11、コンビニ店員、第二の世界に別れを告げる


 魔王領の秘宝であるらしい水鏡には、寒々しい曇り空の下に広がる草原が映し出されていた。

 そしてそこを剣や槍を手に行進する無数の兵士達。一人一人は俺と変わらない人間だと分かっているけれど、それでも、恐れを纏った死神の群のように思われる。

 だが、そんな彼らの足が鈍る。

 彼らの目の前には、一人の男が立ち塞がっていたのだ。七千対一。たやすく蹴散らされて当然のはずなのに、彼らはまるで怯えたように歩みを鈍らせる。

 そして、軍勢の動きが止まった所で、彼は地面を蹴った。鳥が飛び立つよりも軽く浮かび上がった彼は、そのまま行進の中央に降り立つ。

 兵達が後退り、まるで磁力が反発するようにぽっかりと開いた空間で、勇者は輿に乗り、精鋭に守られた国王と対峙した。


「界渡りの勇者よ、貴様もまた我が王国を裏切るというのか……っ」


 苦々しさを隠そうともしない国王の言葉に、しかし勇者は首を振る。


「この世界に、もはや魔王はいない」

「では――っ」


 目を輝かした国王に、勇者は答える。


「あの城にいるのは魔王ではなく、国を治める一人の統治者だ」

「違うっ、彼奴は極悪非道の魔王である!」


 低く断言する言葉に、相対する声。勇者は目を細める。


「それでも、そこに血を分けた娘がいるのは違いないのではないか?」


 国王は勇者の問いに苦渋を滲ませた声で否を唱える。


「話は聞いている。魔王に組したあやつは、もはや、娘でもなんでもない」

「だが、両国の王家の血を引いた子供が存在するのは、紛れもない事実だ」


 ニ=ヤン・マグ三世は勇者の言葉に、心底驚いたと言わんばかりの顔で身を乗り出す。


「なにっ!? それはまことか!」


 あれ? もしかするとこの人知らなかったのか。


「男か!? それとも女か! 答えよ!」

「パン姫に良く似た男だ」


 それを聞いた途端、国王の顔がやに下がる。


「そうかそうか、男の子か……」


 まさにジジ馬鹿と言わんばかりの顔をしていた国王は、しかし慌てて首を振る。


「くっ、懐柔しようとて、その手は食わんぞ。我々は百年前、ごっそりと土地を奪われた屈辱を忘れてはおらん!」


「問題の土地がニコ・エドゥムラン王国の領土としてあった期間が、ほんの半年にも満たない間だったとしてもか」


 その言葉に驚いたのは、むしろ周りの騎士や兵士たちだった。


「いつしか、この国では歴史が改変されていたようだな。かつてくだんの土地は下スタンム・ラー国の領土だった。戦により土地を奪い、国を滅ぼしたのはニコ・エドゥムラン王国だ。下スタンム・ラー国の最後の王女は魔国に亡命し、正妃となって次の王を産んでいるわけだから、取り返したのはあちらの国だとも言えるだろう」


 上スタンム・ラー国の史書にはそう記されていると言う勇者に、しかし当然の事ながらニャンまげ陛下は反発する。


「上スタンム・ラー国の記述のほうが、間違っているかも知れんではないか!」

「そうだな。どちらが正しいかは水掛論にしかならないだろう」


 あっさりとシオンはそれにうなずく。そのあまりの聞き分けの良さに、ニャンまげ陛下以下一同はいぶかしげな顔をする。


「だが、ひとつだけはっきりとさせられることがある」


 シオンはぱちんと指を鳴らすと、紫色の光が火花を散らしながら走り、円と線を組み合わせた模様を地面に描く。

 そして光が一際大きく瞬いた次の瞬間、そこに二人の人間がいた。


「ウァン=マーゲル!」


 ニャンまげ陛下は突如現れた自国の宰相に驚いた声を出す。しかし彼は自身の孫であるサ・ルー=マーゲルによって拘束されていた。


「騎士サ・ルー=マーゲル! 貴様、王国を裏切り祖父を人質に取るつもりか!」

「陛下、私は祖父ウァン=マーゲルを国家反逆の罪で告発いたします」


 怒りと共に向けられた罵声に、しかし金髪の青年騎士は凛とした声で宣言する。


「この国が魔国によって侵略を受けた事実はありません。これまで報告されていた各種被害は、すべて彼による捏造、もしくは自演です」

「なんとっ!」


 唖然とする国王陛下を中心に戸惑いと驚きのざわめきが、波紋のように周囲に広がっていく。


「祖父――いえ、ウァン=マーゲルはすべてを白状いたしました。証拠も追って届くことでしょう。魔国は悪逆非道の魔王が治める国ではなく、また他国を侵略した事実もないのです」


「いや――だが、しかし……」


 戸惑ったように駄菓子菓子と連発するニャンまげ陛下に、勇者が声を掛けた。


「例え始まりが何であろうと、長年にらみ合っていた敵国同士。わだかまりがすぐに解ける事はないだろう。だが、いつまでも憎み合うこそ不毛ではないか。未来を見据えて、互いに手を取り合うことができるとしたら、それは今において他はないだろ」


 そしてもう一度勇者はぱちんと指を鳴らす。再び地面に紫色の雷電が走ったかと思ったら――、


「父上――っ」


 うおおっ! ちょっ、俺まで一緒に召喚かよ!

 俺と一緒に魔法の水鏡を覘いていたはずのパン姫が、ニャンまげ陛下の傍に走り寄る。


「この子がボクと魔王の息子の、ホーリーです」


 パン姫は輿に乗るニャンまげ陛下に見せ付けるように、ぷくぷくした黒髪の赤ん坊を抱え上げる。赤ん坊はだぁだぁと機嫌よく笑って祖父であるニャンまげ陛下に手を伸ばした。

 ニャンまげ陛下は、凍りついたようにその赤ん坊を見つめていたが、やがてぽつりと呟く。


「……ワシに、そっくりじゃ」


 えっ!? そう!? ふくふくしいところくらいしか似てなくね?

 思わず聞き返しそうになったが、そこはあえてぐっと堪える。感極まったように赤ん坊を見つめていた国王は、小さく首を振った。


「今は無理でも、いずれその子が両国の架け橋になるやも知れんな……」


 そして、国王陛下はそのでっぷりとした体格に相応しい、まるでオペラ歌手のような美声を張り上げる。

 てか、あんた意外にいい声してるんじゃん。


「宰相が捕縛され、様々な問題が明らかになった以上、これより先の遠征は難しい! 我々は一旦帰還する!」


 伝令が駆け、ざわざわと周囲が騒ぐ中、国王陛下は自分の娘をまっすぐに見つめる。


「今は、その子を抱かせてくれとは言えん。だがいずれ、孫として顔を合わせる機会を得られることを望もう。それまで、息災でおるのじゃぞ」

「父上……」


 パン姫もまた、感情の迸りを堪える表情で目に涙を浮かべている。


「帰るのなら、送り届けよう。そして、二度と国同士の争いに勇者を利用しようとは考えないことだ」


 シオンはそう言うといつの間にやら取り出した剣を空に向かって掲げる。

 次の瞬間、曇り空に紫電が走り、特大の雷が落下した。


「うおおっ!?」


 ものすごい雷鳴にとっさに耳を塞ぎ、意識すら真っ白になりそうな雷光が消えたとき、平原を埋め尽くしていた七千の兵隊はどこにもいなくなっていた。


「消えた!? えっ! ちょっ、イッツアマジック!?」

「兵達はみな、ニコ・エドゥムラン王国へ送り届けた」


 なんだと!?

 さすが勇者! おれたちにできない事を平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!……なんて言わないからなっ!

 くそぅ、チート勇者はこれだから……。


「勇者、ありがとう。お前のお陰で戦争を回避できた」


 パン姫――いや、魔王妃パンは勇者に深々と頭を下げる。だが、シオンは首を振る。


「礼ならば、私ではなくマーゲルに言うべきだ。彼はあの短時間のうちに宰相の捕縛まで漕ぎつけた」

「いえ、それは勇者様が祖父の悪事を暴き、証拠品まで見つけ出してくださったからで……っ」


 しどろもどろになっていたサルまげ君だったけれど、パンちゃんに腕をとられると途端に耳まで真っ赤になって俯く。


「ルーも、ありがとう。お前には子供の頃から助けてもらってばかりだ。ボクの騎士でいてくれて、本当にありがとう」

「いえ、その……パン姫のためでしたら――、」


 けーっ、けーっ! このリア充め! 末永く爆☆発しろ!

 俺がサルまげ君に爆死の呪いを振りまいていると、ふいにパン姫が勇者を見た。


「勇者、もうひとつだけわがままを聞いてもらっていいか?」


 シオンは続きを促すように首を傾げる。


「ボクたちに魔王の姿を見せてもらえないか? 勇者ならボクの記憶から魔王の幻を作り出すこともできるだろう? 最後にひと目でいいから、この子に父親の姿を見せてやりたいんだ」


 パン姫はどこか寂しげな顔で微笑み、赤ん坊の頭を撫でる。確かに今回の対決は避けられたけれど、旦那であり父親である魔王を殺されたのは確かだからなぁ。

 勇者はこくんとうなずくとパン姫の額に手を当てる。そして数秒目を閉じていたかと思うと、その手を何もない空間に向けた。

 ジジジッと懐かしのブラウン管テレビが点く前のような音がしたかと思うと、紫色の火花が弾け、そこにはどこかもっさりしたもじゃ髭の――しかし柔らかい眼差しの黒髪の男が立っている。


「魔王――、」


 パン姫はその姿を見て涙ぐむ。

 うーむ、しかし俺のイメージしていた魔王像とだいぶ違うなぁ――って、あれ……?


「俺、この間こいつを見かけたぞ」


「えっ!?」


 パン姫、サルまげ君、そしてシオンの三対の目が俺に集まる。いやーん、俺人気者。


「ちょ、ちょっと待つんだ、ヨダ! いったいどこで魔王の姿を見たって言うんだ?」

「えーっと、ほら。国境抜ける前の俺が拉致られた町だ。あそこで一人で待っていた時、宿からこいつが出てきた」


 うんうん、ちゃんと思い出したぞ。香辛料の行商人だ。


「な、な、なんで魔王がそんなところに……」

「なんか香辛料仕入れて来たとか言ってたな」


 すると、がっくりと地面に膝をついたパン姫がうめくように呟く。


「あり得る。あの天然だったら充分あり得る。飲まされた毒物を香辛料だと勘違いしたのみならず『この国にはこんな不味いものしかないのか』と同情して、自ら新たな香辛料の輸入販路を開拓するぐらい平気でやる」


 それ、どんだけアグレッシブな天然だよ!

 つうか、このお姫様はそんな魔王のどこに惹かれたんだか……。


「こうしちゃいられない。すぐに魔王を見つけて、連れて帰らなければ」


 パン姫はすくっと立ち上がりそわそわし始める。もっともその頬は赤く染まり、嬉しげに緩んでいる。

 一方で驚いた表情のまま、ぴくりとも動かなくなったサルまげ君の肩に、俺は腕を回した。


「俺、ようやくお前と仲間になれたような気がするぜ」

「……はい」


 うつろに答えて、同じく肩を組むサルまげ君。よしよし。心の底から嘆くがいい、呪うがいい。

 そうしてここに、リア充を呪う会・第二異世界支部が発足した。


「ヨダ、こっちに」


 ふいに、シオンが声をかける。見ればその身体はうっすらと燐光を放っていた。


「どうやら時間によって、自動で帰還の召喚陣が発動するようだな」


 なるほど。本来の予定なら、今はニコ・エドゥムラン王国の侵攻が始まっているはずだもんな。邪魔にならないように用が済んだら強制退去させるつもりだったのか。

 俺は置いていかれないように、慌ててシオンの腕を掴んだが、シオンは念には念をと言わんばかりに俺と腕をしっかりと組む。

 何かを察したようなパン姫の視線が痛い。

 違うんです、まったくもって違うんです。姫様。その勘違いだけはやめてください。


「勇者様、本当にありがとうございました。そしてヨダ、次に来ることがあったら遠慮なく訪ねてくれ。心から歓迎する」

「二人とも、本当に世話になった」


 サルまげ君とパン姫がそれぞれ声を掛ける。

 俺はなんだかこそばゆい気持ちで口を開いた。


「じゃあな、リア充ども! 末永く爆発しろよ!」


 勇者の放っていた燐光が暴力的なまでに強くなり、それに巻き込まれた俺の視界は真っ白になる。


 ああ、願わくば――次もまた、尻が四つに割れませんように。


 そうして第二の世界に別れを告げた俺の意識は、ふっつりと途切れたのだった。




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コンビニ店員、三千世界を巡る。with 勇者 楠瑞稀 @kusumizuki

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