9.コンビニ店員、子連れ狼になる


 それじゃあ、俺の話を聞いてもらおう。

 配膳係君に置き去りにされた俺は、一眠りした後も人間の尊厳と欲求の狭間について考えているうちに、扉を叩く小さな音に気付いた。

 勇気を振り絞り扉を開けたところ、そこには誰もいない——と、思いきや。


「だぁ」


 足元から声がした。視線を下ろせば、四足で歩く軟体動物。


「赤ん坊ぉぉ!?」

「だぁだーう」


 驚く俺の事は歯牙にもかけず、赤ん坊は開いた扉からそのままのそのそと部屋に入り込んだ。


「ちょっ、ちょっとちょっと!」


 もちろん俺の制止は聞き届けてもらえない。翻訳魔法も機能しているのか定かではない。まぁ、赤ん坊なら当然なんだけどさ。

 非常に堂々とした態度で部屋の中央まで来た黒髪の赤ん坊は、立ち上がるのを失敗したような身のこなしで座り込む。そして、おもむろに周囲を見回して——、


「びえぇぇぇーーーん!」


 号泣した。


「ちょっ、お前本当に自由だな!」


 有無を言わさず部屋に入り込んだと思ったら、いきなり泣き出すとはとんでもない奴だ。俺はおろおろと赤ん坊に近付く。これまで赤ん坊なんかに接したことないから、何をすればいいのかさっぱりだ。

 とりあえず赤ん坊の前にしゃがみ込み、


「いないいない……ばぁ!」

 

 俺の必殺技——スペシャル変顔を披露する。もう老若男女の区別無く、小学校では牛乳、大学のコンパではとりあえず生中を噴出させる最終奥義だ。

 

 赤ん坊は俺の顔をきょとんとした目でまじまじと眺め、


「あーうっ、だーぁ!」


 きゃっきゃっと笑い出した。どうやら俺の必殺技は異界の赤子にも有効らしい。ほっとした俺は、恐る恐る赤ん坊を抱き上げる。ぐにょんぐにょんしているくせにずっしりと重いその身体を、落とさないように慎重に掲げる。


「ほれー、高い高いー」

「うひゃあっ、だーうーっ」


 赤ん坊はハイテンションで暴れるものだから、俺は慌てて腕に抱え直す。

 しかしいったいどういう訳で、こんなところに赤ん坊がいるのだろうか。いきなり貴方の子よ、とかいう展開になられても、困るぞ俺は。一切身に覚えが……まぁ、この話題はいいだろう。


 どうするべきかと悩みながら赤ん坊を見下ろしていると、ふいに再び赤ん坊がぐずり始める。音波系無差別殺傷兵器にも似た泣き声が響き渡るので、慌ててまた必殺・変顔をして機嫌を取るが——、俺もしかするとずっと高い高いかこんな顔をしていないといけないわけ? さすがにこの顔で表情筋が固定されるのは、本意ではないぞ。


 早いところ誰かに返すなり預けるなりしなくては、と思いながらしばらくあやしていると、唐突に足元が目映く光った。

 細かな模様が刻まれたそれは円を描き、俺と赤ん坊を飲み込むように光の柱が立ち上がった。


「うぎゃっ、なんじゃこりゃ!」


 と、思わず声をあげた途端、びっくりした赤ん坊が泣き出す。


「ほらぁ、変顔変顔」


 とっさに周囲の状況も忘れて、ご機嫌を取っていると、


「ヨダっ!」

「へっ、シオンにサルまげ君!? なんでここに?」


 見覚えのあるむさ苦しい顔が二つも雁首そろえて並んでいやがる。

 見れば回りもさっきまでいた趣味の良い部屋ではなく、なんだかおどろおどろしい大広間になっていた。もしや瞬間移動? 俺は異世界に来てようやくチート能力とも言える超能力を手に入れたのか!


『「ホーリーっ!!」』


 感慨にふけっていた俺は、つい先日聞いた覚えのある声に視線を向ける。


「——って、なんだありゃ!?」


 ゴテゴテ派手派手の不気味な着ぐるみ。紅白歌合戦を闇一色に染めんとする小林幸子か美川憲一の最終形態か?

 その真っ黒のマントの隙間から飛び出してきた赤い色が、眩しく視界に飛び込む。


「あれ? 配膳係君じゃん」


 その目に眩しい真っ赤な髪は、自分に飯を運んできてくれた配膳係に他ならない。

 なんで彼がこんなところに思う隙も無く、手の中の赤ん坊が奪われる。その乱暴な扱いに驚いたらしく、配膳係君の姿を見つけて嬉しそうに手を伸ばしていた赤ん坊は、これまでで一番の大声で泣き始めた。


「いったいいつの間にホーリーを攫った!? 子供を人質にするなんて、卑怯だぞ!」

「ええっ!? 人質とかすげえ濡れ衣なんだけど! てか、ほら大五郎泣いちゃってるよ、ちゃーん!」


 配膳係君に抱きしめられた赤ん坊を覗き込むようにして、レッツ変顔!


「誰がダイゴローだ! これはボクの生んだ子のホーリーだ」


 へ? なんか今聞き捨てならない言葉が聞こえたような——、


「パン姫様!?」

「へっ、姫?」


 はぁぁっ!?

 ちょっと待て!? さっきから怒涛の展開過ぎて脳みそがついていかないんだけど!


 見ればサルまげ君が苦悩に浸りきったかの表情でこちらに駆け込んでくる。それにはっと気付いた配膳係君……いや、さん? は片手に赤ん坊、もう片っ方の腕を俺の首に巻きつけた。の、ノォォォォ!! 背丈に差があるから、超海老反りなんだけど!! 背骨折れ曲がりそうなんですけどぉぉぉ!


「それ以上近付くな! 人質がどうなっても知らないぞ!」


 近付く前にどうにかなっちゃいそうなんですけど!!


「パン姫様! 私をお忘れですか!? サ・ルー=マーゲルです! 攫われた貴女様を救いにここまでやってきたのです!」

「ニコ・エドゥムラン王国の姫パン・マグはもうどこにもいない。ここにいるのは魔王の代行者、魔王妃パンだ!」


 どっかの山崎さんが春にシールと交換で食器をくれる祭をやりそう。

 ともかく、その言葉にサルまげ君はひどく打ちのめされた表情でショックを受けていた。

 まぁ、そうだろうなぁ。ホの字だったお姫様が、宿敵だった魔王と結婚してすでに一児の母なんだもんなぁ。

 しかしながら、件の姫様がボーイッシュ系ボクっ娘でしかも人妻だなんて思いもしなかったな。どんなニッチな萌え属性だよ。


「目をお覚まし下さい! 貴女様は魔王に惑わされているのです!」

「違うっ。そもそもボクは攫われたわけじゃない。自分の意思でここまで来たんだ」


 起死回生とばかりに訴える王国の騎士(うむ、駄洒落だ)に、しかし姫様はぽっと頬を赤らめてのろける。


「最初は極悪非道な魔王をこの手で退治してやろうと、単身この城に乗り込んだんだ。だけど、実際に魔王と顔を合わせ、言葉を交わし、実直なその人柄に触れるうちに段々と彼本人に惹かれていき……」


 サルまげ君は蒼白を通り越して土気色の顔色で、今にも膝をついて崩れ落ちそうだ。そして照れ隠しに首を掴む腕に力を込められた俺も、今にも背骨が折れ曲がりそう。

 もうやめてっ、俺たちのライフはすでにゼロよ!

 しかしそんな嬉し恥ずかしのお花畑ムードはぴたりと途切れる。


「本当に優しい人だったんだ。ちょっと能天気で空気の読めないところも可愛くて、大好きだったんだ。それを、お前達は……っ」


 低く押し殺した声が、ふつふつと煮えたぎるような怒りと憎しみを伝えてくる。

 姫様——いや、魔王妃の目はまるで射殺さんばかりに王国騎士を睨みつけていた。腕の中の赤ん坊が、まるで火がついたかのように泣き叫ぶ。


 えっ、なんかこれヤバクナイ?

 昔なつかしのイナバウアー状態のまま、俺が嫌な予感に慌てふためきだした、その時——、


 ズウゥゥン——


 びっくりするほどの衝撃と共に、建物が振動する。すわ地震かと思ったが、そうではなかった。

 見れば、魔王着ぐるみと同じくらいに黒い衣服を身に纏った一人の男が、その場で足を踏み下ろしている。

 だが、その足元はまるで隕石でも落ちたかのように陥没し、蜘蛛の巣状のひび割れを周囲に走らせていた。

 男は、自身がそんな狼藉をしでかしたとは思えないような涼しい顔で、我々に向かってこう言った。


「とりあえず、お茶でもしながら落ち着いて話さないか」


 ていうか、シオン。そう言えばお前もここに居たんだっけな。


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