第8話

「先生たちはどこへ――って、あれは」

 試合場から出たのち、あたりを見回しマーシャらの姿を探すヴァートであったが、その視界に見知った人物が飛び込んできた。

「ヴァート君、おめでとう!」

 手を振りつつ駆け寄るのは、ファイナであった。

「あれ、ファイナさん――こっちに来られるのは午後って言ってなかったっけ」

「おじいちゃんが、『今日はもういいから小僧の試合を見に行ってやれ』って。急いで駆けつけたんだけど、試合は最後のところしか見られなかったよ」

「そうだったのか。わざわざありがとう、ファイナさん」

 と、そこで、マーシャらがヴァートのもとに戻ってきた。

「おお、ファイナ。よく来たな」

「あっ、先生。さっきは何があったんですか」

「ふむ、それはまたおいおい話そう」

 ファイナの眼もある。マーシャは詳しい説明を避けた。

「さて、次の試合まではまだまだ時間があるな。ひとつ、ほかの試合も見て回るとするか。ファイナもそうしたいだろう?」

 武術愛好家のファイナがマーシャの提案に同意したのは、いうまでもない。

 ヴァートたちは連れ立って、試合場を回る。

(しかし……こうして見ると、ヴァートの入った山はかなりの激戦区だったようだ)

 ざっくりとではあるが、他の試合を見物したマーシャの感想である。

 決して水準が低いというわけではないが、ヴァートが戦ってきた相手と比べると見劣りする武術家ばかりである。

(優勝候補の槍遣いに、オルコット老師の直弟子。さらには、ギルドの暗殺者ときた。このぶんだとヴァートは、拍子抜けするほど楽に優勝してしまうかもしれぬ)

 強敵を倒すことはヴァートの成長にもつながるし、それでこそ優勝にも価値が出るというものだ。

 特に、二日目の午後ともなれば、武術家の召し抱えを考える貴族や富豪たちが、若手の「掘り出し物」を狙って多く来場する。楽に勝てるような相手だと、

「あの程度の相手に勝ったとしても……」

 と、ヴァートの実力がかえって過小評価されてしまう。ヴァートの将来を案じる身としては、あまり都合がよくないだろう。

 そのとき、ヴァートたちの前方の試合場から、ひときわ大きな歓声が上がった。

 こらえ切れないように、ファイナが駆け出した。ヴァートもそれに続く。

 その試合場では、二人の剣士が対峙していた。

 一人は、かなりの巨漢だ。ミネルヴァが愛用する両手剣と同種のものを構えている。いま一人は、ヴァートも見覚えのある男――エリオット・フラムスティードであった。遣うのは、オーハラ流伝統の長剣である。

 エリオットの対戦相手は肩で息をして、ぐっしょりと汗をかいている。表情には、明らかな焦りの色が浮かぶ。

 一方のエリオットはというと、泰然自若といったふうで涼しい顔をしている。

「あっ、秒読み・・・がかかってるみたい」

 ファイナが指差した先には、砂時計を手にした副審判の姿があった。

 秒読みとは、多くの武術試合に取り入れられている制度だ。完全な一本とまではいかないまでも、それなりにいい・・打ち込みが決まった場合に用いられる。攻撃を受けた側は、砂時計の砂が落ち切る前に逆転の一手を放たなければ、そこで負けとなるというものだ。

 真剣で戦った場合、鎧で覆われていない部分に攻撃を受ければ、当然出血する。直ちに致命傷となるものではなくとも、その傷ある程度が深ければ、時間の経過によって失血により意識が失われてしまう。秒読みは、こういった事態を想定して作られたものなのだ。

 ごく大雑把ではあるが、手首への一撃なら三百、上腕なら二百、などといったふうに、その部位を負傷した場合、どのくらいで戦闘不能に陥るのかということを基準に、秒読みの長さが決められる。

 先ほど大きな歓声が上がったのは、有効打が入って秒読みがかけられたためだろう。

 状況から判断するに、秒読みがかかっているのはエリオットの対戦相手のほうだ。積極的に攻めなければ、残り時間はどんどん減っていく。しかし、その男はじりじりとエリオットの周りを回るだけで、一向に手を出さぬ。いや、出せないと言うべきか。

「これは――あの大男が少々気の毒ですわね」

「うむ。実力に差がありすぎるでござる」

「ヴァート、もしかしてあれがエリオット・フラムスティードか?」

 マーシャの問いに、ヴァートは首肯する。

「対戦相手は、アレン・ディクソンですね。春の大会で四強入りしてて、今回も結構有望視されてた人です」

 と、ファイナが付け加えた。

 そのとき、試合場に動きがあった。

 前に出たのは、エリオットのほうである。守勢に回り、時が過ぎるのを待てばエリオットは楽に勝利を手にすることができよう。しかし、エリオットは果敢に打って出る。

「くッ!?」

 ディクソンは、剣を立てて左半身をかばった。しかし、エリオットはディクソンの右側に回りこんでいる。

「はッ!!」

 エリオットは身を沈めてディクソンの足首を薙ぐ。たまらず、ディクソンが尻餅をついた。すかさずエリオットはディクソンの胴鎧の隙間に剣先を滑り込ませる。

 審判の手が上がった。同時に、大きな喝采がエリオットに浴びせられた。


「さっきの試合、なんだったんだ。ディクソンは最初から最後まで、まるで見当違いのところを守ろうとしてたみたいだが」

「ああ。最後も、相手が右に回ったっていうのに、どうしてか左に剣を構えてたな」

 などと、観客たちは一様に首をひねっている。

「ヴァートよ、先ほどの攻防、見えていたか」

「はい。『幻影ミラージュ』――それも、二重の」

 硬い表情で、ヴァートは答えた。

 高度な幻惑フェイント術の一種である『幻影』。ごく簡単に言えば、人間の無意識下の部分に働きかけ、まるで実際とは逆方向に動いているかのように錯覚させる技だ。熟練者にかかれば、まるで鏡に映った虚像に攻撃を受けているように思わせることも可能だとか。

 エリオット・フラムスティードは、一度の踏み込みの間に、この『幻影』を二度仕掛けたというのだ。

 『幻影』という技は、実際相対する者でなければ認識することは難しい。観客たちが不思議に思ったのも当然のことだ。

 ヴァートも『幻影』を使えることは使えるが、続けて二度という芸当は不可能だ。

「『幻影之剣』、ヴィンス・リゲル――その二つ名のとおり、当代きっての『幻影』の名手と言われた剣士だ。その弟子が『幻影』を得意とするのも当然といったところか」

 マーシャの視線の先には、試合場の脇に立つエリオットと、エリオットに対し厳しい表情でなにごとかを語るリゲルの姿があった。先ほどの試合の反省点でも話しているのだろう。

「ファイナ、もしヴァートが勝ち進んだ場合、エリオットとあたるのはいつになる?」

「決勝です」

「決勝か。もとから目標は優勝だったけど……これは、なんとしても決勝まで勝ち残らなきゃいけないですね」

 あの相手と戦ってみたい――エリオットの妙技を眼にして、ヴァートの胸のうちにはより一層の闘志が湧き起こるのだった。


「四回戦は、あと向こうの試合場でやってるのが最後ですね」

 ファイナが指し示す先へ、一同は歩を進める。その試合場の周りには、どういうわけか他の試合場の倍――いや、三倍以上とみられる観衆が詰めかけ、黒山の人だかりとなっていた。

「どうしたのかな? この山にそんな注目を集めてる人はいなかったと思うんだけど……」

 トーナメント表が書かれた紙を手に、ファイナが首をかしげる。

「しかしこの人では、試合が見えないな――よっと」

 マーシャが、背伸びをして試合場の様子を伺う。しかし、十重二十重の人並みに阻まれ、長身のマーシャも試合場までは見えないようだ。

 と、大きな歓声が上がった。

「ヴァート、肩を貸すでござる」

 返事を待たず、アイがぴょんと跳ね、ヴァートの肩に飛び乗った。ヴァートは一瞬よろけたが、そこは鍛え上げた武術家であるから、すぐにアイの足を捕えて肩車の姿勢をとる。

「っと、危ない。アイさん、どうですか」

「――これは驚いた。ちょうど、決着がついたところのようにござるが――勝者は、若い女人の剣士にござるぞ」

「えっ、本当ですか?」

 誰よりも驚いたのは、ファイナであった。

「そんなに凄いことなのか?」

 マーシャやミネルヴァ、アイ、加えてパメラというとびきりの強者を知るヴァートだけに、女性がこの大会に勝ち抜くことがどれほどのことなのか、いまいちぴんと来ない。

「うん。だって、この大会で女性が五回戦進出したのなんて、先生以来のことだよ」

 本来この大会は、女性は参加することができなかった。男の世界である王国軍主催の大会であるから、当然のことといえよう。

 マーシャも、フォーサイス公爵と元王家指南役の肩書きを持つ師の力添えがあり、特例的に参加が認められたという経緯がある。

 しかし、この大会で頭角を現したマーシャが、のちの武術界で大活躍したことで、女性の参加を認めるべきだという声が高まった。才能がありながらも、機会に恵まれぬために世に出ることができない女性武術家もいるかもしれない、という主張である。

 そんなわけで、マーシャの出場から一年後、この大会でも女性の参加が認められるようになったのだ。

 しかし、男たちの中で女性が大会を勝ち抜くのはやはり容易ではなく、現在のところマーシャが最初で最後の女性優勝者となってしまっている。ファイナによれば、マーシャを除く女性は、三回戦進出が最高だということだ。

 ならば、この試合場に多くの観客が集まったのも当然のことであろう。

「へぇ……どんな剣を遣う人なんだろう」

「ちらりと見た限り、得物はオーハラ流の剣と同じものだったでござる。あいにく、戦いぶりは見られなんだ」

「興味深いですわね。ファイナさん、その女性剣士のお名前はなんと仰るのかしら」

「ええと……たぶん、このカレン・バートウィッスルって人だと思います。もうひとつ勝ち上がれば、準決勝でヴァート君と当たりますね」

 トーナメント表を指差しながら、ファイナが答える。

「ほう、それは楽しみだな。しかし、カレン・バートウィッスルか……」

 マーシャが、考え込む様子を見せる。

「どこかで聞いたことがあったような……」

 しかし結局、マーシャは思い出せなかったようで、

「まあ、いいか。ヴァート、次はいよいよ準々決勝だ。ぬかるなよ」

 と、ヴァートに言い含めるのだった。


 迎えた五回戦――準々決勝。

 ヴァートの対戦相手は、槍遣いの男であった。五回戦まで勝ち抜いてきただけあって、腕前はかなりのものである。

 しかし、優勝候補であったロブ・ガスコインほどの実力はなく――マーシャが目したとおり、ヴァートはこれをあっさりと撃破。準決勝に駒を進めた。


「向こうの試合場を覗いてきたのでござるが――準決勝の相手は、カレン・バートウィッスルに決まったでござる」

 ミネルヴァと連れ立って戻ってきたアイが、そう報告した。

「本当ですか!?」

 ヴァートとファイナは、口を揃えて驚く。

「しかし、なかなか興味深い剣士にござった。なにせ――」

「アイさん、そこから先は言わないほうが面白いのではなくて?」

「うむ、そうれもそうでござるな」

「なんだ、二人して勿体つけて」

「いえ先生、こればかりは実際にご覧になられたほうがよろしいですわ」

 ミネルヴァとアイは、含みのある笑みを浮かべて頷き合った。

「どういうことなんでしょう」

 ヴァートの疑問は、準決勝の試合開始とともに氷解することになる。

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