第10話

「なるほど。君たちのお師匠というのは、大したお人であるようだ」

 フェオドールの言葉に、アリシアも大いに頷いた。

 『北海の逆叉』クルーニーとその一味を首尾よく倒したヴァートたちは、林間の細道を抜け、ふたたび大きな街道を歩いているところであった。

 なんやかんやあったため、ヴァートたちは自分たちの詳しい素性をオーランシュ兄妹に語らずじまいであった。いまだ油断はできぬ状況ではあるが、クルーニーたちを撃退する前に比べればはるかに安全にはなった。いくぶん余裕ができたことで、ヴァートとカーライルはようやくゆっくり自己紹介をする機会を得たのである。

 武術の世界には疎いという兄妹であった。ハミルトンがどのような人物であるか語るのには、かなりの時間を要した。

「トランヴァル杯のことは、私も聞き及んでいます。国内の武術家すべてが目標とする大会だとか。そして、その覇者は名実ともに武術界の頂点に立つ存在になると」

 クルーニーたちとの一戦を目の当たりにしたことで、アリシアのヴァートたちを見る目も大いに変わっていた。どこか気を許していないところがあったアリシアも、ヴァートに対してはすっかり気を許している様子である。もっとも、街道で女性とすれ違うたびにその都度視線を向けるカーライルに対しては、いまだ距離を取っているのだが……

「あんたたちの様子だと、マーシャ・グレンヴィルのことも知らないようだな。ヴァートのもうひとりの師匠なんだが」

「ああ。恥ずかしながら、われわれが知っている武術家といえばエルクストン先生くらいなものさ」

「エルクストン――『閃槍如光ライトニング・スピア』のドウェイン・エルクストンこのとか」

「その通り。五年前まで、わがオーランシュ家で槍術の指南役を務めていらっしゃったんだ」

 エルクストンは、光のごとき槍捌きと評され、国王から二つ名を与えられたシーラント屈指の槍術家である。約十五年の間オーランシュ家に仕え、現在はレンにて自分の道場を開き弟子の育成にいそしんでいるという。

「エルクストン先生は、私たちふたりをまるで本当の孫のようにかわいがってくださいました」

 懐かしげな瞳で、アリシアが言った。

「じゃあ、アリシアさんの槍もそのエルクストン殿から教わったんですね」

 アリシアは首肯する。二つ名を持つほどの名手から、幼少時よりみっちり仕込まれたのだから、アリシアの技量が高いのも頷けよう。

「しかし、そのマーシャ・グレンヴィルというお人についても興味がわいてきたな」

「とは言え――俺も、武術家としての先生のことはあんまり知らないんですよ。公式戦百九十六連勝だとか、生涯無敗だとか、誰でも知ってるようなことだったら教えられるんですが」

「百九十六戦無敗とは、またとんでもない記録ですね。エルクストン先生も、たしか連勝記録は六十ほどとおっしゃっていました」

 アリシアが言うエルクストンの連勝記録は、正確には六十三である。それでも、歴代四位の大記録なのだ。マーシャの記録がいかに異常であるかが伺い知れよう。

「実際、今でもとんでもなく強いですよ。たとえば俺が五人いたとして、五人で一斉に戦いを挑んだとしても全然歯が立たないと思います」

「まあ……」

 アリシアが絶句するのも無理からぬことだ。なにせ、ヴァートが見事な戦いぶりでカーライル一味を一掃したのを目の当たりにした直後だ。そのヴァートが、五人がかりでも勝てぬと言ったのだ。

「俺は、一度だけマーシャ・グレンヴィルの試合を観たことがあるぞ」

 カーライルが口を挟んだ。

「本当ですか、先輩」

「ああ。それも、トランヴァル杯の決勝戦だ。大枚はたいて観戦券を買って観に行ったんだが……」

 マーシャが試合に勝ったのはいうまでもない。しかしその試合内容はというと、

「ありゃあ、酷いもんだった」

 のだという。

「酷いって――どういうことですか」

 ヴァートが疑問を投げかける。なんとなくマーシャが馬鹿にされたような気がして、あまり気分が良くないヴァートである。

「そう睨むな。マーシャ・グレンヴィルを貶しているわけじゃないさ。ただ、対戦相手との実力差がありすぎた。正直試合になっていなかったな」

 その対戦相手とて、当時のシーラントにおいて最高峰の武術家のひとりであったのは間違いない。しかしマーシャは、その相手を全く問題にせず圧勝してしまったのだという。

「師匠とヴィンス・リゲルの試合が世紀の名勝負だとしたら、あの試合はさしずめ世紀の大凡戦といったところだな」

 と、カーライルは肩をすくめて見せた。

「そういう意味だったんですか。さっきは済みません」

 ヴァートは、不快感をぶつけてしまったことを謝罪する。カーライルは気にするな、と笑う。

「われわれはレンにてなさねばならぬことがあるのだが――それが済んだ暁には、ぜひマーシャ・グレンヴィル殿にお会いしたいものだ」

「そのときには、きっと引き合わせますよ」

 そう言ったところで、ヴァートは不意に風向きが変わったことに気づく。それはカーライルも同様であったようで、眼を細めて西の空を眺めていた。

「ううむ、もしかしたら天気が崩れるかもしれん。今朝がたはそんな様子もなかったんだが」

「野宿する覚悟はしてましたけど、雨の中というのはぞっとしないですね」

 クルーニー一味を誘い込むため、ヴァートたちは本来の経路よりも遠回りしている。歩く速度によっては日没まで次の町までたどり着けないことも想定していた。

「ああ。フェオドール、少し急ぐが体調は大丈夫か」

「心配はいらない。ここ何日かはずいぶん持ち直しているしね」

 歩調を速めた四人は、無事日没までに次の宿場町へと到着することができた。道中、襲撃を受けることもなければ尾行者の気配を感じることもなく、フェオドールとアリシアにとっては久々に心休まる道行きであったといえるだろう。

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