第7話

 大会も二日目を迎えた。

 前日同様、朝も早くから桜蓮荘を出て、会場に入ったヴァートである。

 二百以上の試合が消化された初日と違い、大会の進行には余裕があり、出場者も余裕を持って準備することができる。ヴァートもまた、ゆっくり心を落ち着けて自分の試合を待つのだった。

 そうして迎えた四回戦。事件は起こった。


 ヴァートの対戦相手は、ジャック・カーソンなる長身の男であった。歳のころは二十台半ば。かなりの上背と、ひょろひょろと細く、長い手足を持つ。どことなく、蜘蛛を思わせる身体つきだ。

 カーソンの得物は、両手に持った短剣である。

「短剣遣いとはまた、随分と珍しい……」

 マーシャも、大会という場ではほとんど見たことがない。短剣遣いは、数少ないと言われる盾遣いよりも、さらに希少な存在だ。

 武器の射程の重要さは、これまで何度も述べられてきた。

 短剣は、間合いの短さという大きな不利を抱えているうえ、威力の小ささという欠点も併せ持つ。たとえばある程度の重量を持つ武器ならば、鎧の上からでも有効打と認められる場合もある。しかし短剣の場合、装甲で覆われていない部分を正確に狙い打たねば有効打とはならぬ。

 短剣の長所のひとつに、携行性――持ち運びのしやすさがある。軽く小さいので身に着けていても邪魔にならぬし、女子供が護身用として使うのにも適している。

 また、狭所での戦闘においては、長大な武器よりも取り回しの点で勝るだろう。

 しかし、開けた場所で戦う武術試合という場では、短剣の長所はまったく活かされないと言っていい。

(短剣で四回戦まで勝ち抜いてきたのだから、この男はかなりの遣い手、ってことか)

 ヴァートは、例によってカーソンの全身をくまなく見定める。無駄な肉をすべて削ぎ落としたかのような痩身。身に着ける防具は、ヴァート同様規則で定められた最低限のものだ。速度に優れた相手であることは、容易に想像できる。

 審判の合図がかかり、二人は開始線にて構えを取った。

 ヴァートは基本中の基本である正眼。カーソンは、身を低く沈め、両の短剣を逆手に持つ。

「始めッ!」

 審判の声が上がった。

 最初に動いたのはヴァートである。すり足で徐々に間合いを詰めていく。一方のカーソンは、ヴァートの前進に合わせてじりじりと距離をとる。かなり慎重な立ち回りだ。

 不意に、ヴァートから見て右手から、大きな歓声が巻き起こる。隣の試合場で、なにか動きがあったのだろう。

 すかさず、カーソンが間合いを詰めた。蛇のようにくねった軌跡で、細かい幻惑を交えながら一気にヴァートの懐を狙う。

「しゅッ!」

 矢継ぎ早の二連撃である。ヴァートは一撃目を身を沈めてかわし、二撃目は木剣の鍔で受け止める。お返しとばかりに、カーソンの胴を薙ぐ。しかしカーソンは、驚くべき俊敏さで後ろに跳び、ヴァートの間合いから外れた。

 ヴァートが剣を構えなおそうとした瞬間、ふたたびカーソンが踏み込む。下から切り上げるようにヴァートの頚部を狙う一撃。一歩退いて回避するヴァートに対しては深追いせず、自らも大きく退いて距離をとる。

 同じような展開が、四度続いた。

 すばやい動きで間合いを詰めては、一撃か二撃を繰り出して大きく下がる。カーソンは、この動きを繰り返すのだ。

 いわゆる一撃離脱の戦法である。激しい出入りで、相手に自らの動きを捉えさせない。短剣遣いにとっては、理にかなっているといえるだろう。

 しかし、この戦法には当然欠点もある。相手よりも多い運動量を強いられるため、体力の消耗が激しくなってしまうのだ。

(しかしこの男――随分悠長だな)

 カーソンを見据えつつ、ヴァートは疑問を覚える。消耗の激しい戦法を取りながら、カーソンには勝負を急ぐ様子がまるでない。ここまで六たび切り結んだが、カーソンの攻撃にはここで勝負を決めようという「意」に欠けているように感じたのである。

(持久力によほど自信があるのか、あるいは別の狙いがあるのか)

 そうヴァートが考えたのも当然のことであろう。

 そして、試合場脇で見守るマーシャたちが同じ疑問を抱くのもまた必定である。

「どうにも解せませんわね。あのカーソンという男、勝つ気がないのかしら」

「然り。ヴァートは既にあの男の速度に順応しているでござる。このままのらりくらりと戦っていても、勝てる見込みがないこと、カーソンもわからないはずはあるまい」

「なにか奥の手でもあるのでしょうか」

 カーソンの実力が高いのは確かである。であるから、余計にいまのカーソンの戦いぶりは不自然だ。

 ミネルヴァとアイの会話をよそに、マーシャは眉根を寄せて難しい顔をしている。

「先生、どうかしまして?」

「あの男の動き――ヴァートを特定の位置に誘い込もうとしているのではないか」

「誘い込む、でござるか」

 ミネルヴァとアイは、しばし思案する。カーソンがヴァートから距離をとる際、必ず右斜め後ろに跳んでいることに、二人は気付いた。闘いの場において、動きに一定の規則性をつけるというのは下策である。相手に次の一手を読まれやすくなってしまう。

 ならば、その規則性のある動きには、なにか理由があるはずだ。単なるくせ、というのなら問題はない。しかし、ここまで大きなくせを、指導者から指摘されることもなく直さずにいるということは考えづらい。

「でも先生、誘い込むといっても何のために?」

 ミネルヴァは首をひねるが、アイはマーシャの言わんとするところに気がついたようだ。

「外からの妨害にござるか」

 マーシャは首肯した。

 仲間と共謀し、試合場の外から対戦相手の妨害を図る――恥ずべき行為ではあるが、大きな富と名声が得られるシーラントの武術試合では、あとを絶たぬことだ。

 ごく簡単な手口としては、手鏡などを使い、対戦相手の顔面めがけて陽光を浴びせかけるというものが挙げられる。ごく一瞬ながらも視界が奪われるのだから、勝負どころでこれをやられてはたまったものではない。また、ここぞという瞬間に大きな物音を立てる、というのも単純だが効果的だ。

 カーソンは、妨害行為を実行するのに都合のいい場所に、ヴァートを立たせようとしている。そういうことだ。

「――よくある妨害ならば問題はないし、咎め立てするつもりもない。その程度で動揺するならば、ヴァートもそこまでの剣士だったということ。しかし――」

 マーシャは、ふたたび眉間にしわを寄せ、黙考する。

「パメラ、どう思う」

 不意に、パメラの意見を求めた。

「……臭います」

「やはりか」

 マーシャは、納得したように頷いた。ミネルヴァとアイはにとっては、まったく要領を得ないやりとりだ。

「どういうことですの?」

「今は時間が惜しい。三人とも、力を貸してもらいたい」

 そう言うマーシャの眼前では、カーソンが八度目となる突撃を敢行せんとするところであった。


 ヴァートは、焦れていた。

 ここまで、本来の自分らしい戦い方ができないでいる。カーソンのつかみどころのない動きには、ヴァートも手を焼いている。

 しかしヴァートは、カーソンの動きを見切りつつある。そろそろ反撃の頃合か――そう考えた矢先、ミネルヴァの声が響いた。

「ヴァートさん、いったんお下がりなさい!」

 これは、ヴァートにとって意外なことであった。マーシャにしてもアイにしても、手合わせの最中に助言をするようなことはしないからだ。

 ミネルヴァがとった異例の行為。なにか特別な理由があるはずだ――瞬時に判断すると、ヴァートはミネルヴァの言に従って大きく距離をとった。


「ちっ」

 試合場の脇で、小さく舌打ちする男がいた。年齢は四十前後であろうか。ごくごく平凡なレン市民、といった風情の小男だ。

 男は、暗殺者ギルドの一員であった。そして、ヴァートと戦うカーソンもまた、ギルドの暗殺者である。

 春のことだ。

 ギルドは得意筋の依頼に従い、三十名もの人員を提供した。しかし、その三十名は、暗殺の対象であった武術家たちによって、ものの見事に返り討ちにされてしまった。言うまでもなく、ルーク・サリンジャーの一件である。

 ギルドにとっては、前代未聞の汚点といえる。たった三人を相手に――いや、正確にはほとんどマーシャ一人に、であるが――三十人の暗殺者が斬り伏せられてしまったのだから。

 ルーク・サリンジャーは官憲の手に落ちたものの、この落とし前はつけるべきだ。ギルド内では、そんな意見が噴出した。これは、ギルドの信用と沽券に関わる問題だからだ。

 マーシャ・グレンヴィルとその一派を討つべし――いきり立つギルド員たち。しかし、ギルドの総帥は

「この一件に関し、以降の手出しは無用」

 との決定を下したのだ。

 奇妙な話であった。これは、明らかにギルドの慣例に反している。しかし、幹部会での決定事項となると、末端のギルド員たちにはどうすることもできぬ。

 なぜそのような決定がなされたのか。多くのギルド員にとっては、知る由もないことだ。しかし、組織内に不満が溜まるのは無理からぬことであった。

 そんな総帥への反感を背に、行動を起こしたのがこの男である。男の目的は、マーシャたちが見守る中、ヴァートを暗殺することだ。

 こちらから手出しできぬというのなら、向こうに攻めさせればよい。マーシャを挑発し、自ら暗殺者ギルドに立ち向かってくるよう仕向ける。そうすれば、幹部たちとてマーシャたちを見過ごすことができなくなるはずだ。自分は、命令違反の罪で処分・・されるだろう。しかし、なし崩し的に全面戦争へと持ち込むことができれば、目的は達せられる。

 その目的の第一歩が、ヴァートの殺害である。しかるのちマーシャに犯行声明を送りつけ、暗殺者ギルドの仕業だと知らせる。それが、男の計画だ。

 それならば、はじめからマーシャを狙うのが手っ取り早いだろう。しかし、ギルドの暗殺者というのは、独特の職業意識というものを持っている。暗殺の対象が武術家ならば、その矜持を打ち砕いた上で屈服させねばならぬと考えているのである。

 傍目から見れば、はなはだ非合理的である。しかし、この考えがあるからこそ、ギルドの威厳が保たれている面もある。仮に対象が凄まじい武術の腕を持っていようと、ギルドの前では無意味。そう依頼人に思わせるのが、商売をするうえで大事なのだ。

 暗殺者ギルドがルークから殺害するように依頼されたのは、マーシャ・アイ・ミネルヴァの三人だ。ヴァートはそれに含まれぬため、上に述べたギルド特有の思想の対象とはならない。

 男は、慎重かつ徹底した調査により、ヴァートが秋季大会に出場することを突き止めた。愛弟子の晴れ舞台であるから、マーシャも観戦に訪れるはず。衆人環視の中、みすみすヴァートが殺されるようなことになれば、マーシャにとっては耐えられぬ屈辱となるだろう。

 そうして男は、自分の部下であるカーソン――これはもちろん偽名である――を大会に潜り込ませた。裏工作によってトーナメントの組み合わせを操作し、人々の注目も高まるこの二日目にヴァートとぶつかるよう仕向けた。ヴァートが初日に敗退してしまう可能性もあったが、マット・ブロウズを破った男がそこらの若手に破れはしないだろうと踏んだ。

 すべては、予定通り。

 あとは、ヴァートを殺してのけるだけであった。


 マーシャ・アイ・パメラの三人は、それぞれ試合場の周りに散らばっていた。

 ミネルヴァがヴァートに対して声を上げた瞬間である。三人は試合場ではなく、それを取り囲む観客たちを注視した。

 と、マーシャが身振りで残る二人に合図を送った。アイとパメラはそれに従い、さりげない動きで試合場の一角を目指す。

 ミネルヴァがヴァートに指示を送った理由――それは、試合を妨害せんとする何者かを炙り出すことだ。

 カーーソンの動きから察するに、正体不明の妨害者の手口は、ヴァートと特定の位置関係が成り立たねば実行できない類のもののはずだ。

 なので、ヴァートが予想外の動きをとった場合、妨害者もそれに合わせても自らの立ち位置を変えるだろう。そうマーシャは考えた。

 ヴァートが大きく距離をとった瞬間。果たしてマーシャの予想どおり、不自然な動きを見せる男があった。

 マーシャの口の端が、わずかに上がった。


(風は微弱。これならば、狙いを外すおそれはない。さあ来い、ヴァート・フェイロン……!)

 暗殺者は、食い入るように試合場を見つめている。傍からは、熱心な武術愛好家にでも見えることだろう。無論、試合の勝敗など男には関係のないことだ。

 男の武器は、袖口に仕込んだ毒針である。服の下の前腕に取り付けた、ばね仕掛けの装置によって打ち出すものだ。

 針はごく小さいが、先端に塗られた毒は猛獣をもたやすく絶命させる。

 この毒にやられた人間は、まるで心臓の発作を起こしたかのような症状を見せる。心臓に持病を抱える人間が、激しい運動をした拍子に発作で絶命するというのはしばし起こることだ。ヴァートも、そうした事故として扱われることだろう。

 証拠を残さぬよう、対象の皮膚を掠めるようにして針を打ち出すのが肝要であり、そこが暗殺者としての腕の見せ所である。

 軽く、風に流されやすい針を正確に打ち込むのは至難の業である。ゆえに、ヴァートをなるべく試合場の端へと誘い込む必要性があったのだ。

(いいぞ、あと五歩、四歩、三歩――)

 ヴァートが針の射程に入るまで、あと少し。

 針が仕掛けられた男の右腕が、ヴァートに向けられた。

 その瞬間。男の右腕がむんずと掴まれた。そして背中には、硬いものが押し付けられている。

「試合に水を差すのは、ご遠慮いただきたく存じます」

 パメラが、余人からは気取られぬ角度で男の背に刃を突きつけていた。

「ほう、なかなか面白い玩具にござるな。しかし、いい年をした大人が玩具遊びに興じるのはいかがなものか」

 横合いから男の右腕を捕えたのは、アイである。パメラは、余人からは気取られぬ角度で男の背に刃を突きつけていた。

「なっ、貴様ら、どうして――」

「余計な声は上げぬことだ。命が惜しければな」

 低い声でそう言ったのは、一歩遅れてその場に着いたマーシャである。

「やはりギルドの手の者か。今日は新人ギルド員の発掘にでも来たのかな」

 冗談めかしたマーシャであるが、その視線は背筋が凍るほどに冷たい。ねめつけられ、男の総身に鳥肌が立つ。

 逃げ出そうにも、男の右腕はアイにがっちりと掴まれ、動かすこともできぬ。そして、パメラの持つ刃――暗殺者の男は理解している。パメラが力を込めたなら、男は呻き声ひとつ上げる暇もなく絶命するだろうことを。

「ギルドとは、すでに話がついている・・・・・・・はずだが。さしずめ、上の命令を無視した跳ねっかえり、といったところか」

 マーシャが、男の耳に顔を寄せてつぶやいた。

「先生、こやつはいかがいたそう。警備部に突き出して裁きを――」

「いや、それには及ぶまい。放してやれ」

 アイが腕を手離すと、男は数歩後ずさった。

「行くがいい。次はもっと上手くやるんだな。お前に『次』があればの話だが」

 恐怖と憎悪が入り混じった表情を浮かべ、男は脱兎のごとく駆け出した。

「グレンヴィル様、本当によろしいのですか」

「ああ。警備部に捕縛されたとて、あの男は何も白状しないまま自害するのが落ちだ。それに、ギルドはあの男の動きに気付かぬほど無能な組織ではないし、命令違反の独断専行を許すほど寛容でもない。あの男の末路は、既に決まっている。警備部に余計な手間を取らせることもないだろう」

 吐き捨てると、マーシャは試合場に目を向けた。

「どうやら、こちらの勝負も決着がつきそうだ」


 試合場の外でマーシャたちがなにやら悶着を起こしたのは、ヴァートも気付いている。しかし、ヴァートは集中を切らさなかった。場外でなにが起ころうとも、自分には関係ない。今はただ、眼前の敵を倒すことのみを考えるべし。

 一方のカーソンは、激しい動揺を見せていた。呆けたような表情で、その場に立ちすくむ。

 ヴァートがその隙を見逃すはずもない。一気に間合いを詰めると、続けざまの連撃でカーソンの両の短剣を叩き落す。

 止めとばかりに、袈裟懸けに剣を一閃。肩口を打ったその斬撃は、真剣ならばまず絶命は免れぬものだ。

 文句なしの一本であった。観衆からしてみれば、実にあっけない幕切れだったことだろう。

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