8、王国の騎士、魔王の城にて戦いを挑む(サルまげ視点)

 勇者は凄まじかった。

 魔王に攫われた姫を救い出すために魔導師たちが召喚した、勇者と呼ばれる一人の男。

 初めてその話を聞いたとき、私は激しく憤った。

 何故、我が国の姫をお救いすることを、他所の世界の人間に任せないといけないのか。

 納得できず、祖父でもあるマーゲル宰相に詰め寄り、どうにか勇者に同行することは許可された。

 しかし、実際にはそれで納得したわけではない。

 私は召喚された勇者を見極め、もしも姫を救出するに相応しくない人物であれば単身魔王領に向かうことを決意していた。


 記憶の中にいる一年前の姫が、まぶたの裏でたおやかな笑みを浮かべている。

 白磁のような肌。長く艶やかな美しい髪。清らかに瞬く瞳。

 あの優しく純粋無垢な姫が、恐ろしい魔王に囚われているなんて、実にいたわしい。一刻も早く、お救いいたさなければ。

 私はそのためには、どんな苦難さえもその身に受けるつもりだった。


 だが、実際に召喚された勇者を見て、私の懸念は杞憂であることを知った。

 寡黙ではあるが、誠実さに溢れ、頼りがいのある人物だというのが私の勇者に対する評価だった。

 私の不手際で同時に召喚された従者(本人達は否定しているが)が誘拐されたのにもかかわらず、彼はそれを責めることもしなかった。

 勇者と呼ばれるだけあって懐深さも持ち合わせているようだ。

 あとは、剣の腕だけが心配であったのだが、それも実際に目の当たりにした今となっては、どれだけ不遜なことを考えていたかを理解することになる。


「大丈夫か?」


 振り返って尋ねる勇者様に、私は黙ってうなずく。いや、うなずくことしか出来なかった。

 魔王城へと向かう道の途中。立っているものは私と勇者様のみである。

 そして周囲には、何十人もの魔族たちが苦痛の呻きを洩らしながら、横臥しているのだ。

 実に凄惨な様子ではあるものの、しかし死んでいるものは一人もいない。


「とどめを……刺さなくてもよろしいんですか?」

「何故?」


 恐る恐る投げかけた言葉に、しかし勇者様は形ばかりの疑問の態で、こちらをまっすぐに見返す。

 私はそれに僅かに怯みつつも、思ったままの答えを返した。


「生きていれば、禍根が残ります。それに、敵の数を減らすことができませんし……」

「マーゲル、私は界渡りの勇者と呼ばれる存在だ」


 彼は淡々と応える。


「役目を終えれば、私はこの世界から去る。彼らは数日は剣を持って戦うことはできないだろう。例え害意を抱かれようと、その時には私はもはやいない。それとも、私が求められている役目は魔王を倒すことではなく、魔族の皆殺しか?」


「それは……」


 私は口ごもる。勇者の敵の戦闘人員を減らして貰えれば、これから先我が国は非常に助かる。

 しかし、それを勇者に頼むのは気が引けた。なにより、自分達が勇者を召喚した理由は、囚われの姫を救うためだ。

 私はこれ以上に厚顔な振る舞いをすることはできなかった。

 勇者は、まだ辛うじて意識のある魔族の肩を引き起こすと、その額に手を当てた。


「少しばかり、記憶を読み取らせてもらう」


 そうして勇者は目を閉じる。恐らくは何らかの術を行使しているのだろう。

 この世界にも他者の記憶を吸い出す魔術はあるが、恐らくはそれとは違う私の知らない世界の術なのだろう。

 魔王領への道程において、突如襲い掛かってきた魔族たちは、その装備からして恐らくは単なる盗賊の類ではない。正式な魔王の兵隊達だと思われる。

 誰の手によって、どのような意図で命令を受けたかを知ることができれば、かなり有利にこの先を進むことが出来るだろう。

 剣だけではなく、魔術にも長けた勇者の手腕に羨望の眼差しを受けているうちに、術を終えたらしい勇者は立ち上がった。


「分かった。行くぞ」

「はいっ」


 私はうなずいて、隠してあった馬へと向かう。

 しかし勇者は首を振って、手招きする。そうして私の腕を掴んで言った。


「いや、このまま飛ぶ」


 そうして虚空より取り出した剣を地面に突き刺すと、稲妻のような紫の光が地面を走り、魔方陣を描き出す。

 それが目映く発光し、視界が白く塗り潰されると、次の瞬間には私は魔王城の目の前にいた。

 半年前、偵察のときに遠目から見たことがあるので、間違いない。


「先ほど、記憶からこの場所の位置情報を読み取った。直接来たほうが早い」


 勇者はあっさりとそう答えるが、しかし私は自分に起こったことが信じられなかった。

 瞬間転移魔術なら、もちろんこの世界にも存在する。だけれど、あれだけの距離でその魔術を行使するためには、気の遠くなるような緻密な計算と数ヶ月単位の準備期間、そして国家予算規模の魔術的代償を用いて≪ゲート≫を開く必要がある。だから実用に耐えうるものではないというのが、この世界の常識だった。

 だがそれを、勇者は一人でやすやすと行ってしまったのだ。

 私はごくりとつばを飲む。

 勇者はそのまま堂々とした足取りで、禍々しい門へと向かう。閉じられたそこの、隣に目立たなくある通用口の前に立つと、握った拳でおもむろにその表面を殴打した。

 こつん、こつんと、さして力は入れていないようで、軽い音が響く。

 そして勇者はその場に立ち尽くす。


「……あの、中に突入しないのですか?」


 そのまま固まったように動かない勇者に、私は尋ねる。勇者はこちらを振り向くこともせず、あっさりと答えた。


「住人の了承も得ず、勝手に押し入るわけにはいかないだろう」


 そして再び、こつんこつんと扉を叩く。

 確かにそれは『常識』ではあるけれど、それは飽くまで日常生活の場面においてのものであり、こんな時にまでそれを律儀に守ろうとする勇者に私は唖然とする。

 それから十五分ほどたった頃だろうか。そろそろ痺れを切らし、単独で突入しようかと考え始めた頃、おもむろに不吉な悲鳴のような軋みを立てながら門が開いた。


「どうやら許可を貰えたようだな」


 勇者は私を見てひとつうなずくと、化け物の口腔のように薄暗い廊下を、ふらりと散歩にでも行くような気負いない足取りで進んでいく。

 毒気を抜かれた私も、何やらため息をつきたいような気持ちに駆られつつ、その後を追ったのだった。



 魔王城の廊下には敵の気配は無く、静かに淀んだ空気だけがあたりに満ちている。

 勇者の思いがけない行動で緊張感を失ってしまっていたが、この廊下を歩いているうちに自然と神経が研ぎ澄まされていくのを感じる。

 姫を取り戻すための正念場だ。ここで失敗すれば、二度と姫の笑顔を見ることは叶わなくなってしまうかもしれない。

 勇者の後に続きながら再び気合を入れなおしていると、ふいに大きな扉の前にたどり着いた。恐らく、この先に魔王がいるに違いない。

 勇者と共に重々しい雰囲気を滲み出している扉をくぐると、そこは闇だった。しかし、ふいにぽつりと小さな灯りが点る。それは連鎖的に広がって、巨大な広間の様子を明らかにした。


『グファファファ……、よくゾのこのこと誘き出されヨったな……勇者どモヨ』


 まるで錆付いた金属管を通したかのように、くぐもったおどろおどろしい声が四方八方から響き渡っている。

 我々の正面に聳え立つように、見上げるほどに巨大な魔王が立ちはだかっていた。

 魔王は見るも恐ろしい鉄仮面を被り、逆立った黒い髪はざんばらに肩口にかかっている。がっしりとした身体は髪と同じ闇色のマントに覆われて、足元まで隠されていた。

 その威圧感漂う姿に気圧されつつも、私は意を決して魔王に声を張り上げる。


「残虐な魔王め! 一年前に攫った、我が国の姫を——パン姫返すんだ!」

『……』


 魔王はしばし黙り込んだ後、再びくぐもった声を響かせる。


『王国の騎士ヨ……、貴様の求メる姫は……もはヤこの世に存在セヌ。諦めるがイイ……』

「まさか魔王、お前は……っ!」


 頭の中が真っ白になる。私は激昂に身を任せ魔王に斬りかかろうと剣を抜き、走り出そうとする。しかし私は力強い手に肩を掴まれ足を止めざるを得なかった。


「勇者様、お願いです! 行かせて下さい! 姫はっ、あの魔王に……っ」


 しかし勇者は私の肩を掴んだまま、まっすぐな眼差しで魔王をみつめている。


『王国の伝承の勇者ヨ……召喚されるがママにのこのことここまで来るとは、愚かなことよ……。だが、忘れたか? 我々の元には人質がいることを……』


 魔王はマントの合わせ目からまるでぜんまい仕掛けの人形のようにゆっくりと手を持ち上げると、指をばちんと鳴らす。


 すると蜀台の明かりが一際目映く輝いたその場所に、一人の男が突如出現した。

 比較的容易な短距離召喚魔法によって呼び出されたその男は、目を寄せ、唇を突き出し、舌を出して見るに耐えたない滑稽な顔をしている。だが、それは見間違いようがない。ヨダだ。


「ヨダっ!」

「へっ、シオンにサルまげ君!? なんでここに?」


 私が声を掛けると、ヨダは見る影も無く変わってしまったその顔を元に戻し、そして驚いたような顔をする。しかし突如響き渡る赤ん坊の泣き声に、慌ててまた奇妙な表情をその腕の中の存在に向ける。

 そう、ヨダが後生大事に抱えている存在は、紛れもない赤ん坊なのだ。


「何故、こんなところに赤ん坊が……」

『「ホーリーっ!!」』


 唖然とする私の声を掻き消すように魔王と、そして私にとって一年ぶりとなる懐かしい声が重なる。

 そしてガシャンと重々しい金属音と共に魔王の手と首が下がると、その背後から決して見間違えることのない姿が飛び出してきた。

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