第8話

 馬車がクリエフ修道院に着いたのは、陽も完全に沈みきったころのことである。

 御者にしばらく待つように言い含め、マーシャは修道院の扉を叩いた。そこは修道院であるから、夜間であっても訪ねる人間を拒むことはない。

「なんのご用でしょうか」

 扉を開いたのは、まだ歳若い少年であった。修道士見習いなのだろう。

「こちらに、カミラ・アトキンスというという女性がいらっしゃると聞いたのだが」

「アトキンス様ですか? 少々お待ちを」

 カミラは、いまだこの修道院にいるようだ。別のところへ移っていたり、死去してしまっている可能性も考えていたマーシャだったが、ひとまずは胸をなでおろす。

 程なくして、修道服姿の女性が現れた。年齢は五十を少し過ぎたあたりだろうか。すらりとした体型に、整った顔立ち。若いころは美人だったに違いない、そうマーシャに感じさせる女性だった。

「私がアトキンスです。はて、どちら様でしたかしら」

 そう言ってカミラは首を傾げる。

「お会いするのは初めてです。私はマーシャ・グレンヴィル。クラーク殿に聞き、こうして参ったのです。夜分に申し訳ありません」

「クラーク様から……?」

「はい。ケヴィン・ウェンライト殿のことについて、お話を伺いたいのです」

 ケヴィンの名を聞くなり、カミラの表情は一変した。平静を装おうとしているものの、彼女が激しく動揺しているのははマーシャの眼にも明らかである。

「実は、ファーガス・ドレイクが殺害されるという事件が起きました。警備部は、彼に恨みを持つオネガ流の人間による犯行と見ています」

「そんな、ことが……」

「私の知り合いが容疑者として警備部に逮捕されたが、私は彼女が無罪だと思っている。事件の真相を暴くため、かつてウェンライト殿とドレイクとの間に起きたこと、それを知りたいのです」

「…………」

「その容疑者というのは、ウェンライト殿が旅の空で得たたった一人の愛弟子です。私は、ケヴィン殿の教えを受け継いだ彼女が、人殺しなどするはずがないと信じている。彼女の疑いを晴らすためには、どんなことでもいい。情報が要るのです」

 カミラは青い顔でしばらく考え込んでいたが、決心したようで口を開いた。

「……分かりました。すべてをお話いたします。ただし……無用の他言はなさらぬと約束願えますか」

 マーシャ首肯した。

「では、こちらへ」

 カミラは、マーシャを告解室にいざなった。告解室ならば、余人に会話を聞かれる心配はない。

「何からお話しましょうか。私とケヴィン様の関係はご存知で?」

「クラーク殿から、おおよそのところは」

「……良人を亡くした私は、しばらく悲しみに暮れておりましたが……ケヴィン様のもとで暮らすうち、だんだんと生きがいというものを感じるようになりました。日々厳しい稽古に明け暮れ、一戦一戦にすべてを賭ける――そんな武術家を陰で支えるというのは、とてもやりがいのある仕事だと思えたのです」

 カミラの声には、昔を懐かしむような響きがあった。

「……私がケヴィン様に思いを寄せるようになるまで、時間はかかりませんでした。亡夫に申し訳ないとも思いましたが、自分の気持ちに嘘はつけませんでした」

 これも、クラーク医師の考えたとおりであった。しかし、一方のケヴィンはというと、

「ケヴィン様は、私のことはなんとも思われていらっしゃらなかったでしょう。でも、私はそれでもいいと思っておりました」

 ケヴィンを支えながら生きる――たとえ結ばれなくとも、カミラはそれで満足だったのだ。

 しかし、転機が訪れる。

「わがことながら、今考えただけでもおぞましい――あの・・の試合の直前のことです」

 ケヴィンの留守中、一人の男がカミラを訪ねてきたという。

「ファーガス・ドレイクの使い、そう男は名乗りました。そして、大金をちらつかせて私に提案してきたのです」

 曰く――試合の前日がケヴィンの妻の命日であること、そしてケヴィンがとびきりの下戸であることは調べてある。試合の前日、ケヴィンに酒を飲ませ酔い潰して欲しい。

「酔い潰す……?」

 二日酔いによる体調不良を狙ってのものだろうか――マーシャの考えは、すぐ否定される。

「酔い潰れたケヴィン様と同じ寝床に入り、朝を迎えろと。そして、ケヴィンに手篭めにされたと訴えろと言うのです」

 ドレイク側の狙いは明白だ。このことをばらされたくなければ、試合で手心を加えろとケヴィンを脅迫することだ。

 よりにもよって亡妻の命日に、酔った勢いで女を犯した――そのような事実が露見すれば、ケヴィンの名誉は地に落ちる。

「そんなことはできない――突っぱねるはずでした。しかし――私にはできなかった。魔が差したのです」

 ケヴィンとは、決して結ばれぬと思って諦めていた。しかし、もし手篭めにされたという事実があったならば、ケヴィンは責任を取って自分を娶ってくれるかもしれぬ。カミラはそう考えたのだ。

「よく考えれば、そのような経緯で結ばれたとしても、幸せになどなれるはずもありません。しかし、あの時の私はどうかしていたのです」

 結局、カミラはドレイクの思惑通りの働きをすることになる。

 ケヴィンは、妻女の命日に限っては、特別に酒を一杯飲むことにしていた。それが、酒が好きだったという妻女への弔いだったのだ。なので、ケヴィンの酒に度数の強い酒を混ぜ、酔い潰すことは難しくなかった。

 翌朝。着衣を意図的に乱したカミラが涙ながらにケヴィンの蛮行を訴えると、ケヴィンは激しく同様したという。無論、完全に熟睡していたケヴィンはカミラに指一本触れていない。

 その現場にドレイクの手の者が押し入った。そして、手はず通りケヴィンを脅迫したのである。

 ケヴィンが脅迫に屈し、ドレイクに勝ちを譲ったことは記録が証明している。

「とんでもないことをしてしまった、と気付いたのは試合を終え帰宅されたケヴィン様のお姿を見たときです」

 悔恨、苦悩、絶望――そのときのケヴィンの表情は、言葉で言い表せるものではなかったという。

「武術家にとって、八百長をするというのは耐え難い屈辱だったことでしょう。私はケヴィン様を騙したこと自体よりも、その結果ケヴィン様に不本意な戦いをさせてしまったことに戦慄しました」

 カミラの瞳からは、いつからだろうかとめどなく涙が溢れていた。

「警備部に出頭し、裁きを受ける――私に謝罪したケヴィン様は、そう仰いました。私は、たまらずすべてを打ち明けたのです」

 ケヴィンはカミラの告白を聞き、悲しげに笑った。

「すべてはそなたの気持ちに気付けなかった私の責任、ケヴィン様はそう仰いました。しかし、この上はもう自分はこの国にはいられぬと」

 かつてアイが語っていた。ケヴィンは、「自分の技に嘘をついた」。それがシーラントを出奔した原因なのではないかと。

 脅迫に屈し、本来の自分の力を発揮することができなかった。ケヴィンに言わせれば、それが「自分の技に嘘をついた」ということなのだろう。

「その後のケヴィン様のことは、私にも分かりません。私は罪の重さに耐えかねて、こうして修道女として一生を過ごすことにしたのです」

 長いカミラの懺悔も終わった。しかし、マーシャにはまだ聞かねばならないことがある。

「ウェンライト殿のほかに、オネガ流を修めた人間はご存じないだろうか。ウェンライト殿から聞いてはいませんか」

「……確か、弟ぎみがいらっしゃったと聞き及んでおります。父ぎみのもと、ともにオネガ流を学んだが、弟ぎみは結局武術の道を諦めてしまったとか。なんでも、オネガ流を修めるには決定的に足りない資質があったらしいのです。その弟ぎみも、すでに亡くなっているとケヴィン様は仰っていました。しかし――」

 カミラは、なにかに気付いたかのようにいったん言葉を切った。その表情は、みるみる険しくなる。

「実は、今の話、お聞かせしたのはあなたが初めてではありません。そう、十五年ほど前になるでしょうか。ケヴィン様の甥、グレン・ウェンライトを名乗る若者が、ここを訪ねて来たのです」

 まだ十代に見える、背は高いけれども痩せた男だったという。確かに顔立ちはケヴィンによく似ており、甥という言葉に嘘はないようだった。男はマーシャ同様、れいの試合で何があったのかを聞きたいというのだ。

「私は、彼に尋ねました。それを聞いてどうするのか、と。世間にドレイクの所業を知らしめるつもりならば話すつもりはありませんでした。それは、同時にケヴィン様の恥を世にひろめることになりますので。彼は決して他言しないと約束しましたので、すべてを話しました」

「ほう、それで……」

「話を聞き終わると、若者は激怒しました。その凄まじい剣幕に、私もその場で殺されるかと思ったものです」

 しかし、男はカミラに手出しすることはなかった。

「おのれドレイク、オネガ流の恨みは必ず晴らしてやる――グレンを名乗る若者は、そう吐き捨てると去って行ったのです」

「……そのグレンなる男、オネガ流を修めていたのだろうか」

「いえ……私にはそうは思えませんでした。身体つきはいかにも頼りなげでしたし――私もケヴィン様と三年をともに過ごしております。その手を見れば、彼がオネガ流の修行を受けていないということくらいはわかりました」

 武術の心得というのは、手を見ればおおおよそ推し量れるものである。剣術や槍術など、武器を遣う武術家ならば、その掌は固く分厚くなる。徒手空拳の武術であるオネガ流の場合、顕著に特徴が出るのは拳だ。アイなども、その拳頭は修行によって皮が厚くなり、まるでこぶのように盛り上がっている。

 カミラの話を聞く限り、怪しいのはそのグレン・ウェンライトなる男である。

 十五年前当時は、武術の心得のない若者だったかもしれない。しかし、十五年の間修行を積みながら、復讐の機会を覗っていたとしたら――ありえない話ではない。

 アイのほかに、オネガ流の因縁がもとでドレイクを恨む人間がいる可能性がある。この事実は、カーターの考えを改めさせる材料となるだろう。

「ありがとうございました。この話、ウェンライト殿とごく親しかった人々、そして警備部には話さねばならないかもしれぬのですが……よろしいか」

「はい。ケヴィン様のお弟子が難儀されているのです。どうかその方をお助けくださいますよう、私からもお願いいたします」

 カミラは、いまだ涙の浮かぶ瞳で懇願するのだった。

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