第12話 スタート
今、小春日和の中、梅がそろそろ見ごろを迎えようとしていた。そんな中を真木野は普段は優しい妻と目に入れても居たくないと思える愛娘と三人で花見に来ていた。
「いい天気だね」妻、美佐子が言った。
「そうだな」雲ひとつない空を見上げて真木野が答えた。今年娘は小学校に上がる。いよいよ生意気になり、いつ、お父さん臭い、と言われるのかと既に心配している。梅の木は赤にピンクに咲き誇っていった。そんな中、いまだ冬を感じる場所があった。そこに死神はいた。あの男、新堀司がこっちに笑い掛けていた。表情が強張った夫に、
「知り合い?」妻が怪訝そうに尋ねてきた。
「あぁ」力なく答えた真木野は、妻や子供の方を一度も見ないまま、新堀が笑って立っている梅林の中へと足を向けた。
「こんにちは、真木野君」対峙した二人。
「おまえとこんなところで会うとは思わなかったよ」新堀は相変わらず黒のスーツを身に纏っている。
「そうかい。僕はこういった美しいモノが大好きなんだ」花びらに顔を近づけたあと、もう一度真木野の方にその厭らしい目を向けた。
「しかし幸せそうな光景を見させてもらったよ。家族っていいモノなんだね。僕も何時か欲しいよ……。美佐子、僕のこと全く覚えていないんだね。がっかりだよ。それも仕方がないか。数回会ったきり、あとは僕の知らないところで、二人は密会を重ねていたんだから」
「おまえがそこまで真剣だったとは思わなかったんだ」
「僕の人生で、美佐子だけだったんだ。心底欲しいと思ったの。それを君が奪ってしまった。だから僕は君を嫌いになったんだったね。でももう恨んでないし、嫌いじゃないよ」新堀が美佐子の方に目をやる。それに気が付いた彼女が軽く会釈する。堪らず目を逸らす男を、真木野が煙たがる。
「おまえにそういう顔されるのが今の僕の生きがい」下を向いた新堀がほくそ笑む。だから真木野も口元を上げて言い放った。
「おまえに幸せな家庭は無理だ」
「何故?」ワザとらしく首を傾げた新堀に、
「おまえは死神だからだ」真木野はたじろかなかった。
「随分と聞き捨てならないことを言うね」ニンマリとした新堀には目もくれずに、真木野は梅の枝を軽く掴んだ。
「新堀、おまえ川端の店引き継いだらしいな。公務員簡単に辞めちまうなんて、俺には考えられん」
「そうだろうね。国家の飼い犬になった君には。でもあの仕事はイマイチだった」
「川端とは随分親密だったんだな?」
「ただあの店の常連ってだけだ」
「常連だっただけで、店まで譲り受けたのか?」
「それがあの男の主義らしいよ」
「主義ね」
「そう、常連は大切にする性質なんだとさ」
「そうか」真木野が少し足を進めたせいで対峙していた二人は、何時しか背中合わせに話をしていた。
「これは俺の奢りです、か」
「何だそれ?」新堀が振り返った。
「川端が最後におまえに言ったセリフだ」真木野は背中を向けたままだった。
「そんなこと言ったか?」
「ああ、言った。それ、じゃなくて。これ、ってな」
「何が言いたい?」
「いやただ、あの場合ビールならそれって言うだろ。だから、これが指しているモノが何なのかなぁと思ってな」
「何だと思う?」新堀は嬉しそうに聞いて来た。
「川端は捕まることがヤツにとっては最終的な目標だったんだから、協力者がいても全ての罪は自分が被るみたいな取引が事前にあったのかなぁと思ってな」お互いが冬を越えて咲き誇った梅の花を眺めながら、違う何かを見ていた。
「しかし神奈川県警は大丈夫なのか?昨年は二つの殺人事件を自殺だったり事故だったりと取り違えて、県民はいい加減な捜査に夜もゆっくりと眠れないぞ」それに対して真木野が言えることは何もなかった。ただ目の前の男が同じ県民でも、この男にだけは頭を下げたくないと思った。だから代わりに、
「で、今度はどんな手を使った?どんな手で、あの凶悪犯・小出卓也を生み出した?」新堀は自分の発言が流されたことなど微塵も気にしていないようだった。それはお互い様だったから。
「どんな手だったか、もう忘れた」
「いつか必ずおまえの尻尾掴んでやるからな」真木野は掴んでいた枝に力を込めたが、その先に咲いていた梅の花を見て思い留まった。
「何罪だ?」
「殺人教唆かな?」
「そんな地味な罪名で君の世話になりたくはない。君の世話になるときは、もっと弩でかいのが良いな」
「ふざけるな」今度は真木野が振り返ったが、
「ふざけてなどいないさ。もっと大それた、おまえがもっともっと俺に恐れ慄くようなことを仕出かすよ」新堀は背中のまま話しをしていたが、掴んでいた梅の木の枝を、何の躊躇もなく圧し折った。
「それでも、俺はおまえには屈しない。どんなにおまえのことを怖いと感じても、俺は絶対に屈しない」その言葉に新堀が振り返ったことで、二人は再び対峙した。歯茎を見せた新堀を真木野が睨み付けた。戦慄が漂ったが、新堀が目線を外したことで、真木野は彼の元をゆっくりと去ると、家族の下へ元の笑顔で戻っていった。そんな後ろ姿を、彼を迎えた妻の娘の笑顔を新堀は恨めしそうに見ていた。そして一人、梅の木の陰で笑った。
「それでは今からスタートするよ。用意はいいかい?真木野君」
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