第8話

 ペイジの村に戻ったサディアスは、村人たちに聞き込みをして回った。れいの道場についてである。

 なんでも屋の女の言葉を信じるなら、村人たちの中にその道場に籠っていたという連中の素性を知る者はいないようだ。

 武術道場の開設に際し、公的機関である武術局の認可が必要であることは、過去に何度か述べられている。もし、その道場が武術局後任の道場であるなら、その線から情報を得ることもできようが、

(それは難しいだろう)

 と、サディアスは考える。

 認可が必要なのは、金を取って指導を行うという形で、武術を商売にする場合の話である。志をともにする者が寄り集まり、利害関係なしに切磋琢磨するといった場合には、認可がなくとも咎められることはない。

 いかにも怪しげな連中である。わざわざ国の認可を取ろうとするとも思えないだろう。

(ならば、道場の前の持ち主――その方向から攻めてみるか)

 なんでも屋の女いわく、その道場は「ずいぶん前に潰れた」という。年かさの村人を選んで聞き込みをするサディアスであったが、とうとう一人の老人から情報を得ることができた。

「ああ、あそこで道場をやっていたのは、オーハラ流のカート・ファラデーというお人じゃよ。短い間じゃったが、わしもあそこへ通っておった」

 そう語ったのは、村の酒場で昼間から酒をあおっていた老爺である。サディアスが一杯奢ると、老爺は機嫌よく話し出した。

「道場が潰れたというのはいつの話かね」

「そうさのう、わしが二十五、六のころじゃから――もう四十年近く前のことになるか」

「ファラデーという方はどんなお人だったのかね」

「ふむ。ファラデー先生は、レンにある裕福な商家の次男だったらしいんじゃ。家業は兄に任せ、自分は好きな剣術に打ち込んでいる――そんな境遇であると聞いたことがある」

 現役時代、なかなかの好実績を上げたファラデーが、引退後このペイジの村に道場を開いたのが、四十五年ほど前のことだとか。

 あまり流行っているとはいえない道場だったが、実家からの支援もあってファラデーは金には困らない状況だったらしい。

「ならば、道場はどうして潰れてしまったのだ」

「それが、ファラデー先生の兄ぎみの一家が、馬車の事故でみな亡くなってしまったんじゃ。近しい親類もおらんかったということで、先生が急きょ店の後を継ぐことになっての。道場を畳まざるを得なくなったんじゃ」

「なるほど。では、今そのファラデー殿はレンに?」

「おそらくは――ただ、ご存命ならばの話じゃがな。なにしろ、わしよりも十ほど年上のお方じゃ」

「わかった。ありがとう、大変興味深い話だった」

 老人にもう一杯酒を注文し、サディアスは酒場を出た。

「やれやれ。シーラム島を北へ南へ駆け回ったが、結局はレンに戻ることになるのか」

 そうしてサディアスがレンに着いたのが、パメラと若い衆が夜間訓練を行っていた日だったというわけである。


 一晩休息をとり、調査を再開したサディアスが、ファラデーの生家を見つけるのは容易かった。ラング街にある、『ファラデー硝子店』という、硝子の細工物を扱う店である。

 店構えは立派で活気もあり、一目で繁盛しているのがわかる。

 サディアスが店の売り子に店主への取次ぎを頼むと、程なくして三十代半ばと思われる男が姿を見せた。いかにも誠実そうな顔つきをしている。

 この男がカート・ファラデーでないことは、年齢的に明らかだ。

「いらっしゃいませ。ご用件を伺いましょう」

「カート・ファラデー殿にお会いしたかったのだが」

「カートは私の父ですが――三年ほどまえに亡くなりまして」

「……そうだったか」

「しかし――父に何かご用件がおありでしたか? 私でよろしければ、お話をお聞きしますよ」

 見た目通り、人の善い男であるようだ。

「すまない。では店主、ペイジの村にお父上が道場を構えていたことはご存知か」

「はい。私が生まれる前のことですね。父がよく話しておりました」

「私の知己に、とある剣術家がいてな。閑静な場所で修行に打ち込みたいということで物件を探していたのだが、たまたま立ち寄ったペイジの村でその道場を見つけたのだそうだ。まさにうってつけの環境ということで、ぜひあの建物を買い取りたいという。かつてあの道場を所有していたのがカート・ファラデー殿であると知り、レンにいる私に買い取り交渉してもらいたい旨手紙を寄越してきたというわけだ」

「左様でございましたか。父もあの道場には思い入れがあったらしく、生前は頑として手放そうとしなかったのですが――道場もあのままでは誰にも使われず朽ち果てるだけでした。それも忍びないと思い、父には申し訳ないですけど売りに出すことにしたんです。それが、二年ほど前に買い手が見つかりまして。ですので、いまあの道場を所有しているのは私どもではないのです」

「売った相手というのは?」

「仲介屋のトンプソンです。もし、どうしてもあの道場が欲しいとおっしゃるなら、トンプソンと交渉するといいでしょう」


 同じラング街に小さな店を構えるトンプソンは、貸し部屋や家建物の売買の仲介を生業とする男だ。

 トンプソンのいかにも強欲そうな顔つきを見て、サディアスは

(これは、やりやすい……)

 と感じる。どんな商売でも、顧客の情報をぺらぺらしゃべるのはご法度であるが、この手の人間は簡単に金で転んでくれる。

 サディアスが金貨を一枚握らせると、案の定トンプソンの眼の色が変わる。サディアスがれいの道場について尋ねると、トンプソンはすぐさま帳簿を引っ張り出してきた。

「ちょっと待ってくださいよ――あった、これだ」

 帳簿をめくると、トンプソンはとある頁を指し示す。建物の取り引きというのは大きな金が動く。のちのち揉め事があったときに備え、客の情報を残しておくのがこの手の商売における鉄則である。果たして、その頁には例の道場の取り引き記録が記されていた。

 売り手はファラデーの息子で間違いない。

「買い手は――『絵画商シモンズ』、か。どうして絵画商があのような田舎の道場を買ったのだ」

「そこまではわかりませんや」

 トンプソンは首を横に振るのみである。


 『絵画商シモンズ』は、新市街と下町の境に位置するアレンカ街にあった。

 所得でいえば、中の上あたりの比較的裕福な人々が住む街であって、新市街の人間も多く行き来する。美術品の店を開くのには適しているといえる。

 その店構えが視界に入ったあたりで、サディアスは足を止めた。

(ここから先は、敵の領域やもしれぬ……)

 という予感がするのである。

 この絵画商が怪盗と繋がっているという確たる証左はないものの、どうにも危険なにおい・・・がするのだ。

 サディアスのようなさまざまな経験を積んだ者にとって、直感というのは決して馬鹿にできるものではない。過去の経験をもとに無意識的に紡ぎだされる結論が、直感と呼ばれるものの正体であることが多いからだ。

 そして、怪盗の正体がサディアスの想定した人間だった場合――正面切ってぶつかっても、自分が勝てる可能性が低いということを、サディアスはわきまえていた。

(とりあえずは、あの絵画商を洗い、網を張るしかないか)

 サディアスは踵を返すと、レンの人ごみに消えていく。

(しかし、もしあの男・・・を敵に回したとして――いまの私で手に負えるかどうか)

 オクリーヴ家の頭領をして、そう思わせるほどの相手――サディアスが想定するその男とは、いったい何者なのか。これを語るには、少々時を遡らねばならない。


 「オクリーブ家始まって以来の天才」――パメラは一族の者たちにそう評されている。しかし、パメラの前にも、同じ異名をとる男がいた。

 いまから十年前。パメラがまだ幼く、その才能が一族の者たちに周知される前のことだ。その男は、オクリーヴ家の里であるトーガの村にいた。

 名を、カークという。サディアスの従弟の息子に当たる男で、歳は当時十八。

 密偵としての才能は誰もが認めるところで、オクリーヴ家の直系ではないにせよ、一族なかにはカークをサディアスの後継にすべきだと言う者も少なくなかった。

 若さと、その才能ゆえの傲慢さは見られたものの、技術面ではまさに申し分なしの能力を身につけていたカークは、サディアスの片腕としてギルバートに直接仕えることが内定していた。

 やや難のある性格も、ともに任務に就きながら、徐々に矯正していけばよい――サディアスは、そう考えていた。

 しかし、その考えは甘かったとサディアスは後悔している。サディアスに限らず、トーガの人間はみな、カークには甘いところがあったのは否めない。カークの溢れんばかりの才気を見れば、多少甘く接してしまうのも無理からぬことだったのだろう。それが、カークの益々の増長を招くことになる。

 カークが正式に密偵として取り立てられるまで、三か月を切ったころのことだ。

 突如、カークの生活態度が一変した。里を抜け出して街に繰り出し、遊興三昧。鍛錬も怠るようになった。これを諫めようとする里の年長者の言うことなどまるで耳を貸さず、それどころか当たり散らし暴力まで振るう始末である。

 当時のカークの戦闘能力は、すでに村に並ぶ者がいないほどの水準に達していたため、里の者たちも彼に対し強く出ることができなかった。

 傲慢ではあったものの、過去にカークがこのような振る舞いをしたことはなかった。村の者たちも困惑するばかりである。

 里の者たちが首を傾げたのは、カークが遊興に使った金の出どころである。まだ正式にフォーサイス家に仕える前であるから、俸禄は受け取っていない。カークの収入といえば両親からもらう少額の小遣いくらいなもので、酒や女に費やした金額にはとうてい足りないのだ。

 そんな中、隣町で連続強盗事件が発生しているとの噂が、トーガの村に伝わってきた。どの事件も手口は鮮やかなもので、犯人は高い技術を持つ手練れであるとのことである。

 里の者たちが、カークに疑いの目を向けたのも当然のことであった。カークの技量ならば、商家に忍び込んで金を盗み出すことくらいは容易いはずだ。

 里の年長者たちが詰問すると、カークは

「ふん。確かに俺がやったがなにか問題でもあるのか? 証拠も残していないのだから官憲の手が伸びることもないだろう」

 と、悪びれもせず言い放ったのである。

 無論、捕まらなければいいという話ではない。里の者たちは直ちにカークの身柄を拘束し牢に入れると、サディアスの判断を待つことにした。ちょうど、公爵ギルバート・フォーサイスがレンから領地に帰還する日が数日後に迫っており、それに同行するサディアスも久々に里に戻ってくる予定だったからだ。

 しかし、サディアスの帰りを待たずして、カークは牢を破り逃走した。

 入れ替わるようにして里に帰還したサディアスは、すぐさま捜索隊を組織すると、カークを追った。

 オクリーヴ家の者たちが手を尽くした甲斐あって、数日後とある街道筋でカークは捕捉された。しかしカークは、自らを取り囲む密偵六人のうち、実に五人までを斬って捨てると、街道脇の山中に逃げ込んだ。齢十八にして、まさに恐るべき手腕といえよう。

「なんということだ……カークの技量は、それほどまでに高まっていたというのか」

 常にギルバートに付き従い、レンにいることが多いサディアスであったから、当時のカークの実力を詳しくは把握していなかった。オクリーヴ家の密偵五人を易々と殺してのけるなど、サディアスにすら不可能な芸当だ。

 ここへ至っては、もはや生け捕りにすることはかなわぬ。そう判断したサディアスは、選りすぐりの精鋭十人を引き連れ自ら山に入った。

 なおも激しい抵抗を見せるカークは、されに四人を斃して山中を逃げ回ったが、この時ばかりは相手が悪かった。手練れの密偵たちに包囲され、サディアスによって左眼を傷つけられたカークは、とうとう崖っぷちまで追い詰められた。

「カークよ、投降せよ。ギルバート様のお裁きを受けるのが、オクリーヴ家の人間としてできる最後の務めである」

 そう呼びかけるサディアスを、カークは一笑に付す。

「オクリーヴの家がなんだというのだ、叔父貴」

 カークが哄笑した。

「なぜ、このような蛮行に及んだ」

「なにもかも馬鹿らしくなったのさ。技術を磨くのも、お家のために仕えるのも、だ」

「お主ほどの才がありながら、どうして……」

 このサディアスの言葉に、カークは顔を激しく歪め――次の瞬間、崖下に身を躍らせた。止める暇もない、一瞬の出来事であった。

 崖の高さは相当なものであり、加えて崖下を流れる川は降雨によって増水していた。サディアスたちは下流に回って捜索したものの、カークの死体を発見することはかなわなかった。さりとて、とても人間が生き残れる状況とは考えられない。

 この手の水難事故で、死体が上がらないのはよくあることである。三日後、カークは死んだものとして捜索は打ち切られた。

 

 サディアスは、ことの顛末をギルバートに報告した。

「生け捕りにできぬのなら、せめて自分の手でカークを討つべきにございました。自殺という安易な方法では、罪を償ったことにはなりませぬ」

 自分へ罰を与えてくれと懇願するサディアスであったが、ギルバートが下した罰は、サディアスを含むオクリーブ一族の重鎮数名の十日間の謹慎、そしてカークの盗みの被害者に対し損害の賠償をせよというものであった。

 サディアスからすれば、あまりに軽すぎる罰である。

「ギルバート様、それではカークの犯した罪と釣り合いませぬ。どうか厳罰をお与えくださいますよう」

「此度の一件、あくまでもカーク個人が起こしたもの。その罪科に対し、周囲の人間を連座させることは現在のシーラントの法律で禁じられておる。管理責任を問うのであれば、このくらいの罰則が適当であろう」

「しかし――それでは、われらの気が済みませぬ」

「ふうむ。では、ひとつわしの頼みを聞いてもらうとしようか」

「頼み、とは」

「ミネルヴァが、パメラのことをいたく気に入ったらしくてな。ぜひ手元に置きたいと申しておる。オクリーヴ家のしきたりは承知しているが――そこを曲げて、パメラをこちらで引き取らせてはもらえぬか」

 オクリーヴ家の人間は、十六歳以上で、一定の技量を身につけて初めて一人前とされる。パメラは当時十一歳であり、当然フォーサイス家に仕える資格を持たない。

「それは……ギルバート様のお言葉とあらば……ううむ、しかし……」

 パメラはまだ本格的な修行に入って二年ほどしか経っていない。才能の片りんは見せていたものの、その技量はまだ未完成である。更なる研鑽を積ませ、完璧に仕上がった・・・・・状態でフォーサイス家に仕えさせようと考えていたサディアスだけに、主の言葉に対し珍しく躊躇を見せた。

 しかし、ギルバートたっての願いとあらば、聞かないわけにもいかない。トーガの村でなければ密偵としての訓練ができない、ということもない。必要ならば、フォーサイス邸に勤める密偵たち、そしてサディアス自身がパメラを指導すればよいだろう。そう考えたサディアスは、主の提案を受け入れることにした。

 以来、パメラはミネルヴァ専属の侍女兼護衛として職務を遂行していくことになる。


 話は逸れたが――隻眼の暗器遣いと聞いて、サディアスがカークを思い浮かべたのは当然のことであろう。

 ちなみに言うと、サディアスはギルバートに対しカークの左眼を奪ったことまでは話していなかった。マーシャの話を聞いて、公爵がその場でカークのことに思い至らなかったのはそのためだ。

 カークが落ちた崖は、とても人命が助かるような高さではなかった。しかし、万が一奇跡的にカークが命を取り留めていたとしたら――

 カークは、道を誤らなかったなら一族最高の技量を持ち得たかもしれない男だ。その技量を考えれば、盗賊『影法師』の鮮やかな手口にも納得がいく。

(あれから十年。私は老いたが、カークにはまだ成長の余地があったはずだ。やはり、私一人では難しい。本来なら、私自身の手で決着をつけるべきなのだが――)

 思案するサディアスの頭には、カークを斃しうる二人の人物の顔が浮かんでいた。

 

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