第9話

 マーシャはその夜のうちにコーネリアスの自宅を訪ね、知り得たことを話した。もちろん、カミラのごく個人的な事情についてはぼかしている。

 そこは人の善いコーネリアスであるから、「すぐにカーターにこのことを伝えましょう」と請け負った。

 マイカの働きかけも効果があったのか、翌日アイは釈放される運びとなった。


 第八分隊の詰め所は、フェナー街のほぼ中心にある。

 午前中の歓楽街は、夜の喧騒が嘘のように静まり返っている。道を行くのは、酒場や娼館に物品を納入するために訪れたのだろう荷車が数台のみ。

 詰め所前では、マーシャのほか、マイカ、フォーサイス公爵がアイの釈放を待っていた。身元引受人を務めるマイカはともかくとして、公爵までもが多忙の中駆けつけている。

 結局、アイの釈放のためフォーサイス家の威光を使う必要はなかった。コーネリアスの言のとおり、カーターによるアイの逮捕が警備部内でも問題視され始めていた。そんな折、マイカから遠回しな圧力がかけられたため、カーターも釈放を承諾せざるを得なかったようだ。

「おお……マイカ様に公爵様まで……わざわざご足労いただき、恐悦にござる」

 詰め所から出てきたアイの姿は、酷いものだった。頬にはどす黒いあざができており、右の瞼は大きく腫れ上がっている。

 憤慨を露にする三人に対し、

「心配はご無用。こんなもの、師の拳骨に比べれば屁でもござらぬ」

 と、アイは快活に笑ってみせた。

 責め苦によってアイが受けた傷には、しかるべき処置がされていた。第八分隊も、いちおうは人道的な扱いを心がけていたようであった。

「あなたがマイカ・ローウェル殿ですか。われわれはまだその女に対する嫌疑を完全に解いたわけではありません。しばらくはその女がレンを離れることはなりませんので、そのおつもりで」

 分隊長カーターは、高名な武術家であるマイカに対しても、高圧的な態度を崩さぬ。フォーサイス公爵はこの場では姓名を明かしていないが、もしカーターが公爵の正体を知ったらどんな態度を取るのだろうか――いや、この男ならきっと公爵に大しても媚びへつらったりはしないだろう。マーシャは、そう考える。

 相手が誰でも毅然とした姿勢を崩さぬ。それは、カーターが職務に忠実だということを示している。

 歓楽街は、言うまでもなく犯罪多発地域だ。いくつもの犯罪組織が日夜縄張り争いを続け、酔漢が起こす暴力事件や痴情のもつれによる騒動はあとを絶たない。そんなフェナー街を管轄とする第八分隊の長というのは、並大抵の情熱で務まるものではない。

 都市にはびこる犯罪組織の構成員たちは、ときに警備部の隊員に袖の下を渡し、懐柔を試みることもある。しかし、カーターのもと統率される第八分隊の隊員たちに、その手の賄賂を受け取ったという噂は皆無だ。コーネリアスは、そうマーシャに語っている。

「もし、その女がレンから姿をくらました場合――あなたにしかるべき責任を取ってもらうことになります。お覚悟を」

 最後に、カーターが釘を刺した。

「わかっておるわい。その時は、わしの首を差し出してやる」

 マイカは、眉をひそめながら吐き捨てるのだった。


 四人は、フォーサイス公爵が仕立てた二頭立ての馬車に乗り、ひとまずは桜蓮荘に向かうことにした。

 馬車の中で、マーシャは、前日レン市内を駆け回って情報を集めたことを語った。

「それで……二十五年前ウェンライト殿に何が起きたのか、概ねのところは突き止めました」

 これには、マイカやフォーサイス公爵も興味津々である。

「とある女性の名誉のため、詳細は話せぬのですが――れいの試合において、八百長が行われたことは間違いないでしょう」

「ふうむ……あの誇り高い男のことじゃ、それは耐えられんことじゃったろうなぁ」

 マイカと公爵は、揃って嘆息した。

「そして、ウェンライト殿の甥を名乗る男、それが目下一番怪しいかと」

「なるほど……わしのほうでも少し調べさせよう」

 大貴族であるフォーサイス家は、広い情報網を持つ。個人ではなかなか調べられないようなことでも、公爵にかかれば探り出すことは可能だろう。

 一連の会話の間、アイは押し黙ってなにかを考えているようだった。

 馬車は、下町の桜蓮荘近くまで来たところで止まった。桜蓮荘の周辺は道が狭く、そこから先は歩いたほうが早いのだ。

「む……? なにやら騒がしいが……」

 桜蓮荘の門の辺りには、人だかりができていた。人数は二十人ほどもいるだろうか。

「もし、そこな人よ。うちに何用か」

 マーシャが声をかけると、集まった人々は一斉マーシャのほうを向いた。若者から中年まで年齢はさまざま、全員が男である。その身なりからは、彼らが武術家であることが察せられた。

 男たちの代表格と思しき中年の男が前に進み出た。

「私はツァイダム流ドレイク道場師範代、イーノック・ベントと申す。アイニッキ・イコーネンなる女に用がある」

 まるでカーターを思わせるような高圧的な態度である。いけ好かないものを感じながらも、マーシャは答えた。

「ファーガス・ドレイクの関係者か。アイになんの用か」

「その女が、我らの師を殺害した容疑者だと聞いている。出してもらおう」

 フォーサイス公爵が、さりげない動きでアイを背中に庇った。巨躯の公爵と小柄なアイであるから、アイの姿はすっぽりと隠れ男たちからは見えないだろう。

「アイのこと、どこで知った」

「それは貴公とは無関係のことだ」

 ドレイク道場は十の支部を持ち、門下生は年齢一桁の若年者も含めれば総勢六百にもなるという。中には警備部の関係者がいてもおかしくはない。そこから情報を得たのだろう。そうマーシャは推測した。

「アイと会ってなんとする」

「われわれの手で、事件のこと問いただす」

「アイはすでに警備部から取調べを受けている。いまさらなにを聞こうというのだ」

「警備部が手ぬるかったゆえに、自白が引き出せなかったかもしれぬ。実際にこの手で尋問しないことには納得がいかぬ」

 ベントなる男は、そうまくし立てた。

「最近ドレイク道場の評判がとみに落ちていると聞く。しかし、こんなことをしたところで名誉挽回にはんらんじゃろう」

 道場主であるドレイクをはじめ、三人の師範代が同時に殺害されたという事実は、すでに巷間の噂となっている。酒に酔っていたとはいえ、立派な肩書きを持つ武術家四人がなす術もなく殺されたというのだから、ドレイク道場の評判が下がるのも当然だ。

 自分たちの手で事件の真相を解き明かし、悪評を払拭したい――その考えは、マーシャにも理解できないこともない。しかし、私人がアイを拘束し、尋問しようというのはいささか短慮に過ぎる。

「それで小娘ひとり捕まえるのに、大の男がぞろぞろと詰め掛けたというわけか。情けのない話だ」

 公爵の言葉に、ベントが噛み付いた。

「ご老人。われわれを愚弄する気か」

 詰め寄るベントに対し、マーシャは一歩も引く姿勢を見せぬ。

「アイを渡すわけにはいかない。お引取り願おうか」

「いや、こちらも引くわけにはいかぬ」

 あたりに、剣呑な空気が漂い始めた。しばしの沈黙を破ったのは、マイカの不機嫌そうな声であった。

「マーシャよ、もうよい。こ奴らは、力づく・・・がお望みのようじゃ。木剣を持って来い」

「うむ。わしにも頼む。ミネルヴァが使っているものがあろう。わかっておるな、二本だぞ」

 マーシャは困り顔を見せながらも、二人の言葉に従った。マイカにはオーハラ流伝統の長剣を模した木剣。フォーサイス公爵には、いつもミネルヴァが使っている両手大剣型の木剣だ。ミネルヴァがいつも両手で扱うこの大剣を、公爵は片手で一本ずつ扱うのだ。

「ほれ、抜くがいい」

 ドレイク道場の者たちは、みな帯剣している。しかしそれはすべて真剣である。相手は老人二人、しかも二人の得物は木剣だ。挑発を受けたとて、剣を抜くのを躊躇うのは当然だ。

「安心するがいい。これはわれわれから売った喧嘩じゃ。もし万一のことがあったとしても、尋常の決闘という扱いにしてやるわ。マーシャ、お前が証人じゃ」

 双方合意ずくでの立会いならば、相手を殺傷しても罪には問われない。マーシャを立会人とすれば、いちおう合法的な決闘の要件は満たされる。

「どうした、かかって来んか。まさか、老人二人に臆したのではあるまいな。ドレイク道場の人間は腰抜けばかりか」

 ここまで挑発されれば、もはやドレイク道場門下生たちも黙ってはいられない。

「じじい、われわれに舐めた口をきいたこと、後悔することになるぞ」

 ベントが抜剣したのを皮切りに、門下生たちは次々と剣を抜いた。

「お師匠様、ギルバート様」

「なんじゃマーシャ、まさか止めるつもりではあるまいな」

「そんな気はさらさらありません。ただ――くれぐれも手加減・・・願いますよ」

「無論よ」

 フォーサイス公爵がにやりと笑う。

 マーシャの言葉に怒り心頭に達したベントが、大上段の構えから一気にマイカに斬り込んだ。

「ぬるいわ」

 次の瞬間、ベントはもんどりうって地面に倒れこんでいた。マイカは、ベントの斬撃をただ受け流しただけ。ベントは、自らの力をそのまま利用され、地面に転がされたのだ。

 続けて、二人目の男がマイカに殺到した。マイカはまたしても男の剣を受け流し、そのまま手首に捻りを加えた。なんと、それだけで剣を握る男の右手首が破壊された。

 この受け流しこそが、マイカの剣の真骨頂である。変幻自在の動きで相手の剣を受け流し、敵の力を利用して自らの攻撃の威力を倍化させる。流水の如く洗練された剣さばきから、二つ名「清流不濁」がつけられた。

 その間、フォーサイス公爵も二人の男を打ち倒している。

 マイカの剣とは対照的に、フォーサイス公爵の剣はどこまでも苛烈である。

 ミネルヴァ――いや、大の男ですら両手で扱う長大な大剣を、二本同時に軽々と振り回しているのだ。その間合いのうちに入るということは、竜巻に向かって突撃することに等しい。ドレイク道場の門下生たちは、公爵に近付くことすらままらなぬままその剛剣になぎ倒されていく。

 さすがに、ドレイク道場の者たちも複数人でマイカたちに打ちかかろうとはしない。あくまで一対一の対決が繰り返されるという形だ。しかし、マイカとフォーサイス公爵の周りには、またたく間にうめき声を上げて倒れる男たちの山が出来上がった。

「わしのほうはこれで七人じゃ」

「ほう、わしも七人目よ。マイカよ、腕は錆付いてはおらぬようだな」

 二人は、まるで競い合うように男たちを打ち倒していく。老齢とは思えぬその動きに、マーシャは感嘆するやら呆れるやら。

 マイカと公爵がちょうど十人ずつ打ち倒したところで、残りはひとりとなった。

「よし、最後のひとりはわしが」

「いや、十人目を倒したのはわしのほうが先。わしに譲るのだ」

「なにを言うか。わしのほうが先に十人目を倒したじゃろう」

 二人は、自分こそが十一人目を倒そうと躍起になっている。ふたりにとって、まさにこれは勝負だったのだ。

「マーシャよ、お前は見ておったじゃろう。正直に申せ」

「どうした、早く申さぬか」

 二人が十人目を倒したのは、マーシャの眼にはほとんど同時に見えた。

「ここはひとつ引き分けということで――最後のひとりは、私にお譲りください」

 と、マーシャが進み出るも、残るひとりはすでに戦意を喪失しており――剣を放り出し、全速力でその場から逃げ出してしまった。

 マイカとフォーサイス公爵は顔を見合わせると、肩を竦めるのだった。


「とりあえずは一安心、じゃが……あのカーターという男の言動から察するに、真犯人が見つからぬことにはアイを疑い続けることじゃろう」

「私もそう思います、お師匠様」

「そのグレン・ウェンライトという男の所在を突き止めねばならんな」

 マーシャの私室にて、四人は顔を突き合わせ今後のことについて話し合っていた。

「至急、カンドラ島とやらにわしの手の者を向かわせよう。そうさの、サディアスの奴が適任だろう」

 サディアスとは、パメラの父親である。長くフォーサイス家に仕える密偵の家系、オクリーヴ家の頭領で、自身も凄腕の密偵である。公爵の片腕とも言える存在のサディアスを使うというのだから、公爵の本気が覗える。

「あとは――関所の記録も一応洗ってみる必要があるかと」

 マーシャの言葉に、公爵は頷いた。

「そちらについても、わしが手配しておこう。ただ、あまり期待はできないだろうが」

 グレン・ウェンライトが正規の手続きを経てレンに入ったのならば、関所にその記録が残っているはずである。しかし、関所を通らずに領地間の堺を超える方法はいくらでもある。

「とりあえず、われわれができるのはこのくらいでしょうか――アイ?」

 アイは、馬車に乗っていたときから、ほとんど口を開いていない。怪訝に思ったマーシャは、アイの顔を覗きこんだ。

「……皆様のご協力には、感謝の言葉もござりませぬ。まことに厚かましいこととは承知の上にござるが、感謝ついでにもうひとつお願いがござる」

 アイの瞳は、どこまでも真剣だった。

「言ってみよ」

 マイカがアイを促す。

「はい。この一件、某の手によって決着をつけたい。そのために力をお貸し願いたいのでござる」

「理由を聞かせておくれ」

「某は、殺された四人の死体を見せてもらったでござる。あの傷跡は、たしかにオネガの技によるもののように思えた。特にドレイク殿の死因となった負傷――あれは、たしかにオネガ流『鍛冶槌スミスハンマー』によるもの。間違いござらん」

 ドレイクには、頚骨のほか右側頭部と下顎の左側に打撃痕が残されていたという。

「まず側頭部に一撃。ほとんど同時に顎に打撃を加える――こうすることにより、頭蓋に逆方向の衝撃を与えるのでござる。結果頭部に捻りを加えられる形になり、頚骨が破壊されるのでござるよ」

 オネガ流を極めた者は、鎧兜で武装した敵すらも素手で倒せるようになるという。「鍛冶槌」も、乱世に生まれたオネガ流の技のひとつだった。

「戦乱期に練られた技術ゆえ、人を殺しうる技が含まれるのも仕方のないこと。しかし、オネガ流とは本来自衛のための武術にござる。不必要に人を殺傷するのは、オネガ流の理念に反する行為にござる」

 アイの口調はきわめて冷静だ。しかし、マーシャら三人は、彼女の瞳に強い怒りが宿るのを見て取った。

「事件が起きたまさにこのときに、某がシーラントを訪れたのも、すべては亡き師のお導きにござろう。某のこの手で、オネガの名を汚した何者かを討つべし――それこそが師の意志にござる」

 そう言ってアイは立ち上がった。業火の如き闘志をその身に背負いながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る