第15話-断罪


 マリさんに手を繋がれたまま、僕はそれなりに大きい公園に入った。マンションの横に併設されているような規模ではなく、子供が遊ぶには十分な大きさがあり、滑り台、ジャングルジム、ブランコとマイナーな遊具は一通りそろっている。

 真夜中の公園は、肌寒く、静寂に包まれていた。住宅街からそう離れていないのに、孤島にいるような気分だ。本来の機能が全く使われていないから異質なのだろう。

 マリさんはベンチの場所を把握しているようで、迷わず進んでいく。

 公園の真ん中あたりにベンチはあって、ここに入ってから3分ほどでついた。

 ベンチに座った時には、マリさんに全て話そうと決めていた。時を繰り返し行ってきたことを全て。

 理解してもらえると思って話すつもりではなかった。

 僕が狂人とわかれば、放っておいてくれるだろう。

 そして、容赦ない言葉を浴びせて、時を戻すのが正しいと思っている僕を消してくれ。完全に突き放してくれ。

 逃げというぬるま湯から俺を蹴とばし、そこへ戻れないように現実を突きつけてくれ。

 第三者の言葉で裁いてくれ。

 本来は自分自身で解決しなければならないことだが、失恋ごときで殺人を犯そうとする奴に、自己を律する能力が備わっているとは思えない。


「落ち着きました?」


「はい」


 僕は嘘をついた。落ち着いてなんかいられない。激情は熱を維持して暴れている。


「さあ、やっちまおうぜ。手始めにこの女から。どうせ、次の回へ移行して全て白紙に戻るんだ。なら、やれることはやっちまおう」


 僕は深呼吸をし、目の前にいるマリさんを失望させることに集中する。

 先ほど、今度こそ殺してしまう、などと口走った相手に、マリさんは本当で心配していた。

 彼女の声の色に戸惑いはあっても怯えはなく、まだ僕を気遣ってくれている。

 これからしようとしていることは、そんなマリさんを利用する行為だとわかっていたが、僕の方には相手を気遣う余裕はなかった。

 すぐさま煮えたぎっている激情を、コントロールできる範囲で吐き出さなければいけない、ということに頭が占められていた。


「進矢に乙種のデータを送ったのは僕なんだ。信じられないと思うけど」


「信じます」


 何故馬鹿にしない? 罵らない?

 真剣な顔でこちらを見る?

 だから、そんな顔を歪めたくなるじゃないか。


「なら、どうやってデータを集めたと思う?」


 マリさんはこちらから視線を逸らさず、口を一文字に閉じた。僕は上手く事が運んだので、意識しないうちに唇が片方だけ吊り上がっていた。


「だよな。時間を巻き戻して、研究成果を未来から持って来たなんて、頭がおかしくないと思いつかないよな」


 僕の発言についてこれなかったのか、マリさんは大きく口を開けた。


「僕はね、時間を巻き戻すことが出来るんだ。タイムリープってやつ。それを何度も使って、未来で薬の技術を学んだから、乙種の薬を作れた。アマネさんを脅かすものを知っていたから未然に排除できた。そして、彼女が誰にも脅かされない今回にようやく辿り着いた。けど、僕の元に彼女はこなかった。何度も何度もやり直したのに、何度も何度も救ってやったのに、アマネさんは進矢を選んだ」


 興奮して言葉を選ぶ余裕がなくなっていた。もう、考えるのだってまともではない。唾を吐き出すことも気に留めず、言葉を吐き出すことに躍起になる。


「その事実を認められなくて、俺はもうすぐアマネさんを絞め殺すところだった」


「辛かったんですね」


 いつも通り、マリさんは優しい声だった。何故、そんな風に思えるのか僕にはさっぱり理解できなかった。どう聞けば、犯罪者に憐憫の情をかけられるんだろうか。

 だが、今その理由を考えても、まともでない頭では見つからないだろうから、直接訊いてみた。

 

「辛い? 殺したんだぞ? ただの悪人なんだよ俺は」


「私には信じられません。だって桂君は優しい人だって知ってるんです。常に背筋を伸ばしている人なんですから、悪人とは思えません」


「優しい?」


 聞き間違えかと思ったが、マリさんは何も言わないので、そういうわけではないようだ。

 僕はついつい笑ってしまう。今まで自分が被ってきた殻が、上手く人を騙せてきたことに苦しめられるとは本末転倒だ。

 人のためにと自分を押し殺す行為こそが僕を守る殻だった。

 何もかもが裏目に出る。なんて、皮肉だ。

 もう、誰かに繕う必要はない。自分は強いのだと誇張して何になる?


「僕はずっと、モルモットになったのは、自分から望んだことだと言ってきたよね。この言葉こそ綺麗に言い繕うことに必死な僕の象徴なんだ。事実だけで言葉にするなら、自ら望まざるを得なかった、というのが正しい。甲種を患ったとわかった時、母さんがこうぼやいているのを聞いてしまったんだ。事故でも起きないかしらって。その声の色といったら、思い出すだけで吐き気がするぐらいおぞましいものだった。そんなの聞いたら、モルモットになるしかないじゃないか。でも、それは構わなかった。だって、家族を助けられるのだから」


 マリさんは言葉を挟まず、こちらをじっと見ていた。その表情は真剣そのもので、呼吸も変わりない。

 まだ、彼女を失望させるには足りていないようだ。驚きもなかったようだし、僕の、自ら望んだ、という言葉が最初から信じられていなかったのかもしれない。だとしたら滑稽だ。


「入院してみたらさ、できることがどんどんなくなっていくんだ。それが不幸だとは認めたくなかった。甲種だけが価値の人間と思われたくなかった。もっと誰かのためになれると信じたかった。でも、現実はそうだった。僕の存在価値はそれだけでしかなかった。片や親友は社会に羽ばたき、誰かを救っていく。それをベットの上で知らされた。ずっとずっと俺だって、と思ってた。役に立ちたかった。誰かを救いたかった。何かのために、時間を費やしてみたかった。いつかはこうなりたいという希望も、そうなるんだろうなという妥協のような予想も、幸せになるんだという子供のころの未来図も悉くぶち壊されたよ。けどさ、それでもと、憧れても、努力しても、どうにもならない。だったら、縮こまって、最低限人の迷惑にならない様じっとしているしかないじゃないか」


 淡々と言うつもりだったが、声に熱がこもっていく。それを落ち着けるためだろうか、自然と僕は自分に語りかけ始めていた。

 そうだよ。どうにもならないんだ。現実という制限ばかりの世界ではどうしようもないんだ。

 もがけば、最後の希望であるモルモットであり続けることもできなくなってしまう。それがあらゆることをセーブしてきた。

 だってそうだろう?

 そうしないと、全て失ってしまうんだ。

 僕に残された役割は一つだけ。その最後の役割だけしかないんだ。それだけは守らないといけないだろ。

 自分は何かできたのだという、保険だけは残して、もっとできたんだっていう未来はいつでも書きこめるように白紙にしておくことぐらい、いいだろ?

 一通り、僕に言い聞かせてみるけど、ずっと騒いでいた激情も、嘲笑していた獣も、何も言ってくれなかった。 


「それでも、役に立ちたかった。だけど、何の技能もない。なら、あるのは己が身だけだ。だから、僕にできることは一つだけだった。人のために自分を切り売りすること。誰かのために自分を殺す習慣。我儘を叶えるために、必要な代償だった。誰にも迷惑をかけないし、プラスマイナス0だから、それが最も正しい。つまり、僕と関わる全ての人に従順であろうとした。これで、モルモットとしての職務をより全うでき、少なくとも価値のある皆の貴重な時間を奪わずに済むから」


 今更、僕は気づく。そう考えているのにも関わらず、保身の嘘をつき、完全な誠意を貫けなかった。それは自分を守る側面もあるけど、それはほんの一部だ。100パーセント切り売りできていないということをアマネさんがいなくなった時気づき悔やんでいたが、本当は安心もしていた。まだ本気じゃないからという可能性を残せていたから。

 自覚していなかった不甲斐なさが続々と露見してくる。何と惰弱な人間なのだろうか。

 阿呆らしい。自棄になって、どうにかなりたかったが、まだ目の前の女性はこちらに目を向けている。


「そうやって最も正しい基準に縋って、自分は役に立っていると思いこむのが僕なんだ。そんなチンケな自尊心を抱えることぐらいしかできなかった。それを守るためならなんだって、捨てようと思ったさ。その結果が、自己犠牲だ。自分より、価値のある人々のために、切り売りする。自分は誰かの役に立つため、自ら望んで、モルモットになりましたって笑うんだよ。それ以外のあったかもしれない道を惜しみながら、この道は自分で選んだのだ。不幸ではないのだと自分を納得させるために。お前は有益な存在なのだと、これが一番世界にこう貢献できているんだと、そして甲種以外にも役に立てていると、言い聞かせて」


 唇がわななき、舌がもつれる。声を尖らせ、僕は問いかけた。


「そうじゃないと何が残るんだ? 僕が死んで、何を成せた?」


 言い切って、僕は荒い呼吸を繰り返した。息が切れそうになるまで何かを伝えようとしたのは初めてだった。酸素が足りなくて吸うことに必死になる。そうすると頭も空っぽのまま膨らんでいくような錯覚を感じた。


「やっぱり優しい」


 マリさんは苦しそうな顔に微笑を浮かべてそう言った。まだ優しく包むような柔らかい声で続けた。


「誰かのために在りたいと思えるのは綺麗なことだと私は思います。自ら望んだことだと思い続けられるのも強さだと思います。だから、桂君は優しいんだって改めて思いました」


 これ以上、マリさんに喋らせれば、どうにかなってしまいそうだった。今でさえ、衝動のままに彼女の顔へ拳を叩きこみたかった。ふざけるな、と行き場の失った激情が騒ぎ立てる。こいつを排除すれば、好き勝手できたのに、と獣が不満を叫ぶ。

 僕の目と頭は、この世の全てを悪意と捉えた。

 その視界を消すために、失望させるための言葉を紡ぐ。罪人を御するには、正当な裁きが必要だった。


「数時間前に、アマネさんが救われているなら過程はいいなんて思ってたんだ。でも、このありさまだよ。諦めていたくせに、目の前に餌があれば欲しがった。結局、僕の手では届かない。不相応の希望に手を延ばした罰だな」


 マリさんは笑ってくれない。呆れてくれない。怒りによって筋肉が震えて、次の動作に備えている。理性で衝動を抑えるのは難しそうだ。僕の拳が飛ぶのはそう遠くない。

 もう、彼女に僕を裁かせるのは不可能だ。大人しく、彼女の好意に甘えて、その後、司法に裁かれよう。

 だから、僕は自分自身に心を向け、間違いを声に出す。そんなお門違いの怒りを捨てろと説得する。もう、これ以上誰かを傷つけるのは良くない。

 それだけは、僕が僕であるために、守り切る必要があった。


「そうだよ。今更だ。今まで通り、切り売りだけしてればいいんだ。それこそが正しかった」


 そうできないことを僕は察した。モルモットでいることさえ、放棄してここに逃げてきたのだから。

 規則違反に次ぐ規則違反。そこに犯罪も加わっている。これで全てを失った。

 頬にある幾重もの筋が春風に当たり冷えた。

 いつの間にか涙を流していた。僕はマリさんに見られないよう俯く。そんな状態で笑ったせいで、汚い引き笑いになった。


「自業自得だな。もう何もない。モルモットでいることが僕の最後の価値だったのに。幸せになんてなろうと思ったから、間違――」


「そんなことない」


 マリさんは顔を赤くして、言葉に憤怒の念を込めこちらの声を掻き消した。僕に言い聞かせていた言葉に何故か、彼女が怒っていた。


「そんなことありません。桂君は自棄になっているだけです。アマネさんの近くにいるのが怖いというなら、とりあえず別室にしてもらいましょう」


 急にまくし立てられて僕が答えられず、地に視線を向けていると、マリさんが屈んでこちらの視線上に現れた。


「2日だけ待ってください」


「何を待つの?」


「私が病院から出られるように手配します。だから、それまで病院にいてください」


 戻りましょう、とマリさんに腕を掴まれ、僕は抵抗もせず立ち上がった。

 そんなことしてくれても、無駄だよ、俺は犯罪者なんだから、じき捕まる。

 その言葉は僕の口から出なかった。

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