第10話

 サディアスが騒ぎを起こしたことで、ヒギンズ邸の各所には次々と灯りが点り、邸内はにわかにざわめき始めた。

 金蔵の怪盗たちも、当然その異変に気付いている。

 素早く身を翻すと、屋敷の塀に向かって走り出した。

 怪盗たちの動きは、サディアスにとってはまさに

「狙い通り……」

 であった。

 そのまま塀を乗り越え遁走せんとすれば、ちょうど通りを駆けてくるマーシャと鉢合わせする。

 サディアスは、素早く塀の上を駆け抜ける。


「止まれ!」

 賊らがヒギンズ邸の裏通りに降り立ったところに、マーシャが言い放った。剣を抜き放ち、鋭さきわまる眼光で怪盗たちを射すくめる。

 はじめは怪盗たちも、

「なんだ、女二人か……」

 などと考えていたに違いない。

 しかし、マーシャとアイが構えをとったとたん、彼らに緊張が走る。

 年若い女性にしては、異常なまでの戦闘力――特に、マーシャ・グレンヴィルから立ち上る剣気は、常軌を逸していると言ってもまだ言葉が足りぬほどだ――が、その構えだけでも十分に察せられるのだ。

 じり、とマーシャが一歩踏み出したところで、怪盗のうち数人が反射的に動いた。投げナイフを引き抜くと、一斉にマーシャ目がけて投げ放つ。

「ふッ!」

 自らに殺到する十本以上に及ぶナイフを、しかしマーシャは全て叩き落した。そればかりか、最後に放たれた一本を、そのナイフを投げた男の顔面目がけて弾き返す余裕すら見せている。

「ッ!?」

 ナイフを弾き返された男は、面食らいながらも辛うじてそれを避ける。

「手向かいは無用と知れ。大人しく投稿せねば、全員斬って捨てる」

 マーシャが凄むと、怪盗たちは思わず一歩後退した。

「……ちッ」

 舌打ちしつつ、一人の男が進み出た。隻眼の男である。

(この男が、バイロン殿と相対したという――なるほど、油断ならぬ男のようだ)

 ほかの盗賊たちに比べ、この男は一段も二段も上の実力を持つ――マーシャはそう見立てた。

 隻眼の男が目くばせすると、怪盗たちは踵を返し走り出した。

「逃がさぬでござる!」

「アイ、待て! 伏せろ!!」

 走り出ようとしたアイであるが、マーシャの声に急停止する。とっさにその場で上体を伏せた。

 マーシャがアイを止めた理由――それは、鋼糸であった。

 両脇を塀で囲われた一本道。その塀と塀を結ぶようなかたちで、鋭い切れ味を持つ鋼糸が縦横に張り巡らされていたのだ。

 これに突っ込むというのは、刃に向かって自ら身を投げ出すに等しい。

 男は、ナイフがマーシャに投げつけられた隙に、その鋼糸の罠を仕込んでいたのである。

「申し訳ござらぬ、助かったでござる」

「暗器遣いとやる・・ときは、その一挙手一投足全てに注意を払うのだ」

 マーシャが剣を構えなおし、ふたたび男と対峙しようとしたそのときであった。どこからともなく飛来した数本の刃が、張り巡らされた鋼糸を次々と切断していく。

「むッ――!?」

 同時に、マーシャたちと隻眼の男との間に割り込むように、一人の男が姿を現した。

「あなたは――」

 先刻から、何者かの気配を感じ取っていたマーシャは、それが怪盗たちの伏兵のものと思い、警戒していた。しかし、その気配の主は、マーシャにとって意外な人物であった。


(やはりあれは、カーク――間違いない)

 一連の攻防を、屋敷の塀に身を潜めて見守っていたサディアスである。鋼糸を操る手際を見て、そう確信した。

 サディアスは、迷っていた。

 ここでマーシャたちと共闘すれば、カークの身柄を抑えられる可能性は高まる。しかし一方で、身内の不始末は自分のみの手でかたをつけたいという願望も抑えきれずにいた。

 カークを仕留めきれなかったのは、自分の責任だ。その責任感と、オクリーヴ家頭領としての矜持――この二つが、マーシャたちに助力を乞うことを拒む。

(若い者には、矜持など密偵には不要、そんなものは犬にでも食わせてしまえと教えるが――今夜ばかりはその教え、破らせてもらう)

 サディアスは、一対一でカークと対決することを選んだ。

 純粋な力量でいえば、サディアスはカークに劣るかもしれぬ。しかし、サディアスには長年培った経験がある。そして、

(力及ばぬならば、この身命を賭してでもカークを仕留める!)

 不退転の覚悟――それは時として実力差を覆す。

 サディアスの両眼に、決意の炎が点った。


「サディアス殿!? どうしてここに――」

「グレンヴィル殿、詳しい事情は話せませぬが――この男、私に任せてもらいたい」

 マーシャは躊躇する。隻眼の男は強い。サディアスの力量のほどは承知しているが、この男を前にしては危うい。

 しかし、サディアスの声には、確固たる決意がこもっていた。サディアスほどの男の想いを、否定することはできなかった。

「――わかりました。私たちは残りの盗賊どもを追います」

 マーシャとアイは、隻眼の男の横をすり抜けた。男は、それに対しなんの動きも見せない。サディイアスが、男の動きをけん制しているからだ。

 マーシャたちの姿が十分に離れたところで、サディアスが口を開く。

「カーク、生きておったか」

「ふん。どこかで聞いた声だと思ったが、叔父貴だったか」

 カークは、闇を湛えた右眼でサディアスをねめつける。

「なぜ、このようなことをしでかした」

「冥土の土産に教えてやる――と言いたいところだが、生憎時間がない。あの化け物女が戻る前に、けりをつけなきゃならん」

 カークは二本の短剣を引き抜くと、左右それぞれの手に逆手で構えた。

 サディアスとしても、端からカークが質問に答えることは期待していない。同様に二本の短剣を構える。鏡写しのように、対称的な二人。

「無用の殺生は極力控えるように言われているが――あんたが相手ならそうも言っていられんな」

「言われている……? お前に指示する者がいるということか」

「さあな。おしゃべりはここまでだ」

「……覚悟せよ。お前に斬られた一族の者たちの恨み、晴らさせてもらう」

「老いぼれたその身で俺をれると思うなよ、叔父貴」

 暗闇の中、二つの影が交差する。


「ちぃッ、速いな!!」

 逃走する怪盗たちの後ろ姿は、まだマーシャの視界のうちにある。しかし、その距離はじりじりと離されている。

 マーシャも女性としては最高峰の身体能力を誇るが、いかんせん特殊な訓練を受けた男に走力で勝れるものではない。

「先生、先行するでござる!」

 走りながら、アイは両足の靴を脱ぎ捨てる。大きく一呼吸すると、その身体は一気に加速した。

「アイ、決して深追いはするな! それから、相手の技の出どころに注意しろ!」

「承知!」

 本気で走るアイは、まさに風の如し。怪盗たちとの距離を、みるみる詰めていく。

 アイの足音に気づいた最後尾の男は、そのあまりの速さに目を見開きつつも、懐中から何かを掴み出すと大量に路上にばら撒いた。

 それは、三角錐の形状をした鉄片で、角はすべて鋭く尖らせてある。これをまともに踏み抜いてしまうと、たとえ長靴の靴底越しであっても負傷は免れぬ。いわゆる、まきびし・・・・というやつだ。

 道の両脇には高い石塀。まきびしが撒かれた範囲は広く、いくら人間離れした身体能力を持つアイとて飛び越せるものではない。暗夜であるから、まきびしを正確に避けて走り抜けることも困難だ。したがって、アイは必ず減速せねばならない。男としては、その間に一気に捲いてしまうつもりなのだろう。

 ふたたび前方に向き直り、走り出さんとする男であったが――

「逃がさないでござる」

 男の真横から、声が響いた。仰天した男がそちらを向くと、そこにはさらに驚愕の光景があった。

 アイが、石塀の壁面を走っている・・・・・・・・・・・

「んなっ……」

 『雷光の歩ライトニング・トレイル』――強靭な足指で地面の凹凸を掴み、通常では不可能な挙動を可能とさせる、オネガ流の秘伝である。アイが見せた壁走り・・・は、その応用だ。足指を石塀の凹凸に引っ掛け、自重を支えることで、短い間ではあるが壁を走るような動きができるのである。

 男の足も、思わず止まってしまう。当然であろう。アイは、物理法則を無視したような動きを見せているのだ。後方から追いかけるマーシャですら、これには呆れるしかない。

 男の隙を、アイは見逃さなかった。

 壁を蹴って跳躍すると、男の側頭部目がけて回し蹴りを放つ。

「くッ!?」

 男は避けるのが精一杯だ。アイに対し、反撃を試みることもできない。

 回避行動によって体勢を崩した男は、なすすべもなくアイに懐を取られてしまう。これは、もう完全にアイ有利の間合いである。

「破ッ!!」

 アイの右拳が、男のみぞおちに深々と突き刺さる。男の身体がくの字に折れたところへ、アイは跳び上がりながら膝を突き上げた。

「ぐぼぉッ!?」

 鼻面を強かに打たれ、男は噴水のように鼻血を巻き上げる。とどめは、裏拳の一撃だ。男の顎の先端を正確に捉えたアイの拳は、男を一瞬で昏倒させた。

 ここで、残りの怪盗たちが踵を返し、アイに向かう。

 当然、昏倒させられた男を助けに来たのだろう。

 しかし、その前にマーシャが立ちはだかる。まきびしに手を焼きながらも、ようやく追いついてきたのだ。

「アイ、よくやったぞ」

 剣を片手に威嚇するマーシャに対し、男たちはじりじりと後退するのみだ。

 と、一人の男が懐中に手をやった。

「む」

 マーシャはとっさにアイが倒した男に駆け寄る。その腰に下げられた短剣を奪うと、鋭く投擲した。

「ぐッ――」

 短剣は、男の手首に狙い違わず突き刺さった。男の手から、筒状の物体がぽとりと落ちる。

「いかんアイ、下がれ!!」

 マーシャが叫ぶ。男たちが、それぞれ筒状、あるいは球体状のなにかを手に取っているのだ。

 煙幕のような目くらましか――最悪、爆弾という可能性もある。マーシャといえど、九人の男全員の動きを止めることはできない。

 昏倒した男の襟首を掴んで引きずりつつ、マーシャは素早く後退した。一瞬のち、大きな破裂音とともに、あたりはもうもうとした煙に包まれた。

 マーシャは周囲を警戒する。しかし、男たちの気配はすでになかった。

「先生、いががするでござるか」

「これ以上の追跡は無意味だろう。ばらばらに路地に逃げ込まれては、あとを追うこともできまい」

 言いつつ、マーシャは自分が判断を誤ったことを悔いていた。

 とっさのことだったゆえ後退することを選んだものの、あの状況で怪盗たちが爆発物を用いることはありえなかった。彼我の距離が近すぎて、殺傷力のある爆発物を使った場合、怪盗たちにも被害が及んだに違いなかったからだ。

 自らの命と引き換えにマーシャを道連れにしようというのならともかく、明らかに逃げる機会を狙っていた男たちが、自爆するような行動はとるまい。

「まあ、今日のところは一人捕らえただけでも上出来だったと思うことにしよう。それに、サディアス殿が気がかりだ。アイ、済まないがその男を拘束しておいてくれ。猿轡を噛ませるのも忘れぬよう」

 そう言って、マーシャはもと来た道を引き返す。


 ヒギンズ邸の近くまで戻ったマーシャは、そこに人だかりが出来ているのを認めた。

「ッ、あれはもしや――」

 マーシャの悪い予感は的中する。

 果たして、人だかりの中心には、腹から血を流して倒れるサディアスの姿があった。

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