第28話
「部長殿! レヴァント街のハンクス殿より伝令! れいの倉庫から、大量の現金および貴金属類を発見したとのことです!」
「『アイリーンの熱情』は見つかったか?」
「それはまだということで……」
『アイリーンの熱情』とは、怪盗の被害に遭ったとある貴族が所蔵していた、巨大な紅玉のことである。国内外にその名を知られる名品だ。
エヴァンスを罪に問おうとするならば、エヴァンス所有の倉庫から出てきた物品が確かに盗み出されたものだということを証明しなければならない。
金銀で作られた宝飾品ならば、鋳つぶすなどして形を変えてしまえば、「これはもともと私が所有していたものだ」と強弁することもできる。宝石類にしても、「よく似た別物である」と言い逃れを試みるかもしれぬ。
しかし、『アイリーンの熱情』の場合、誰がどう見ても他の宝石と見紛うことはない。これが見つかれば、エヴァンスが犯行に関与した確かな証拠となるわけだ。
続いて、もう一人伝令がアークランド邸に駆け込む。
「グローバー殿が、マイルズ・シアラーの拘束に成功したとのこと! すぐにこちらに連行するそうです」
エヴァンス側近シアラーには、主が犯行に関与したことを吐いてもらわねばならない。彼が、コーネリアスの読みどおりにあっさりと自白してくれるかは未知数だ。しかし、敵の陽動によって大きく予定を狂わせられながら、ここまでは上手くことを運ぶことができている。
「あとは、実行犯を捕らえるだけ……!」
怪盗たちの攪乱により、一番大きな影響を受けたのが
(あのとき、グレンヴィル殿が先行していてよかった……)
このことであった。
マーシャが、「自分は先行してパメラと合流する」と申し出たのは、おそらく不測の事態に備えるためだ。
万一コーネリアスとカーターが率いる部隊が間に合わない場合、マーシャたちだけでもある程度は盗賊に対抗することができるはずだ。
(むろんその場合、全員を捕らえることは期待できぬが)
アークランドは、マーシャたちがカークを除く盗賊を全員捕縛することに成功したことを、まだ知らぬ。
王城内に設置された練兵場、その中心に石畳が敷き詰められた正方形の練武場がある。
普段は城に勤める兵士たちが武術の腕を競うのに使用される場所――そこで、二つの人影が対峙していた。
ひとりは、パメラ・オクリーヴ。いまひとりは、カーク・オクリーヴ。ともに、似た仕立ての黒装束に身を包み、逆手に短剣を手にしたその構えも鏡写しのごとく対象的だ。
「こうして相対するのは、
「…………」
パメラの言葉に、カークはわずかに目元を歪めた。
「なぜ、盗みなどに手を染めたのですか」
カークは答えぬ。
パメラの言う「盗み」という言葉には、二つの意味が込められいた。ひとつは、怪盗『影法師』の首魁として、レン市内を荒らしまわったこと。もうひとつは、オクリーヴの里・トーガ近辺の街で盗みを働いたことだ。
この質問にも、カークは答えない。代わりに、カークのほうがパメラに問うた。
「貴様は、なぜ俺を追ってきた。サディアスの叔父貴の代わりに、俺の首を獲るつもりか」
パメラは首を横に振る。
「私がここに来たのは、あなたを捕縛し警備部に引き渡すため。殺すつもりはありません」
「ほう。殺すつもりはない、とな」
カークの言葉に、怒気がこもった。
殺すつもりはない――パメラの言葉は、「殺すつもりはないが、その気になれば殺すことは可能である」という意味にも取れる。
「――どこまでも舐め腐った奴だ。その眼――その眼が気に食わんのだ!
カークの声が、怒りに震える。
パメラの瞳が、ほんのわずかに陰った。
過去にこの二人になにがあったのか。二人の間にわだかまる因縁とは――これを語るには、十年ほどときを遡らねばならない。
カークが素行を豹変させる、ほんの少し前のことだ。
当時十歳であったパメラは、トーガの里にある訓練施設にて、ひとり稽古を行っていた。基本の反復練習をひたすら続けるパメラの近くを、カークがたまたま通りかかったのがすべての始まりであった。
カークに軽く目礼し、稽古を続けようとするパメラであったが、カークが
「お前は、頭領の娘――稽古熱心なのは感心だ。どれ、ひとつ俺が相手をしてやろうではないか」
そう持ち掛けた。
カークとしても、深い考えがあったわけではない。熱心に稽古を行う後進に、里一番の技量を持つ自分が胸を貸してやろう。その程度のものであった。
パメラは子供のころから向上心の強い娘であったから、カークの提案を断るはずもない。
「よろしくお願いします」
「うむ。では、そうだな――ナイフ投げでもやるか」
カークは、訓練施設の一角を顎でしゃくった。遠目には小さな林にも見えるその場所には、数棟の廃屋や生垣、石壁など、立木以外にも遮蔽物となるものが多数設置されている。密偵が、敵の眼から身を隠す訓練をするための場所なのだ。
カークが提案したのは、そこで互いに身を隠しながらナイフを投げ合い、相手を仕留めることを目的とした模擬戦であった。
投げナイフを扱う技術は、オクリーヴ流と言うべき技術体系のなかでも、基本中の基本と言われる。よって、これから行われるのは、密偵としての基本が試される訓練だといえるだろう。
まずカークが、眼を閉じて十数える。子供がよくやるかくれんぼと同じ要領で、実力が上の者が目を閉じている隙に、実力が下の者が身を隠す。十数え終わった時点で勝負が始まるというわけだ。
十を数えたカークは、ゆっくりと眼を開く。
(ほう――筋がいいとは聞いていたが、あの歳でやるではないか)
パメラの気配の絶ち方は、なかなか見事なものであった。カークも、即座にパメラの居場所を割り出すことができないでいる。
カークは、手近な廃屋目がけて走り出した。十分な助走をつけ、大きく跳躍。立ち木の幹を蹴ってさらに高く跳び、廃屋の屋根の上に着地した。身を隠している敵を発見するには、高所を取るのが定石である。
(さて、どこから来る)
カークはパメラの居場所を把握できていないが、パメラからはカークが丸見えのはずだ。パメラが圧倒的に有利な状況である。彼女としては、いまのうちに仕掛けたほうがいいのは言うまでもない。
「ッ!」
背後から飛来するナイフの気配。カークは振り返りざま、手刀でそれを叩き落す。ナイフが飛んできたほうに注意を向けるが、そこにはすでにパメラの気配はない。
攻撃のたびに移動し、自らの位置を悟られないようにするのは、この訓練においては基本である。
ただ、この移動の瞬間は、もっとも相手に気配を察知されやすい瞬間でもある。しかしパメラは、いまだカークに居場所を捕捉されていない。
(少しばかり、本気を出してやるとするか)
カークには、まだまだ余裕があった。ここまでは見事な手腕を見せてはいるが、相手は子供である。いつまでも完璧な隠形を続けられるはずがない。
子供というのは、ちょっとしたことですぐ調子に乗るものだ。少々大人げないが、パメラが増長せぬためにも、実力の差というものを見せておこう――カークはそんなことを考えていた。
カークは集中し、神経を研ぎ澄ませる。
またもや、背後から気配。カークは横に身を倒しつつ、パメラがナイフを放つのとほぼ同時に、鋭く反撃のナイフを放った。ナイフは、カークの後方にあった茂みに一直線に突き刺さった。
手ごたえはない。しかしカークは、茂みを飛び出したパメラの姿を完全に捉えた。
こうなると、立場は逆転する。カークが攻め手に立ち、パメラが逃げる側に回った。
しかし、パメラはなかなか隙を見せない。カークと付かず離れずの距離を保ちつつ、常に遮蔽物に身を隠し、カークが放つナイフを防ぎきっている。
これには、カークも驚きを隠せない。相手は、まだ身体能力が未発達な子供である。それが、一人前の年齢であるカークに対してここまで善戦できるというのだから、彼が驚くのも無理からぬことだ。
と、カークはとっさに後ろに跳んだ。上空から飛来する物体の気配を感じたからだ。パメラは遮蔽物の向こうから山なりにナイフを投げ、カークを狙い打ったのである。
山なりに投擲武器を投げて目標に命中させるには、高い技術が必要だ。
「くッ!?」
思わず、カークの頭に血が上る。パメラがナイフを放った動きを、カークは見切ることができなかったからだ。
パメラが移動しようとする瞬間を狙い、八本のナイフを引き抜くと、一気に投げ放った。放ってから、しまった、と後悔する。いくらここまで善戦しているからといって、同時に八本というのは、十歳の子供が捌ける本数ではない。使っているのは先を丸め刃引きをした模擬用のナイフだが、材質は本身と変わらぬ鋼鉄製であり、眼球などに当たればおおごとである。
しかしパメラは、八本のナイフのうち六本を叩き落し、残る二本を宙空で掴み取るという芸当を見せた。
「なにッ!?」
カークが目を見開く。このような芸当をやってのける者など、オクリーヴ一族のなかでも一部の精鋭のみしかおらぬ。
次いで、パメラが二本のナイフを放った。まず、あえて緩い速度で一本。続く一本は、力を込めて鋭く投げる。二本のナイフに速度差をつけこの投げ方は、敵の距離感を狂わせる効果がある。
これを見切れぬカークではない。一歩横に跳んでナイフを避け、反撃を試みようとするが――
「ぬうッ!?」
カークは、またも驚愕させられる。パメラが放ったナイフが、不自然に軌道を変化させてカークに迫ったのである。上体を反らし、辛うじてナイフを避けたカークは、そこでパメラがどうやってナイフの軌道を曲げたのか知った。
「鋼糸かッ!!」
パメラはナイフの柄に鋼糸を巻き付け、その鋼糸を引っ張ることでナイフの挙動を操作したのである。
ともあれ、カークの態勢は完全に崩された。
鋼糸の扱いは難しい。未熟者が扱えば、自らを傷つけかねない危険な道具だ。まさか、十歳の娘がそれを自在に操るとは思っていなかったカークは、完全に虚を突かれた形になった。
(いかん、このままでは――)
カークの視界の端では、すでにパメラが次のナイフを振りかぶっている。無理な姿勢で鋼糸つきのナイフを避けたカークに、追撃をかわす術は残されていない。
(まさか、この俺があんな小娘に――!)
カークは、自らの体に模擬のナイフが当たるのを覚悟した。しかし、衝撃は来ない。パメラの放ったナイフは、カークの身体をわずかに逸れたのである。
カークがパメラを見やると、ナイフを投げた反動で彼女の身体は大きく流れていた。カークにとっては絶好の機会である。
カークは無防備なパメラにナイフを投げようとしたが――その手は途中で止まった。
「……もういいだろう。今日はここまでだ」
と、ぶっきらぼうに言い放つ。
やられることを覚悟していたのであろうパメラは、怪訝そうな視線をカークに向ける。しかしカークはそれを無視して逃げるようにその場を立ち去って行った。
(あの小娘、この俺に情けをかけやがった……!)
最後の攻防。パメラがわざと狙いを外したことに、カークは気づいていた。そのあと、カークに対し隙を見せたことも、意図的なものだった。
先輩の面子を潰してはならぬとでも思ったのだろうか。パメラの真意はカークの知る由もない。しかし、このパメラの行為が、カークの自尊心、矜持、自信といったものを、ずたずたに引き裂いたのは事実である。
一族始まって以来の天才と誉めそやされ、自身もそのことに対する強い自負を持っていたカークが、初めて味わった屈辱。挫折を知らずに育ったカークにとって、それは耐え難いものであった。
加えて、カークのこころを乱すものがあった。それは、恐怖である。
カークとて、十歳の娘相手に終始本気を出していたわけではない。ただ、
(もし、はじめから本気でかかったとして――果たして本当に俺はパメラに勝てたのであろうか。そして、パメラがこのまま成長したなら――)
このことを本気で考えるのが、カークは恐ろしかった。オクリーヴの里で屈指の技量を持つと言われ、怖いものなどなにもなかったはずのカークが、パメラという存在を心底恐れた。
この日以来、カークは強烈な挫折感と屈辱感、そして恐怖感に苛まれ続けることになる。結果、こころの均衡を失ったカークは酒に逃げるようになり、サディアスに討たれるきっかけとなった事件を起こすことになるのだ。
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