第2話-3/27-Ⅱ


「座れ。早速始めるぞ」


 特徴的訛声で、挨拶もなく祖谷先生が言った。


「それで、調子はどうだ?」


「至って健康ですよ。祖谷先生はどうです?」


 祖谷先生はこちらの質問には答えず、なるほど、と相槌を打つ。彼の口癖だ。返事が返ってこないのもいつものことである。

 なるほど、という言葉はありふれているけれど、彼の場合高い声音とイントネーションが独特で、個性になっている。よく看護師に真似されていて、それと共に多くの彼の噂を聞かされた。

 噂というものは形を変えつつ伝染しやすいけれど、彼の場合、擁護できるものではなかったし、ほとんど真実だった。祖谷正臣。彼がいない場所では名前で呼ばれることより、あだ名で呼ばれることが多い。

 不名誉なあだ名である。嫌味が多いのと、名前の一部が一緒だったので、そのままイヤミと呼ばれている。

 だけど、僕は頑なに名前で呼ぶことにしていた。幼少のころから診てもらっている先生なのだ。今も昔も誰かを救える技術を持つ人間なのだ。少なくとも僕より世界に貢献できている。

 

「今日も異常はなしだな」


 祖谷先生と僕は決まりきった問答を記録する。それが済むと、僕はすぐに服をはだけ、彼の触診を受けた。先生の手は基本的に湿っているので触れられるのが少し嫌になる。彼の手に肌が吸い寄せられるような気分だった。それだけでなく、動かす度に水気の含んだ音が鳴る。触感と音の二重苦だ。

 触診が終わり、服を整え帯を締める。世間話する間柄でもないので、僕は外に出ようと立ち上がった。


「待ってくれ」


 祖谷先生は僕の肩に手を置き、そのまま椅子に座らせた。他の医者と同じく彼も多忙である。よほど変わったことがない限り、僕より先に退出するほどなのだが、今日は違うらしい。


「実は今日から一つ変更点あってね」


 何事もないように装って言ったが、声は偽れない。愉快下で人を挑発するような攻撃性を含んだ色だった。

 だから、僕は身構えた。

 祖谷先生の感情を刺激するツボは、酷く深いところにあって、常人では理解しがたい、というのを学んでいたからだ。つまり良い知らせではない。

 これだから、と僕は言わずに、何でしょう、と首を傾げた。


「何、心配することはない。君も暇だろうと思ってね。ちょっとした心遣いさ」


 そう言って祖谷先生は、喉から古い自動車のエンジン駆動音のような長い引き笑いを鳴らした。口癖と共によく真似をされているけれど、この笑い声の模倣は難しいらしく、看護師の皆さんでもあまり上手くない。

 笑い声の間隔を2秒ほどに抑えてから、途切れ途切れに、入りたまえ、と扉に向かって言った。


「失礼します」


 僕は祖谷先生の笑い声が綺麗に消失してしまったかのような錯覚を覚えた。何故かはわかっている。入ってきた少女の声があまりにも似ていたからだ。

 夢に出てきた色を感じさせない声を持つ少女にそっくりだった。

 意識を集中させ、情報を照応させたが、間違いない。似ているのではなく、夢に現れた彼女本人だ。一度聞いただけだったけれど、これほど特徴的な色はない。声音と色の二つも誤魔化すことはできやしないだろう。

 頭から言葉という言葉がなくなった。 気の利いた挨拶どころか、こんにちはや会釈すらできない。 

 そんな僕を余所に、祖谷先生は話を始めた。 


「君には言ってなかったがね、彼女には今日、これから同じ部屋で過ごしてもらう。名はアマネという。君もそう呼んでやれ」


 ようやく意識の戻った僕が異論を挟む前に、祖谷先生は指を大きく二度鳴らした。湿った彼の手は大きな音を奏でた。


「これは決定事項だ。君に拒否権はない。私の独断でもなく、院長の許可も出ている。問題ないだろう。一人が二人になるだけさ。これも実験の一環だ」


 見計らったように僕の弱点を、病院の決定には逆らえないという立場を祖谷先生は突いてきた。

 気分が高揚でもしているのか、彼の心拍数は上がっている。心なしか、バカにしたような視線さえもあった。

 いや、それはきっと間違いだろう。仮にそうだとしても、攻められるものではない。


「何をしてもらうんですか?」


 僕は反論を言うのではなく、大人しく命令を聞き入れた。報酬もなしに自由をよこせと言っても、それなりの整合性が必要だった。個人の尊厳なんてものを武器にしたり、燃料にしたりすると、大抵巧くいかない。

 そもそも尊厳や権利というのは与えられるものではなく、掴み取り守るものである。獲得するのでさえ、様々な力が必要なので、人々はこれという正解もなく学び努力する。それを怠り、巡り合わせが悪いと失ってしまうあやふやなものだ。

 生まれたときから少しずつその事実を知るわけだ。そこでもがくか嘆くかは人それぞれ。

 僕も世間一般で言う成人を済ませている。折れるところは折れるのだ。


「今までの医療行為は変わらずこちら側で行う。こいつは医療に携わっている人間ではないから、同じ空間にいるだけだ。言っただろう、実験の一環だと。ただ、寝床に一人増えた、と思ってもらえればいい」


 抑揚をつけずに祖谷先生は言い切った。彼は命令に従順な人間には興味を示さない。おとなしくしていることこそが最も楽にやり過ごす術である。僕はとっくの昔に抵抗を諦めていた。が、今回ばかりはじっとしていられない。僕だけの問題ではないのだ。


「いつも通り、ということですか? 禁止事項が増えるわけではなく?」


 初めて試みだったので、僕は質問した。できるだけ早くこの空間から離脱したかったのだが、情報の齟齬を解決しておかければ、どちらも損をする。もちろんそこに祖谷先生は含まれていない。僕とアマネさんだ。

 僕は高級品だったりするので、アマネさんがうっかり多額の請求を突きつけられたりすると申し訳ない。こちらも気を付けるが、勝手に増えた禁止事項にアマネさんが触れて、なんてことが起こる可能性もある。


「そう、いつも通り」


 繰り返す祖谷先生の声が弾んでいた。思わぬデザートを出された子供みたいな明るい色である。待っていましたという風に彼は、君はだがね、と愉しそうな声で言った。

 意味がわからず僕が口を閉ざしていると、祖谷先生は一つ鼻で笑ってから、顔か唇かを手で擦って、唾液の音を立てながら口を開けた。


「こいつには君の生活に付きっきりになってもらうだけだ。同居という奴だね」


 汚らしいものに唾をはきかけるような口調で、アマネさんの方に向かって言った。その態度も気にいらないが、今の発言に全ての思考を奪われた。


「過ごすってまさか、毎日、24時間ですか。日中だけでなく?」


「もちろん。とはいっても、排泄や入浴といったところまでは一緒にしないが。文字通り同居だ。こいつが約2週間に一度、実家に帰宅することを除けば、毎日」


 僕は祖谷先生を睨みつけた。

 あまりにもアマネさんに不公平な話だった。僕はともかく、無関係の人間に迷惑をかけるような実験はしたくなかった。

 眼球は見えていないが、こちらの気迫でも伝わったのか、祖谷先生は数秒前まであった強気な態度を隠しながら、勘違いするなよ、と笑いかけて言った。


「君がもし反対すれば、話はなくなるか、条件が緩和されるだろう。だがな、これは協力者も望んだことだ。君ならその気持ちが理解できるだろう?」


 僕は静かに頷ずくことしかできなかった。

 祖谷先生が、了承してくれるな、と言ったので、もう一度、さっきよりも浅く顎を揺らす程度に頷いた。


「よかったよかった」


 気分をよくしたのか、祖谷先生は拍手を始めた。彼の手は皮膚が厚く水気があるので、餅をついたような音が出て威圧されている気分だった。


「そうだ。君のことを説明してくれないか? なにしろ急に決まった話でね。彼女は君のプロフィールは知っていても、事情を理解していないんだ」


 弾んだ声。祖谷先生のツボだ。人が苦悶することを悦とする傾向にある。だから、看護師からよく思われていなかった。

 それでも僕は従う。不服ではあるが皮肉も言わず、態度にも出さない。

 透明な声を持つアマネさんのように、僕も望んでここにいるのだ。

 

「世界には不治の病が二つだけあるのは知ってますよね」


 僕がそこで言葉を止め、吐息からアマネさんのいるところを推測し、視線を向けた。


「甲種と乙種」


 アマネさんは小さく答えた。注意して聞いてみたが、やはり色はない。


「そうです。僕は甲種を患っています。甲種と乙種の違いはわかりますか」


 僕がアマネさんに尋ねると、祖谷先生はまたあの独特な笑い声をあげた。


「乙種が異常な身体能力の向上。甲種がその逆である身体能力の低下」


 アマネさんは祖谷先生の笑い声を無視するように言った。


「その通りです。甲種は乙種に比べ発見数が少ないので、僕はここで研究の協力をしています。具体的な内容になりますが、甲種には個人差があります。僕の場合、全身の衰弱に加え、著しい視力の低下と23時になると、電池が切れるみたいに寝てしまうという症状です」


 僕は一度そこで切って耳を澄ませた。祖谷先生の鼻息が満足そうに漏れている。合格のようだ。

 僕の口から自分が病気であると告白させたかったのだろう。もしくは、お前は俺が診てやっているのだ、ということを再度教えたかったのかもしれない。後者であれば、そんなことはわかっていますよ、と伝えたかった。

 彼の汚点ともいうべき趣向は人間として、仕方がない部分である。僕にだけでなく、他の人にも同じような調子で振り回しているのはいただけないが、誰にだって似たような部分はあるだろう。

 それに彼は優れた人間だ。僕に振りまくことで調子が整い、矛先が他の人に向かないのであれば、文句はない。多少の欠点は許されるべきだろう。

 まあ、この説明を僕に対する研究に携わる研修医が、配属される度に説明させられるので、面倒なのだが。

 そこまで考えて、ようやくあることに気づいた。祖谷先生の視線はアマネさんに向いている。彼の目的は僕に現状を確認させることではなく、彼女を困らせることにあったらしい。

 しかし、対処の仕様がなかった。アマネさんの感情が伺えないからだ。どう困っているのかが全くわからない。そんな中でいきなり謝ることもできなかった。

 だから、僕は説明を続けることにした。早口で簡潔に済ませることが最善だろう。


「視力の低下というのを詳しくいうと、通常なら目を開けても全く見えませんが、時偶、周波数が合うみたいに見えることがあります。ですが、目を開くのは実験で禁じられているのでこんな風に包帯を巻いてます。けど、心配しないでください。2年もこの病院で過ごしているので不自由なく生活できています。視力を失った代わりに、他の器官が研ぎすまされたみたいで、音や匂いでわかることが増えたなど、便利なこともあります。もちろん、病院内であれば一人で移動することもできます」


「これでわかったかな、アマネ」


「はい。ありがとうございました」


 また透明。相手の表情の見えない僕にとって、声というのは視覚に変わる情報だった。その都度変化する喜怒哀楽の感情から、その人のあり方までわかってしまう時がある。すっかりこの能力に頼りきっていたので、声に色がなく顔色を伺えない相手のことは全くわからない。

 余計なことで頭を悩ます前に、僕自身に言い訳をしておく。そうするのが失敗した時の癖になっていた。

 僕はモルモットであるから、多種多様な人と接してきた。それでも声が透明だったことはない。

 アマネさんは完全なレアケースだった。こちらの準備を怠っていたつもりはなかったと自負している。

 それでも、彼女と暮らすことは決まったのだ。アマネさんが望んだことであるのなら、僕には避けられない。

 だったら、これからどうするのかを考えよう。時の流れと同じく、思考も前を向かねば。反省はあくまで糧にすべきで、そこに留まっていては置いていかれてしまう。


「じゃあ、早速、アマネを病室に案内してやってくれ、桂君」


「わかりました。失礼します」


 部屋から出て手すりを伝って、病室を目指す。が、その前に僕の周りであたふたしているアマネさんをどうにかしなくては。


「大丈夫です。実は手すりがなくたって歩くことができるくらいなんです」


 僕はアマネさんのほうを向いて笑った。


「遅くなりましたけど、よろしくお願いしますアマネさん」


「はい。よろしくお願いします。桂さん」


 僕が歩き出すと、アマネさんは後ろをついてきた。

 病室につき、部屋の各種機能の説明を済ませ、僕はアマネさんのことを知らないことに気づいた。

 女性と同居という状況に緊張していたらしい。


「あの、アマネさんは何歳ですか。不躾な質問ですけど」


「いいえ、私は一応、桂さんのプロフィールをみましたので、勝手に自己紹介しますね」


 アマネさんは小さく咳払いをした。


「年齢は21歳。女性です。えっと、あとは」


 そう言ってアマネさんは黙り込んだ。悩んでいるのは何となくわかるけれど、色が見えないのでその理由がわからない。

 わかったことは、アマネさんは僕の一つ年上ということだ。


「私は貴方に興味があります。色々、質問させてもらっていいですか」


「いいですよ。何でも」


 斬新な自己紹介に驚きつつ、僕は笑った。  


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