第5話 お一人様紀行

 わたしがVRMMO【ドーン・オブ・ザ・ルインズエイジ】、通称【ルインズエイジ】を止めてから八日が経っていた。つまり、団長に誘われて所属していたチームが崩壊したことをネット掲示板で知ってから三日後のことだ。

 三日前には、もう二度と【ルインズエイジ】にログインすることはないだろうな、と思っていたのに……結局はログインしていた。

 足の骨折がまだ治らなくて他に暇潰しがないから、というのは二番目の理由に順位を下げている。一番の理由は単純に、せっかく始めたゲームなんだから、きちんとプレイしてみたいと思っていたからだ。

 思えば、初回プレイで失敗したのは、わたしが楽して強い装備を手に入れようと考えてしまったからだ。今度は、そういう“ずる”をしないで、一からこつこつ自分の力でゲームを進めてみようと思う。ゲーム、とくにネットゲームというのは、そういう過程を楽しむものなのだろうな……と、いまさらながらに思い至ったわけである。

「お昼も食べたし、歯も磨いたし、トイレも行ったし……」

 わたしは指を折って数えながら他にやるべきことがないのを確認すると、ベッドにごろりと寝そべって、天井を見ている両目を閉じる。そして、首筋の脳接を起動させると、メタバース内へと意識を没入させた。

 タンクトップとショートパンツから露出している手足に感じていたシーツの感触が、仕舞い忘れたアイスのように溶けていく。わずかに遅れて、暑さも遠ざかっていく。そして、身体の前面から感じていた重力が九十度、その向きを変えて、わたしの身体は足下のほうへと落ちていく。

 心地好い浮遊感と落下感は一秒そこそこで消えて、滲み出てくるように視界も開ける。

 白い壁紙と焦げ茶の床板。単色で調えられた小さな部屋。そこがわたしの個人用空間パーソナル・クラウドだ。

 わたしは両手を閉じたり開いたりさせてアバターの馴染み具合を確認すると、軽く振り払うような手振りで操作盤を呼び出して、風景を単色の小部屋から巨大な遺跡の前に――ルインズエイジのサイトへと変化させた。

「……さて、作るか」

 わたしは遺跡サイトの内部のアバター作成室に入ると、初めてアバターを作ったときと同じほどの時間を費やして、二代目アバターを完成させた。

 初代のアバターは可愛い系、グラビアアイドル系だったけれど、二代目は綺麗系、モデル系を目指して調整してみた。ただし、どこでどう匙加減を間違えたのか、完成した二代目アバターはモデルと言うより妖精というかエルフというか、アジア人っぽさのまったく残っていない容姿になっていた。わたし自身の立体情報を元にしているのは初代と同じなのに、初代とは姉妹にも母娘にも見えない、まるで別人に仕上がっていた。

「まあ……心機一転するには、このくらいイメージ変わったほうが良いかもね、うん」

 わたしは呟きながら、作ったばかりのアバターを起動させた。

 視界が一瞬、滲むように黒くなって、手足の感覚があやふやになる。でもすぐに五感は回復し、わたしの意識は汎用アバターからゲーム専用アバターへと移っていた。

 両手を何度か握ったり開いたりして接続が上手くいっていることを確かた後、わたしは奥の扉を抜けて、【ルインズエイジ】の世界へと赴いた。

 降り立った場所は、一週間と少し前に初めてログインしたときと同じ場所――大きな通りが放射状に伸びる、円形の大きな広場だ。

「さて……」

 わたしは広場をぐるりと見渡してみる。見えるのは、ひっきりなしに行き交っている多くのアバターたち。

 特徴がないのが特徴な人間の他に、細身と尖った耳が特徴的なエルフ、ずんぐり小柄なドワーフ、額や耳の傍から二本の角が伸びたトロール、犬耳の少年とお姉さんはコボルト――。

 背丈から何から違った五種族の男女が闊歩している光景は、ここが現実とかけ離れた場所であることを雄弁に物語っていた。

 ちなみに、いまはわたし自身である二代目アバターちゃんは、無難に人間だった初代と違って、エルフ種族である。最初は人間のままでいくつもりだったのだけど、調整しているうちに欧米というか北欧っぽい容姿になってきたところで、

「これで種族をエルフにしたら、すっごい似合うんじゃない?」

 と思いついて、実際に種族変更してみたら、これが思った通りにぴったりだった――という次第だった。

 わりと雰囲気のある見た目だと自信を持っていたのだけど、広場を往来しているアバターたちは、どこを見ても美男美女ばかりで、思ったほど目立ってはいなかった。

 行き交うアバターのなかには渋いオジサマ風や、ずんぐりを通り越して鏡餅みたいな体型をしたのもいたけれど、ぱっと見の比率でいえば美男美女が九割だ。どいつもこいつも、なんと欲望に素直なのだろうか。

 まあ、わたしのアバターも実物より一割……いや、二割と少しくらい増しで美形補正がかかっているから、他人のことをとやかく言えないのだけど。

「まっ、他人のことはそのくらいにして……始めますかっ」

 わたしは空手家がするみたいに腰の両脇で拳を握って気合いを入れると、講堂に向かって歩き出した。削除しているとはいえ、一度チュートリアルを受けているので、チュートリアル・クエストの受注を促してくる案内は出てこない。でも、初心者講座を完了した報酬として貰える装備と回復剤が欲しかったのだ。

 結論から言うと、同じ話をまた聞くという二度手間は取らずに済んだ。既に一度講習を受けたという記録は、アバターが変わってもアカウント単位で記録されているのだろう。講堂へ行って鬼軍曹のような人間種族の教官NPCに話しかけると、厳つい顔で最初とは違うことを言ってきた。

「ふむ……貴様は既に探索者としてのイロハを心得ているようだ。では、選別のアイテムだけを持って帰るか? それとも、また講習を受けていくか?」

 浮かび上がった吹き出し中の『アイテムだけ貰う/話も聞いていく』から、わたしはもちろん、前者を選んだ。

 こうして、ごく短時間で初期装備一式と一番弱い回復剤を手に入れたわたしは、いつかと同じマップでいつかのように、毛玉もふもふの玉兎を追いかけまわした。


 アバターを新規作成して心機一転したとき、わたしは今後の遊び方について、ふたつの方針を決めていた。

 ひとつは、近道しようとしないこと、だ。前回は、強い装備をただで貰えるという誘惑に負けたせいで、面倒事に巻き込まれた……というか、面倒事が起きる切欠のひとつになってしまった。だから今度は、他のプレイヤーから装備や金銭の援助を申し出られても絶対に断るぞ、と決めていた。

 ふたつ目は、チームには所属しない、だ。今度もセクハラやら金銭トラブルの地雷を踏んでしまうかも……と思うと、自分から人間関係の渦中に飛び込んでいくような行為は御免だった。

 というわけで、二代目のわたしは一人でひたすら、玉兎を追いかけまわした。玉兎では物足りなくってくると、もうひとつ奥のマップに狩り場を移して、柴犬サイズの仔狼を獲物に、武器と能力値の熟練度上げを進めてく。

 仔狼は、こちらから攻撃しないかぎり攻撃してこない玉兎と違って、プレイヤーアバターを認識すると積極的に襲いかかってくる。だから、周りを見ないで戦っていると、一匹を相手にしているつもりで、いつの間にか三匹とか四匹とかに囲まれて袋叩きにされてしまうので注意が必要だった。というか……一度、袋叩きにされた。でも、その一度でしっかり学習したから、その後は常に周りを気にして、一対一で戦うことを心がけた。おかげで、袋叩きにされて倒されることはなかった。

 【ルインズエイジ】のマップは、街マップと野外マップとは完全に切り離されていて、【門】を介してしか移動できないけれど、野外マップ同士は平野も森も山地も繋ぎ目なしシームレスの一枚絵になっている。だから、【門】のような特定の移動ポイントを使わずとも、現実と同じように歩いていれば、平野から森、森から山地へと移動できる。ただし、マップには碁盤の目のような見えない境界線が引かれていて、敵性MOBはその境界線を越えられないし、境界線の向こうに逃げたプレイヤーを認識することもできない。だから、うっかり数匹の仔狼に認識されタゲられてしまったら、その境界線まで逃げればいい。境界線を越えれば、わたしを認識できなくなった仔狼は攻撃を止めて、散り散りに戻っていく。仔狼たちがそれぞれ十分に離れたところで戻れば、また安全に仔狼狩りを再開できるというわけだった。

 最初はマップ内に存在する境界線に気がついていなかったのだけど、ある程度の距離を逃げると仔狼たちが急にわたしを追いかけるのを止めて戻っていくのに気がついてからは、わたしを標的にした仔狼を境界線ぎりぎりのところまで誘き出してから交戦するようにして、危なくなったら境界線の向こうに逃げ込むようにした。おかげで、仔狼にやられたのは最初に取り囲まれた一回だけで済んだ。

 夏休み中かつ自宅療養中という状況を最大限に活かしたおかげで、数日後には、仔狼が何匹群れて襲ってこようと返り討ちに出来るくらい強くなっていた。それと並行して、倒した敵性MOBが落としたものや、採取ポイントで掘ったり摘んだりして得た素材アイテムをNPC商人に売ることで得た銅貨も、そこそこの額に貯まっていた。

 そろそろ、もう一段階ほど強い装備に買い換えられそうかも――。

 そんなことを考えながらログインしたある日、わたしは街マップ内で大通り沿いのベンチに腰掛けると、手振りで操作盤を呼び出して【取引所】の出品カタログをチェックしていた。

 カタログにはプレイヤーが【取引所】に出品したアイテムの情報と価格が、ずらりと記載されている。アイテムの種類や出品価格などで絞り込むことができるけれど、カタログに載っているアイテムの総数は一万件を下らないから、欲しいものや買えるものを見つけるのは一苦労だ。

 わたしがカタログと睨めっこを始めてから、そろそろ三十分は経っただろうか。ゲーム内にも昼夜と天候の要素が設定されていて、現実の十二時間がゲーム内の一日に相当している。いまは丁度、ゲーム内でも昼下がりだ。天候も、ちぎれ雲がちらほらと泳いでいるだけの晴天で、ほどよい気温と爽やかな微風が心地好い。現実世界では茹だるような真夏日の午後だというのを忘れてしまいそうだった。

 ベンチの前を行き交うアバターたちの話し声までもが心地好く、わたしはさらに三十分ほど、カタログを眺め続けた。そしてようやく顔を上げたとき、わたしの口からは嘆息が零れた。

「……ううん、駄目だぁ」

 カタログで見つけためぼしい装備はどれも、手持ちの金額に比べてゼロがひとつ以上は多かった。こつこつ稼いで小金持ちになったつもりでいたけれど、全然そんなことなかった。

「装備ひとつにこんな高額設定って、世の中どれだけお金持ち揃いだってのさ……この剣も、この槍も、何でこんなに高いのよ……」

 わたしが良さそうだと思った装備はどれも確かに、装備するのに必要な能力値に比して攻撃力や攻撃速度が高めに設定されている、いわゆる希少レア装備ばかりだ。NPC商人から買える一般コモン装備と違って、どれも探索や作成でしか入手できない非売品だけど、だからといって高すぎやしなかろうか!?

「あっ」

 そうか……こうやって銅貨だけでは欲しいものが全然買えないことを分からせたところで、銀貨を現金購入RMTさせるのが運営に狙いなのか!

「いや、そういうわけじゃないか」

 カタログに載っているのは全て、プレイヤーが出品したもので、価格設定したのもプレイヤーだ。価格を決定させた要因は、いわゆる市場原理というやつだ。そこに運営が介入する余地は……たぶん、ないんじゃないかなと思う。経済学は聞きかじった程度しか知らないけれど。

 価格設定の原理については置いておくとして、いま考えるべきは、

「課金するか否か、よね」

 正しい日本語で言えば、課金するのは運営側で、プレイヤーがするのは支払いとか納金になるのかもしれないけれど……とにかく問題は、欲しい装備を買うために日本円リアルマネーで銀貨を買うかどうするか、だ。

 ネットで買い物をすることに抵抗はない。書籍や音楽はネットで買うのが当たり前だし、ネットゲームのアイテムを現金で買うのだって、それと大して変わらない。だけど、ネットゲームのために使う金額というのはどのくらいが平均額なのかが分からなくて、踏ん切りがつかないのだった。

「……あ、そうか。それこそ、いまネットで調べれば良いんじゃない」

 わたしは一時ログアウトすると、検索サイトで調べてみた。すぐにその手の統計をまとめたサイトが見つかった。だけど、【ルインズエイジ】のプレイヤーが月平均でどれくらいの金額を銀貨購入のために使っているのかは、何とも判断しがたかった。

 その理由は、【ルインズエイジ】の特徴である通貨還元システムのせいだ。【ルインズエイジ】では、現金で銀貨を買える他に、銀貨を現金に還元することもできる。そのため、【ルインズエイジ】には他のネットゲームにはいない、ゲーム内で銀貨を稼いで現金に還元することで現実的な利益を得ているプレイヤーも少なくない。そのため、還元して利益を得ることを第一に考えているプレイヤーと、それをまったく考えていないプレイヤーとでの課金額(納金額)に大きな開きがあるのだ。

 還元での儲けを第一に考えている、いわゆる専業プロプレイヤーと、そうでない一般アマプレイヤーとでは、課金に関する考えがまったく違っている。両者は分けて考えないといけないのだけど、検索で見つかった統計サイトではどこも一緒くたになって集計されていた。両者を分けて集計しているサイトもありそうだけど、きっと検索の仕方が悪かったのだろう。

 わたしは検索を切り上げると、【ルインズエイジ】にログインし直した。降り立ったのは、さっきのベンチだ。わたしがログアウトしている間に他の誰かがこのベンチに座っていたら、わたしはベンチから数歩くらい離れたところにログインしていたところだけど、このベンチを使っている人はいま誰もいなかった。

 ベンチに座り直したわたしは、呼び出した操作盤に指を走らせて、換金用の操作画面に切り替えた。滑るようにして切り替わった画面には、所持している銅貨と銀貨の枚数が表示される。当然、銀貨はゼロ枚だ。その画面からさらに操作していくと、銀貨を現金で購入する画面になるのだけど、指の動きはそこで止まった。

「さて……どうしよう……?」

 結局、銀貨をどのくらい買うかが決まらないのだった。

 どうせ現金で買うのなら、最初に考えていたのよりもう一段階、強くて高価な武器を買ってもいいんじゃないか……いやでも、もっと能力値が上がれば、もっと良いものが装備できるようになるのだから、強くて高価な装備を買うのはもっと能力値が上がってから考えても良いんじゃないかな? そうするなら、いまここで大枚を叩くことはないんじゃないか? ここでは銀貨を使わず、いま所持している銅貨で買える程度のもので妥協しておくのが良いんじゃないか――。

 いやいや待て待て。

 ここで装備をきちんと調えなければ、より強くて、より効率の良い敵と戦えるようになるのが遅くなる。それは結果的に、もっと強くてお金持ちになるまでにかかる時間を長引かせることになるのじゃなかろうか。そしてその分、なかなか強くなれない鬱憤も溜まってしまうことになるのじゃなかろうか――。

 あっ……だったら、こういうのはどうかな?

 いまここで銀貨を買って、いま装備できる最高のものを買う。それで効率よく探索を行って、効率よくアバターを強くしていく。そして、もっと強い武具を装備できるようになったら、今度も銀貨を買って、そのときに買える最高のものを買う。で、お古になった装備は【取引所】を使って売り捌き、その装備を買うために使った銀貨を回収する――。

「おおっ、これが最善なんじゃない!?」

 要らなくなった装備は、買ったのと同じ価格で売りに出せば、長い目で見て損をしないことになる。銀貨から現金に還元する際には手数料を取られるけれど、そのくらいの金額で済むなら願ったり叶ったりだ。

 でも、そう上手くいくものだろうか……。

 買ったときと同じ値段で売れれば良いけれど、使っているうちに値崩れして二束三文になってしまう……ということもありそうな話じゃないか。

「あっ、いやいや。そんなに長い間使わなければ良いんじゃない?」

 自分で自分に反論。

 ひとつの装備を長く使えば、使っているうちに状況が変わって値崩れするということもあるだろうけど、もっと短い周期で頻繁に買い換えていけば、その危険性はぐっと減るのではなかろうか。

「……うん、いける」

 脳内で計算してみたけれど、このやり方が一番だ。そうと決まれば、もう躊躇うことはない。

「えいっ」

 わたしは気持ちを声に出しながら、カタログに指をびたんと押しつけて、そこに映していた【湾刀シミター】を購入した。

 【ルインズエイジ】に用意されている武器の種類は、装備するのに要求される能力値の種類によって大きく六種類に分類されている。湾刀は敏捷系に分類された武器で、同じく敏捷系の武器種である【短剣ダガー】よりも命中補正で劣り、【拳刃ジャマダハル】よりも攻撃速度で劣るが、この二種に比べて攻撃力が高い武器種だ。

 敏捷系武器は、同種の武器を両手に一本ずつ持った【二刀流】状態になることで、命中率を下げる代わりに他系統の武器では達成できない攻撃速度を実現できる。

 短剣二刀流なら、元来の高い命中補正が二刀流による命中低下を相殺する形になるので、手数と命中率を両立させられる。拳刃二刀流ならば、拳刃の特徴である高い攻撃速度をさらに高めることで、命中率が下がった分を補える。湾刀二刀流はその中間、といったところだ。

 わたしがいま装備しているのも湾刀だけど、これは初心者講習で貰ったものだ。装備の系統についてざっくり教えてもらった後に、好きな武器種から差し当たって欲しいものを選ぶと良い、と言われて選択したものだ。湾刀を選んだのは、なんだか刀っぽくて格好いいなと思ったからだ。新撰組とか、嫌いじゃない。まあ、二刀流だと宮本武蔵だけど。

 最初はゲーム的な効率よりも侍のイメージ優先をして、湾刀一刀流でやっていこうかと思っていたりもしたのだけど、ある日の探索中、他のプレイヤーが湾刀二本を高速で振りまわして戦っているのを見て、

「あ、二刀流ありかも。格好いい! わたしもやりたい!」

 わたしはあっさり宗旨替えしたのだった。

 けれども、初心者講習で教官NPCから貰った湾刀は一本だけで、もう一本用意するとして、どんなのがあるのかな……と考えながらカタログに指を滑らせていたら、丁度良い感じの湾刀を見つけた――というわけなのだった。

 カタログに欲しい商品を表示させた状態で購入ボタンにタッチすると、商品画像から飛び出すようにして剣が実体化する。なお、手持ちの銅貨で足りなかった分は、同時に購入した銀貨で賄われた。

 緩やかに反った片刃の刀身と、木目調の美しい刃文が特徴的な湾刀タルワールだ。

 タルワールは敵性MOBが落としたり、NPC商人から買ったりすることができず、プレイヤーが【鍛冶】技能を使って素材から作り出すことでしか入手できない装備だ。製造に必須の素材はそこまで高価ではないけれど、完成品の品質を上げるための追加素材を大量投入して造られたものの市場価格は、NPC商人から買える第六等級コモンとひとつしか違わない第五等級アンコモンと思えないほど高値で売られているものも少なくない。

 わたしが買ったタルワールのお値段は、ピンとキリの中間くらいのものだった。付加されている追加効果は『攻撃が命中すると一秒間、攻撃速度が五パーセント上昇する』なのだけど、それが微妙なお値段の理由なのだと思う。

 命中時に発揮される効果なのだから、より命中率の高い短剣に付加されていたほうが効果を発揮しやすい。割合で攻撃速度が増加するのだから、元の攻撃速度が高い拳刃に付加していたほうが上昇率が良い――そういうわけで、湾刀に付与されるものとしては微妙な追加効果なのだ。

「それでも、追加効果が何もないよりは強いし、お手頃価格なのも助かるし……うん、良い買い物をした」

 わたしはいま買ったばかりの湾刀を手にして、にんまりと口元を緩め……

「……あっ」

 気づいてしまった。

 微妙なお値段でしか売れない微妙な装備とは、言い換えるなら、“値崩れしやすい装備”ということになるのでは? 後で転売するとき、いま買ったのと同じ値段で売れるだろうか?

「……」

 急に、失敗しちゃったかな、という気になってきた。でも、それも一時だけのことだ。

「けどまあ、もう買っちゃったんだし、後のことは後で考えれば良いやね、うん」

 わたしはあっさり気分を切り替えると、夕飯までにまだ間があることを確認し、お尻で跳ねるようにしてベンチから立ち上がった。石畳を歩いて向かう先は正門だ。

 背中にたすき掛けしているのは、前から使っている初期装備の湾刀。腰の左脇に佩いているのは、いま買ったタルワール。

 早く二刀流の強さを試してみたくて、わたしは自然と早足になっていた。


 このゲーム【ルインズエイジ】には、他の多くの仮想現実ゲームと同じように、行動支援機構が備わっている。例えば、わたしは現実において剣を持ったことはおろか、箒を剣に見立ててチャンバラしたことだってない。だけどゲーム内では、時代劇や騎士物語に出てくる剣士みたいに格好いい所作で剣を操って戦うことができている。それは、剣を握って構えたときの動きを、システムが半自動で矯正してくれるからだ。

 剣を握って敵性MOBと対峙すると、身体が自動的に動いて格好いい感じに構えを取ってくれる。敵が攻撃してくると、敏捷の能力値や回避に関係する技能の熟練度に応じた支援が働いて、身体が自動的に回避行動を取ってくれる。数値的な回避力が高ければ、全身を脱力させて行動支援に身を任せるだけで、世界レベルの格闘家か体操選手のような体捌きが出来るようになる。逆にそこまで回避に関する行動支援を強めると、下手に自分自身で動こうとすると、行動支援の働きを邪魔することにもなってしまうのだとか。

 現実で運動神経の良い人はVRゲーム内でも運動神経が良いけれど、それが必ずしもゲーム的な強さには直結しない。行動支援機構をいかに上手く使いこなせるかが強さに繋がるのだ。

 ……まあ、これは全部、団長の受け売りなのだけど。

 でも、アバターを作り直して自分の力だけで戦闘をするようになってからは、あの言葉は強ち間違ってもいないんだろうな、と思うようになっている。

 玉兎を追いかけたり、仔狼に追いかけられたりするなかで、ネトゲ初心者だったわたしも、身体が勝手に動こうとする感覚に大分慣れてきていた。最初は力任せに剣を振ったり、身体を大きく逃がして攻撃を避けようとしていたりしたけれど、いまでは、四肢にそこまで力を入れる必要がないことを理解している。

 重要なのは、武器を装備して、敵を五感でしっかりと認識することだ。そのふたつが出来ていれば、後は身体が自動的に動くのに任せてしまえば良い。そのことを何となく理解してからは、戦闘で受けるダメージが減ったし、倒すのにかかる時間も短くなった……ように思う。ちゃんと測ったわけではないけれど。

 要するに何が言いたいのかというと、わたしのような体育の成績が五段階評価で三ばかりだったような女子でも、【ルインズエイジ】のなかでは物語の主人公ばりに戦えるということだ。

 行動支援機構アシストシステムによる動きは、装備している武器の種類によって変わってくる。剣と槍とでは、身体の使い方が微妙に変わるわけだ。だから当然、一刀流と二刀流とでも動きが変わるに違いない。わたしは早く、二刀流の動きというのを体験してみたかった。

 自分の身体が自分では絶対に出来ない動きをするという体験は、癖になりそうなほど楽しい。いや、もうとっくに、癖になっているのかも。


「――よし!」

 わたしは仔狼がうろついているマップまで行くと、気合いの声をひとつ吐いて、背中と腰の鞘から二振りの湾刀を引き抜いた。

 二刀流時の行動支援がどんな動きなのかは気になるけれど、わたしの【二刀流】技能は当然ながら、まだ熟練度がゼロだ。まずは二刀流での戦闘経験を重ねて、行動支援が働き始める程度まで熟練度を上げていかなければならない。しかしそれは、しばらくの間、行動支援の助けがない状態で戦わなければならないということだ。剣が一本増えて攻撃力が大幅に上がったからといって、いきなり戦う相手の脅威力レベルを上げるのは危険すぎると思った。だから、まずは仔狼で試し斬りしようと決めたのだった。

 これまでの装備でも問題なく戦えていた仔狼が相手なら、二刀流が思いの外、上手く扱えなくても、剣の一本を鞘に戻して一刀流に戻ってしまえば容易に対処できるというわけだ。

 けれども実際のところ、そこまで慎重になる必要はなかった。行動支援がほとんど動作しなくとも、武器ひとつ分の攻撃力が加算されたとで、わたしの戦闘力は大きく上がっていた。

 支援がほとんど働いていなくとも、あまり回避行動を取らない仔狼になら、剣を振れば当たる。当たれば、装備と技能の数値に応じたダメージが発生する。ダメージの量に、剣の刃をきちんと当てるとか、そういった難しいことは、たぶんあまり影響していない。右手に持ったタルワールを当たれば、これまでよりずっと大きなダメージを与えることができた。

 最初はおっかなびっくりだったけれど、仔狼を一匹、二匹と倒すうちに、わたしはどんどん調子に乗っていった。敢えて仔狼を引き連れるように動きながら戦って、近くをうろついている他の仔狼を呼び寄せながら、ひたすら斬りまくった。

 そのうちに【二刀流】の熟練度も上がってくると、攻撃時の行動支援も動作してきて、独力ではなかなか上手く出来なかった、右手と左手とを交互に繰り出す連続攻撃が出来るようになってくる。

 左の湾刀で斬りつけて、敵に回避行動を取らせたところへ、右の湾刀を斬りつける。あるいは、右の湾刀で斬りつけたところへ相手が反撃してきたら、左の湾刀で受け止める。左の湾刀で一匹目を斬り、反対側から飛びかかってきた二匹目を右の湾刀で斬る――。

 左右の湾刀を、あるときは二刀とも攻撃に、あるときは攻撃と防御に、そしてあるときは複数の敵に――と自由自在に使い分けて戦うわたしは、とても格好良かった。自画自賛のようで悪いのだけど、自分の身体がバトルアニメの登場キャラみたいな動きをしている感覚には、得も言われぬ興奮があった。

 主観で楽しめるアクション映画というか、鑑賞するだけの娯楽では味わえないゲームの醍醐味というか……とにかく、VRゲームを始めるまで、わたしが知らなかった類の楽しさが、そこにはあった。

 仔狼の群れを蹴散らせるほど強くなったところで、わたしはさらに奥のマップへと進んだ。マップとマップを分ける境界線を越えて歩いていくと、景色は森林の深緑から山岳のセピア色へと変わっていく。視線を進行方向のさらに先へ投げると、超巨大な遺跡の姿が見える。遺跡の姿は街マップからも見えるのだけど、この場所から見える遺跡は街中から見るよりもずっと大きく見える。あと数マップも進めば、遺跡の内部に入れるだろう。

 遺跡内部に巣くっている敵は、そこに至る道程に出てくる敵よりも当然、強いだろうけれど、いまのわたしだったらそこそこ頑張れるんじゃないかと思う。

「よし、行ってみちゃおっかな!」

 自分でもテンション高めに言うと、わたしは遺跡を目指して、山岳マップを元気よく歩き出した。


 そのマップで最初に出会った敵性MOB――人間サイズの巨大な禿鷹っぽい敵に、わたしは敢えなく倒された。

 勝てないと悟った時点で逃げれば振り切れただろうけれど、仔狼を相手につけた妙な自信が徒になって、逃げる機会を逸してしまったのだった。

 頭上から急降下してきて爪や嘴を叩き込んでは、すぐさま急上昇して剣の届かないところに逃げるという一撃離脱戦法に翻弄されて、手も足も出なかった。弓矢か魔法があれば有利に戦えたのだろうか……。

 街中に再出現したことで装備していた武具以外の所持金と所持アイテムを全て失ってしまったけれど、どうせ所持金はタルワールを買うのにほとんど使っていたから、大した損害はなかった。初めてのマップで油断してはいけない、と勉強するために支払ったのだと思っておこう。

「さて……どうしようか……」

 わたしはアバターの行き交う石畳をぶらぶらと歩きながら、この後どうするかを考える。

 まだ寝るには早いけれど、少なくとも今夜はもう、探索に出るような元気はない。さっきまで気分が高揚していた反動で、肩に気怠さがのしかかっていた。実際の身体を使っていなくとも、神経を使えば疲労するのだ。甘いものが欲しくなる。

「あ、そうだ。じゃあ……」

 わたしは足の向きを変えて、いつかの喫茶店へと向かった。初代アバターでチームに所属していた頃、団員の一人に愛人疑惑をかけられたりした思い出のある喫茶店だ。あまり良い思い出ではないけれど、あそこで食べたアップルパイはとても美味しかった。

 あのときは団員さんに案内してもらった道程も、いまは一人でも迷わない。わたしもすっかり、この街に慣れたものだ。

 二十二時台ゴールデンタイムだからか、喫茶店は以前よりも混雑していたけれど、奥まった隅のほうの一人掛けスツールにどうにか座ることが出来た。

 現実でなら、こんな時間に甘いものを食べるのはカロリー的に勇気の要る行為だけど、仮想現実のなかでなら遠慮要らずの食べ放題だ。お品書きに列んでいるのも、そんな女の欲望を知り尽くしているかのような品目ばかりだ。

 チョコ&カスタード&バナナの特製もっちりシュークリーム。

 ほろ苦ティラミスと濃厚チョコアイスの三段重ねパフェ。

 小豆ムースと抹茶ゼリーの洋風クリームあんみつ。

 溶かしバターのたっぷり染みた特濃シフォンケーキ。

「おぅ……」

 メニューを眺めているだけ、お腹の一部が急速にぎゅるぎゅると空きスペースを作り始める。

 メニューの文字に指先を走らせると、高速で駆け寄ってきた質素なメイド服姿の店員NPCが、目の前のテーブルにいま頼んだばかりの『苺のミルクレープロール丸ごと一本』を置いてくれた。注文してから一秒以内に運ばれてくるのも、仮想現実ならでは、だ。

「おぉ……」

 目の前にでんっと置かれた、長さ三十センチはあるミルクレープロールに、危うく涎を垂らすところだった。わたしは少し迷った後、一緒に運ばれてきたフォークとナイフを無視して、両手で掴んだロールを丸ごと頬張ることにした。どうせ現実ではないのだし、現実ではとてもできない食べ方をするべし、だ!

 何重にもぐるぐる巻きにされたクレープ生地のもちもちした食感と、その間に詰まった生クリームと苺ジャムのこってり甘酸っぱい味わいを、人目も憚らずにがつがつもぐもぐ堪能した。

 一言も発することなく、ミルクレープロールをただ無心で頬張った至福のひととき。それはまるで、メリーゴーランドの白馬に乗って無心に手を振り続けていた幼き日のような、いつまでもいつまでも記憶の一ページに残り続ける黄金のひとときゴールデンタイムだった。さっきの全滅で所持金がゼロになっていたために、銀貨を買って支払うことになったのも惜しくはなかったと思える充実感だった。

 全長三十センチのクレープロールを完食した後も、わたしはしばらく席から動けなかった。満腹と満足の余韻が、わたしに何もさせてくれなかった。いや、実際に胃袋が膨れたわけではないのだけど。

「はぁ……」

 ようやく零れた恍惚の吐息が、唇を湿らせる。食べている間は遠ざかっていた店内の喧噪が、音量の抓みを捻ったように大きく聞こえてくる。ぐるりと見渡してみれば、他の席を埋めているのはほとんど、二人連れ以上のお客ばかりみたいだ。意外なのは、てっきり女性客ばかりだと思い込んでいたのに、男性客も四割ほど見受けられたことだ。

「あ……そうとも限らないのか」

 わたしはすぐに、自分の考えを修正した。アバターの性別は、自分自身の性別と異なるものを選択しても構わないのだ。

 メタバース内で一般的に使われるアバターは、性別的な要素を廃した中性的、抽象的なものか、自分自身と同じ性別のイメージで象られたものが多い。多くの人々にとって、アバターとは自分の分身、鏡に映した自分自身だからだろう。

 だけど、ゲーム内でもそうだとは限らない。ゲームの操作キャラが自分と違う性別というのはよくあることだし、普段とは異なる自分を楽しむというのも仮想現実ゲームならではの遊び方だと思う。だったら、いまこの喫茶店でお茶とスイーツを楽しんでいる女性アバターの“中の人”が男性だという場合も、十分にあり得るのではないか。

 そういう目で改めて店内のお客を観察してみると、男性アバターはどれも美形だ。いや、プレイヤーのアバターが美形ばかりなのは喫茶店の店内に限ったことではないのだけど、ここにいるのは顔も身体も線の細い、少女漫画や乙女ゲームに登場しそうな美形男子ばかりだ。

 初代アバターのときに入っていたチームの団長も少女漫画風の細面な美形だったけれど、ここの男性客と比べると男っぽさというか、ごつごつした印象があったように思う。

 あの団長よりも線の細い男性客が全て、じつは女性なのだとすると、店内にいるのは女性が九割ということになる。そう考えると、美味しそうに夜更けのスイーツを頬張っている男性客の多さが何となく納得できた。

「そういえば、どこかのサイトで見たことがあったっけ」

 仮想現実の技術が一般化して以来、男性の女性化、女性の男性化傾向に拍車がかかっている……という趣旨のニュースを、どこかのサイトだったかテレビだったかで見たことがある。

 その番組に出ていた評論家は、

「ある科学技術が人間を生物的に、また社会的に有るべき正しい姿から遠ざけるのだとしたら、その技術は人間にとって不必要な……とまでは言わないが、手に余る技術なのだと、わたしは考えます。かつての原子力がそうだったように、脳接や仮想現実といった技術は、登場の早すぎた技術なのではないでしょうか。いま我々に求められているのは、もぎ取った知恵の実に齧り付くことではなく、その実に毒がないか、どう調理すれば安全に食べられるのかを考えることなのではないでしょうか」

 ――そんなふうに語っていたと記憶している。

 その意見に絶対反対というわけではないけれど、個人的にはそこまで慎重になる必要もないんじゃないかな、と思っている。

 異性の格好をする趣味の人なんて、いまさら問題視するのは遅いというか手遅れだろう。仮想現実メタバース内で異性のアバターを使うことができるようになる千年以上も前から、人間は異性の服を着たり、同性と一晩を過ごしたりしてきたわけなのだから、いまさら脳接や仮想現実だけを目の敵にしたところで意味があるとは思えない。

 だいたい、同性婚がそれほど珍しいことではなくなっている昨今、あの評論家の考えは時代錯誤もいいところだ。まあ、そういう古くさい意見にも一定の需要があるからこそ、古くさい意見しか言えない評論家が生き残っていられるのだろうけど。

 夏休みに入る前、試験勉強中にネットニュースを眺めていたとき、同性同士の遺伝子を掛け合わせて作った受精卵を孵化器で育てて胎児にすることに成功したというニュースを見た。同性間の子供が出来た例はこれで、世界で十例目だという。まだまだ予算的、技術的に問題は山積みだろうけれど、あと二、三十年もあれば、同性婚で子供を作るというのも一般的になっているだろう。

 時代はそのくらい急激に流れているのだから、技術を使うなと言うより、技術が許す限り、大いにやるべきだ――と、わたしは思うのだ。

 男性が女性のアバターを纏って女言葉や着せ替えを楽しんでもいいし、女性が男性のアバターを纏って理想の男性像を演じても。そしてもちろん、その姿で喫茶店に入って、いくら食べても太らない仮想のスイーツに舌鼓を打っても良い――。

 技術に頼り切ってはいけない、という考えも分からないではないけれど、やはりわたしは脳接時代の子供なのだ。それ以前の、技術的過渡期を生きてきたご年配の方々とは、技術に……というか、脳接や仮想現実というものに対する考え方が根本的に違うのだろう。ガリレオより前の人々にとって地球は平らなものだったのだろうけど、わたしたち後の人にとっては、当然のように丸いのだ。

 ……って、わたしは何だって、こんなことを考えているのだか。満腹中枢が刺激されたせいなのかな。

 だけどまあ、いつまでもこうして席を占領しているのも気が引ける。わたしは腰を上げると、店を出てすぐのところでログアウトした。

 ログアウトしてすぐは、満腹の心地よさですぐにでも寝られそうだと思っていたのだけど、偽物の満腹感はすぐに萎んで、かえって空腹感に悩まされながらの就寝となった。まだ自由に歩けないことで寝る直前のカロリー摂取を回避できたのは、不幸中の幸いだった。


 それからも、わたしは一人でのネットゲームを楽しんだ。

 必要な情報は攻略サイトを探せば手に入ったし、NPC商人に売却するより他プレイヤーに売ったほうが高値で売れる希少アイテムも、取引所に登録すれば対面しなくとも売り捌けた。

 二代目アバターになって以来、わたしはこれっぽっちも他人と交流せずに、ネットゲームを一人用のアクションゲームとして楽しんでいた。山岳マップで一度は敗れた大禿鷹も、攻略サイトに載っていた対策をしっかり読んでいたので、再挑戦して見事に妥当することができた。急降下してくるところを上手く躱して翼を攻撃すれば、わりと簡単に翼を折ることができて、飛べなくさせられるのだった。

 大禿鷹はたぶん、遺跡内部へ入る前に部位破壊の重要性を教えるという役割で配置された敵なのだろう。

 一対一なら辛うじて倒すことができたとはいえ、一人でそれ以上進むのは難しそうだったから、遺跡に直行するのは取り止めにして、しばらくは野外マップを歩きまわってみることにしていた。

 飛行系の敵とは相性が悪かったけれど、兎や狼みたいな敵とは一人でも危なげなく戦えるくらいに、わたしは強くなっている。仔狼たちを従えた親狼とも戦えたし、山神様みたいな猪にも勝てた。……一回、突進をまともに食らって崖から落とされ、あと一発、掠りでもしたら死んでしまうところまで追い込まれたりもしたけれど。

 二刀流の熟練度も上がって、戦闘時の立ちまわりや回復アイテムの使いどころも分かってきて、大禿鷹との初遭遇で負けたとき以来、まだ一度も死亡していない。強敵と鉢合わせしたり、数匹に囲まれそうになったりしたらすぐ逃げるようになったことも生存率の上がった一因だろう。

 強くなって、行けるマップが増えてくると、手に入る収集品の数や種類も増えてくる。商人NPCへの売却価格も上がるし、希少素材がぽろっと出てくる率も上がった感じがする。つまり、所持金の増え方がぐぅんと加速した。

 剣一本で玉兎を追いかけまわしていた頃には、

「なんで、どれもこれもお値段こんなに馬鹿高なのよ!? こんな額、一年やっても稼げないよ!!」

 と思っていた品々にも、

「いまのペースなら三ヶ月、いや二ヶ月も頑張れば買える……かな?」

 くらいには手の届きそうな額に見えている。

 でも、だからこそ募る焦燥感というものもあった。

 二、三ヶ月というのは、一年の比べれば短いかもしれないけれど、十分に長い。大学生の長い夏休みでも足りないくらいの長さだ。そして、一区切りがつく期間から少し長いというのが、

「もう少し稼ぐ速度を上げられたら、夏休み中に高額装備のひとつくらい買えるくらいの額が貯まるんじゃないかな? 頑張れないかな?」

 と、やる気と焦りを募らせてくれるのだった。

 しかしながら……正直なところ、現状はひとつの壁に行き当たっている感があった。

 アバターの能力も、わたしのプレイヤーとしての力量も上がったことで、遺跡周辺マップでも立ちまわりに気を遣っていれば、死亡することはなくなった。だけど、死なずにいられるというだけで、効率的な探索が出来ているわけではない。敵の強いマップでは常に周囲を警戒し、一対一で戦って倒しては、生命力が自動回復するまでその場で待機して……を繰り返さなくてはならないので、敵をあまり倒せないし、マップ内に点在するポイントで採取コマンドを実行することも命懸けになる。

 結局、命と金の安定性を求めると、いまのマップで数を稼ぐしかなくなってしまう。いま以上に金策効率を上げるには、いまのマップでとにかく戦闘経験を摘んで熟練度を上げていくしかないのだけど……。

「このペースだと、次のマップで効率よく稼げるようになるまで……やっぱり一ヶ月はかかりそうな……」

 結局のところ、単独ソロの探索ではこのペースが限度、というわけだった。

 他人とパーティを組んで探索すれば、いまの強さでも先のマップで戦えると思うけれど、前回のこともあって、他人と一緒に行動するのは気が進まない。そうなると、選べる選択肢は非常に限られてしまう。

 このまま同じマップでの探索をこつこつ続けるか、探索以外の方法で稼ぐか――だった。わたしは迷わず、後者を選んだ。

 探索以外の方法で稼ぐというのは、【生産】で稼ぐということだ。これまでは売却してお金に換えていた素材系アイテムを自分で使って、新しいアイテムを【生産】するのだ。素材のまま売るよりも加工して製品にしてから売ったほうが高値になるのは、現実と同様だった。

 【生産】技能は、鍛冶系・製革系・機織系・錬金系というように、扱う素材の種類や完成品の分類によってさらに細分化されている。わたしがやろうと決めたのは、金属系の素材から装備品を作る【鍛冶】だ。

 わたしが探索で得た素材は最低品質のものばかりだし、わたしの【鍛冶】技能も熟練度ゼロだから、強い装備は絶対に作れない。それでも【鍛冶】で装備品を作ろうと思ったのは、プレイヤー謹製メイドの装備に求められるのが数値的な強さばかりではないからだった。

 生産される装備の数値的な強さや追加効果の種類などは、使用される素材と技能の熟練度でほぼ決まるけれど、装備の形状は別だ。ゲーム的な要素に依らず、プレイヤー自身のセンスで造形することができる。もちろん、規格から外れすぎた形状のものは作れないけれど、まったく同じ装備でも、その見た目は作り手によって千差万別だ。そして、数値や特殊効果が同じ装備なら、見た目が格好いい装備のほうに人気が集まるのは道理だ。格好いい装備はお値段が多少割高になっても、ぱっとしない見た目の装備よりもよく売れるのだ。

 わたしだって実際、カタログで二本目の湾刀を探していたときには、整頓ソート機能で同じ装備をずらりと並べて表示させても、写真の見栄えが良いものにまず目を惹かれたものだった。

 まあ、わたしの場合は予算かつかつだったという都合上、見た目よりもお値段優先の買い物にならざるを得なかったけれど。

 ともあれ、見た目の良い装備アイテムを作れれば、素材のまま売るよりもはるかに高額で売ることが出来るというわけだ。とくに、数値よりも追加効果が重視される装飾品アクセサリは、安い素材と未熟な鍛冶技能では数値的に低いものしか作れなくとも、発現した特殊効果と見た目次第で十分、売り物になるのだ!

 ……いやまあ、攻略サイトの受け売りなのだけど。

「受け売りでも何でも、儲かればわたしの勝ち! よしっ、やるぞ!」

 わたしは自分自身に活を入れると、公共鍛冶場へ向かった。

 街マップ中央の大円形広場から伸びる放射状に伸びる大通りのうち、どこの門にも通じていない通りを歩いていくと、体育館というか公民館というか、飾り気のない無骨な建物が見えてくる。そこが、【生産】系技能を実行するための公共施設だ。

 【生産】は各技能に対応した設備の周辺でなければ、実行できない。また、設備のランクが低いと、完成品の性能が安定しなくなる。敢えて安定させないで、極小の確率で超強力な装備ができることに賭ける製法もあるそうだけど、基本的に高ランクの設備を使ったほうが安定して高品質になる。だから、チーム部屋アジト個人部屋ハウスにランクの高い生産用設備を用意できれば一番なのだけど、そんな用意が出来るほどお金がない場合は、誰でも使えるように開放されている公共の設備を使って【生産】コマンドを実行することになる。

 公共に開放されている設備のランクは最低だから、完成品の性能は基本的に期待できない。が、見た目を弄くるのは、設備、素材、熟練度などの一歳に影響されないから問題ない。

 体育館か公民館のような建物のなかに入ると、入り口に出ている大きな案内板に従って進み、『公共鍛冶場』と表札の出ている部屋に入った。

 サッカーや野球ができそうな広さの室内には、鉄製の竈と机がくっついたみたいな外見の設備がずらりと敷き詰められている。そして、その設備のひとつひとつの前にアバターが立っていて、自分の作業に没頭していた。

 家内制手工業という言葉が思い浮かんでくる光景に、わたしは少し圧倒された。でも、ちょうど作業を終えて部屋を出て行く人がいたので、その人と入れ違いになる形で、わたしも鍛冶台の前に立った。

 そこからどうすれば良いのかは、周りの人たちを見れば、何となく分かった。操作盤を呼び出して生産コマンドを実行させると、鍛冶台が淡く光る。たぶん、これで鍛冶台が起動したのだろう……と思っていると、鍛冶台の上方にアイテム名が表示された。わたしの持っている、【鍛冶】用の素材アイテムの名称だ。

「ということは……こうかな?」

 表示されたアイテム名を指先でなぞると、鍛冶台の机になっている部分(たぶん金床という名前だ)に素材アイテムが顕在化し、さらに幾つかの設定を要求してくる吹き出しが表示される。それらにも指を走らせて鍛冶の設定を完成させると、最後に出てくる、最終確認の吹き出し。

『以上の設定で鍛冶を実行します。よろしいですか?』

 わたしがYESを選択すると、さらに続けて、

『鍛冶を開始します。金槌を使用してください』

 と出てきた。

 金槌は事前に購入してきていたけれど、使用するというのはどうすれば良いのかな……と思いつつ周りを見てみると、隣にいる人が金槌を軽く振りかぶって、金床に置いた素材に振り下ろすのが見えた。わたしもそれを真似して、顕在化させた金槌を素材に振り下ろす。

 本当に軽く振り下ろしただけだったが、かぁん、と小気味よい音が鳴って、素材が発光した。いや、素材そのものが光に変わった。光はぐにゃりぐにゃりと餅のように形を変えながら収まっていき、再び物質化する。光が収まったとき、鋳塊インゴット状だった素材は、一組の耳飾り《イヤリング》になっていた。

 星を三つ組み合わせたデザインの耳飾りなのだが……正直、自分で作っておいて何だけど、微妙な出来映えだった。いや、けして悪くはないと思うんだけど、だからといって良くもない。遊びも冒険もない、無難すぎるデザインだった。

「分かってはいたことだけど……」

 わたしに造形のセンスはないようだった。そういえば、小中高と美術の成績で最高評定をもらったことは一度もなかったような気がする。

 これで、発現した追加効果が良いものだったら、まだ期待が持てたのだけど、残念ながら付いたのは『魔法防御+1』だ。魔法攻撃で食らうダメージを一パーセント軽減してくれる効果なのだけど、『+3』以上のものが多く出回っているために、『+1』では市場価値がない。

 念のために出品カタログを呼び出して、わたしがいま作ったのと同じ能力値、同じ特殊効果の装飾品がどのくらいの値段で出品されているのかを調べてみたけれど……うん……。

 どれもこれも、元の素材とほとんど変わらないか、それ未満の値段で売り出されていた。【生産】技能で加工したものを素材に戻すことはできないから、大量に出回っている低級素材で作った低級装備の市場価格は素材未満の値段になってしまうようだった。

 でも、そんな低級装飾品のなかでも、明らかに高値で出品されている一群がある。それらの品々は一覧表示された写真からでも、デザインの良さがぱっと目に飛び込んでくるものばかりだった。

 生産品を素材以上の価格で売るための重要要素はやはり、見た目だ。

「……よし。もうちょっと頑張ってみよう」

 魅力的な見た目の装飾品を眺めていたら、創作意欲が沸いてきた。いまなら、売り物になる格好いいデザインが脳内に降臨してくれそうな予感がする。

 わたしはもう一度、素材を金床の上に顕在化させると、形状設定を開始した。

 形状の設定は、粘土を捏ねるようにして行う。ダイアログから指定して、球形や立方体、星形などの定形に変化させることもできるけれど、細かいところは結局、手作業で捏ねたり引っ張ったり、あるいは先の細くなっている箆で削ったり刻んだりして細部を詰めていかなくてはならない。これが非常に根気の要る作業だった。

 ちまちまと捏ねたり削ったり拡大させたり縮小させたり尖らせたり丸めたりしているうちに、頭の芯が嫌な感じに痺れてくる。

「うああえぇ……」

 変な呻き声がすると思ったら、わたしの声だった。

 この苦しさはそう、苦手な科目や馬が合わない教師の授業を聞いていたときの感覚だ。さっきはもっと、物作りの楽しさというのを感じながら作っていたと思うのだけど、二度目の今回はそれがさっぱりだ。どうしてだろうか?

 ……いや、答えは分かっている。

 一度作ってみた上で、改めて売れている品の精緻な出来映えを見てしまったからだ。あのレベルのものを作らなければならないと思うと、さっきは感じていなかった重圧が肩にどっしりとのしかかってくるのだった。

「あっ」

 意識が考え事に逃げ込んでいたせいか、手元が狂った。取り消しアンドゥ機能で元に戻せたけれど、その途端に、いまどんな模様を刻もうと思っていたのかが分からなくなった……ううん、それ以前に、これに模様を刻んだところで人目を惹くものになるの……?

 一度分からなくなった瞬間、頭のなかにあったはずの完成予定図が丸ごと、ばらばらに千切れてどこかに吹っ飛んでいってしまった。

 ああ、もう駄目だ……。

 わたしはここまでの設定を全て取り消して、【鍛冶】を終了させた。いまの心理状態でどれだけ粘っても、売れるデザインが出てくるとは思えなかった。それなら、下手に加工するより、素材のままで売ったほうがましというものだった。

 わたしは公共鍛冶場を後にした。部屋を出て行こうとしたとき、隣から溜息が聞こえた。ちらりと目線を投げると、わたしの隣で鍛冶をしていた人が肩を落としていた。俯いていたからよく見えなかったけれど、落ち込んだ顔をしていた。わたしもたぶん、似たような顔をしているのだろうな。

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