第9話

 ヴァートの準決勝の相手、それは果たしてれいの女剣士――カレン・バートウィッスルであった。

 カレンはヴァートと同じくらいの年頃だろうか。身長は女性にしては高め、長く艶やかな黒髪を、うなじの辺りで一つ結びにしている。いかにも気の強そうな吊り気味の眼で、対峙するヴァートをねめつける。

 まったく普通の女の子、それがヴァートがカレンから受けた第一印象である。

(本当にこのがここまで勝ち抜いてきたのか……?)

 ヴァートがそう思ったのも無理からぬことである。

 しかし、先ほどカレンの試合を見に行ったアイとミネルヴァは、実に意味深な言葉を口にしている。ただのどこにでもいるような少女、ということはないのだろう。

 そもそも、第一印象のみで敵の力を推し量るというのは、武術家として絶対にやってはいけないことだ。

 審判の指示に従い開始線についたヴァートは、自らの両頬を張って気持ちを引き締めた。


 一方、マーシャたちは、試合場の最前列に陣取り、そんなヴァートの様子を見守っていた。

 暗殺者ギルドの件もある。まさか、立て続けにあのような騒動が起こるとも思えないが、マーシャは念のため試合場を取り囲む観客たちを見回した。

「……おや、あれは……」

 どうやら、見知った顔を発見したようである。

「バートウィッスル――どこかで聞いたことがあったと思ったが、あのバートウィッスルだったか。皆、知り合いを見つけたのでな。ちょっと挨拶をしてくる」

 と、マーシャはその場を離れた。

「お久しぶりです、バートウィッスル殿」

 マーシャが声をかけたのは、四十台半ばの中年男だ。彼が裕福な商人であることは、その身なりから一目瞭然である。

 その中年男――ジョナサン・バートウィッスルは、王都の上流階級相手に手広く商いをする宝石商である。宝石商としては王国でも五指に入ると言われる豪商で、その資産は相当なものだとか。

 バートウィッスルは、その財力でもって数多くの武術大会を後援している。しかし、バートウィッスル自身はそれほど武術に興味があるわけではない。大会に出資するのは、主として宣伝のためだ。シーラントの貴族や富豪の中にも、熱狂的な武術愛好家は多い。なので、大会の協賛者に名を連ねれば、それだけ「バートウィッスル宝飾店」の名前が富裕層の目に多く留まることになる。この宣伝効果がばかにならないのだとか。

 ともあれバートウィッスルは、武術界に広い人脈を持っており、マーシャも大会などで何度か顔を合わせたことがあった。

「これはこれは、グレンヴィル殿ではありませんか。いやあ、ご無沙汰しております」

 商人らしい愛想笑いを浮かべて返事をするバートウィッスルだが、その顔色はひどく悪く、焦燥の色がありありと見て取れる。

「バートウィッスル殿がこの大会にお越しということは――やはり、あのカレン・バートウィッスルという剣士はご血縁で?」

 マーシャが問うた。

「ええ、血縁と申しますか……あれ・・は、私の娘にございます」

「なんと……!」

 そういえば――バートウィッスル主催の大会に出場した際、貴賓席のバートウィッスルの膝の上で、十歳にも満たない小さな女の子が試合を観戦していたことがあったのを、マーシャは思い出す。綺麗な黒髪の可愛らしい女の子で、きらきらした瞳で食い入るように試合を観ていたのが印象的だった。

「どうしても剣をやりたい、と娘が私に頼み込んできたのが七年ほど前のことでしょうか。私も、娘に頼まれると弱く――何人かの剣士を招いて剣の指導をしてもらっていたのですが――いや、こんなことになるとは」

 ほとほと困り果てた様子のバートウィッスルである。

 マーシャには、バートウィッスルの困惑の理由がなんとなく理解できた。

 要するに、バートウィッスルは娘が武術の道に進むのに反対なのだろう。

「やはりご息女の御身が心配ですか」

 マーシャの言葉に、バートウィッスルは何度も首を縦に振る。

「はじめは嗜み程度と思っていた剣術に、カレンはだんだん本格的にのめりこむようになって――とうとう武術家として生きていきたいと言い出したのです」

 武術家としての道を歩むためには、とにかく試合に出て実績を積まなくてはならない。多くの若手武術家同様、カレンがこの大会の出場を望んだのも、当然のなりゆきである。

 父親として心配するのは当然であろう。武術試合は規則と防具に護られた環境とはいえ、大きな怪我を負ったり、死亡する可能性がないとはいえぬ。武術家は、常にその危険性と隣り合わせで生きていかねばならない。

 また一般に、武術家が全盛期を迎えるのは、三十歳前後のころだと言われる。女性の場合は出産というものがあるだけに、三十歳まで現役の武術家を続けるのは、シーラント社会においては難しいと言わざるを得ない。ゆえに、職業的な女性武術家というのは非常に珍しいのだ。

 武術家として生きるということは、辛く険しい茨の道である。娘の将来を案じる父親として、それを否定するのも仕方のないことだ。

「せめて、女性のみの大会に出場するように薦めたのですが、娘は頑として受け入れませんでした。半端な大会では満足できないと」

 女性限定の大会というのもシーラントには数多く存在するが、全体の水準と格は、男性向けの大会より大きく落ちる。

「なんとしても武術家としての道を諦めさせようと説得したのですが……甘やかして育てたのがいけなかったのか、娘は受け入れてくれないのです。しかし、私としても譲れません。そこで、娘に条件をつけたのですよ」

「条件?」

「はい。この大会で優勝したら、好きなようにしてよい、と。さすがにそれは無理だろうと考えたのですよ」

「なるほど、そういうことでしたか」

 カレンは自信満々でこの条件を受け入れた。

 招いた指南役たちから、カレンがかなりの実力をつけているということを聞き及んでいたバートウィッスルであるが、この条件を達成することは間違いなく無理だろうと考えていた。

 若手主体とはいえ、野心を抱いた武術家が多数集うことで知られる大会だ。しかもこの大会、かなり日程が厳しい。決勝まで勝ち抜いた場合、一日目は三試合、二日目は四試合を戦わなければならぬ。一日四試合というのは、数あるシーラントの武術大会のなかでも、多い部類に入る。

 やはり体力面では、男女の性差が出る。試合数が多くなれば多くなるほど、カレンにとって条件は不利になるはずだ。

 バートウィッスルの顔から血の気が引いているのも、納得であろう。適当なところで敗退するだろうと考えていたカレンが、とうとう準決勝まで駒を進めてしまったのだ。このままでは、娘の主張を受け入れなければならなくなってしまう。

「ときに――グレンヴィル殿こそどうしてこの大会に?」

「実は、娘ごの対戦相手――ヴァート・フェイロンは、私の弟子なのです」

「なんと、それは……!」

 バートウィッスルの表情が、にわかに輝きだした。最強の剣士であったマーシャの弟子なら、カレンを破ってくれるに違いない――そう期待しているのは明らかだ。

「はて、まだまだ未熟者ゆえ、バートウィッスル殿のご期待に沿えるかどうか。無論、本人も必ず優勝するという決意は持っておりますが」

「いや、そう仰らずに――この通り! お弟子が必ず勝つと仰ってください!」

 マーシャに頼み込んでも仕方のないことなのだが、いまのバートウィッスルは藁にも縋る思いなのだろう。マーシャも、曖昧な笑みを返すことしかできなかった。

「まあ、ともかく。試合が始まるようですよ」

 マーシャの視線の先では、ヴァートとカレンがそれぞれ構えを取ったところであった。


 カレンが構えをとった瞬間、ヴァートは奇妙な感覚を覚えた。一言で表すなら、それは「既視感」。カレンの構えが、ヴァートのよく知る人物と、酷似しているのだ。

「始めッ!」

 審判の声が上がる。

 同時に、カレンが動き出した。

「むッ!?」

 カレンは一直線にヴァートとの距離を詰めた。ただそれだけのことで、ヴァートは瞠目する。予備動作を敵に悟らせぬ巧妙な足運び、静から動へ、大きく緩急をつけた動き――ヴァートは、カレンが瞬時に目前に迫ったかのように錯覚した。

「はあッ!」

 上段からの斬り下ろし――半歩退いて回避したヴァートに対し、手首を返しての逆袈裟。基本どおりの連撃を、ヴァートは剣で受け止める。

 一撃の重さは、やはり女性のそれである。押し返して体勢を崩しにかかるヴァートに対して、カレンは自ら大きく跳んで距離をとった。

 ふたたび、カレンが踏み込む。

 今度は、一歩ごとに微妙に歩幅を変えることで、相手の距離感を狂わせる独特の歩法だ。そこから放たれたのは、「ガルラ八式」の第一式であった。

 カレンが一式の五手目まで繰り出したところで、ヴァートはカレンの剣を大きく弾く。反撃に出ようとしたヴァートの出鼻を挫くように、カレンがヴァートの胴を薙いだ。今度はヴァートが距離をとって、仕切りなおしとなる。

(やはり、似ている……いや、似すぎている)

 カレンの戦い方のことだ。そしてカレンが似ているという相手――それは他でもない、マーシャ・グレンヴィルであった。

 まず、カレンが最初にとった構えである。正眼――基本中の基本であり、常人の目からは誰がやっても大して変わらぬように見えるだろう。しかし、人というのは個人によって身体の大きさも違えば体力も違う。同じ正眼といっても、細かいところで個性が出るものだ。

 しかるにカレンの構えは、マーシャのそれと非常によく似ている。いや、ヴァートの眼からも、マーシャ・グレンヴィルそのままであるように見えた。

 そして、独特の歩法にて間合いを詰め、基本的な技を繰り出す――これは、マーシャが相手の技量を推し量るときに好んで用いる戦い方である。

 マーシャは、人気実力ともにシーラントの頂点を極めた武術家である。ゆえに、マーシャの戦い方を模倣しようという剣士は、彼女が引退して八年余りが経過したいまも後を絶たぬ。しかし、そのほとんどが、表面だけをなぞった単なる猿真似にとどまっているのも事実だ。マーシャという稀代の天才を模倣するというのは、そう簡単なことではないのだ。

 しかし、このカレンという少女剣士は違った。

 マーシャをなぞるカレンの動きは、すべてが理にかなっている。マーシャの操る術理を頭と身体でしっかりと理解し、実践している。

 たとえそれがただ無造作に踏み出した一歩だとて、マーシャの一挙手一投足には常人が知覚することすら難しい高度な技巧がちりばめられている。重心移動や歩幅にわずかなずれがあっただけで、それは成立しなくなる。

 しかしカレンは、実に見事に、完璧に近い形でマーシャの動きを再現して見せた。

 ミネルヴァ・アイを除いては、誰よりも近しい場所でマーシャと接してきたヴァートである。その見立てが間違っているはずもない。


「なるほど、アイたちが『面白い』と言っていたのはこのことだったのか……」

 マーシャが呟く。

「グレンヴィル殿、もうお気づきでしょうが――娘は、あなたに憧れて剣士を志したのですよ」

 バートウィッスルの口調には、非難がましいものが込められている。これも、マーシャからすればどうにもならぬこと、言ってみれば逆恨みである。マーシャは苦笑するしかない。

「娘は、小さいころに見たあなたの姿が、いつまでも忘れられないと常々申しておりました。その姿を真似て、剣を振り回すことがあの子が武術を始めるきっかけでした」

 バートウィッスルは、大きく嘆息する。

 子供心に抱いた憧れを、立派に剣技として昇華させる――カレンが厳しい研鑽を積んできたことは、想像に難くない。

(確かに面白い。準決勝の相手として不足はないな)


 確かに、面白い。ヴァートは、マーシャと同じことを考えていた。マーシャに憧れ、修行してきたヴァートだ。おそらくは、このカレンという少女もそうなのだろう。マーシャという存在に対する歩み寄り方こそ違えど、同じ気持ちを抱いて修行を積んできた者同士。全力でぶつかり、そして勝利したい。

「今度はこちらから行くぞッ!」

 ヴァートが叫ぶ。

「どこからでもッ!!」

 負けん気の強そうな瞳をらんらんと輝かせ、カレンが答える。

 試合場の真ん中で、ふたりの気魄がぶつかり合った。

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