第9話

 『絵画商シモンズ』から四軒隣の筋向いに、一軒の空き家があった。

 サディアスが調べたところによれば、そこにはかつて一組の老夫婦が暮らしていたけれども、少し前に新居を構えた息子と同居するため、家を引き払ったのだとか。

(この家をしばらく拝借するか……)

 無論、『シモンズ』の監視をするための拠点として使うつもりだ。

 『シモンズ』をつぶさに監視するにはやや距離が離れすぎている。しかし、並々ならぬ技量を持つ相手が潜んでいる可能性もある。敵に自分の動きを悟らせないためには、このくらいの距離のほうがいいだろうとサディアスは考える。

 いったんフォーサイス家の屋敷に戻ったサディアスは、ゴードン・トマス・アーノルドの三人を呼び出した。この三人は、さきごろパメラ相手に夜間訓練を行っていた若者たちだ。

 いかにサディアスといえど、不眠不休で『シモンズ』の監視を続けることはできない。三人に交代で空き家に来てもらい、サディアスが休息をとる間だけ『シモンズ』を見張らせることにしたのだ。

 サディアスは、この三人に詳しい事情を話さず、監視任務の実地訓練であるとだけ伝えておいた。

 カークの力量を考えれば、もっと多くの人員を投入すべきである。しかし、オクリーヴの密偵たちには、第一にフォーサイス家の人間と屋敷を護るという使命がある。怪盗たちがフォーサイス家の屋敷を狙わないという保証はない。屋敷の護りを手薄にした結果、怪盗の侵入を許すようなことになれば、これは本末転倒であると言わざるを得ない。

 そのため、サディアスは必要最低限の人員しか動員しなかったのである。


 監視が始まって三日目、夕刻。

 それまで特に怪しい様子を見せなかった『シモンズ』に、動きがあった。

 店仕舞いしたあとの『シモンズ』から、見慣れぬ二人組の男が姿を現したのである。

 サディアスは、この三日間で『シモンズ』の店主一家や従業員の容貌をおおよそ把握している。店から出てきた二人は、サディアスも初めて見る顔であった。

 そして、その二人の身のこなしだ。

 商人風の服装で、一見するとどこにでもいるようなレン町人である。しかしサディアスは、この二人の動作の端々から尋常ならざるものを感じ取っている。男たちが特殊な訓練を受けているのは明らかであった。

「頭領、いかがいたします」

 このとき、空き家に詰めていたのはアーノルドである。

 男たちを尾行するにせよ、一人よりも二人のほうがやりやすい。しかし、相手は油断のならぬ連中である。トーガの里での訓練を修了しているとはいえ、アーノルドはまだ経験浅い新人だ。

「……お前はここに残って、監視を続けよ。『シモンズ』になにか動きがあっても、決してここから出ず起こったことを見届けるだけにしておくこと。よいな」

 言い置くと、サディアスは二人の尾行を開始した。

 歩き方ひとつとっても、高い技量を感じさせる二人組である。しかしサディアスにとって幸いなことに、二人の尾行に対する警戒は薄かった。

 仕事帰りの人々の波に紛れ、サディアスは気取られることなく尾行を続ける。


 二人組は、やがて新市街の外れにある一軒の屋敷にたどり着いた。窓には板が打ち付けられており、庭は雑草が伸び放題だ。人の住まわぬ廃屋のようである。

 王城を中心とした環状の構造をしている新市街は、輪の内側に行けば行くほど街としての格が上がる。したがって、外縁部は新市街の中でも一番下等な土地であり、近年の好景気であぶく銭を手にした成金が多く住まう。

 成金という種類の人間は、概して大きな金の動かし方に慣れていない。また、欲をかきすぎるがゆえに商売の「引き時」を見誤りがちだ。そのため、せっかく築き上げた財を、ごく短い間に失ってしまう者も少なくない。なので、この新市街外縁部というのは比較的人の入れ替わりが激しい街であるといえる。

 二人組が入っていったのも、何らかの事情で家屋を手放さなければならなくなった成金の持ち物だったのだろう――サディアスは、その廃屋のけばけばしく悪趣味な外装からそう推測する。

 サディアスは、手近な邸宅の庭木に身を潜めた。あくまでも敵に気づかれないことが第一であるから、空き家の中の様子や、そこを出入りする人間の顔を判別できる距離ではない。どこまでも慎重に空き家を見守る。

 すると、ひとり、またひとりと、男たちがどこからともなく集まってきた。サディアスが監視を始めてから空き家に入ったのは、合計八名である。それ以前に空き家に入った者がいる可能性もあるので、いま何人の人間が中にいるのかは定かでない。

(普段は分散してレン内に潜伏し、必要な時だけここへ集まる。そういうことであろうか)

 ひとところに集まっていては、万一官憲に居場所を捉まれた場合、一網打尽になってしまう。それを防ぐため、何人ずつかに分かれて潜伏しているのだろう。

 ややしばらくして――まず、三人の男が空き家から姿を見せる。

 三人が三人とも、漆黒の装束に身を包んでいる。そして、その気配の消し方は見事なものだ。まるで闇に溶けるように、三人は夜の街に消えていく。

(もしや、これからこと・・を起こそうというのか……?)

 これから犯行に及ぼうとしているのなら、男たちの警戒心は『シモンズ』を出た時とは比べ物にならぬほど高まっているだろう。

 サディアスといえども、下手に行動はできぬ。

 さらに三人、また三人と空き家から男たちが姿を見せる。

(ばらばらに根城を出て、目標の近くで合流するつもりか)

 怪盗はどうやら十人前後らしい、ということはギネス・バイロンの証言で明らかになっている。いかに隠密行動に優れた人間とて、十人もの人間が一緒になって行動すれば、どうしても人目についてしまう。

 最後に、二人組が空き家を出た。これで、合計十一人。

(おそらくは、あの二人が最後であろう)

 細心の注意を払い、サディアスは二人組の尾行を開始した。


 二人組は人通りのない路地を選び、時には人家の庭を通り抜けたりもしつつ、下町方面へ向かう。

 サディアスとしては、一瞬たりとも気が抜けない。ここで敵に気取られてしまえば、すべてが水の泡である。

 やがて、二人組は下町の旧王城にほど近い区画――ロータス街に入った。

(奴らの獲物はロータス街、か。このあたりで怪盗が狙うとすれば――)

 ロータス街というのは、さほど金持ちが多い土地ではない。中流から中の下あたりの生活水準の人間がほとんどだ。

 レンに住む上流階級の人間について、サディアスはおおよそ把握している。数少ないロータス街の金持ちの中で、怪盗が狙うほどの富豪となれば、的は絞られる。

(貿易商ヒギンズか……?)

 ヒギンズの一族は伝統ある貿易商であったが、大富豪と呼ばれるほどまでに資産を増やしたのは、ここ二、三十年のことだ。かつて大陸においてカリアーニ戦争という戦いくさが起きた際、さまざまな物資を戦争の当事国であったゲトナーに輸出することで、ヒギンズ家は資産を何倍にも増やしたのである。

 二人組の進行方向も、ヒギンズの邸宅がある方向と一致している。サディアスの推理は的中したようだ。

 ヒギンズの邸宅の隣には寺院があって、その高い鐘楼からはヒギンズ邸の敷地をほとんど見渡すことができる。

 鐘楼に侵入したサディアスがヒギンズ邸を眺め下していると、邸宅の裏手に黒づくめの男たちが続々と集まってきた。

(来たか――!)

 まさに、鮮やかな手前というほかない。男たちは、物音一つ立てず屋敷の塀を乗り越え、敷地内に侵入していく。この男たちがレンを騒がす怪盗であることは間違いなかった。

(さて、どうするか)

 サディアスは思案する。

 狙いはあくまでカークと思しき怪盗たちの首魁ひとりであり、ここで怪盗たちを捕らえるのはサディアスの仕事ではない。そして、カークを含む十一人の盗賊と相対して、サディアスが勝てる可能性は限りなく低い。

(ヒギンズには気の毒だが――ここは泳がせるしかあるまい)

 眼前の犯行はひとまず見過ごし、監視を続けて怪盗たちが隙を見せるのを待つ。それがサディアスの選択であった。

 怪盗たちは、誰にも気取られることなく金蔵らしき建物に侵入を果たしている。サディアスとしては、今のうちに尾行に有利な位置にを確保したいところだ。

 鐘楼を降りるためサディアスが踵を返そうとしたそのとき、通りをヒギンズ邸のほうへ向かって歩く二つの人影が、サディアスの視界に入った。ひとりは平均的成人男性を大きく上回る長身だが、もう一人は対照的にかなり背が低い。

「む……あれは、もしや」

 遠目なので、詳しい姿かたちまではわからぬ。しかし、長身のほうの人影――それが女性のもので、そして武術に鍛えこまれた肉体を持つということは、遠距離からでも歩き方から察せられる。サディアスがよく知る人間と特徴が合致していた。

 言わずと知れた、マーシャ・グレンヴィルである。

(そういえばグレンヴィル殿は、ロータス街にお住まいと聞いていたが――これは、千載一遇の好機かもしれぬ)

 ランドルフ邸において、ギネス・バイロンが怪盗たちに迫った際、首魁らしき男が殿しんがりに立ち、仲間が逃げる時間を稼いだ――警備部の捜査資料には、そうあった。

 もしマーシャが怪盗を捕らえんと動けば、この夜も同様に首魁の男が殿を務める可能性が高い。

 サディアスの脳裏に、一つの作戦が浮かぶ。

「グレンヴィル殿、申し訳ないが――利用させていただくッ!」

 サディアスは鐘楼の窓から身を躍らせた。三階建ての家の屋根よりも高い鐘楼である。そのまま地面に落下すれば即死もありうるが――サディアスは中空で鉤縄を取り出すと、寺院の庭木の枝目がけて投げ放った。

「むんッ!!」

 落下の勢いを回転力に変え、振り子のような動きでサディアスは枝にぶら下がる。振り子運動が頂点に達したところで、サディアスは縄を手放す。

 放物線を描いて大きく跳んだサディアスは、ヒギンズ邸の塀の上に着地した。袖口から投げナイフを引き抜くと、ヒギンズ邸の窓目がけて鋭く投擲する。ガラスが砕け、甲高い音が闇夜に響き渡った。サディアスは深く息を吸うと、素晴らしい大音声で叫んだ。

「泥棒!!」


 この晩、マーシャはアイを伴い、『銀の角兜亭』に赴いていた。

 深い時間まで飲み食いした帰りである。

「先生、今日はこちらの道から? 桜蓮荘ならば向こうの道のほうが近かろう」

 アイが首を傾げるのも当然だろう。桜蓮荘への帰り道からは、だいぶ外れている。まっすぐ桜蓮荘に向かった場合と比べ、二倍以上の遠回りだ。

 アイと『銀の角兜亭』に来るのは十日ぶりのことだが、マーシャはひとりで酒場を訪れたときも必ずこの道を通って帰宅していた。

「うむ……付き合わせて済まないのだが、ほら、『怪盗』のことがあるだろう。この界隈で狙われるとしたら、あそこしかないと思ってな」

 マーシャが指さした先には、豪商ヒギンズの屋敷があった。

「なるほど。先生ご自身の手で、怪盗を捕らえようというわけにござるか」

「そこまで上手いこと行くとは思っていないがね。怪盗どもがヒギンズさんの家を襲ったそのとき、たまたま私が通りかかるという都合のいい偶然が起きなければ無理な話だ。そんなことが起きれば儲けもの、くらいに思ってくれ」

「それもそうにござるな」

 二人が顔を見合わせ苦笑したそのときであった。

 突如響くガラスが砕ける音、次いで鋭い叫び声。

「なんという偶然――!」

「まったくその通り!」

 二人は、ヒギンズ邸に向かい走り出す。

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