第29話

「あなたが変わったのは、やはりあの日の一件が原因ですか」

 いつもと変わらぬ平坦な調子で、パメラが問いかけた。しかしその声音には、わずかな哀しみの色が混ざっていた。

 カークは答えぬ。しかし、憎悪もあらわにパメラをねめつけるその左目を見れば、おのずと答えは知れるであろう。

「なぜエヴァンスに加担するのです」

「この俺の手で、フォーサイス家の威信を地に落としてやるためよ」

 今度は、愉悦に満ちた声でカークが答えた。

 エヴァンスが怪盗騒ぎを起こした目的は、どうやらフォーサイス家を追い落とすことにあるようだ。

「王城警護団から警備部に人員を補填するよう要求したのは、フォーサイス派の幹部とギルバート様――結果手薄になった王城が盗賊に荒らされたとなれば、ギルバート様が責を負わされるのは必至。そういうことですか」

 カークは薄笑いでそれに答えた。

 加えて、「フォーサイス派が盗賊の裏で糸を引いている」という噂が、ここで効いてくる。フォーサイス家が王城を荒らすために怪盗を操った――そんな邪推をされてもおかしくない状況となってしまうのである。

 むろん、怪盗とフォーサイス派を結びつける証拠はないため、フォーサイス家が罪を問われることにはならない。しかし、一度出来上がってしまった風潮というのは、どこまでもしつこくついて回る。これまでフォーサイス家が積み上げてきた信頼は失われ、フォーサイス派の力も大きく削がれることになろう。

 ペイジ村で盗賊たちに訓練を積ませ始めてから数えて三年。その前の準備期間も考えれば、かけた時間はさらに長くなる。金もかかったことだろう。随分と気の長い、遠大な計画である。フォーサイス家という譜代中の譜代を陥れようとするならば、そのくらいせねばならないということだ。

「私や父個人を憎むのはわかります。しかしなぜ、フォーサイス家を巻き込むのですか」

「貴様らを、肉体的にいたぶってもつまらぬ。主家たるフォーサイス家を没落させたのが俺と知れば、貴様らは精神的に一番堪えることだろうと思うてな」

「個人の復讐のためフォーサイス家を――理解できません」

「ふん。目的のためには手段は択ばぬのが密偵というものであろう。おかしいことがあるものか」

 カークがせせら笑った。

「狂っている……」

 カークの右眼は、鋭くパメラを射すくめるようでいて、どこか遠いところを見ているようでもある。ぼんやりと焦点を結ばない瞳は、狂人のそれであった。

「ああ、そうとも。多分に、俺は狂っているのだろう。貴様に情けをかけられ、屈辱にまみれたままサディアスに左眼を奪われ、崖下に叩き落され――まともに動けるようになるまで三年、地獄のような苦しみを味わった。人ひとりを狂わせるには十分だ」

 カークは冷笑する。自分が狂っていることを、彼は自覚していた。

「さて、話が長くなってしまったな。貴様には、俺の目的を知ったうえで死んでもらわねばならなかったゆえ。本来ならば、フォーサイス家が没落するさまを、その眼に見せつけてやりたかったが――巡り合わせが悪かったな」

 カークは右足を引いて上体を前傾させ、戦闘態勢に入った。

「…………」

 パメラは軽く膝を落とし、ごく自然に構える。

 先に動いたのは、カークである。

 カークは右方に走りつつ、六本のナイフを放つ。パメラはそれを叩き落し、前に出ようとするが――

「ッ!」

 パメラは急停止すると、弾かれるように横に跳んだ。パメラの身体があったあたりを、三本の鉄針が高速で通過する。

 カークは、ナイフを投げると同時に、袖口に仕込んだばね仕掛けの装置で鉄針を打ち出したのだ。鉄針はナイフを追いかけるように、同じ軌道を狙って放たれた。こうすることにより、パメラの視点からは、鉄針の姿ははナイフに隠され見えなくなるのだ。

 さらに、カークが追撃を仕掛ける。今度は、三日月状の刃を同時に四本。それぞれ回転のかけ方を変えて投げられた刃は、別々の軌跡を描いて四方向からパメラに迫る。

「ふッ!」

 前方から迫る二本を両手で掴み取り、後方から迫る二本は跳躍で回避。とんぼを切り空中で後方に一回転しつつ、掴み取った刃をカークに投げ返した。

「ぬうッ!」

 カークは両端に錘のついた鎖分銅を引き出すと、片方の錘で自らに迫る刃を打ち落とす。同時にもう片方の錘を振り、鎖で着地ぎわのパメラの足元を薙ぎにかかる。

 パメラはその場に腰を落とし、短剣で鎖を受けた。鎖が絡みついた短剣はその場に投げ捨て、一気にカークとの距離を詰める。

「しいッ!!」

「むんッ!!」

 それぞれが右手で振るった短剣がぶつかり合い、火花が散った。唾競り合いでは、膂力に勝るカークに分がある。押し込もうとするカークに対し、パメラはあえて力を抜いてカークの体勢を崩し、上手くたいを入れ替えた。パメラはカークの背後から斬撃を繰り出すが、カークもさるもの、素早く体勢を立て直してパメラと斬り結ぶ。

 数合打ち合わせたところで、ふたたび唾競り合いの状態となる。

「はッ!!」

 右手の短剣で押し込みつつ、カークはパメラの顔面へ左拳を放った。空手による打撃――いや、違う。身をよじって拳を避けんとするパメラの目前で、カークの拳から三本の鉤爪が飛び出したのだ。カークが装着している手甲は二重構造になっており、二枚の装甲の間に仕込んだ鉤爪を、任意に出し入れできるよう細工がしてある。

 パメラは左手腕に装着した手甲で、鉤爪を受け止めた。両者ともが両手をふさがれた状態となる。

 と、カークの胸郭が膨らむのを見て取ったパメラは、素早く首を傾げた。

「ひゅッ!!」

 いわゆる、含み針である。口の中に含んでおいた短い針を、呼気でもって飛ばす技だ。威力は小さく射程は短く、毒を仕込むこともできないが、いまのように唾競り合いの状態から相手の意表を突くにはもってこいだ。眼球付近に当てることができれば、戦いは大いに有利になる。しかし、パメラはこれを事前に察知し回避してみせた。

 カークは、間髪入れずパメラの腹部目がけて膝を突き上げる。パメラは後方に跳び退ってそれを避けると、投げナイフでカークを牽制しつつ、大きく距離を取った。

 パメラの着衣は、みぞおちから乳房の間あたりにかけてすっぱりと切れていた。カークは、膝頭にも収納式の刃を仕込んでいたのである。

 ここまでは、互角――いや、手数でいえばカークが上であり、パメラは後手に回っているといっていい。

(さすがに、やる――が、想定の域を出ない。あのとき・・・・のような底知れぬ脅威はもはや感じぬ。それだけ、俺が腕を上げたということか)

 これならば、勝てる。カークは確信した。思わず、カークの口元が緩む。

「――ひとつだけ、聞いてていただきたいことがございます」

 不意に、パメラが口を開いた。

「なんだ? この期に及んで命乞いか?」

「いえ、謝罪を」

「謝罪だと?」

「はい。あの日、あなたとの稽古において手心を加えたこと――下手に勝ちを収めてしまうと、あなたの矜持を傷つけてしまうのではないか。そう考えたのですが、子供の浅慮でした。かえってあなたを愚弄することになるとは、思わなかったのです。あのときの無礼、心より謝罪いたします」

 パメラの声に誠心誠意がこもっているのを、カークは感じ取っている。それだけに、この場での突然の謝罪が解せない。パメラ自身が否定したとおり、命乞いというわけでもないらしい。

(揺さぶりをかけたつもりか? いや、オクリーヴの人間がこんなつまらん手を使うとも思えぬ)

 訝しむカークであったが、すぐに思考を切り替える。いま眼前にいる相手を前にして、余計な雑念は命取りだ。

「あなたを傷つけ、道を違わせたのは私の罪。いまさら償うことなどできませんが、せめて私が悔いていることを、あなたにお伝えしたい――それだけが、心残りでした」

 パメラは少しの間眼を伏せたのち、ふたたびカークを見据えた。その瞳からは、感情の色というものが完全に消え去っていた。

(空気が……変わった?)

 カークの背筋に、ぞくりと悪寒が走った。自分が一歩退いたことに、カークは気づいていない。

「もはや語るべきことはござりませぬ。盗賊を率いて市民の暮らしを脅かした罪、そしてわが主たるフォーサイス家の名を貶めようとした罪――どうぞ、償いくださいませ」

 恭しく、侍女式の一礼。顔を上げるのと同時に、パメラはナイフを一本放った。まったくの予備動作なしに放たれたナイフは、カークを一瞬怯ませる。

「むッ――」

 ナイフを回避するために、カークがパメラから眼を切った・・・・・のは瞬きほどの間であった。しかしその一瞬で、パメラの姿はカークの視界から掻き消えていた。

「なんだと――!?」

 カークの感覚をひとこで表すならば、「霧散」――まるで陽光に散る霧のごとく、パメラは夜の闇に溶けて消えた。

 腰を落として臨戦態勢に入りつつ、周囲に五感を張り巡らせる。しかしカークはパメラの気配を捉えることができない。

(ここに留まるのはまずい)

 カークはいま、石畳敷きの練武場の上に立っている。周りに身を護るものはなにもない。カークは練武場脇に植えられた背の高い立ち木に目を付けると、素早く駆け寄った。跳躍し幹に取りつき、一気に上から三分の二あたりのところまで登った。

 カークがパメラに一方的に位置を捕捉されている状態だ。見晴らしの利く高所に陣取り、まずパメラの居場所を特定するのが肝要である。

(どこだ――どこから来る)

 パメラの隠形は完璧であった。この状況では、カークは迂闊に動けぬ。いまは立ち木の幹がカークの背後を護っている形だが、下手に動いて背後を取られると戦況は一気に悪化する。

 風切り音――カークは反射的に右手を振りぬいた。短剣に弾かれた投げナイフが、回転しながら夜の闇に消える。

 カークはナイフの飛んできた方向に反撃のナイフを放つ。しかし、すでにそこにパメラの姿はなかった。

 さらに、今度はカークの左方向から二本。狙いはカークの足元――ナイフは彼の立っていた木の枝に命中する。

「ちぃッ!」

 ナイフが刺さったことにより、枝はカークの体重を支え切れなくなった。枝が折れると同時に、カークは跳躍。地面に着地する瞬間に足首、膝の関節を弛緩させ、衝撃を吸収させつつ前に回って受け身を取る。

 起き上がろうとするカークの右耳あたりを、ナイフが掠めた。

 カークはナイフの出所を目で追うが、そこにもパメラの姿はない。あたりには兵士たちが攻城戦の訓練に使う塀や植木、弓の的やちょっとした茂みなど、身体を隠す場所がいくらでもある。

 相手の死角から攻撃しつつ、居所を察知される前に別の場所に移動、そこからまた攻撃――オクリーヴの人間にとっては、基本ともいえる戦い方である。しかし、カークほどの手練れを相手にそれを実践できるのは、生半なことではない。

(この俺が、手玉に取られているだと――?)

 カークが唇を噛む。しかしパメラは、カークに思考のいとまを与えぬ。カークの死角をとってナイフを放ちつつ、カークに居場所を掴ませない。カークはあるいは弾き、あるいは体捌きで避け、パメラのナイフを凌いでいく。

 パメラが放ったナイフが十本を超えたところで、カークは

(弄ばれている――)

 そのことに気づいた。

 一度、屈辱的な敗北を喫した相手である。カークとて、舐めてかかったわけではない。苦渋に満ちた十年間の恨みを晴らすため、今度はパメラに屈辱的な敗北を味わわせてやる――カークは、そんな強い意志をもってパメラのと戦いに臨んでいた。

 しかし、現実のパメラは、カークを圧倒しようとしている。

(そんなはずはない、そんなはずは――)

 サディアスによって崖下に落とされたことで、半死半生の傷を負ったカークであったが、身体が回復してからは血のにじむような修行を積んだ。実戦も十や二十ではきかぬほど経験している。汗と返り血にまみれ、誰よりも濃密な日々を過ごしてきたという自負がある。そんな自分が、負けるはずはない。カークは自分に言い聞かせた。

 とにもかくにも、パメラの気配を捉えねば話にならぬ。完璧なパメラの隠形を看破するにはどうしたらよいか――

(奴は俺の回避行動の隙をつき、場所を移動している。ならば――)

 ふたたび、投げナイフの気配。それを察知したカークは、避けようともせずただナイフが放たれた方向に集中する。

「そこかッ!!」

 そよぐ夜風に紛れて聞こえた、わずかな衣擦れの音――カークは、パメラのナイフが身体に到達する直前に、自らも反撃のナイフを放つ。目標は、カークから見て右斜め後ろの茂みだ。

「くッ……!」

 カークの右の二の腕に、鋭い痛みが走る。ナイフに、肉が抉られたのだ。しかし、

「なかなかよい判断です」

 パメラが、身を隠していた茂みから姿を現した。

 代償は支払ったが、カークはとうとうパメラを引きずり出すことに成功した。

 パメラは無傷である。カークの放ったナイフは、パメラを傷つけるには至らなかったようだ。

「舐めた口をきく。貴様、俺の師匠にでもなったつもりか」

 努めて、不敵な表情を見せるカークであったが、その内心、先ほどまでの余裕はなくなっている。

 カークの右腕の傷は、直ちに戦闘に支障が出る者ではないが、かといって決して軽傷ではない。負傷することを覚悟しなくては、パメラを発見することすらできなかったという事実が、カークの焦燥感を煽る。

「そのようなつもりはありません。お気に触りましたらご容赦を」

 パメラの口調は、どこまでも慇懃である。それがカークの神経を逆撫でする。

「つくづく、舐めやがるッ!!」

 カークは、四本のナイフを続けざま投擲。パメラが回避行動に入ったところで、袖口から取り出した袋状のものを山なりに放ると、それに向かってナイフを放ち空中で串刺しにした。

 その瞬間、あたりはもうもうとした白煙に包まれた。

 袋は、薄手の布でできており、中にはごくきめ・・の細かい白い粉が詰められていたのである。

 白煙はすぐに収まったものの、パメラの眼前からはカークの姿は消えている。

「意趣返しというわけですか」

 先ほどとは、まったく逆の状況である。

 己の技量は何物にも劣らぬ――経験に裏打ちされた自負が、カークにはあった。自分もパメラと同じことをやってみせることで、それを証明しようとしているのだろう。

 と、パメラの左後方から、彼女の後頭部目がけてナイフが飛翔した。

「ふぅ……」

 パメラは一歩退き、わずかに上体反らしてそれを避けた。

 続けて、左後方から二本。パメラは、両手の人差し指と中指で剣身を挟み込むようにしてそれを受け止める。

 さらに、今度は四本だ。パメラは二本を叩き落し、残る二本は上体を捻って回避する。しかし、パメラの身体のそばを通過したはずの一本が、なんと宙空で方向を真逆に変え、彼女の方向に引き返してきたのである。

 しかしパメラは動じぬ。振り返りもせずに、軽く首を捻るだけでそれを避けてみせたのだ。

「鋼糸による操作――他愛もない。戯れはここまで」

 パメラの右手が閃いた。瞬きほどの間にナイフを引き抜き、投げ放ったその右腕の動きは、まさに雷光のごとし。

「くうッ!?」

 パメラの放ったナイフは、カークの隠れ場所であった若木の繁りを狙い違わず貫いた。たまらず、カークが転げ出る。

「な、なぜだ……俺の隠形は完璧だったはず……」

「それは認めましょう。しかし、あなたは相手を殺そうという意識が強すぎる。そのような鋭い殺気を放っていては、相手に自分の場所を教えているも同然」

 と、パメラの姿はふたたびカークの視界から消えた。と思ったら、次の瞬間パメラはカークのすぐ目の前、息がかかるほどの距離にまで肉薄していた――カークからは、そうとしか感じられなかった。

 パメラは、密偵式の隠形術を使ったわけではない。踏み込みの際、急加速と急停止を挟むことで、速度差で持って相手の眼を置き去りにする技だ。超がつく一流の武術家でなければ、不可能な芸当である。

 腰を落とした体勢から、パメラはカークの胸元に自らの肩を押し当てる。

「ふッ!!」

 胸元に、巨大な槌を叩きこまれたような衝撃――身構える隙も与えられなかったカークは、大きく後方にふっ飛ばされた。

 パメラの細い体のどこにそんな力が、とカークも疑問に思わざるをえない。

 彼女が用いたのは、アイの修めたオネガ流の技で、『肩当身ショルダースマイト』という。一見すると、ただの体当たりである。しかし、下半身の関節の挙動を精妙に制御することで、おのれの体重をすべて肩の一点に集中させ、相手にぶつけることができるのが『肩当身』という技なのだ。

 カークは後ろに転がりつつ体勢を整える。武器を引き抜こうとするも、カークはすでにパメラの間合いの内にあった。

「しッ!!」

 パメラの短剣が、カークの両手首の腱を切り裂いた。続けて柄頭を顎に叩き込まれ、カークは思わず膝をつく。

「くっ……これでもまだ届かぬのか? 生まれ持った才能が、それほどまでに劣っていたとでもいうのか――」

 カークが、絞り出すように言った。

「才能――そういうものもあるのでしょう。しかし、あなたと私を分けたのは才能ではありません」

「才能でなければ、なんだというのだ」

「それは、過ごしてきた年月。その積み重ねの違いが、差となって表れているのです」

「馬鹿な! 俺は、誰よりも過酷で濃密な日々を送ってきたはずだ!」

 パメラは、ふっと息を吐き、言葉を紡ぐ。

「その技を見れば、この十年、あなたがどのような日々を送ってきたのか、おおよそ見当はつきます。しかしあなたは勘違いをしている。護ることは、殺すことよりも難しい。フォーサイス家での任に就くことなく一族を離れたあなたには、わからないかもしれませんが」

「護る……」

「修羅場に身を置き、敵を殺すという経験が、人を強くすることは否定しません。しかし、誰かを護るということは、常時実戦の場に身を置くも同然」

 いつなんどき誰が襲い掛かってこようとも主を護ることができるよう、常に全方位に意識を巡らせ、一瞬たりとも警戒を怠らぬ。それが、要人警護の任に当たる人間の心得だ。

 平穏に思われる状況下でも、あらゆる不測の事態を想定し、頭の中でその対応策を練る。この行為をどこまでも突き詰めていけば、それは実戦に臨むのと変わらぬ――パメラの言葉は、そういう意味だ。

「私にとっては、お嬢様とともにある一分一秒がすなわち実戦」

 パメラがミネルヴァ付きの侍女となって十年だ。パメラの言葉が正しいとするならば、彼女は十年の間ずっと戦場に身を置いていたことになる。

 数多くの実戦を経験してきたといっても、カークのそれは所詮二十回や三十回程度のものにすぎない。パメラとの差は、歴然であろう。

「認めぬ……認めぬぞッ!!」

 カークが、猛然と打って出た。

 腱を斬られた両手はほとんど使い物にならぬ。右の前蹴り――靴のつま先には、仕込み針が装着されていた――これを易々と回避するパメラに対し、身体を回転させ左の後ろ回し蹴りだ。パメラは上体を倒して蹴りを避け、それと同時にカークの左足首に斬撃を放っている。

「つうッ!?」

 しかしカークは怯まぬ。立て続けに蹴りを放つが、それがパメラに通じるはずもない。

 一見、ただの悪あがきにも見えるカークの攻撃だ。しかし、腐ってもオクリーヴ家の天才と呼ばれた男である。闇雲に攻撃を仕掛けているわけではなかった。

「かかったなッ!!」

 パメラの周囲には、いつの間にやら縦横に鋼糸が張り巡らされていた。

(足で鋼糸を操ったか――!)

 初めて、カークがパメラの意表を突いた瞬間である。これは伝統的なオクリーヴの技術ではない。サディアスに重傷を負わされた際、カークはしばらく両手を使えない時期があった。そのときにカークが編み出した独自の技である。

 あとは、カークが鋼糸を引くだけで、パメラの身体はずたずたに引き裂かれるだろう。

「さらばだッ!!」

 カークは、腰を捻って鋭く鋼糸を引き絞った。蜘蛛の巣のように張り巡らされた鋼糸は、子供が這い出る隙もない。

 勝利を確信するカーク――しかしパメラは、カークの想像のさらに上を行く。

 眼にも留まらぬ早業で両手に短剣を抜くと、パメラはその場で身を捻る。

 竜巻の中に光る稲妻――カークの眼前で繰り広げられたのは、そう表現するしかない光景であった。

 パメラは回転しつつ高速で連撃を繰り出し、自らに迫る鋼糸をすべて切断せしめたのである。

「あ、ありえぬ……」

 カークも思わず眼を見開いた。しかしパメラは眉一つ動かさず、冷静そのものである。

「この程度、初見で対処できるようでなくては、あの方・・・からお嬢様をお守りすることなど到底不可能」

 要人警護に当たる者は、たとえ肉親であっても信用することなかれ。パメラの頭にあったのは、マーシャ・グレンヴィルのことだ。

 マーシャがミネルヴァを裏切ることなど、まず考えられぬ話だ。しかし、その万一の可能性にも備えるのがオクリーヴの一族に課せられた使命である。そしてパメラは、常にマーシャの存在を意識して日々を送っている。

 パメラとて、自分がマーシャに勝てるとは思っていない。しかし、カーク一人圧倒できずして、どうしてマーシャからミネルヴァを護ることができようか。

 パメラが一歩前に出る。カークは圧されるように一歩下がった。

「化け物め……!」

「私が化け物? 御冗談を。あなたはやはり経験が足りない。本当の化け物は、私のように生易しいものではありません」

 パメラはさらに歩を進める。半ば戦意を失いかけているカークであったが、彼の胸中に残ったひとかけらの矜持が、カークの身体を動かした。

「――――ッ!!」

 動かない両手に代わって口で短剣を咥えたカークは、獲物の喉笛を食いちぎらんとする飢狼のごとく、一直線にパメラに襲い掛かった。しかし、その短剣はあえなく空を切る。

「さようなら。せめて今だけは、安らかな夢を見られることを願います」

 カークが最後に聞いたのは、パメラの囁きだった。首筋を打たれ、カークの意識は暗転する。

「さて、思ったより時間がかかってしまいました」

 パメラは城壁を見上げ、呟く。

「あとは城の警備兵に気づかれることなく、この男を城外まで運ばねばならない――そちらのほうが、倒すことよりも骨が折れそうです」

 と、大きなため息をつくのであった。

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