「わっ、分かりません。でも、みんな知ってる噂なんです。だからたぶん、アークの人たちも知ってるんじゃないかと……」

「……くそが!」

 わたしに対してなのか、アークの人たちに対してなのか、シュバの幹部様は顔全体をぐしゃっと潰すようにして盛大に舌打ちした。

 事前の調べで、この幹部様が“アーク大嫌い派”の急先鋒だとは分かっていたけれど、これほどヤクザな思考の人だとは思っていなかった。

 話しかける相手を間違えたかな……と、わたしは胸中で悔やんだけれど、それも束の間のことだ。すぐに気持ちを切り替えて、核心となる提案を切り出した。

「こんな噂をいつまでも放置しておくのって、良くないと思うんです。だから、白黒つけちゃいませんか?」

「……どういう意味だ?」

 気短な犬が唸るような声で聞き返してきた幹部様に、わたしは喉をごくりと呻かせる。

「言葉で反論したって意味がないですから、実際にシュバの人と決闘するんです。もちろん、公平な条件になるよう舞台を設定した上で」

「……続けろ」

 幹部様のお言葉に、わたしは神妙な面持ちで頷いた。

「チーム『九天を照らす神遣う方舟』が、あなたのチーム『夜を穿つ黒騎の神槍』に売った喧嘩、買ってください。アークとの交渉は、わたしたちが間に入って取りまとめますから、面倒は極力かけないようにします」

「ふん……あの偽善者どもとやり合うのはいい。けど、それでてめぇにどんな得がある?」

 ――来た。ここが正念場だ。

「まず、喧嘩の舞台として、お客が入れる大きな会場を借りてください。会場の賃料は、観戦料で十分に賄えます。そちらの許可さえもらえれば、会場はすぐにでも押さえられます」

「奴らとの交渉に、会場の確保を代行してくれるってわけかい。その見返りは……観戦料の何パーか、ってところか」

「はい。それからもうひとつ……喧嘩の勝敗に関する賭けの許可権を一任してください」

「許可権? 賭けの胴元にさせろ、ってことか?」

「少し違います。わたしたちが欲しいのは、今回の喧嘩を賭けの対象にする許可を与える権利、です」

「……なるほど。賭けの胴元になりたいって奴から金をせしめようってわけか。そのやり方なら、てめぇ自身で胴元になるより安全に稼げるだろうな。それに、元手もかからない」

 幹部様はわたしを見やって、にたりと笑った。こちらに大した元手がないことを見抜いているかのような、嫌らしい笑いだ。

 手持ちのカードを見透かされながらポーカーしているような錯覚を覚えたけれど、ここで勝負を降りるわけにはいかない。どうせ負けても、失って困るほどの賭け金は最初からないのだ。だったら、ここはもう強気で行くだけだ!

「あなた方は不本意な噂を払拭する機会を得られる。わたしたちはそのお手伝いをして、ささやかな報酬を頂戴する……お互いに得をする提案だと思いませんか?」

「ハッ、言いやがる! だが、強気な女は嫌いじゃねぇ……よぉし、良いだろう。団長や他の幹部連中には俺から話を通しておいてやる。てめぇはアークの偽善者どもを責任持って引きずり出しておけ」

「あ……はい、ありがとうございます!」

 わたしは半ば無意識に、深々と頭を下げていた。その頭上に、幹部様が指から弾くようにして飛ばした名刺がひらひらと落ちてくる。名刺はわたしに当たると、光に変わって消えた。同時に、

『ネームカードを受け取りました。連絡帳コネクトリストに追加しますか?』

 と、返答を要求してくる吹き出しが表示される。

 わたしが『YES』を選択して連絡帳に幹部様を登録したところで、当の幹部様から催促された。

「てめぇの名刺ネームカードもよこせ。後から適当な奴に連絡させる。詳しい話はそいつとしろ」

「あ、はい」

 わたしも急いで身体を起こすと、手を払うような仕草で操作盤を呼び出す。そこに素早く指先を走らせて実体化させた名刺を、手裏剣を飛ばすような仕草で幹部様のほうに飛ばした。

 連絡先の交換が終わると、幹部さまは取り巻きたちを引き連れて立ち去っていく。わたしは再度、深々とお辞儀をして、それを見送った。

 親分を見送る下っ端の役所でヤクザ映画に出演している気分だった。


 シュバの幹部様との話が終わった後、わたしはその足でアークのアジトへと向かった。その道中、相方ちゃんに個人会話を飛ばして、シュバ幹部との交渉が上手くいったことを報告した。

『おぉ、やったね。あたしもいまちょうど、例のちょろいのと話してるとこ。あいつ、いまトイレで離席中だけど、戻ってきたら駄目押ししとくよ。シュバの連中と決闘しちゃおうよ、とかって』

「やりすぎて勘繰られないようにね」

『分かってるってば。任せなさいって……あ、戻ってきた。んじゃ、また後でねっ』

 相方ちゃんからの発言が切れたところで、わたしのほうも目的地に到着した。市街マップの端をぐるりと囲むように広がっている家屋用地域ハウジング・ゾーンの一角。そこに聳える城塞みたいな白い建物が、討伐者PKKチーム【九天を照らす神遣う方舟】の本拠地アジトだった。

 どっしりとした門扉にはなんと門番までいた。さすがに驚かされたけれど、よく見たら頭上に表示されている名前の色が白ではなく緑だから、プレイヤーではなくNPCだった。

 門番NPCは微動だにせず突っ立っていたけれど、わたしが近づいたのに反応して首と目を動かす。

「お待ちください。ここはチーム【九天を照らす神遣う方舟】のアジトです。どういったご用件でしょうか?」

 厳つい見た目に反した、慇懃な口調だった。

「あ、ええと……」

 わたしは答えようとしたけれど、NPCに答えても意味ないのではないか……という思いが脳裏を過ぎる。が、門番NPCの顔をぐるりと周回する『ただいま団員が応対しています』の文字列に、何となく理解した。この門番はインターホン代わりなのだ。

「ええ……わたし、【夜を穿つ黒騎の神槍】の代理として、決闘の申し込みに参りました。詳しい話をさせていただければと思います」

 わたしが用件を告げてからしばらく、門番は顔面の周りに土星の輪みたいな文字列を周回させていたけれど、ふいにまた口を利いた。

「失礼いたしました。なかへお通りください」

 その言葉に合わせて、重そうな音を響かせながら門扉が開いた。

 本物のお城や砦だったら、門から屋内に入るまでも迷路のようだったりするのだろうけど、幸いにもそこまで入り組んだ作りにはなっていなかった。門を抜けると、すぐ正面に大邸宅の玄関が見えていた。

 また玄関で足止めを食らうのかな、とも思っていたのだけど、玄関は内側から押し開けられた。

 建物のなかから表れたのは、やり手の銀行員か営業職といった雰囲気のエルフ男性だったエルフの特徴である細身に、オールバックに撫でつけられた髪と、縁なしの眼鏡という組み合わせが、知的というか隠し事好きというような印象を滲ませている。

「ようこそ、初めまして。失礼ながら、シュバの代理にしては弱そうだけど……つまらない嘘を吐きに来たわけではないよね?」

 そう言って微笑みかけてくるエルフの男性は、慇懃無礼という言葉のお手本を見せてくれているようだった。

「嘘ではありません。何でしたら、そちらでシュバの幹部に確認を取ってもらっても構いませんよ」

 わたしは連絡帳からシュバ幹部様の名刺を具現化させて、相手に見せる。他人の名刺を渡すことはできないけれど、見せることは可能なのだ。

 幹部様の名刺を見たアーク団員の彼は、多少なりとも驚いた顔をする。

「ほう……偽物、というわけではなさそうだ。でも、せっかくの提案を断るのも悪いから、確認させていただきましょうか。それまでの間、どうぞなかでお待ちください」

 アークの男性団員はあくまで爽やかな笑顔のまま、嫌味ったらしく言いながら、手振りでわたしを邸内へと招いた。

「……ありがとうございます」

 釈然としないものがあったけれど、わたしはともかくお礼を言って、彼の後に続いた。

 アジトのなかは、中世の城塞風だった外観に似つかわしく、荘厳というか厳格な雰囲気を漂わせている。石造りの床と柱に天井。赤い絨毯と白い壁紙、そして通された応接間らしき部屋の壁には、両手を伸ばしても覆えないほど大きな油絵の額が飾ってあったりした。

 わたしが室内の雰囲気に圧倒されているうちに、わたしをここまで連れてきてくれたエルフの男性は、他の団員に何事かを口頭する。指示を受けた団員は早足で退室するのを見送ることもなく、エルフの男性はソファに腰を下ろす。

「どうぞ、お座りください」

「あ……どうも」

 わたしは、彼とは足の低いテーブルを挟んだ向かい側のソファに腰掛けた。現実でこれと同様のソファセットを買うとしたら、二十万や三十万円は余裕でするだろう。腰やお尻を包み込むふかふか具合に、引き締めてきた気持ちが蕩かされてしまいそうだ。

「それで、決闘の申し込み、でしたっけ?」

 相手は優雅に足を組ながら、にこやかに聞いてくる。てっきり出迎えに来ただけの平団員かと思っていたのだけど、幹部級の団員なのだろうか。

 ともかく、この人を納得させなければならないようだ。わたしは素早く一度だけ深呼吸してから、相手をまっすぐ見つめて切り出した。

「そちら様はここ最近、巷で話題になっている噂をご存じでしょうか?」

「噂? ……ああ。私どもとシュバルツさんと、どっちが強いのか……という、下らないあれのことですか」

 いきなり、下らない、と一言で切り捨てられてしまった。でも、そのくらいで鼻白んではいられない。

「少なくとも、シュバルツさんのほうは、下らない、とは受け取りませんでした」

 わたしの言葉に、エルフの幹部は口元に嘲りの笑みを閃かせる。

「ほぅ……シュバルツさんはそれで、私どもと決闘して、自分たちのほうが強いと証明するつもり――というわけですか」

「……はい、そういうことです」

 あまり理解が早すぎる相手というのもやりづらいな、と思いつつ首肯した。

「なるほど。そうですか、そうですか……」

 エルフの幹部は皮肉るような微笑で呟いていたが、すぐに目線をわたしに戻して訊いてくる。

「ここで私が決闘の申し出を断ったら、あなたは“私どもが逃げた”と言い触らすおつもりなんですね」

 ……訊いてきたのではなく、断定の口調だった。

「いえ、そうとは言っていません……が、そういう噂は不思議と広まってしまうものかと思います」

 我ながら如才ない返事だったと思うが、どうだろうか。

「……」

 エルフの幹部は、顎に手の甲を添える仕草で思案顔をする。答えを待つ時間は、実際以上に長く感じるものだった。

「本音を言わせてもらいますとね、」

 顎に手を添えたまま、エルフの彼は難しい顔で話し出す。

「私個人としては、シュバルツと私たちとでどちらが強いか、などという愚問に興味はないんですよ。なぜって、強かろうが弱かろうが、必要な状況下で必要な戦果を上げる――それが重要なんです。必要のない状況で、ただ戦うためだけに戦って勝つことが、強いことの証明になるとでも? 負けたら、二度と勝ってはいけないことになるとでも?」

 彼の語気にはどんどん力が籠もっていき、わたしはまるで叱られている気分だった。

「……すいません。少々、取り乱してしまいました」

 肩を縮こまらせているわたしに、彼は目線を外して恥ずかしげに咳払いした。

「いえ、大丈夫です」

 わたしはとりあえず、まったく動じておりませんことよ、と言い張るための笑顔で返した。

 彼は、それまでより少し打ち解けたようにも見える顔で微苦笑する。

「こちらの内部でも、例の噂で浮き足立っている者が、ごく少数ですがいるもので……」

 彼はそれ以上、内情を漏らしはしなかったけれど、“ごく少数”のなかに、相方ちゃんが今このときも色々吹き込んでいるはずの“酒好きなちょろい幹部”が含まれているのは察せられた。

 まったくの初対面だけど、目の前で苦笑しているエルフの幹部は、一介の団員が騒いでいるくらいで、わたしのような部外者につい愚痴ってしまうようなことはしない人物だと思える。自分と同格の幹部が浮き足立っていることに辟易していたからこそ、つい愚痴ってしまったのだろう。

 慇懃の仮面からぽろっと零れた愚痴ほんねを、さて、どう扱うべきか? ここぞとばかりに突っ込むか、それとも敢えて聞こえなかったふりをしますよ、という態度を見せるか――。

 悩んでいる暇はほとんどない。わたしは結局、思いつくままに言っていた。

「今日はシュバの使いとして提案を持ってきただけです。そちらにも考える時間が必要でしょうし、返答はまた後日で構いません」

「……確かにそうですね。私の一存では返答しかねますので、明日にでも幹部会で諮って、それから返事をさせてもらいましょう」

「はい、それで結構です。決まり次第、わたしに連絡ください」

 わたしは操作盤から名刺を取り出して、エルフの幹部に手渡した。

「こちらからの連絡は、私からではないかもしれません」

 エルフの幹部は名刺を受け取ってくれたけれど、にこりと微笑んだだけで、名刺を渡してはくれなかった。

 わたしがもっと違った態度を取っていたら、名刺を渡してもらえるくらい打ち解けられたのかも……。

 まあ、いまさら言っても詮ないことだ。訪問の目的は十分に達したのだし、余計なことは考えないで退散するとしよう。

 わたしはエルフの幹部に別れを告げると、【九天を以下略】のアジトを後にした。


 すっかりお馴染みの甘味処に戻ってみると、相方ちゃんの姿はまだなかった。連絡を取ってみようかと思ったのだけど、連絡帳で確認できる相方ちゃんの状態ステータスは『取り込みビジーナウ』だ。

 わたしは少し考えてから、こう発言した。

「こっちは任務完了。でも、決闘に乗り気という感じではなかった。だから、そっちのちょろい幹部さんをたっぷり焚きつけておいて。よろしくね!」

 返事は返ってこなかったけれど、まあたぶん耳の片方で聞いてくれただろう。これ以上は邪魔になるかもしれないから、返事を求めたりはせず、黙って待つことにした。

 相方ちゃんはその日、結局、甘味処にはやってこなかった。

 わたしが個人会話を送ってから十分ほどした後、相方ちゃんのほうから一言、

『ごめん。今日はそっち戻れなそう』

 とだけ返事が返ってきた。

 口早の小声だったからたぶん、まだアーク幹部のちょろい人と同席している最中なのだろう。ということは……あれか!? 今夜は一晩中、彼と一緒にいちゃったりするつもりなのかな!? 酒場じゃなくて、二人きりになれる有料施設とかに移動しちゃってたりして!?

「……大丈夫かな」

 自分で妄想しておいて、さすがに少々心配になった。

 もしかして、わたしが“たっぷり焚きつけておいて”なんて言ったから、相方ちゃんは無理して彼に一晩中付き合うことにしたのかな……。

 不安と自責で胃がきりきりして、甘いものを食べる気も起きなくなっていたとろこへ、相方ちゃんから二通目の個人会話が飛んできた。

『あたしも楽しんでやってるんだから、変なふうに考えないでよねっ』

 今度は、その発言が本心なのか、それともわたしを気遣ってのものなのか……と悩まされることになった。


「いっやぁ、昨日は参っちゃったわぁ」

 翌日、甘味処で落ち合った相方ちゃんの第一声が、それだった。

 照れているのか得意げなのか、いつも以上のでれでれ笑顔で、遅れてやって来たわたしを出迎えてくれたのだけど……正直、気色悪かった。

 わたしが催促するまでもなく、相方ちゃんはべらべらと捲し立てる。

「昨日は結局、夜更けまであいつに付き合わされちゃって、もう本当に困っちゃったわぁ。あっ、でもべつに成人指定なことは何にもしてないのよ。個室まで付き合わされたけど、そこでもお話だけで、接触防止機能セクハラガードは付けっぱなしだったし。んまぁ、防止強度レベルは最低値まで下げてたけど」

「で……なんで言い訳っぽいの?」

 わたしは、相方ちゃんが息継ぎをした瞬間を狙って、言葉を差し挟む。

「えっ、言い訳なんてそんにゃ……し、してない? よ……ね?」

「わたしに聞き返されても困るよ。聞いたのはこっちなんだし」

「そうなんだけど、だってぇ……」

 相方ちゃんは細い溜息を吐いた……かと思ったら、急に上目遣いでわたしを睨んできた。

「だって、お姉さん、絶対に誤解してたでしょ。っていうか、してるでしょ」

「誤解? どんな?」

「あたしがアークの幹部とセクハラガード無効にしないとできないようなことをしてた、って!」

「……してるかも」

 そんなこと思ってないよ、と嘘を吐くには、図星を突かれすぎだった。

「ええぇ!? そこは、思ってないよ、って嘘でもいいから言って欲しかったのにぃ!!」

 相方ちゃんのわりと理不尽な憤りを、わたしはふふんっと鼻で笑った。

「そんなこと言われても、今日は初っ端からあからさまにテンションがわざとらしいじゃない。それって恥ずかしさとか後ろめたさとか、そういう気持ちの裏返しなんじゃないの?」

「そっ、そんにゃことー……ないー……あー……」

 相方ちゃんはわたしの言葉を否定しようとしたけれど、じっと見つめるわたしの視線に堪えかねたのか、最後は長い溜息を吐きながら、がくりと項垂れた。

「……やっぱり、したんだ」

「違うの!」

 微妙に椅子を引いて遠ざかりつつ呻いたわたしに、相方ちゃんは思いっきり頭を振った。

「本当に違うんだってば。話してただけなの! ただ、その……あたし、我ながらちょっとやりすぎちゃったんじゃないかなぁってくらいの大嘘を彼に吹き込んじゃって……だから、いまちょっと反省している気分だったの!」

 相方ちゃんは唇をぷりっと尖らせた可愛らしい膨れっ面で、ぷいっとそっぽを向く。

「大嘘……?」

 小首を傾げたわたしに、相方ちゃんはそっぽを向いたまま、横髪を指でくるくると弄くりながら、ぼそぼそと言う。

「ん、まあ、なんてゆーかぁ……ほらぁ、お姉さんがウィス送ってきたじゃない? 思いっきり焚きつけておいてね、って」

「え? ああ、うん。言ったね」

 何か嫌な予感がしつつも、確かに言った記憶があるから、頷くしかなかった。そんなわたしを、相方ちゃんは顔を横に向けたまま、じとぉっと湿っぽい目つきで睨んでくる。

「お姉さんがあんな念押ししてくるから、あたしも頑張りすぎちゃったんだよっ」

「あ……なんかこれ以上、聞きたくなくなってきたんだけど」

 むくむくと膨れ上がる嫌な予感。

 でも、相方ちゃんはいまさら言うのを止めたりしなかった。

「あたし、幹部の人にこう言ってやったの。あたし、じつは以前、一人で探索していたときにうっかりPK解禁マップに入っちゃって、そこで運悪くシュバの人たちと鉢合わせして……PKされたくなければ分かるよなって脅されて、装備の全解除と接触防止機能を切らされて、あまつさえそのときのことを写真スクショ動画ムービーを撮られちゃって……っていう作り話をしっちゃったのよぉ!!」

 頬に両手を当てて、ムンクの叫びをする相方ちゃん。

「……おぅ」

 わたしの口からは溜息以外の何も出やしなかった。わたしの目には、目元を押さえて涙ながらに即興で語る相方ちゃんの姿がありありと思い浮かべられていた。

 そこでふと、疑問が浮かんだ。

「ねえ……その作り話を聞いて、アークの幹部さんはどんな反応だったの?」

 そう聞いた途端、相方ちゃんが顔を歪めたまま、ひくっと震えた。

「……なんかね、すっごい怖い顔で怒ったり泣いたりしてた」

「それって、作り話を本気で信じられちゃった、ということ?」

「そうっぽい……っていうかね、あいつら絶対ぶちのめしてやるーとか、徹底的に追い込んでトラウマ植え付けて引退させてやるーとか言ってたんだよねぇ……」

「それ、冗談で言ってたんでしょ?」

「目が据わってて超怖くて、あれは百パーセント本気だったわ。言ってもゲームのことだし、じつはそんなに気にしてないんですよ。ちょっと大袈裟に言っちゃいましたー……ってフォローを入れておいたけれど、どこまで信じてくれたやら……」

「……それ、後々やばいんじゃない?」

「だよねぇ……」

 わたしの危惧に、相方ちゃんも肩を落として呻く。が、すぐに飄然と笑った。

「まっ、そのときはそのときよ。いまは計画を成功させることだけ考えましょ」

「……それでいいの?」

「だって、言っちゃったものは仕方ないじゃん。後は野となれ山となれよっ」

 相方ちゃん……逞しいというか図太いというか……。

「まあ、本人がそう言うなら、あたしも気にしないけど」

「うんうん、そうしてー」

 あっけらかんと笑う相方ちゃん。さっきまでの悲嘆に暮れた様子は、影も見えない。それが本心からなのか、それとも空元気なのか……わたしにはちょっと判断が付きかねた。

「そんなことよりさ、これでアークはシュバとの決闘を受けるのは間違いないだろうし、バッジのデザインを最終決定しておこうよ」

「……ん、そうだね」

 相方ちゃんの言葉に、わたしも肩をひょいと竦めつつ頷いた。


 翌日の午後、まだ日の出ているうちに、眼鏡をかけたエルフのアークの幹部からメールが届いていた。開封してみると、

『幹部会の結果、決闘を受けることに決まった。詳しい日取りなどを打ち合わせたいので、連絡をくれたし』

 というようなことが書いてあった。

 わたしはすぐさまシュバの幹部にメールを送った。それから、シュバとアークの幹部二人と何通もメールを交わして、決闘の段取りをひとつひとつ決めていった。

 わたしが両チーム幹部の間に入って打ち合わせを進めている間、相方ちゃんは決闘の告知や賭けの胴元ブックメーカーになりたい人の募集なんかをやってくれていた。

 ちなみに、前に二人でデザインしていたバッジは、公認料を払ったブックメーカーに公認証として与えるものだ。一番安い素材からわたしが【鍛冶】技能で作った装飾具で、装備品としての価値はまったくない。重要なのは、相方ちゃんの銘が入っているという点だ。

 プレイヤー謹製のアイテムには全て、制作者の名前が誰でも確認できる情報として自動で盛り込まれる。同じ素材、似たようなデザインのものを偽造しようとしても、銘を確認すれば一発で真贋が分かるから、公認証に利用したというわけだ。

 ただし、偽造の方法がないわけではない。相方ちゃんとよく似た名前のアバターを作って、そのアバターで公認証と同じものを作られると、ぱっと見ただけでは騙されてしまうかもしれない。

 その点については、「公認証の銘にご注意ください」という注意を流すようにしてもらっていたし、偽造公認証を見つけたら、アークやシュバの人に脅し……もとい、注意しに行ってもらうとも告知していた。そうした注意喚起もあってか、いまのところ偽造の公認証は見つかっていない。

 ――とまあ、このように順調に行っているかに思われた開催準備だが、じつは決闘の会場として押さえた闘技場の賃貸料について、一悶着が起きたりもしていた。

 わたしとしては最初、

「これはあくまでシュバとアークの決闘であって、わたしはただの仲介人です。従って、会場費は両チームが等分に負担するのが筋だと考えます。胴元の公認バッジ制作費などは、わたしで持ちますが」

 という姿勢で臨んでいたのだけど、これは両チームから難色を示された。

 シュバの幹部からは、

「出資もしないで配当を得ようとするのはいけ好かねぇな」

 と言われ、アークの幹部からは、

「シュバだけ利益が得られる話になっているのはいただけない。こちらにも利がなければ、この話はご破算だな」

 と静かに脅された。

 この事態はけして予想していなかったわけではないが、左右から突き上げられるというのは思った以上に胃の痛くなるものだった。それでも用意していた通りに話を進めて、

「では、わたしたちのほうで立て替えていた会場費はこのまま、わたしたちが全額負担ということにしましょう。その代わり、観戦料も三等分で分配。胴元公認料については全額、わたしたちの取り分とさせていただきます」

 という形で両者を納得させた。

 わたしは日程が決まった時点でまず真っ先に、【ルインズエイジ】で一番大きな闘技場を押さえていた。そこを借りるための会場費は、わたしたちの熟練度で装備できる程度のものなら最高級品のひとつくらい余裕で買えるほど高額なものだったため、現金購入した銀貨をその費用に充てていた。

 ゲーム内での金儲けのために現実のお金を注ぎ込むというのは矛盾しているような気がしないでもなかったけれど、ちょっとの現金で大量のゲーム内通貨を得られるのなら、これは良い買い物だ。

 銀貨を買ってまで会場費を立て替えたのは、メールを何往復もさせて決めた日取りを絶対にずらしたくなかったから、という理由の他に、わたしたちがまず真っ先に費用を支払ったという事実を作っておきたかったからだ。

 とにかく計画の主導権を握っておいて、その間に金銭的な約束事を決めてしまう――それが、わたしと相方ちゃんで事前に話し合って決めていた方針だった。

 会場費の三分の一を払うことになっても、観戦料の一部と胴元公認料の丸ごとが懐に入ってくるのなら、たぶん余裕で黒字になる。……観戦料と公認料の設定にもよるだろうけど。

 各種料金の設定については、じつはまだ最終決定が出ていなかった。プレイ歴一ヶ月未満のわたしと三ヶ月程度の相方ちゃんとでは、『夜を略』と『九天を略』の対決というカードにどのくらいの集客能力があるのか、判断しきれなかったからだ。

 そのため、最初は詳細を伏せたまま、『シュバとアークの決闘、開催決定!』という告知だけを流して反響を見ることにしたのだけど……結果は、わたしたちが予想していた以上の大反響だった。

 ゲーム内外の掲示板でも話題になるし、ニュースサイトに取り上げられたもした。

 ごくごく一部では、

「これってシュバとアークが裏で手を結んでいて、八百長試合で胴元から金を巻き上げようって魂胆なんじゃねえの?」

 といった陰謀説を唱える者もいたようだったが、シュバとアーク内部の過激派たちが方々で気炎を揚げまくってくれたことが、そうした陰謀説を上手い具合に否定してくれた。

 一度など、街中で鉢合わせした両チームの過激派連中がお互いにPK設定を許可にした――つまり喧嘩PvPを始めてしまったこともある。わたしはこの件をニュースサイトで知ったのだけど、その記事によると喧嘩は双方痛み分けという形で終わったらしい。

 この喧嘩沙汰が良い感じの前哨戦になって、決闘への関心を煽ってくれた。そんな想定以上に好ましい流れのなかで、両チームとも諮っていた観戦料の金額も決定した。 

 観戦料について、シュバからは、

「うちが儲かれば文句は言わない。ただし、赤字は許さない」

 と通達されただけだったが、アークからは損益分岐点だとか何だとか小難しい単語や理論が山ほど書き連ねられた書類を送りつけられた。その後に行った会議も、会議というよりアーク幹部による経済学だか経営学だかの授業といった感じで進んだ。最終的に決まった料金価格も、アークの幹部が提案したものだったけれど、わたしにもシュバの人にも文句はなかった。

 観戦料が決まったら早速、その金額の公示と、前売り券の販売を開始した。公式としての告知は、わたしからではなく両チームの方にしてもらったけれど、料金の管理はわたしが受け持っている。前売り券は瞬く間に完売して、わたしの手元には大量の銀貨と銅貨が集まった。

「お……お、ぉ……おっ、おおぉ……」

 金額表示に列んだ零の数に、わたしの喉からはトドかアシカかオットセイの鳴き声みたいな音が出た。

 昔の人なら、

「紙幣や硬貨がないと、実感が沸かないのだが」

 と言いそうなところだけど、いまどきは現実のお金もデータ化されているのがほとんどだ。脳接があれば手ぶらでも買い物ができるし、そうでない人もカード一枚を持てばいい。紙幣や硬貨は、昔の映画やドラマでしか見たことがないのが普通だ。

「いまどきの若い者はお金の重さを知らん。だから、お金を大切にできんのだ」

 壮年のなんたら評論家にそんなことを言われても困る。だって生まれたときにはもう、お金は情報だったのだから。

 話を戻そう。

 決闘の前売り券は飛ぶように売れて、わたしの所持金カウンターはものすごい勢いで跳ね上がっていった。そしてなんと、前売り券の売り上げだけで会場費を回収できてしまった!

 胴元の公認バッジも、前売り券の売れ行きに後押しされる形で売り上げを伸ばして、用意していた分の八割が捌けた。こうなるともう、忙しく宣伝する必要もなくなった。後は唯々、当日を楽しみにするだけだった。

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