10、コンビニ店員、半年前の真相を知る


 それは今から一年以上昔の話。

 単身、魔王城に乗り込み、ものの五分ほどであっさり捕らえられたパン姫は、しかし拘束されることも危害を与えられることもなかった。かと言ってもちろん、城の住民達とすぐに打ち解けたということもない。


「でも、肝心の魔王はその能天気さであっさりボクを受け入れて、それから徐々にみんなもボクを認めてくれるようになったんだ」


 パン姫はそう言ってお、茶を運んできてくれたメイド(なんと猫耳!)に微笑みかける。

 猫耳メイドは心配そうな表情を浮かべていたが、パン姫の笑顔にわずかに安堵した様子を見せ、その腕の中で眠る赤ん坊に目元を緩ませ去っていく。

 俺がそのピョコピョコ動く耳と尻尾に釘付けになったのは言うまでもない。

 ともかく、確かにパン姫が周囲から孤立しているということはなさそうだ。

 というか、そもそも赤ん坊が俺の居た部屋までやってきたのは、おっかさんを探してのことだったんだろうなぁ。


「ボクは魔王を好きになって、何度も頼み込んで結婚してもらった。でもその一方でニコ・エドゥムラン王国はどんどん攻め込んでくる。だからボクたちは考えたんだ」


 魔王はパン姫が話すニコ・エドゥムラン王国の内実、そして彼らの主張を聞いてひとつの案を出した。

 ニコ・エドゥムラン王国は食糧事情の改善のため、魔王領にある肥沃な農業地帯を欲している。

 しかしそこには百年前から住み続けている住民たちが居るから、そう簡単に差し出すわけにはいかない。

 だからその代わり、国内の情勢が落ち着くまで自分達が援助を行い、また農地改善のための支援も行おうと考えたのだ。


「その頃ちょうどボクのお腹に子供が居ることが分かったから、そうなったら両国はもはや他人じゃない。家族だから助けるのも当然だって……」


 魔王は王国の軍勢をあえて自領内まで通し、そこで協定を結ぼうとした。

 援助と支援を前提に据えた、実質的な和平交渉であり、また魔王領とニコ・エドゥムラン王国の国力の差を考えれば、甘いと非難されることすら当然と思える処置だった。

 しかし彼らは、魔王妃がニコ・エドゥムラン王国の王女パンであったことから、それを了承したのだ。


「そうして和平交渉の場が作られたのが、今から半年前だ。だけどこともあろうかあいつらは、その和平交渉の場で魔王に毒を盛ったんだ……っ」


 怒りに打ち震え、押し殺したような声で暴露された真実に、サルまげ君はぎょっとした顔をする。

 まぁ、最前線の現場でがむしゃらに戦っていたサルまげ君にしてみれば、そんなことは初めて聞いた話だろうなぁ。


「命からがら戻ってきた部下の話を聞いたところによると、魔王はウァン=マーゲル宰相が手ずから注いだスープを飲んだ直後、大量の血を吐いて倒れたらしい。そしてその後の脱出の騒ぎの中で行方が分からなくなった」


 うむ、ワンまげ宰相、思ったとおり安定の腹黒さである。

 だがその実の孫であるサルまげ君は、蒼白な顔で俯き、震えている。肉親のしでかした卑怯な手口にショックは隠せないんだろう。


「そのまま無事に逃げ延びていて欲しいと願っていたが、もうあれから半年。生存は絶望的だろう。もはやニコ・エドゥムラン王国など生国でもなんでもない。父も父とは思わない。だからボクはそんな国を、いやこんな世界なんて——っ」


「魔王に代わり、滅ぼしてくれよう——と?」


 激昂も顕わにテーブルを叩き、立ち上がった彼女に静かに尋ねたのはもちろんシオンだ。

 パン姫はふいを突かれたようにはっとした目をシオンに向けたけれど、


「その通りだ」


 それでもなお復讐に燃える眼差しでうなずいた。

 勇者は優雅な手つきでティーカップをソーサーに戻す。


「ならば、今この世界の魔王は貴殿ということになるな」


 そんな言葉に一番に反応したのは、これまで真っ白に燃え尽きていた騎士サ・ルー=マーゲルだった。

 奴は必死な形相で勇者と魔王妃の間に割り込んだ。


「お待ち下さい、勇者様っ」


 この世界で勇者に課せられた役目は、魔王を倒し、囚われた姫を取り返すこと。

 その姫が魔王に成ってしまったのなら、倒す対象はもちろん——となるのはサルまげ君にはどうしても見逃せないことらしい。まぁ、そりゃそうだ。

 しかしそんな必死の王国騎士の肩を、その背後に庇われていたパン姫がそっと押した。


「退くんだ、ルー」

「しかし、姫様——、」

「いいんだ」


 燃えるような赤い髪の小柄な少女は、しかし堂々とした態度で勇者の前にその身をさらけ出した。


「勇者よ、ボクを殺したいなら殺せばいい。もちろんそう易々と殺されるつもりはないけれど、あの人の代わりに魔王を名乗ると決めたときに覚悟はしている。だけど、ボクを殺したって第二第三の魔王が——、」


 パン姫は意を決したようにテンプレっぽい台詞を言い出したのだが、それを再び勇者が遮った。


「つまり、貴殿の子供がその後を継ぐと?」

「そうだ」


 視線が、パン姫の腕の中ですやすやと眠る赤ん坊に集まる。


「その子に、命を投げ捨ててでも祖父を殺し、母親の生国を滅ぼせ、世界を滅ぼせと、そう教えて育てるのか?」


 それは非難でも叱責でもない、淡々とした問いだった。だからこそ、パン姫も言葉に詰まる。


「それは——、」

「その子を恨みと憎しみと、そして世界と肉親への殺意を抱いた大人に育てたいのか? 貴殿と、そして貴殿の愛した王の子供を?」


「じゃあ、どうしろって言うのさっ!」


 パン姫は今にも泣き出しそうな目で勇者を睨みつける。


「憎しみは何も生まないなんて、そんなの言われなくても分かってるさ! だけど、それじゃあこの気持ちをどうすればいい!? ボクはボクの愛する人を騙まし討ちにした父達を、広い心で許してやるなんてそんなの絶対に無理だ!」


「許してやれ、などとは言わない。その怒りも憎しみも、正当なものだ。だが、その気持ちを子供や国民にまで押し付けるのは良くない。親であり、為政者であるというのなら、自分の感情に子や国を巻き込むべきではないということも分かっているのだろう?」


 淡々と静かな勇者の言葉に、自分でも気付いていたのだろう。彼女の悔しそうな、悲痛な嗚咽が漏れる。

 居た堪れない空気に満ちるこの部屋で聞こえるものは、彼女の小さなすすり泣きと、もはや完璧空気となった俺の、茶菓子のクッキーを噛み砕くサクサクという音だけである。

 つうかこれ、結構いけるな。

 だがそんな誰もが無言となった空間を打ち壊すような騒がしい足音が、扉の外から聞こえ出した。


「魔王妃様、大変でございますっ!」


 ノックもそこそこに飛び込んできたのは、ミニチュアシュナイザーそっくりの執事、あるいは執事の格好をしている二本足のミニチュアシュナイザーだ。


「ニコ・エドゥムラン王国の軍勢が突如領内に出現いたしました! その数7千強……っ!」


「な——っ!?」


 絶句して立ち上がったのは、パン姫そしてサルまげ君だった。


「そんなっ、聞いてないぞ!」

「いったい、いつの間に!?」


 青褪めた顔でほぼ同時に声をあげた二人に、執事犬は緊迫した様子で答える。


「恐らく、長距離転移魔術ではないでしょうか。巨大な転移門を開くことで、兵の輸送に成功したのではと……」

「あの糞オヤジども! ただでさえ財政が厳しいっていうのに、何馬鹿なことをやってるんだ! 兵糧だってどんな無茶をしてかき集めてきたのやらっ」


 パン姫がこれまでの涙もどこにやら、腹立たしげに舌打ちをする。

 七千人からなる軍勢ということは、ようするに一日三食と考えて二万一千食が日々必要になるということだ。

 王宮での普通ふつ飯だって量が少ないは味が薄いわで微妙だったのに、これがミリ飯になったら目も当てられない気がするぞ。むしろ逆に暴動でも起きるのではないだろうかと考えるのは、余計なお世話だろうか。


「魔王討伐は我々勇者一行に任せられていたはず……。城を出てからまだ失敗と断じられるほどの日数が経っていないというのに、いったいどうして……」


「じゃあ、おとりにされたんだろう?」


 理解できないという顔で立ち尽くしていたサルまげ君は、クッキーを頬張る俺の言葉に心底驚いた表情で振り返る。てか、普通に考えれば分かるだろうよ。


「お前んとこの国は、百年前に召喚した勇者に裏切られているんだろう? じゃあ、そうあっさり信用するわけないじゃん。もともと勇者様ご一行はまさかのおとりで、魔王の目がそちらに集中している隙に、軍隊を一挙に送り出して制圧する予定だったんじゃね?」


 魔王を騙まし討ちにできるワンまげ宰相なら、いかにもやりそうな手口だ。尾も白いならぬ腹も黒い。

 一方身も心も真っ白そうなサルまげ君は、口を引き結びぷるぷると震えていたが、ふいに顔を上げて勇者に向かって言った。


「勇者様、お願いがあります。私をニコ・エドゥムラン王国の陣地まで転移させて頂けませんか?」

「そして王国軍に助力するつもりか?」

「とんでもありません!」


 勇者の珍しい、どこか冗談めいた口調に気付かず、サルまげ君は熱意に燃えた瞳ではっきりと答える。


「祖父を殴ってでも止めます。国が、主が歩んではいけない道を進もうとしているのならば、それを止めるのもまた忠義です」


 自分の口にした言葉に勇気付けられたかのように、サルまげ——、いやサ・ルー=マーゲルは凛とした眼差しで断言した。もっとも、


「行っても逆に、返り討ちに会うだけなんじゃね?」


 俺の言葉にぐっと息を詰まらせる。

 勇者と共に旅に出ることを許可されている以上、自分がもはや期待されていない単なる捨て駒であることは気付いているんだろう。


「ならば、私が行こう」


 サルまげ君とパン姫、そしてついでに俺とミニチュアシュナイザー執事の視線が集まる。ちなみに赤ん坊はお昼寝中。


「魔王がいないのならば、私の仕事は終わりだ。だから後は、私の好きにさせてもらおう」


 そう済ました顔で答える勇者だが、その僅かに釣りあがった口の端から、この上なく愉快そうな態度が透けて見えるのは、たぶん気のせいだと思いたい。



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