第3話-3/29
実を言うとこのように物語として、自身の人生を振り返ったことがある。あの時は出逢った日までしか書くことが出来なかった。
なぜなら、これ以上進めば止まってしまうとわかっていたからだ。自身の歩みを戻してしまうという確信があった。
特殊な技能がない人間にはあの頃をそのまま文字にすることしかできなかった。
つまり、僕にとって小説を書くという作業は、記憶の追体験と同義だった。可能な限り記憶の中に深く潜り辿っていくのだ。それをそのまま文字にする。
そんなことを話の途中に書いたのは保身のためだ。これから先の醜い話を君に見せることに抵抗があった。けど、同時に知ってほしいとも思う。
だから、これはあくまであの時の僕の感情を書いたものだと、無粋でも書いておきたかった。しかし、悲しい事だけど完全には思いだせないので、今の僕の後悔もきっと文に滲んでしまうだろう。
君も知っている通り、神様と呼ばれる男はすごく女々しいんだ。
こんなものは初めに書くべきだったかもしれない。
でも安心してほしい。もう、余計な文は最後まで挟まない。
3月29日
朝は考え事が捗る時間だ。早起きなので、実質、一人の空間である。
宣言通り、アマネさんは様々なことを訊ねた。
時間が経つにつれその頻度は減っていったが、初日は僕の一挙一動ほぼ全てに不思議がった。
立ったり歩いたりすることや、食事の仕方まで。
確かに不思議な光景なのかもしれない。目を覆い隠すように包帯を巻いた男が杖もなく生活していればそう思われるだろう。
全員が僕の事情を知っている環境で過ごしてきたため、そのことを忘れていた。
だから答えとして、そんなことは慣れであり、できるからできる、としか言えなかった。言語化するにはあまりに僕の知能が足りていなかったのだ。
実際の所、ただの慣れではなかった。
今の科学技術の結晶である腕時計型の情報端末が僕の生活を助けてくれていた。一昔前なら、飲み物をコップに注ぐのだって、どれだけ注いだか計測する装置とその量を音声で知らせるものが必要だった。時計もそうだ。音で時刻を知らせるものでないとわからない。
しかし、今は端末が全て教えてくれる。周囲にある危険物との距離から、時間、文字、全て僕だけにしか聞こえない音声で伝えることが出来る。
それだけでなく、白黒の世界を脳内に直接伝えることで、仮の視界としても機能する。目を通して見るのではなく、端末を通して世界を見るのだ。ただ、色はなく、不鮮明なので、文字や表情といったものは見えないし、疲れるので基本的にはつかわない。白黒の立体設計図のようなものだ。だが、それは贅沢な悩みだろう。
兎に角、歩く分には支障がないということを伝えた。端末に白黒の世界を投影してもらわなくとも、音声だけで十二分に生活できる。
よって、病院という限定された空間であれば特に不自由はなく、歩くのでさえ補助はいらないが、看護師の方々に不安を感じさせては申し訳ないので、少しは手伝ってもらっている、ということもアマネさんにはばれてしまった。
「そう」
自分で訊いたのにアマネさんは大抵素っ気ない返事をしていた。もちろん色がわからないので、情報はほとんどなかった。
それでも彼女の問いに答えるのが煩わしい、と思うことはなかった。訊かれれば答えた。多くの人が気にしつつも口にしないようなことであってもだ。今まで訊くような人がいなかっただけで、僕はそもそもそれらの話題についてどうこう思っていなかった。祖谷先生で耐性がついていたのかもしれない。
そのおかげか、アマネさんが僕の病気に対する質問を容赦なくしても答えることが出来た。
確かに、今一度客観視してみると、小学生でも口を噤むような不躾な話題だろう。僕がどう思っているのか伝えなかったら、怒っていると勘違いしても不自然ではない。
そんなわけか、アマネさんはすっかり元気を失っていた。ずっと黙っている。自分を責めているのだろうか。
そう、出会って3日にして、僕と彼女の間には妙な合間ができてしまった。 女性が、男性に無闇に近づかない、というものではない。物理的な距離はなかった。僕は高価な代物なのだ。アマネさんが僕の状態について教えてられていなかったとしても、高級モルモットの管理であることは知っている。僕が動こうとする度、アマネさんの方から近づてきた。いつ転ぶのかと気が気でないのだろう。
問題なのは、精神的なものだ。アマネさんは置物になってしまった。無論、比喩である。
が、日に日に彼女はそう表現しても違和感がなくなってきた、寡黙で身動きも最小限に抑えている。こちらから会話をすれば、応じてくれるが、向こうからということはない。これ以上余計なことはしないぞという気迫が伝わってくる。よほど、自分を責めているらしい。
本音を言うと、そんなところも良かったりする。しっかり物事を考えようとしてくれるほうが僕は好ましい。まあ、色という証拠もないので、こちらの勝手な妄想なのだが。
第三者から見れば自業自得と評価できるかもしれない。
だが、訂正したい。これは僕のせいでもある。
僕が気にしていないと伝えていなかった。質問ばかりされるせいで、こちらから話題を振ることもしなくなっていたからこうなったのだ。誤解を与えたのも、誤解を解けるのも自分なのだ。つまり、これは僕がどうにかしなくてはならない問題であった。
そこまで整理し、僕は今一度、早朝に差し込む日を瞼に感じながら、アマネさんと会話を思い返すことにした。問題解決をするために、毎回振り返り、しっかり思考するとどうにかなるのだ。熱意と時間さえあれば。
「これが数日で終わるならいいんだけれど」
妙案が浮かばなくて愚痴をこぼすが、どうにもならない。
僕の責任というのは別にして、実験の終わりに目処がない今の状況では、この距離がアマネさんの負担になるだろう。
こちらは黙っていてもよかった。彼女といるだけで、満足している。女性と一つの部屋で暮らすというシチュエーションはよかった。もう叶わないものだと思っていたものが叶えられたのでこれ以上は望まない。何も起きなくても、僕には十分だ。
けれど、彼女は別だ。行動を制限され、僕以外の人間とまともに会うことすらできない。少しでも緊張を解いてもらう必要がある。そうしなければ、すぐに壊れてしまう。その証拠に微かに聞こえる寝息さえも苦しげだった。色がないので想像だが。
「どうにかして誤解を解くしかないよな」
目標を口に出すことで、ようやく決心がついた。
方針はすぐにまとまった。そもそも僕にできることがほとんどない。
僕はベットの上で、既に覚醒しきった頭を少し揺する。眠っている間に前髪が後頭部に巻き込まれていたのか、寝癖が酷いことになっていた。
どうにかしようと前髪を押さえうつ伏せになった。水で濡らしていないが多少はましになるだろう。
その状態のまま端末から時間を読みとる。午前5時22分。
意識するだけで、望む情報が送られてくるのだからありがたい。思考で操作できる技術がなければ不自由な生活だっただろう、と毎朝思う。
不自由。その言葉から変なことを連想してしまった。アマネさんが来てから一つだけ不自由だなと思っていることがあった。気を使わなくてはならないことだ。
同居人ができてからというもの、朝が最も気を使う。僕は早寝早起きである。この病になってから、23時頃になると意志とは関係なく眠ってしまうので自然とそうなった。
が、アマネさんはそうではない。彼女がいつ寝るのかは自由だ。
早寝早起きが僕の習慣となったのはここ数年なので、朝の眠りを妨げられる気分をよく知っている。甲病を患うまで、3年前までは普通の生活を送っていたのだ。
「普通の生活」
声には出さず、そういう形に口を動かす。
まるでそれが聞こえていたかのように、アマネさんが寝返りを打った。すると部屋に香りが充満する。女性がいい匂いがするとは知っていたが、これほどなのか。
きっと彼女の四肢は花弁のような繊細さで、見ればあらがうことはできずに吸い寄せられる魔力があるのだろう。そして、近づき触れるものを魅了する香りを放つのだ。彼女の身体はそういう形をしているに違いない。
僕の妄想はアマネさんの姿を作ろうとするけれど、一つの形になることはなかった。夢ではあんなりくっきりしていたはずが、今では輪郭すら朧気だ。
イメージを補完するようにアマネさんの方をぼんやり向いていると、小一時間経過していた。
暇人を極めてしまうと、惚けているだけで一日過ごせる。
今はそういうわけにはいかない。
意識を戻すと、いつの間にかアマネさんがベットの中で伸びをしていた。
彼女は目覚めると、まず僕を見る。そのことをわかっていたので、狸寝入りをしてみたけれど、彼女に見破られた。
「おはようございます」
アマネさんは申し訳なさそうに挨拶する。そうして、自分の布団を畳み、音を立てないようにベットの隅に座るのだ。
今日もその流れだった。
僕は端末で健診まで時間があることを確かめてから口を開いた。
「趣味とか、好きなものってないの?」
僕の言葉は空中で綺麗さっぱりなくなってしまったみたいに、部屋から音が抜けた。ついに声まで病に蝕まれてしまったのか、と僕は思ったが、それは思い違いだった。
「音楽ですかね」
きちんと届いていたらしい。急に話しかけられて驚いたのだろう、と納得し、僕は種類を訊ねた。
「別段好みはないんです。クラシックでもジャズでもポップでも音楽であれば。強いて言うなら、近くの公園や駅で誰かが演奏しているのを聴くのが好きでした」
「ごめんね。僕が奪ってしまった」
アマネさんの発言に、そのようは意図はなかったようで彼女は、え、あ、と慌てて言葉を探していた。
慌てている様子はとても可愛らしかった。色は相変わらずなかったし、彼女の纏っている空気は変わらなかったけれど、声音が違っていたので今までと違うように感じた。
言葉がまとまったのかアマネさんは、あの、と切り出した。
「実は音楽が好きってわけじゃないんです。ただあの場所が好きだった。私は見ていて、彼らが演奏する。ただそれだけ。そこにいるだけで何かが成立する関係が好きだったんです。だから音楽を聴くとそれを思い出せて好きなんです」
アマネさんはごめんさい、と謝った。
「こういう話をすれば、責めているみたいだって、ふつう、気づきますよね。こういうところがだめなのかな」
「僕が悪いんだ。今のも、出会ってからも。ずっとあなたを困らせるようなことばかり言ってしまった」
僕が突然謝りだしたので、彼女は、え、と声を上げた。
「正直に言うよ。僕はあなたと仲良くしたいんだ」
言葉は返ってこなかった。まだ理解されていなさそうなので、言葉を継いだ。
「慣れていない人間が遠回しに伝えようとするから駄目だったんだ。だからはっきり伝える」
「お願いします」
アマネさんが神妙な口調で言うので、僕は少し笑ってしまった。
「これからこの生活が長くなるだろうし、少しでも楽にしたいんだ。僕だけなく、あなたもそのほうが好ましいと思ったんだけれど、間違っている?」
アマネさんは声を出さなかった。どんな顔をしているのだろう。口を開けているのだろうか、何様だと睨んでいるのだろうか。
暗かった。何もかもが手探りなのに、誰かに触ることすら許されない。それでも僕は続ける。情けなく晒すことを選ぶ。
そして、そのことに安心する。まだ、僕は進む気力があるのだと。
「利害関係ばかり強調したけれど、仲良くしたいというのは本当なんだ。さっきも言ったようにあなたも好ましいと思って提案している。もし、あなたがこのままのほうが楽だというなら、そっちに合わせます。不遜な言い方だけれど、僕は自由だ。けど、あなたは不自由だから、少しでも楽に過ごしてほしい」
自分でも何を口走っているのかわからなくなった。確かめようにもアマネさんから反応は伺えない。どうにかしようと焦って、矢継ぎ早に僕は付け足す。
「ごめん。今のはなし。全部白紙。つまり、俺が言いたいのは、アマネさんと話すのは楽しいし、これからも続けていきたい。仲良くしたいってこと。それでもやっぱり、一番優先してほしいのはアマネさんが窮屈なこの部屋で過ごしやすいように振る舞ってほしいということ。そうしてくれたら、こっちはいくらでも順応できるから」
改めて考えてみると早口で、保身に走った不格好な言葉選びだった。それでも、出してしまったものは仕方がない。1度はやらかしてしまったが、訂正すればするほど余計汚くなることがわかるぐらいには、頭が回っていた。
「じゃあ、よろしくね。桂君」
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