第7話

 パラス街は、下町のやや南寄りに位置する。古くから多くの商店が集まる商業地区であある。

 時刻は、昼飯時を過ぎたころ。街は、買い物に訪れた主婦とみられる女性たちでごった返していた。

「しかし参ったな……これは骨が折れそうだ」

 マーシャは唸った。

 ケヴィンのかつての住居について、マイカからはおおよその位置しか聞かされていない。いちおうはパラス街西部に来てはいるものの、パラス街はそう狭い区画ではないし、人口もそれなりにある。「パラス街西」という言葉だけでケヴィンの住まいを突き止めるのは困難だと言わざるを得ない。

「勢い込んで来たはいいものの……もう少し下調べをすべきだったか」

 しかし、今は後悔していても始まらない。マーシャは、手近な書店に入り、中年の店主に対し聞き込みを開始する。

「ご免。このあたりにかつてケヴィン・ウェンライトという武術家が住んでいたと聞いたのだが、ご存知か」

「武術家ですか? 聞いたことありませんなぁ。いつの話です」

「かれこれ二十五年ほど前らしいのだが」

「うちはここに店を構えてまだ十七年ほどでして。お力になれず申し訳ありませんね」

「済まない。邪魔した」

 続けて二十件ほどの店を回ったマーシャだったが、成果はなかった。

 二十五年前といえば、先王フェリックスによる改革が実を結び、景気は最悪の状態から脱したころである。不況のあおりを受けて多数の商家が潰れたというこのパラス街でも、新たな店が次々と開かれた。ケヴィンが失踪したころというのは、このパラス街の人間の入れ替わりが激しい時期だったのだ。

 商店での聞き込みを諦めたマーシャは、できるだけ年かさの通行人を選び、話を聞いてみることにした。

「さぁ。知らないねぇ」

「うちは三年前に越してきたばかりだから……」

「うーん、あたしの亭主が昔そんな話をしていたような気もするけど……はっきり覚えてないねぇ」

 と、こちらも成果は芳しくない。

(出直したほうがいいか……しかし、あまり悠長にしている暇もない)

 と、マーシャの腹が鳴った。朝から第五分隊詰め所、ローウェル道場と駆け回ってろくに食事もとっていないのだから仕方がない。腹が減っては戦ができぬ。飯屋でもないかとあたりを見回すと、一軒の屋台が出ているのを見つけた。

 燻製にした鶏肉を、刻んだ生野菜とともに切込みを入れたパンに挟んだものを売っているらしい。昼飯時の忙しい時間帯は過ぎ、屋台の周りに客の姿はない。

「店主、ひとつ貰おうか」

「はいよ、今こしらえますんで少々お待ちを」

 注文を受け、三十前後と思われる店主は鶏の燻製を切りにかかった。しかし、その右腕の動きはどうにもぎこちない。

「右肩が悪いのか?」

 マーシャは何の気なしに聞いてみた。

「ええ。まあ、店を始めてこの方、毎日同じ動きを繰り返してますからね。職業病のようなもんだ、って医者には言われてますよ」

 答えつつも、店主は素早い手際でパンに具材を挟み込む。

「はい、お待たせしました」

 代金を払って商品を受け取ったマーシャは、少々行儀が悪いとは思いつつも歩きながらそれを食すことにした。

 と、ひとつの考えが思い浮かんだ。屋台の店主との会話が、それを導いた。

「そうか、医者だ」

 医者といいう仕事は父から子へ、子から孫へと一族で受け継がれることが多く、その場合代々ひとつの土地に根ざして活動する。

 そして、武術家というのは生傷が耐えない職業だ。なので、一般人に比べ医者の世話になる頻度は高い。普通は懇意にしている医者がひとりはいるものだ。

 つまり、その土地で暮らしていた武術家のことは、医者がよく知っているということだ。

 早速通行人に近隣の医者を聞きだすと、マーシャは小走りでそこへ向かう。

 一軒目の医者は先代の死去により診療所を引き継いだばかりという、まだ年若い男だった。自分が引き継いだ一年前以前のことは、あまり詳しくないとのことだった。

 二軒目の医者は、髪も髯も真っ白な老医師であった。名をクラークという。患者が切れたところを見計らい、マーシャは診療所のドアを叩いた。

 クラークはマーシャの顔を見るなり、

「おお、もしや……マーシャ・グレンヴィル殿では?」

 と驚愕の表情を見せた。聞くと、彼は大の武術愛好家で、現役時代のマーシャも何度か見たことがあるとか。

「いやあ、このようなところで実物の『雲霞一断ヘイズ・ディバイダ』にお会いできるとは。長生きはしてみるものだ」

 クラークが大仰に感嘆してみせるものだから、マーシャも苦笑を禁じえない。

「実は、引退後の暇つぶしに、過去の武術家についていろいろと調べているのですが……」

 と前置きし、マーシャはケヴィンについて尋ねてみた。

「ウェンライト殿のことなら、よく存じておりますとも。レンに上京されて以来、お怪我をされるごとに私が治療をさせていただきましたのでな」

 マーシャの考えは的中した。はやる気持ちを抑え、冷静に言葉を選んで質問する。

「ウェエンライト殿について調べて行くと、どうしてもあの試合のことが引っかかる。ファーガス・ドレイクとの一戦です」

 ドレイクの名を聞いても、クラークの様子に変化はない。ドレイク殺害事件については知らないようだ。

「ふうむ。やはり、それは気になるでしょうなぁ。実際、私もウェンライト殿が負けたと聞いて仰天したものです。世間では八・二でウェンライト殿有利とまで言われていましたから」

 武術愛好家という人種は、下手をすれば武術家よりも武術界の事情に通じている場合がある。そして、自分の趣味の話題となると弁舌が止まらなくなるのもこの手の人間の特徴である。もう少し詳しい話が聞けそうだ、とマーシャは話を続ける。

「しかし、どうしてそこまで実力差がある対戦が組まれたのだろう。御前七番勝負でそのような組み合わせが許されるものなのでしょうか」

 年に一度行われるその御前試合には、マーシャもかつて出場したことがある。王の生誕記念に行われる試合であるから、つまらない試合などがあれば責任者が職を失うことすらありえる。

「ごもっともな疑問ですな。たしかに当時ドレイクは期待の新鋭として名を馳せていたが、御前試合に抜擢されるにはいささか実績不足と言われていました。しかし、ドレイクは武術局の幹部に親戚がいたとかで――ここだけの話、その親戚の力で強引に出場枠を得たとの噂があるのですよ」

「なるほど――それで、格下に敗れたということは、ウェンライト殿はどこか悪くされていたのでしょうか」

「それはありえないはずなのですがなぁ。あの試合の数日前、道で偶然ウェンライト殿にお会いしたとき、すこぶる好調だと仰っていたのを今でも覚えております」

 クラークはいったん言葉を切って、なにかを思い出すような表情を見せた。

「ただ――ひとつだけ。肉体のほうではなく、精神面に問題があった可能性はあります」

「精神面――」

「はい。実はあの試合、ウェンライト殿の奥方の命日の翌日だったのです。奥方を深く愛しておいでだったお方ですので――」

 ケヴィンは情の深い人間であったので、故人の思い出に心が乱れることもあり得る。そうクラークは言っているのだ。

 マーシャは現役時代、精神面が原因で調子を崩したことなどない。それだけ強い精神力を持っていたとも取れるが、マーシャは当時を振り返ると、自分はなんと薄情な人間だったのだろうと思う。強くなることのみに執心し、命日に父や母の死をきちんと顧みることもなかったのだから。

 不意に、マーシャの口元に自嘲めいた笑いが浮かぶ。クラークの怪訝そうな視線に気付き、慌てて次の句を継ぐ。

「……当時のウェンライト殿のことを詳しく知る人物に、心当たりはないでしょうか」

「ひとり、おります」

「ほう、それは」

 マーシャは、思わず身を乗り出して聞く。

「ウェンライト殿のお宅で女中をしていた、カミラ・アトキンスという女性です」

 このカミラなる女性は、ケヴィンが妻女を亡くしたのち、クラークの仲介で奉公に入ったという。

「奥方を亡くされ、身の回りのことをするための人手が欲しいとのことでしたので。カミラも夫を亡くしたばかりで、仕事を探しているという話を聞いておりました。これはちょうどいいと、ウェンライト殿に紹介させていただいたのです」

 それは、れいの試合の三年ほど前のことだとか。住み込みというわけではなかったが、カミラは三年間ケヴィンの身辺の世話をしたのだから、ケヴィンとは誰よりも親しかったに違いない。

「しかし、連れ合いを亡くした者同士、三年間ですか」

 男女の仲に発展しなかったのか――そのあたりの機微には疎いマーシャでも、思わず考えてしまう。

「実のところ、私もそれを期待して彼女を紹介したところもあるのですよ。ウェンライト殿は言わずもがな高潔なお人でしたし、カミラも気立ての良い女性でしたので。いつまでも故人への想いに囚われず、新しい人生を歩んだほうが良いのではないか――お節介かもしれませんが、そう考えたのです。しかし、結局そういう関係にはならなかったようですな」

「なるほど。それで、カミラ・アトキンスはいまどうしているのでしょう。差し支えなければ彼女にも話を聞きたいのですが」

「いまは、レン郊外にあるクリエフ修道院というところで修道女をやっているはずです」

「出家なされたのですか」

「ウェンライト殿が失踪してすぐのことです。今になって思えば、彼女はウェンライト殿に思いを寄せていたのではないか。まあ、いわゆる片思いというやつだったのでしょうが」

 そしてケヴィンを失ったカミラは、俗世に絶望し修道女になった――それが老医師の考えであった。

「ありがとうございます。とても参考になりました」

 聞きたいことは概ね聞き終わった。マーシャはクラーク意思に丁重に礼を述べる。

「いや、私のほうこそあの・・マーシャ・グレンヴィル殿とお話ができて光栄でしたよ。愛好家仲間にいい自慢話ができた」

 クラーク医師は実に満足そうであった。


 クラークの診療所を出たマーシャは、商店街の書店に駆け込むと、レン周辺の地図を買い求めた。

 地図によると、クリエフ修道院はレン市街を出て南東にしばらく行ったところにあるらしい。距離はかなりある。空を見上げると、陽はもうかなり低くなっていた。

(夜分に訪ねることになるが――この際、先方の迷惑は考えないことにしよう。アイの命がかかっている)

 アイが真犯人でないとしても、警備部の取調べに対し自白・・してしまえば死罪は免れぬ。普通に考えれば、本人に心当たりのないことを自白するはずはない。しかし、取調べの際に行われる責め苦に耐えかねて、警備部の人間が示唆するとおりの供述をしてしまう者も少なくないという。

 こうした冤罪を防ぐため、取調べの際には容疑者に不必要な苦痛を与えてはならないという決まりがあるのだが、現場ではほとんど守られていないというのが現実だ。

 アイはオネガ流の修行によって相当鍛えこまれている。多少の拷問には屈しないだろう。しかし、拘留が長引けばそれだけアイが苦しむことになる。

 カミラという女性がケヴィンの失踪に何らかの形で関わっているのではないか。マーシャは、そう考え始めている。

 想い人が失踪したことで絶望し、出家する――考えられない話ではない。しかし、マーシャは違和感を覚えずにはいられない。

 それまで聖職者とは無縁の生活を送っていた人間が、突然神のもとに帰依する。多くの場合、これは贖罪を求めるための行動だ。神の許しを得たくなるような何か、それが二十五年前のカミラにはあったのではないだろうか。

 考えつつ、大通りに出たマーシャは辻馬車を捕まえると、御者に破格といえる額の心づけを渡す。先ほど購入した地図を見せ、

「この クリエフ寺院だ。急いでくれ」

 と御者を急かすのだった。

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