第6話 その後のことと、感謝と、お粥と。

 あれからどうなったのかを、優貴は後になってから聞かされた。

 相手校のスポチャン部員こと剣道部レギュラー四名は、優貴が心張り棒を差して封鎖していた引き戸の向こうで、何をするでもなく立ちん坊をしていたそうだ。教師を呼びにいって問題にでもされたら、レギュラー降格どころか部活禁止を言い渡されかねない……と思うと、誰かに助けを求めることもできず、かといって逃げ出すことも憚られて、戸口でおろおろしていたのだとか。

 紫水と雪花が優貴の肩を担いで道場から出てきた後も、おろおろしながら「このことは、どうか穏便に」だとか言ってきたそうだ。紫水たちは、それならば、と気絶している大吾や浩志たちの面倒を任せて、優貴一人を連れて帰宅した。

 優貴が目を覚ましたのは翌日の昼前だ。他の気絶していた連中とは違って、優貴はべつに怪我を負ったわけではないが、極度の緊張から熱を出していたのだった。目覚めてから聞いたところによると、浩志たち三人はとくに怪我らしい怪我もなく、あの後すぐに目を覚まして、自分たちの足で帰ったらしい。優貴の携帯に入っていたメッセを見る限り、今日も普通に登校しているようだった。午後になったら三人で見舞いに来るとのことだ。

 相手校の剣道場に穴を開けたりもしたわけだが、それについてどのような言い訳がなされたのかは、優貴たちの与り知らぬところだ。先方が今回の一件をなかったことにして済ませたいのなら、優貴たちも別にそれでいいと思っている。修理費を寄越せと言われることを考えたら、願ったり叶ったりだ。

 大吾は入院したとのことだった。全身が筋肉痛で、一部の骨も疲労骨折のようなことになっていて、最低でも一ヶ月は安静にしていないといけないらしい。自業自得と言うには少々酷すぎると思わなくもないが、あまり心の痛まない優貴だった。

 起き抜けの優貴にそうした事情を得々と話したのは、寝ている優貴をずっと看病していた雪花だ。雪花はテレビも観ずに、雪花の額に乗せた濡れタオルを細々と取り替えていた。まあもっとも、世が世なら止ん事無きご身分の姫様で、誰かの看病なんてしたこともない雪花だったから、一階の洗面所で冷水に濡らしてきたタオルを二階の部屋まで運ぶ間に、廊下や階段を水浸しにするような始末だったが。

 雪花が目覚めた優貴にあれからの顛末を一通り話して聞かせたところで、紫水も部屋にやってきた。彼女はお粥の載ったお盆を手に持っていた。

「優貴、体調はどうだ? 粥を作ったが、食べられるか?」

 紫水からそう尋ねられた優貴は、少し狼狽えてしまう。

「え……ああ、うん。食べたいけど……」

「……なんだ、その微妙な反応は。わたしが粥を作ってきたのが、そんなにおかしいか!?」

「そこまでは言ってない。まあ、びっくりしてるけど」

「わたしだって感謝しているのだ。飯を作ってやるくらいのことはするさ」

 紫水は憮然とした顔をしながらも、優貴の勉強机にお盆を置くと、小鉢に粥をよそう。それから枕元に椅子を持っていくと、小鉢を手にして腰を下ろした。

 上体を起こした優貴は、すぐ隣に座った紫水を不思議そうに見る。状況的に紫水が何をしようとしているのかは想像できたが、紫水がどうしてそんなことをしようとしているのかが理解しかねたのだった。

「……だから、なぜそういう微妙な顔をするのだ。病人に粥を食べさせてやろうというのが、そんなにおかしいか? おかしいのか!?」

 逆ギレする紫水。

「い、いや、そんなことない……です。はい」

「だったら黙って口を開けろ!」

「はい……」

 優貴は逆らうことなく、口を開けた。そこに突っ込まれる、粥を掬った匙。一瞬、熱々のおでんを二人羽織で食べさせられるバラエティ番組を思い出した優貴だったが、幸いなことにお粥は温かった。紫水が作ってきただけあって、猫舌でも食べられる温度だった。

「紫水よ、次はわらわじゃ。わらわが優貴に食べさせるのじゃっ」

 お粥を食べさせている紫水に取りすがって、その手から匙と小鉢を取り上げようとする雪花。

「あっ、ちょっと、姫様!? 危ないですって……ああっ!」

 咄嗟に両手を上げてお粥を退避させた紫水だったが、雪花がぴょんぴょん飛び跳ねてまで奪い取ろうとしたせいで、ついに紫水はバランスを崩して……小鉢のなかにまだまだ残っていたお粥を、優貴の胸元にぶちまけてしまうのだった。

 お粥が温くなっていて本当によかったと思う優貴だった。

 騒ぎを聞きつけてやってきた瑠璃が、

「疲労回復によい夕飯を作りますので、お二人も手伝ってくれますか」

 そう言って二人を部屋から連れ出してくれた。

 優貴はほっとしながらシャツを着替えて、夜まで寝直そうとする。浩志たちが見舞いに来るというようなメッセを入れていたけれど、起きていられそうにない。

 ベッドで横になって毛布を被ったところで、部屋の戸ががちゃりと音を立てた。

 開けた戸の隙間からそっと覗くようにして入ってきたのは、雪花だった。

「優貴、もう寝ておったか……?」

「この通り、まだ起きているよ。どうしたんだ?」

 優貴が半身を起こそうとすると、

「あっ、そのままでよい」

 雪花は片手を翳して、それを押し止めた。

「寝たままでよいから、わらわの話を聞いてほしいのじゃ」

「……うん、そうか」

 優貴はそう言うと、また身を横たえて、枕に後頭部を預ける。

「で、話って?」

「あのな、父上の話じゃ」

 雪花は心なしか嬉しげに切り出した。

 だが、優貴の顔は曇ってしまう。

「きみの父上って、その、もう……」

「亡くなったというのは、あの子鼠が言うておっただけのことじゃ」

「えっ」

 どういうことか、という顔をした優貴に、雪花は得意げに笑い返す。

「あやつは、父上は爆死したと言ったが、木っ端微塵になって首も見つからなかった、とも言った。つまり、父上の死体が見つかったわけではない、ということじゃ」

「でも、天守閣ごと爆発したのなら、それも仕方ないことのような……」

「そう、そこじゃ!」

 思わず呟いた優貴の鼻先に、雪花の人差し指がびしりと突きつけられる。

「え、そこ……?」

 ぎょっとしつつも聞き返した優貴に、これまた得意満面の顔で雪花は答えた。

「あのときは、わらわもうっかり動揺して失念しておったが、いつか父上が言っておったのじゃ。天守閣には抜け道がある、とな」

「抜け道!?」

「うむ、抜け道じゃ。しかも、そのことは王族にしか伝えられておらぬ。父上はおそらく、天守閣に爆弾を仕掛けた上で、その抜け道を使って脱出したのじゃろう。爆破してしまえば、抜け道があったことを見抜くのも難しくなるからの」

 それにの、と雪花は続ける。

「もし尖晶が本気でわらわを殺すつもりだったなら、人形に爆弾を仕込んでおけばよかったのじゃ」

「あ……」

 優貴も、なるほど、と思わざるをえなかった。

「わらわが思うに、やつはわらわを殺す殺すと口では言うておったが、実のところはわらわを生け捕りにして連れ帰るつもりだったのではないかのぅ」

「生け捕り……」

「うむ、そうじゃ。そして、生け捕りにしたわらわを囮にして父上を誘き出そうとしていたのじゃ。すなわち、父上はまだ生きている――その可能性がある、ということなのじゃよ!」

「な、なんだってー」

 と調子を合わせてみたものの、優貴にはそこまで単純に考えられなかった。

 その内心は顔にも出ていたようで、雪花の顔にも苦笑が浮かんだ。

「分かっておる。わらわとて、これがあまりに都合の良すぎる想像だということは分かっておるのじゃ。けどな、それでもわらわは、この想像を信じる。そうすることにしたのじゃ」

 雪花はそう言うと、ふっと照れ笑いを浮かべて、

「ええと、の……わらわは希望を捨てぬぞということを、おまえに聞いてほしかったのじゃ……それだけじゃ。邪魔したな。ゆっくり休め」

 照れ顔のぶっきらぼうで言うが早いか、雪花は飛ぶようにして部屋を出て行ってしまった。

「なんだったんだ、いまのは……」

 勢いよく閉まった扉を見つめる優貴は、まさしく狐に抓まれたような顔だ。

「まあ、あれだな。ちっちゃくても女の子は女の子だ。よく分からん」

 そんな結論を呟いて頷く優貴。

 そこへまた、ドアノブが廊下側から、がちゃりと回された。

 そっと押し開けた戸口から顔を覗かせたのは、紫水だった。

「優貴、寝ているか……?」

「あ、いえ。まだ起きてるよ。どうしたの?」

 いつになく気弱げな紫水を、優貴は横になったままで見やる。紫水は迷うように目線を揺らすと、唇をもごもごさせてから言った。

「その……今回は色々と巻き込んでしまって済まなかった。わたしたちがいると、おまえたちにこれからも迷惑をかけてしまう。だから……」

「夕飯」

 紫水が言い淀んだところへ、優貴がぼそりと告げた。

「……え?」

 目をぱちくりさせて聞き返した紫水に、優貴は明後日のほうを見ながら言う。

「実際、結構疲れたし、飛びっ切り美味しいのを頼む。それで今回のことはチャラってことで」

 その言葉に、紫水はもう何度か目をぱちくりさせてから、はっと息を飲む。

「優貴、それは……つまり……」

「服やなんかもせっかく揃えたんだ。それが無駄になるのも勿体ないし……だから、まあ……他に当てができるまで、出ていくこともないんじゃないか」

 優貴は言い終えてからやっと、目線を紫水に合わせた。

「……ありがとう」

 そう言って微笑んだ紫水の顔は、優貴が初めて目にしたものだった。

 紫水はすぐに去っていったけれど、優貴はしばらく閉められたドアを見つめたままだった。紫水のはにかみ笑いが目に焼きついて、しばらく離れなかった。

「ふ……ふ、ふへへ……」

 にやけてしまう口元を隠すように、優貴は布団を引っ被ったのだった。

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ブレイブテイル 雨夜 @stayblue

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